2005年9月 7日 (水)

ペシミスト

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私の友人でこう言う人をペシミストっていうんだろうかって思う人が居る。どこから見ても恵まれた環境。ダンナはしっかり毎日働きに出かけ、いい息子、娘もいる。海外旅行だって年に2回行って、まだもっと行きたいって、つこの間も云ってた。過去には病気もあったけど・・・誰だって、そりゃ長い人生にはいろんな大小の心配はあるし未来は不安のかたまり。でも、とりあえず今は平穏無事ていうのがこれ以上ない幸せってもんじゃない??。お金だって彼女が不足だっていうのなら世の中の人の大半はもっともっと貧しい。劣性遺伝が出ていて体が弱いってなんて云ってるけど、結構旺盛に遊んでた。それに50を過ぎてるのになかなかチャーミング。なのに彼女はいっつも不安です。私から見るとどうも不安感のほうを好んでいるとしか考えられない。こんなに不安な人と暮らすのは大変だとだんなのほうに同情したくなる。本人が意識転換するって方法はないんでしょうか??絵はガラス絵でペシミストとは関係ない(No117)

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2005年9月 6日 (火)

オプティミスト

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絵を描いている側としていつも思ってるんだけど、日本の若い女の子は痩せすぎじゃない??イエ、自分がBUUだから云ってるんじやないよ。名作と言われる絵画の女達、ムッチリと太ってみるからにおいしそう。特に、外国人の女の子と比べると、後姿のあの細い腰とお尻。これでホントに子供が無事に生めるのかねえって心配になってしまう。中国人でも、韓国人でも、もちろん毛唐(失礼!!)の女の子なんか腰の線がじつに頑丈だ。知り合いの産婦人科の先生も言ってた「確かに、お産に伴う問題は外国に比べて多いでしょうな」って。「女の子たち、そんなに食べないで痩せるなんて可愛そうなことしなくっていいよ」勿論、程度の問題だけど・・・ということでももりメはあんまり痩せようとは思わない。ところが先日、亭主がついにこう云った。「なんとかならんのか。そのお腹。ちょっとはまじめにダイエットしたら」って。亭主は、先日来、4キロ減量に成功。意志が強いんだから。「いいの。我が家は癌家系。その内にガリガリに痩せてきたら癌だっていうことになるから」って答えたけど、やっぱり、ちょっと行き過ぎたかなあ。(No116)

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2005年9月 3日 (土)

カトリーナに刺されたブッシュ

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ジョージ・ブッシュはもうもたないんじゃない??。あのハリケーン、カトリーナの一撃は命取りになりそうな気がする。映像で見て、一番、深刻に受け止めたのは、略奪、放火などの2次災害。アメリカのすさんだ一部を見てしまった。阪神大震災の時だって、こんなことは聞かなかった。アメリカよりも日本のほうがはるかにいいこともいっぱいあるんだ。私がNYにいたのはもう20年ほども前かしら。個展をしないかっていう話。当時日本はバブルでみんながアート、アートって浮き足だっていた。この素寒貧のもももりにもお声がかかったのだった。当時のNYの治安は非常に悪く、「女一人よく行くよ」ってサンザン脅かされて行ったものだった。いわく、アフターファイブは外に出るな、セントラルパークには近づくな。道の端を歩くな、ビルの陰に引っ張り込まれるよって。詳しくはホームページ「旅のスケッチ」を見てください。ついでにと行ったナイアガラの一日ツアー、集合時間が朝の5時だったか??一人、ホテルの窓辺で朝食をたべていたら何人もの子供がゴミ箱をあさっていた。まだ暗いNYの街を一人、集合場所のシェラトンホテルまで行ったときの気持ち悪かったこと、大声で請求する子供づれのおもらい。上品な背広を着て、お金をと空き缶を振る老紳士など、異様な街だった。そのNYの夕立っていうのが又凄かった。高層ビルの谷間にイナヅマが走り、これこそが、ソドムの街かと思ったものである。わたしの絵の「ソドムの街」シリーズの原点はここにある。最近行った友人はもう地下鉄だってきれいになって平気だったよって言ってたけど、もう一度行ってみたいとは思わない数少ない町ではある。絵はナイアガラ(No113)

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2005年8月31日 (水)

秋・・・あ・あ・あ・

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昨日、半日草むしり。丹波の山奥に130坪のどうしようもない土地を衝動買いしたももり夫婦。片道400円の高速を2区間、800円かけて畑仕事に行っています。帰路は節約して一般道。もう11年目に入りました。キュウリも終ったし、すいかも今年はカラスにしてやられちゃた。買った頃は元気で、山小屋でも建てようとハリ切っていたんだけど・・・とてもとても。もうそんなバリキは・・・ないなあ。横に可愛い小川が流れ、見事な山桜が向こう岸に・・・でも、そこは今、笹やぶ状態。今度行ったら 又刈らなくっちゃ。行くたんびに脇目もふらず草むしり。抜いても抜いても、なんて野生の強いこと。今年、なぜか八重桜が枯れました。理由って??さあ??去年の出水では大きくなっていた桜が一本流されてしまったし。もう10年もしたら私たちの力ではムリになるでしょうネ。今はとうがらしと、間もなくさつまいも、これを無水パンで焼くとおいしくって・・・それに今年はとてもおいいしい桃が、5軒もおすそ分けできるほど実りました。やっぱり野良仕事って好き。でも・・ちょっと疲れたももりでした。(No112)

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2005年8月17日 (水)

あはれ 今年の夏もいぬめり

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暑いにつけ、寒いにつけ、「早く夏が終わらないかな」とか「早く春になってほしい」とか思わないようにしています。だって、それは、早く年をとりたいっていうことと同意義なんですもの。終戦記念日が過ぎ去るとアッというまに、TVからは戦争関係のテーマが消えます。でも、それは、ホントは良くない。きのうお山で半日草むしり。アブラゼミの合間に、何度かうぐいすの声も聞こえていました。アブラゼミがヒグラシに代ったら、もううぐいすは鳴きません。自然は静かに移り変わっています。昨夜、大文字の送り火。これでもう京都のなつはオ・ワ・リ・・・・
絵はガラス絵 ポルトガルのナザレ落日(No99)

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2005年8月15日 (月)

敗戦とは

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 今年は、敗戦から東京裁判への推移、靖国などがマスコミをにぎわせています。私は、ノンポリ。でも、あの戦争、もし勝ってたらもっともっと日本は苦労してたと思うし、占領したのがアメリカでなく、ソ連だったらもっともっとこわいことになってたと思う。戦後のナショナリズムで独立運動なんかが占領した国で起こったりしていたら、と考えるだけで恐ろしい。敗戦の国民がほとんど奴隷状態に置かれた過去の戦争に比べ、アメリカの占領はリッチだったと、これは、感謝していいだろう。幼稚園で「ノンノンノミも、シンシンシラミ、みんな退治てしまいます。撒いてくださいD・D・T D・D・T♪♪」なんて歌を習ったのを妙に鮮明に覚えている。みんな真っ白の頭にされて、回虫退治の「まくり」とかいうのを飲まされてしばらくしたら・・・・思い出したくもない。発ガン物質なんてだれも言わなかった。今、この静かな生活があることは、長い人類の歴史の中でも稀有なことでしょう。絵は、1986年、ソ連、ハバロフスクの戦没者記念碑。少年、少女が銃を持って守っていた。私はといえば、少年少女がささげ砲で銃を持っていると、いうことだけでも充分ショックなヤワな日本人だった。ソ連の旅については、ホームページ「山口ももりの旅のスケッチ」へどうぞ。まだツーリズムもなくて大変な旅でした。この旅で、ノモンハンの跡も訪れたけどあのころは、軍事的なところは、写真はおろか、スケッチも禁止でピリピリしていて、もう記憶にないのが残念です(No98)

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2005年8月14日 (日)

平和

salada
 戦争の始まる年に生まれ、4歳で終戦。戦後の食べ物がないという時代は親の口からは聞いているけどひもじかったという記憶を知らずに64歳まで生きられたことは、本当に幸せだ。でも、防空頭巾を被せられて父と母の間で、飛行機が空のかなたへ遠ざかっていくのを眺めていた記憶がしっかりある。とても恐かった。わたしの住んだ園部は、田舎だけど軍需工場があったそうだ。そこに爆撃があった。ごくごく最近まで雲の中を飛ぶ飛行機の音を聞くのが恐かった。長い歴史の上で戦争を知らないで生きられるっていうことは稀有なことだし、貧しい中で成長したから、ちっともぜいたくしようとは思わない。何を食べてもおいしすぎるほうだし、今のところ健康らしい。何より、うれしいのは、自分の意思で仕事を選び、結婚し、今も絵を描いている。いや、描けている。皆様に感謝します。絵はパソコン、今夜のサラダ(No98)

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2005年8月11日 (木)

あっつーい絵

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この絵はもう15年ほど前に描いたガラス絵です。暑い絵やなあ。やっぱり若かったなあ。絵がこころのあり様を映す、というより、描いた絵で自分の心の状態を自分で再確認することも多い。例えば、昨日のブログの絵、「宇宙たち」は最近の心理状態だけど、15年ほど前はわたしもこんなに暑かった。例えば、赤。暑い色だよねえ。ちょっとそれがうっとおしくなってきた。人の絵を見るのでも好みが変わってきた。これは、どうも女で無くなったことと無関係ではないようだ。「見て見て」って媚びるとまではいかなくてもアッピールしようとは全く思わなくなった。勿論きれいな色は好きだし、描いていても楽しい。でも、今、好きな絵は、荻須高徳ですね。(この字違ったかな??)シブーイ。明日はルーブル展を見ての思いを書くツモリです。(No95)

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2005年8月10日 (水)

宇宙たち

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 宇宙から野口さんが帰ってきました。漆黒の宇宙に浮かぶ地球を取り巻く大気の色は素晴らしく美しく、って言うことでした。うらやましいなあ。実験的に64歳の怠惰な軟弱オバサンを乗せてみてくれないかしら。どんな結果が出るか・・を実験テーマにして。宇宙へ出て、あまりの神秘体験に神の意志を懐い、宗教的になる宇宙飛行士もいたそうだ。神の創りたもうた宇宙の奇跡、地球。その美しい地球の表面に群がって戦争したりしてる人間てなんて、なんて勿体ない、恩知らずなんだろう。一時、わたしの絵のタイトルはずーっと「宇宙たち」だった。大きな大銀河系から、ほんの小さな植物の種まで、いいえ、細胞の1つまで宇宙なんですもの。絵は宇宙たち(No94)

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2005年8月 7日 (日)

戦争の思い出

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私は1941年生まれ、戦争の始まった年に生まれています。1月に生まれ、その12月、真珠湾攻撃で開戦だから、親は本当に苦労したようです。母の思い出の中の一つ。私が、小学2年か、3年の頃、作文の宿題があった。タイトルは「私が病気になった時」いつまでもぐずぐず考えている私を見て母が言った。「おかあちゃんが言うように書き」って。母はもと小学校の先生をしてた人で以下は作文の内容です。「わたしが赤ちゃんの時、小児結核という大変恐い病気になりました。毎日、お医者さんに通い、注射をしてもらいました。半年ほど経ったある日、お医者さんが「もう、これで大丈夫、助かりました。えらかったねえ。子供もえらかったけどお母さんもえらかった。もし、もう半年、この病気が遅かったら、この子は助からなかったでしょう。お薬も医者も続々前線に送り込まれて、お薬はもう手に入りません」とおっしゃいました。母が、後日、お礼に伺ったときには、もうそのお医者さまは戦争に行かれていらっしゃらなかったのです。「あの、お医者さまは今、どうしていはるのでしょう、と書いとき」って母は言いました。「いつも美しくキリッと着物を着て受付にいはって、そらあ、きれいな奥様やったなあ」って母は一瞬、遠い所を見る目になり、ウッと涙ぐみました。私たち一家が、京都から空気の良い、園部の田舎に引っ込んだのはそのすぐ後です。母が逝ってもう10年、そのお医者さまの名前は知ることはできません。学校で、先生が「良い作文があった」と言って読んでくれました。先生も一瞬ウッとつまったのを覚えています。絵は戦争とは関係ないピーマンのツ・モ・リ・(No91)

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