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2019年5月11日 (土)

花山天皇と彰子

 先日、ご近所の春日神社へ。春日さんは藤原氏のお寺です。ということで、ここの藤の花は有名です。藤花祭は、行きそびれましたが、今、やってきました。そして・・・なんとなんと・・・面白いものを見つけました。


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花山院家」という藤の花の鉢植えです。九条家とか鷹司家とか、藤原名門の家から奉納された藤が展示されている中に、「花山院家」という鉢を見つけました。ん???花山天皇というお方…?ん???歴史では何度も騒がれる有名人です。以前少し書いたこともありますが、もう一度書きますね。

 

 花山天皇は17才で即位。何人かの女御も取りまきましたが、その中の一人、一番愛したお方が妊娠8か月で亡くなられました。天皇はたいそう悲しんで、「出家して、亡き人をとぶらいたい」ともらされるようになります。大体、この方のお父上の冷泉天皇という方も狂気、激しい喜怒哀楽のお方だったそうで、多少はお血筋かもしれません。それを聞いての悪だくみ・・・藤原兼家…この方の奥方が、かの「蜻蛉日記」の作者です・・・の一族。息子3人とグルになって花山天皇を清涼殿から連れ出します。


 月の明るい、6月23日。清涼殿の天皇のもとにはべっていた兼家の次男、道兼、は「私も一緒に出家します。今こそ人知れず御所をぬけだせます」といいます。いざとなると天皇は、ためらわれて「女房の手紙を取りに帰りたいとか」「明るすぎて人にみつかる」とか、何とか言われましたが、泣くようにして朔平門から外へつれだします。そこにはもう、牛車が待ち構え、いつのまにやら武装した家人どもが取り囲み、山科のさる寺へと一目散。その間に、3種の神器は場所を遷され、天皇は落飾しました。道兼は「最後に父に、今の姿を見せてまいります」とドロン。「たぶらかされた」とすぐには気が付かれなかったか???どうかは知りませんが、この法皇様は、初めの間こそ仏道修行もされましたが、終生荒れた生活をされたようです。

 さすが剛の者、兼家も病には勝てず、62才で病死。そのあと、長男、道隆、次男道兼、道長が、しのぎをけずる権力闘争。(ほかにも男兄弟はいます。なにしろ妻は何人もいるんですから)


 もう一度この方が、歴史を動かすのが、かの定子中宮…清少納言がおつかえした、才色兼備の女性。一条天皇の中宮です。兼家が死に、あとをついだ摂政は兼家の長男道隆。次男道兼は不平不満の塊でした。アル中でもあったようで、早死に。この道兼の娘が定子皇后です。飲水病???糖尿病でしょうか??道兼が死ぬと、末子、道長の活躍がはじまります。道長の娘、掌中の玉・・・彰子が入内。彰子皇后の出現です。かわいそうな定子は、道長にいじめられ、すっかり落ちぶれ、死んでしまいます。


 この定子、失脚の原因は道兼の長男と花山院の女性問題。思慮の足りない道兼の長男は、花山院に矢をいかけ、矢は花山院の、着物の袖を寛通。なんといったって先の天皇です。一族は遠流。定子も落飾・・・・たあーいへん!!!!このあたりのももりの知識は、今読んでる田辺聖子「むかし あけぼの」から・・・です。お・も・し・ろ・い!!!


 恥ずかしながら・・このももり。本名を「彰子」ともうします。幼い時、母に「なんで弟の名前は卓男なん??」って聞きましたら「卓っていうのは人より優れるっていう意味やでえ」ということでしたが、次に「彰子は???」って聞きましたら、確かに、たぁしぃかぁに「彰子っていうすっごく賢くてきれいなお后さんがいはってん」という答えでした。母は明治生まれですが、師範学校出ですから、当時、国文学は割としっかり身についていたかと思います。そんなあ・・・おそれ多い名前・・・なんですよお。

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コメント

kazuyoo様  ちっともお返事書けなくてすみません。元気には過ごしていますが、パソコンの前を素通り。花山院という方は退位して・・・させられて???後もかなり長生きなさったようで、その間は不良。ま・あ・・・不足いっぱいやったんでしょうねえ。歴史の中の人間も本当にお面白いです。


玉井人ひろた様   藤原氏はけっきょく、その後もずーっと続いた苗字ですね。源さんや平さんってあまりきかないですけど、藤原さんはいっぱいいますもの。け

すみとも様  畑をお楽しみのようですね。キュウリやトマト・・結局、買う方がよっぽど楽なあんて…憎まれ口を利く私です。

くちかずこ様  大変なご様子。医療に知識もおありですから余計心配も多いでしょう。気長く療養なさってくださいませね。

山桜様  すっかりご無沙汰。最近はプールと本、相棒の介護でそれなりに頑張っていますよ。合間にはママチャリやバスで京都市内を散歩。いっぱい発見があります。

投稿: | 2019年5月26日 (日) 09時45分

まぁ、なんと畏れ多くもあの彰子さまに由来のお名前でいらっしゃいましたか!
やはり名は人生最初の呪(=祝言葉)だけあって、ご両親の願いの叶った人生、親孝行でいらっしゃる。

そう言えば、私も山の名前を頂いたのでした。 山とご縁がある訳です。

投稿: 山桜 | 2019年5月20日 (月) 18時40分

やんごとなき彰子さま!
そして、ふさわしい人生を過ごされましたね。
母は、政子でした。
自分で、名前負けだと言っていました。
父は、昭和三年生まれで昭三、この位が良いのかしら?

ご心配ありがとうございます。
ぼちぼちと静養しています。

投稿: くちかずこ | 2019年5月16日 (木) 20時10分

おはようございます^^
 今日も晴れています! 夏日なんて声も聞こえますね。
 ご近所の春日神社 藤原氏のお寺なのですか。そして藤で有名・・・ 藤も綺麗なのでしょうね^^

歴女まっしぐらのももりさん いや彰子さま 皇后さま由来のお名前を頂いていらしたのですね^^  なんとのう高貴な香だ漂っていらっしゃいましたよ。 やはり・・・でした~(^_-)-☆

  “上皇后 様は要らぬと マスのゴミ”・・・・呼称で揉める 不慣れかな
  ”日よけ帽 被りお手振り 真似る婆”  なんちゃって~ 今日もチョコとボケボウシです^^

投稿: すみとも | 2019年5月15日 (水) 08時54分

こちらにも春日神社があります。
中でも、伊達郡川俣町(だてぐんかわまたまち)にある春日神社は嘉祥3年(850年)伊達家の祖である山蔭中納言藤原政朝郷により、奈良の春日大社よりこの地へ勧請されたと伝えられる由緒が有ります。

投稿: 玉井人ひろた | 2019年5月13日 (月) 21時20分

彰子様の由来が良く分かりました。夫婦と子供は関係が強くても兄弟や甥姪となると、まあ、今も似たようなものですね。
花山院さん、奈良の春日大社の宮司もその名前だったような。花山院弘匡さんです。
http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/special-interview/kowa06/
天皇家の血まな臭いのは大化の前ぐらいからずっとでしょう。

投稿: kazuyoo60 | 2019年5月11日 (土) 18時34分

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