2009年11月 5日 (木)

リラの僧院  ブルガリアの1日目

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 ブルガリア、ルーマニア・・・この2国のことはほとんど知らなかったももりです。実際、申し込んでいて取りやめになったドイツ行き、「日程は休みを組んでるのにどうしてくれるのよ」って感じで、空いていたブルガリア、ルーマニアにやってきたのです。
 ももりの中に、行きたいと決めたのは、彼のチャーチの言葉が記憶のかけらにあったからです。
第2次大戦後、ヒットラーの共産主義圏拡大の野心に危機感を抱いたチャーチルが、鉄のカーテンと云う言葉を始めて使った演説の中、
「共産主義の鉄のカーテンの向こうへ行ってしまった素晴らしい町、ソフィア、ブカレスト・・・」というくだりが確かにあった。

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 ブルガリアのガイドさんは、共産主義時代のレニングラード大学教授。60才とのことでした。共産主義時代はトップクラスのエリートだったでしょう彼女の解説は専門的で詳細。じっくり聞きたかったのですが、ももりはスケッチ半分、耳だけは解説に聞き耳を立てていたつもりでしたが、二股はちょっとムリみたい。・・・今、本で復習していますと、改めて予備知識を詰め込んで、もう一度、ゆっくり行きたくなるばかりです。

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 共産主義時代のソ連、ももりは、ハバロフスクからイルクーツクへ、イルクーツクからバイカル湖のほとりをシベリア鉄道でモンゴルまでいうという旅をしたことは以前ブログに書きました。
 ブカレスト・・・バルカンの小パリと呼ばれた華やかで駘蕩とした文化の華は、巨大なコンクリートの塊りと化して何の魅力も感じませんでした。中世から近代、なんとも華やかで伸びやかな人間性の発露は破壊されてしまったのです。共産主義が教養の無い恥ずべき行為をした証拠です。
 しかし、ここリラの僧院は共産主義の魔手を逃れた聖地でした。/strong>

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2009年11月 4日 (水)

吸血鬼ドラキュラ伯爵のお城は初雪

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 ブルガリア、ルーマニアに行って来ました。つい先だってまで共産圏であった東欧の国です。高速道路もなく、旅行者用のトイレもなく、いつも行列で、観光の時間は短くなるばかり。でぇもぉ・・・・良かったのよおお・・・
 共産主義の世の中、宗教は麻薬だとか言って、迫害されてたと聞いていましたけれど、それでもなお、ブルガリア正教、ルーマニア正教の教会は美しく燦然と輝いて残っていました。なにより、中世のままかと思われる小さな町、古さびた家々のくずれそうな赤瓦の屋根、まっ黄色な秋の木々と森、真っ青な空、バジリカ様式の小さな教会に一歩踏み込んだ時の、目一杯に広がる鮮やかなフレスコ画の空間。・・・これが綺麗に整備されてしまったらたらディズニーランドみたいになるんじゃないかと思えます。
 写真は新雪のブラン城。ドラキュラ伯爵が棲んでいたというお城は、シンと静まり返っていました。典型的な中世の城砦です。
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本によると、
 1377年、ドイツ商人が、北上するオスマントルコ兵に対峙するようにとりでを築きました。そもそも、このあたりドイツ人が入植して盛んに商売をしたんだとか。異民族の絶え間ない侵入にさらされた悲痛な土地柄です。ここに棲んだワラキア公ヴラド1世の孫、ツェペシュがドラキュラ伯爵のモデル。オスマントルコの兵士を串刺しにして並べたり、残酷な処刑を考案したり・・・・拷問室を見学、暗闇から悲鳴が聞こえそうな・・・井戸には秘密の通路があるそうです。
 吸血鬼ドラキュラは、夜になるとこうもりに姿を変え、お城を抜け出し、キバが伸びて人の生き血を吸う。ドラキュラに生き血を吸われた人はドラキュラになるって言うんですからおっそろしい!!人気も少ない山奥の、そう、大きくもないお城は足元から惻々と冷えこんできました。
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2009年10月 6日 (火)

お・お・お・・・・ジャンヌ・ダルク!!!

Kaoru 
 お・お・お・・・・kazuyooさんのコメント「なぜ、ジャンヌが処刑されたか」ですって!!!
こういうの、ももりのダイッ好きな話題です。今でもイギリスとフランスは常に張り合っていて、決して仲が良いとは言えないでしょう。何故なら・・・100年も戦争をした歴史があるからです。それに・・・ももりはいつも言ってるんですけど、「フランスなんて戦争して勝ったことない」って、ハナハダ、感情的な言いぐさですけれども、この100年戦争に、その根拠があるんです。今、本当に、フランスはエバッテますけど、実は歴史的には負けてばっかり。全く弱い!!!ナポレオン以外はね。第2次世界大戦だって、さっさとドイツに占領されてたんですから。今では、国連の戦勝国ですけど、実は、連合軍に解放してもらったんです。
 

 そもそも、その100年戦争・・・
ジャンヌ・ダルクが生まれる65年前、イギリスがフランスに攻めて来ました。100年戦争の始まりです。そもそも、イギリスの王はフランスの貴族出身です。フランス国内に広大な領土を持っていました。1328年、フランス、カペー王朝は断絶。男子が生まれなかったからです。そこへ乗り込んだのがイギリス王エドワード3C。フランスの王位継承権を主張しました。一方、攻め込まれながらも、フランスの王位を田舎で継いだのがヴァロア王家のフィリップ6世でしたが、連戦連敗。全く、フランス軍は弱い!!!
 しかも、当時の兵隊は傭兵で、戦争が無いときには、兵士は強盗に早変わり。さしも、豊かさを誇ったフランスの農村は、荒廃のきわみになりました。
 フランス王位もイギリスの王位も何代か代わり、フランス王位は、精神を病むシャッルル6世のあとを継いだ王太子シャルル。パリから逃れ、ブールジュへ。みすぼらしい有様でした。一方パリでは、1才のヘンリー6世が、イギリスとフランス、両方の王位を主張しています。フランス貴族の中にも、ヘンリー6Cをかつぐ貴族もおり、フランス国内はまぷっぷたつに分かれました。

 1428年に成ると、オルレアンが戦場になりました。ブールジュとパリの真ん中だからです。オルレアンの民衆はよく戦って、イギリス軍の包囲に耐えていました。毎日のように大砲の弾が打ち込まれ、食料も尽きようとしています。しかし、頼りにする、シャルル王太子の援軍はやってきません。ジャンヌ・ダルクが神の声を聞いたのはそんな時でした。本当に、あの時、ジャンヌが現れなかったら、イギリスがフランスを乗っ取っていたかもしれない!!!スケッチは上、カオール。下、リモーッジュ・・・フランスの田舎って本当にのーんびりしていて大好きです。・・・(つづく)
Rimojyu


 

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2009年7月31日 (金)

歩くということ

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 写真はサンチアゴの巡礼道。今までの旅のうちで「どこに、もう一度行きたいか」って聞かれたら、迷わず「サンチアゴの巡礼道を歩きたい」って答えるでしょう。ももりが歩いたのは、ほんの、5日間。サリアから・・・
 初日が22キロ。ポルトマリンまで・・・・今回行こうとしている屋久島と同じ距離です。ウ・ウーン・・・サンチアゴ巡礼道はスペイン北部、パリから、いえ、パリ以外からも、巡礼者がやってくる道です。2000年、キリスト生誕2000年ということで毎日新聞社が募集したツアーでした。
 若い日々には、何でもない22キロ。う・うーん・・・・日頃の不摂生を悔やむでしょうね。

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 大昔の人々にとって、歩くという事は生きるということと同意義だったでしょう。仲間について行けなくなることは、すなわち、死を意味したでしょうから。歩くというのは、思った以上にエネルギーの消費は少ない。油が切れて、壊れたブリキのお人形みたいに左、右、左、右・・・って機械的に、キーコキーコと音を立てながら、足を前に出していました。この旅から、更に9年。真実、自信はありません。

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 相棒は、その一生を木にかかわって生きてきただけに、もう、最後の思い出にと、この縄文杉を訪ねる旅を思い立ったのでしょう。さ・あ・あ・・・・!!!デッパツ!!!(出発の事を若い山仲間はいつもこう言ってたなあ)

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2009年5月29日 (金)

雪の大谷ウオーク

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 格安パックツアーの目玉はこの大谷ウオーク。もっと早く来ていたら、壁ももっと高く、雪も真っ白なのかもしれません。案外雪が汚れています。黄砂なんだそうですが、地層のように縞が入っています。何日の黄砂だかもわかるんですって。お山の上は、全て電気自動車で、排気ガスは出ていないそうですけど。
 中国から来るという黄砂。随分前ですけれど、シルクロードを旅した時のことを思いだします。蘭州の朝、空がどんより曇っています。砂漠なんだからギラギラ日が照りそうなものなのに。それに、空気がひどく臭い。石炭を燃やした時に出る臭いです。そうか・・・中国は石炭を焚いてるんや・・・露天掘りで豊かに出る石炭を、各家庭、工場で遠慮なく燃やしているのです。スモッグなんですよねえ。霧で有名なロンドンも、石炭を焚くからだったといいます。その粉塵が黄砂と一緒にこのアルプスの雪を汚しているのでしょう。何とかしてほしいなあ!!!
 でも、陽だまりで、お山を見ながらお弁当を食べて、本当に幸せでした。

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2009年5月28日 (木)

思い出さがしーⅡ

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 この古写真は立山を縦走して、別山頂上で撮っています。みんなで何見てるんやろ??後は剣岳。この仲間達・・・元気でいるんやろか???まだ、山登ってるんやろか???この愛すべき好青年たちも、もう、70近いおっさんか???それぞれがいろんな人生送ったんやろなあ・・・旅が好き、スケッチが好き・・・下は今回会えた剣岳、右後ろ。手前は剣御前
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スケッチは、50年近く前の、その時の山行きのもの。雲の平より薬師ですって。今まで行ったところで一番行きたいところは???って聞かれたら「雲の平」って答えます。まだ小屋もなく、小屋を建てるための材木がホンの2重ねくらい積んであっただけ。だぁれもいない北アルプスの奥懐は、お鼻畑とそよ風だけでした。お米を洗う水が、手がちぎれそうに冷たかったなあ!!!あ・あ・あ・・遠い日よ!!!雲の平の今はどんなのでしょうねえ。

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2009年5月11日 (月)

耶馬台国の人々

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 耶馬台国の長老と・・・Yosinogarib
 耶馬台国の大学生に切られて喜んでいるももり。耶馬台国の頃の平均寿命って???あの時代なら、もう、充分、オバケみたいに長生きしたももり。エッ!!!誰ですか???今でも充分・・・???
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 耶馬台国の会議を覗きました。卑弥呼さんはいないみたい。昨日は母の日。息子達はまるで、そんなこと気も付かないようなモンでしたけど、今はお嫁さんたちからうれしいプレゼント。今でいいなあ!!耶馬台国の頃には「母の日」は無かったんやから。

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2009年5月10日 (日)

大浦天主堂  遠藤周作

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 一時、遠藤周作を読んでました。「沈黙」神を信じてはるばる異郷、日本へ来た神父。キリシタン禁制の中、迫害に苦しみます。苦しむ彼に、神は手を差し伸べてはくれません。どんなに手を伸ばしも、祈っても・・・・神は本当に存在するのか???結局、彼はころびました。キリスト教を棄て、神を否定しました。スケッチは大浦天主堂。
 又、100円電車に乗って、町の反対側の浦上天主堂へ。その辺りから雨が激しくなり、浦上天主堂のスケッチは断念。信徒達の長年の念願であった教会は明治維新後、やっと建てられましたが、原爆投下によって破壊されました。
 長崎の原爆は、完全に誤爆だったと言います。本来は三菱造船所あたり・・・軍港に落とすはずであった・・・らしい。本当に、こんな、穏やかな鄙びたところに落としてどうすんの???広島20万人、長崎15万人の死傷者、しかも一般市民を一瞬に殺して、アメリカは謝るどころか、あのおかげで戦争が終結出来たんだから感謝しろといわんばかり。間もなく、オバマさんが来るとか???結局、市内観光は300円でOK。
 浦上の小さな駅から諫早へ。さあ・・・映画「まぼろしの耶馬台国」の舞台、島原鉄道へ。出てしまったばかりの列車をにらんで、次の列車を待つことに。ぐっしょり濡れて震えながらベンチで食事。ま・ア・ア・・風邪はひかなかったらしい。
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 島原城で途中下車。でも、雨激しく、時間も意欲も失って、お城の前まで行ったものの中へは入らず。そうそうにフェリー駅へ。暖かいフェリーに落ち着いた時はホッとしました。さあ、熊本へ。今夜は熊本泊まり。本来なら、ここは雲仙普賢岳が見えるはずですが、今は霧の中にオボロゲでした。

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2009年5月 9日 (土)

異人屋敷のたそがれは♪♪♪・・・長崎 出島

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  「天空の使者」吉村昭の小説はとても面白い本です。幕末の出島のオランダ通事たち。オランダ語はペラペラでも、英語はまるで、と云う状態でした。オランダ館に頼んで作られた英語の辞書は、発音がオランダなまりで、全く使い物jにならない。その当時、英語はオランダ語よりも必要不可欠な言葉になっていました。日本海には鯨を求めて200隻以上の捕鯨船が出没していたといいます。当時、ランプなどに鯨油はとても有利に取引されていましたから。信じていた辞書がまるで使い物にならないとさとった日本人に、初めて英語を教えた人物、ロナウド・マクドナルド。
 日本にあこがれて捕鯨船に乗り込み、日本に最接近したのが利尻島。給金のかわりにボートと食料をもらって、日本上陸を果たします。勿論密入国です。好奇心旺盛な彼は日本人の言葉を英語で書き付けて大事に持っていました。それを発見した時の通事たちの驚き。やがて、長崎に送られ、牢屋の中で、若いオランダ通事たちに英語を教えます。友情も育った。以前のオランダ人の作った辞書の英語がどんなにメチャクチャな発音だったか・・・そのケッサクな辞書も出島に展示されていました。折角、日本大好きになってくれた彼は、一年未満で、強制送還されてしまいました。
 今では、出島周辺はすっかり埋め立てられて、以前海だった出島の前には市電が走っています。クックーッ!!!残念!!

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2009年5月 8日 (金)

あ・あ・あ・・・・長崎は今日も雨だった・・♪♪♪

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長崎の朝は音もない小糠雨。でも、もう、朝早くからじっとなんてしていられません。ホテル東横インは60才以上、日祝格安とかで3200円で朝食付き。これは、何たってうれしい!!!早速 Go!!!
 吉村昭「フォン・シシホルトの娘」とか、「戦艦武蔵」とか「天空の使者」とか・・・吉村昭は100回以上も長崎へ取材に来たといいます。100円電車で、とも角お目当ての高台へ。下りのほうが歩くのは楽でしょうから。まずは、国宝崇福寺。

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次はグラバー邸。薩摩へも長州へも、幕府へも武器を売った武器商人、トーマス・グラバーはスコットランド人。グラバーは日本を愛し、長州ファイブ・・・伊藤博文など5名を、幕末いち早く欧州へ留学させました。新政府になって、日本の近代化に大きく貢献。日本人妻ツルとの息子、倉場富三郎も、大きな役割を果たしたようです。下スケッチはグラバー邸。庭園から長崎港が一望です。相棒が言うには「この間、北朝鮮のロケットを見張ってたイージス艦が見えてるでぇ」ですって。そんなの双眼鏡で覗いてたらこわいやんか 
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