2009年10月17日 (土)

不毛地帯・・・ももりの旅

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 上はももりがイルクーツクから、子供に出した絵ハガキ。長いことアルバムにへばりついていたのをはがしていますので、少々見苦しいですけど。

 今、ロシア、当時はソ連・・・に旅をしたのは1986年。そりゃあ、いろんなことがありました。イルクーツクからウランバートルまで、国境を越えるべくシベリア鉄道に乗ったときのこと。モンゴルとの国境で、銃で武装した兵士に囲まれて下車。取調べ室???待合室で3時間。「おしっこ」と言った人もいたけど、首を振ってダメ。駆け出したらいきなり、後からポンと撃たれそうな・・・そんな場面もありました。

そのことはHP  旅大好き 海外編に書いています。お時間、興味有ればぜひぜひ・・・

http://www.geocities.jp/wgwxw444/118sib.html

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2009年8月28日 (金)

稀代の詐欺女 ヴァロア・ド・ラモット

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前回の続きです。シュテファン・ツワイク「マリー・アントワネット」によれば・・・以下、要点のみ 

あるユダヤ人宝石商が、パリ警視庁に出頭して、「レトー・ド・ヴィレットとか言うものが、稀有なダイヤを法外な価格で売りに来たが、これは盗難品に違いない」と、申し出てきた。警視庁はレトーに出頭を命じ、くだんのダイヤが、王の血族に当たるヴァロア・ド・モット夫人より出たとの確証をつかむ。一つずつほぐされた王冠は、これ以上パリで投げ売りすると、こっちの首の骨が危ないと気づいた婦人は、さっさと元気な夫のポケットに一杯詰め込んで、ロンドンへ送る。

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 「バンザーーーイ!!!一挙に大金が転がり込んできた!!!」
 そこで、このヴァロア王家の血を引く、稀代の詐欺女の取った行動が面白い。彼女は、イギリス産の4頭の馬が引く灰色のニスを塗った馬車、豪奢な制服を着た従者、頭のてっぺんから爪先まで、銀モールづくめの黒人下男、絨毯、ゴブラン織り、青銅器、羽毛飾りの帽子、真紅のビロード張りのベッド、42台の馬車に積み込めなかったほどの豪華な家財を運び込んた。
 王家の紋章「わが血、わが名、我が百合花紋、そを我はわが祖なる王より受けぬ」という銘を入れた紋章が刺繍してある白布が張りめぐらされ、村人のどぎもを抜いた。
 かつての憲兵士官、夫、ラモットも大変なおめかし、10本の指には全て指輪をはめ、靴の留め金はダイヤモンド、胸には3つか4つの時計の金鎖が輝き、衣装箱には、後の裁判記録によれば、18着にくだらない当時最高の洋服が詰まっていたそうな。
 近隣の貴族達が評判を聞いておしかけ、時ならぬ、贅を尽くした饗宴は、本家の王家とも比べられるほど・・・速く自分がさっさとトンズラしようと考えなかった所が、ももりが好きな部分で、「そんなもん、あのローアンのアホが払いよる」って大阪弁ではなかったやろうけど、タカをくくって考えた。スケッチは冬のパリ  つづく

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2008年10月17日 (金)

「パリの100年展」京都市美術館

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 パリといえば、ももりの中では映画や本の「レ・ミゼラブル」とか「ノートルダム ド パリ」。実際に何度か、パリには行ったし、何日か滞在した事もあるのに、ももりの中のパリは、まだ、小説世界のまんまです。小粋に着飾った紳士淑女が闊歩する表通りから一筋入れば、ぬかるみに浮浪者は倒れ、下水は道に溢れて、屋根裏部屋には何とも形容ができない人種が棲んでるっていう大都会、パリ。今回の展覧会は、フランスお得意の印象派とかキュービスムとか、聞き飽きた表向きの話ではなく、エッフェル塔が建てられた頃のパリ、ナポレオン3世の命を受けて、パリを今のように改造したオスマン男爵の頃をテーマにしています。

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 中でも面白かったのは、「ノートルダム・ド・パリ」を描いた数枚の絵。そう、随分前になりますけど映画「ノートルダム ド パリ」だったか???「ノートルダムのせむし男」だったか???たしか・・・アンソニー・クインがせむし男じゃなかったか???エスメラルダはジーナ・ロロブリジダ。折れそうに細い腰でした。「レ・ミゼラブル」の、ジャン・ギャバン・・・どうですか???季節は秋。名画でもごゆっくり・・・ももりとどうぞ

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2008年8月27日 (水)

二人の篤姫

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もう、我慢できないって、「天璋院篤姫」宮尾登美子  講談社文庫を買ってきました。一気に3時間ほど読み、まだまだ読みたい!!!これは終わりまで読めそうです。松阪慶子の老女「幾島」は、TVではあんなに、堂々とした押し出しの美女ですが・・・原作では、

 髪の黒さを見て、まだ若いとばかり思っていたのに、今上げた顔には深い皺が刻まれ、それは良いとしても眉間の真ん中に、月見だんご程のまるい大きなコブが突出している・・・・初めて幾島に会った篤姫は、思わず声をあげそうになるほど驚いた・・・とあります。
 篤姫が「こぶ」っと、腹を立てて、幾島のこぶめがけて、ハッシと扇子を投げつける場面もあり、原作とTVの違いがマタマタ面白い。小松帯刀なんか、まだゼーンゼン出てこないし、碁を打つ場面もありません。脚本と原作ってホント、別物なんですよねえ。

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有吉佐和子さんの本には、和宮は替え玉であったと書いているそうですが、作家って、ホント達者な創造力を持って、人物を造りあげるんですねえ。
 それにしても、「徳川慶喜」の本を図書館から借りて、まだ途中なのに、こうも、簡単に目先がクルクル変わって、読み終われないってのは、最近のももりの悪い癖です。そうそう・・・新年には「ローマ人の物語」を、今年中に読むはずでした・・・

 

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2008年8月14日 (木)

大山巌が好きなのは・・・第2が私

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 先日来、書いてきました山川捨松の夫となった大山巌・・・この人物はよほど魅力的だったと見えます。乃木希典ばかりが取りあげられて、議論百出・・・愚将であった、いやいや、ハラきりで有名になっただけ・・とかしましい。・・・・・しかし、乃木は、満州軍総司令官大山巌の下にある、第三軍司令官にしかすぎない・・・南条範夫は、言っています。以下、概略
 日露戦争の立役者としては、通常、海の東郷、陸の乃木の2将軍が並置されているがこれは明らかに間違いである・・・中略・・・その最高将師としての地位においても、その赫々たる業績においても、満州軍総司令官大山巌でなくてはならない。
 
大山巌、幼名弥助は西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎もみな同じ、薩摩、鹿児島城下の加治町に生まれています。生涯軍人で、7度戦争をしています。薩英戦争が22才。その後、長州征伐、鳥羽伏見から会津征伐、神風連の乱、西南の役、日清戦争、日露戦争・・・75才、大正13年に死んでいます。元帥、公爵に叙せられました。長州征伐では、砲兵隊長として、後の妻、8才の咲子の籠る若松城に砲弾をぶち込んでいます。捨松との結婚に際し、「旧来の仇の後妻になんぞ、トンでもない」とのこわ談判に「従来の敵といえども、お国の為、トップ同士が手を握らなくては」と言ったのが西郷従道だったといいます。
 日本初の学士妻、捨松をして「主人が好きなのは、第一が児玉さん、第2が私、第三がビフステーキ」と言わしめた男、大山巌、と、児玉源太郎。この絶妙のコンビが寡兵の日本を辛くも勝利に導いたようです。司馬遼太郎「坂の上の雲」の主人公、秋山好古が、奉天攻撃の大山場で、児玉源太郎に援軍を何度も乞うのに「また、騎兵隊から同じことを何べんもくりかえして頼みにきよる」っと取りあげずにいるうち、殷々たる砲撃音が総司令部にも響き始めた。そこへヌッと顔を出した大山巌は「今日はいくさがごわすか」と言ったといいます。司令部が前線に出るということが全く無かった、後の拙劣な戦争と敗戦を思えば、、明治の軍人はやっぱり、格が違いすぎます。
 日露戦争、沙河の戦いといえば、ももりの実家、田中の家の跡取り息子が戦死した戦いです。お墓への入り口に大きな石碑があって「ご先祖さんの碑なんやでえ」って聞いていましたけれど、、ある日、何気無く読みましたら漢字ばかりですが「福知山連隊・・・沙河之戦・・死」とありました。お家が絶えると養子に入ったのがももりの父、そこへ嫁いだのが母で、母は、そのご先祖様の生まれた節分の同じ日の生まれであったため、「死んだ息子の生まれ変わり」だと、婚家の両親にはとても大事にしてもらったといつも言っていました。お盆、さああ・・ご先祖様たちに会ってきましょう。スケッチは鹿児島「磯御殿 尚古集成館」

 

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2008年8月10日 (日)

大政奉還と篤姫

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「大政奉還」・・・これは、本当に知りたい場面です。大阪城内と御所の駆け引きでなった無血クーデターなんでしょうか???徳川慶喜は会津藩や桑名藩の武士たちに幕藩体制を守らせながら、自分はさっさと、大政を朝廷にかえしてしまった。それを受けた朝廷にいたのは、あのいやらしい岩倉具視。篤姫は、どう慶喜にからんでくるのでしょうか???・・・TVが楽しみです。司馬遼太郎「龍馬がいく」では、勝海舟から教えを受けた坂本龍馬が、大政奉還を土佐の後藤象二郎に入れ知恵し、及び腰の山内容堂は釣られて腰を上げた???武力で幕府を潰そうと積み上げてきた薩摩や長州の目の前で、アブラげをさらったような印象です。京都の朝廷は幼い天皇に玉璽を押させた中山ナントカという公家が登場します・・・・さ・あ・あ・・・・会津の悲劇も元はといえば、この、ヌエのような慶喜の一人芝居のせい????さ・あ・あ・・・マタマタ暑いコメントが楽しみです。中京の夏、本当に暑いけど、ブログでの舌戦は暑いほどうれしいのよねえ。スケッチは薩摩、鶴丸城・・・だったと思いますけど・・・自信なし

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2008年8月 8日 (金)

山川捨松と大山巌 そのⅡ

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 11才でアメリカへ留学した捨松は、素晴らしい成績で、バッサーカレッジを卒業します。卒業生代表に選抜された10人の中の一人でした。捨松の演説のテーマは「「イギリスの日本に対する外交政策」というもので、当時の、イギリスを始めとする列強によって取り決められた治外法権の内容を説明し、その不平等を指摘、「イギリスの権力が更に増長する事があれば、日本国民は最後の一滴の血を流してでも抵抗するであろうし、国の独立の為に闘うことを決して止めないだろう」と述べ、満場の喝采を持って迎えられました。涙を流す人も多かったのです。幼くして、身をもって、お国存亡を体験した会津の女ならではの切実さと激しさです。
 そんな捨松の帰国。24才.国際的視野を養い、はっきり自己主張する捨松を迎えたのは、しかし、旧弊な明治の男社会でした。皇后から「お国の為に勉学に励み、婦女の鑑となるよう・・・・」と言われて使命感に燃えて学んだアメリカでの日々は何だったのか。24才といえば、もう嫁き遅れ。悶々と悩む日々を、アメリカの親友アリスに書き送っています。そっと芽生えた恋、しかし、相手は・・・「子供っぽ過ぎるのです・・・・」
 そんな日々、捨松に猛烈突進したのが42歳の厚かましいフランス帰りの大山巌でした。「巌」とはフランス帰りの船の中でつけた名前で、幼名は弥助。西郷隆盛の父と弥助の父親は兄弟です。弥助には3人の娘(4人のうち一人死亡)がおり、先妻の一周忌も済んでいなかったのです。それに、薩摩と言えば、会津藩を朝敵に貶めた、恨み骨髄に徹する仇敵ではありませんか。スケッチは薩摩、桜島

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2008年7月22日 (火)

「バルト海のほとりにて」 小野寺百合子

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 北欧の知識と言っては「バルト海のほとりにて」と言う本以外には、殆どゼロのももりでした。この本を買ったのはもう、20年くらい前でしょうか。新聞で推薦していたのですけれど、大変新鮮な衝撃を受けました。第2次世界大戦時下の北欧の武官の生活。ラトビアから、スエーデンから・・・発信され続けた「ドイツは敗れる」という情報は大本営には無視され続けました。やがて、夫、小野寺信は中国へ。日中戦争は早期解決すべしとの信念をもって奔走しましたが、それも報われることなく日本は敗戦。この本に興味を持ったのは、作家が、当時、夢中になっていた司馬遼太郎の「坂の上の雲」に登場する津軽の一戸兵衛(いちのへひょうえ)の孫娘と、新聞の紹介にあったからでした。
 お固い軍人の娘が、いきなりヨーロッパの駐在武官の生活。連日のパーテーの席でも、着物の帯の下には暗号情報を隠し持つ。夜は暗号解読・・・やがてドイツは破れ、あわてふためいた大本営の扱い。そして、敗戦。中立国スエーデンに取り残されてしまいます。半年後、日本に残した3人の子供の消息も知れない敗戦の日本へ帰国。
 戦後、日本とスエーデンの架け橋となった小野寺百合子の著書を、今、図書館から借りてきてセッセと読んでいます。その中でも、初めて知り合ったムーミン。トーベ・ヤンソン・・・こんな奔放な空想力、深い人間観察・・・とても、面白くって、本ありてこそと、楽しいです。北欧の社会福祉にも触れていますが、ももりの頭では、イマイチ、納得できていません。写真は買ってきたスナフキン。スナフキンはムーミンの親友


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2008年7月15日 (火)

我が家のトロール

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 スカンジナヴィアの妖精にトロールって言うのがいるんですって。そんなに悪者ではないらしいけど、人間にいたずらをするらしい。そういえば、我が家にも絶対トロールがいる。姿は見たことがないけど、しょっちゅう、いたずらするし、時には、とんでもなく困らせることもある妖精が。
 たとえば、「あの本は??? ここに置いた本は???あれぇ・・・確かにさっきここで見てた???」
「あれ???お財布が・・・エ・エ・エイ・・・又、探してる。どこに置いたんや・・」
 白い、ちょっと気をつけないといけない服を着てお出かけ「こぼさないように・・・」って飲もうと思ったら、口元で「コロン!!」と軽い音がして氷がクルリ。ピシャッと、服にアイスコーヒーが懸かった・・・とか・・・ スケッチの右下は展望台にいるももり達
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 スケッチはトロルシュティーゲンの展望台と、そこにあったノルウエーの、草を生やした屋根の小屋。表に木彫りのトロールが2匹???二人っていうの???ちょっと気持ち悪い姿形だから、お土産に買うって気にはならないなあ。

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2008年7月14日 (月)

ヴァイキング ロシアのケース

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 皆様コメント戴きまして嬉しく拝読しています。「海賊」って言う言葉からは、悪者、強者、酷薄、勇者、ロマン・・・色んなイメージが膨らみますが、どれも、みんな当てはまっているでしょう。ヴァイキングの頃の世界は切り取り自由な力の世界だったでしょうから、海賊も山賊も、寸土を争って命がけです。中国なんか今日でも・・・・上は、とてもお高い物価に驚きながら買ってきた本です。でも、とっても面白い!!!
 ロシアもスエーデンバイキング、オレーグがキエフ公国を打ち立てたのが882年。これが、ロシア初の国家なんだそうです。キエフ・ルスと言ったのが今のロシアって言う国名のそもそもの元なんですって。「ルス」というのはスカンジナヴィアの人を指すそうです。
 ヴァイキングは舟を西へ向け、アイスランド、グリーンランドに住み着きました。そして、更に西へ・・・なんと、ボストンの辺りまで行き、ヴィンランドと名付けました。甘い草の意味なんだそうです。このヴァイキングたちは現地人のインディアンに追い返されましたが、コロンブスよりも500年も前に北極海を乗り越えてアメリカに行っていたのですぞ!!!南へ下ったものはシチリアにまで行き、ナポリ、シチリアを占領し、「両シチリア王国」を建国しました。どうですか・・・ローマ人も凄いけど、ヴァイキングも凄い!!!その後、ヴァイキングはその土地に溶け込んで、民族的な独自性は失いました。下は今日のヴァイキング。フィヨルドクルーズ舟の操舵室。

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