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2018年12月13日 (木)

平安でなかった京の都

 

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こんな文をみつけました。「徒然草」より



・・・京極殿、法成寺など見るこそ、志とどまり事変じにけるさまは、あはれなれ・・・・・・大門、金堂など近くまでありしかど、正和のころは南門は焼けぬ。金堂はその形とて残りたる。丈六の仏、九体、いと尊くて並びおわします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、鮮やかにみゆるぞあはれなる。法華堂などもいまだいま侍るめり。これもまたいつまでにかあらむ・・・・



解説に・・・
 平安中期から中世にかけて、盗賊による放火や戦災が相次いだ。内裏は平安遷都以来、15度にわたって火災に遭い、1227年、再建中の殿舎が消失して以来、宮城内に内裏は営まれず、代わりに貴族の邸宅を里内裏とした。・・・最大幅84メートルというメインストリートの朱雀大路も、ほぼ畑と化した・・・



 吉田兼好が生きたのは鎌倉・・・1192(いい国)造ろう鎌倉時代…って覚えましたっけ。それから90年ほど後に生まれた人。だから・・・今、影も形もない法住寺、藤原道長の栄華の館は彼のころはまだ残ってたんやなあ。丈六の仏9体も・・・もったいない!!!

 案外京都って古い仏さまはいらっしゃらないんです。やっぱり仏さまは奈良。か、京都周辺のお寺・・・何度もの大火・・放火も多く焼き尽くしてしまったんやねえ。

 そうかぁ・・・ももりの住む中京、朱雀大路より西は特に荒廃がひどかったらしい。狐狸、盗っ人、鬼が住む・・・う・う・・・・ん。内裏は天皇のいます館というくらいの意味になって転々としたらしいなあ




 平安時代、天平時代…・{平}のつく時代。知れば知るほど無秩序っていうか・・・今の感覚の秩序なんてもちろん通じないけど、暴力的で利己的。血なまぐさい政争で、ライバルの命を奪っていきます。一方では狂ったほどの仏教への思い入れ…ま・あ・あ・・・・ひどいことしたからこそ救われたかったんかなあ!!

 平成時代!!!昭和の戦争からあとのももりの生きた時代って歴史上でもまれにみるいい時代やったのかもしれません。

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コメント

元号に「平」の字を付けるのは、その前の時代が大変だったので次こそ「平穏に」と祈ってのことでしょうから、元々荒れる因子を抱いていたということかもしれません。

来年の御世代わり、どんな元号になるのでしょう。 東宮さま、雅子さま、愛子さま、どうかお健やかで若きお力で、この日本国を鎮めて頂きたいです。 

投稿: 山桜 | 2018年12月16日 (日) 20時39分

平安京、平安は願いのことだったのでしょうか。いつだって予期せぬ辛い出来事は起こりえます。
地震の話題が無かったら大地震のことは忘れて、台風予報を見たら怖がって、いかに小人=ショウジンかを、一人で笑っています。

投稿: kazuyoo60 | 2018年12月13日 (木) 10時50分

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