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2018年12月23日 (日)

奈良へ 法華寺と海龍王寺

 これは覚書で11月30日のこと・・・またまた奈良へ。
龍田大社へ行きたいなあ・・・と思って家をでました。・・・百人一首・・「龍田の川のもみじなりけり」・・・・ってあまりに有名でしょ。でも・・・やっぱり、電車の中でかんがえますに、帰宅時間に無理がありそうで、急きょ心がわり。西大寺でレンタサイクルをゲットして、法華寺と海龍王寺へ。




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 法華寺は、聖武天皇、光明皇后が幼い日をすごしたやしき跡です。 海龍王寺はすぐ近く。この周辺、実におもしろいお話がいっぱいあります。聖武天皇没し、光明皇后との子、孝謙女帝が天皇に在位。しかし、実権は藤原仲麻呂がぎっちりにぎって、女帝はお飾り人形。仲麻呂の言うままになっていました。がしかし…病気で寝込んだ女帝の介護をした道鏡…献身的な治療によって回復しましたが、道鏡にすっかり首ったけになってしまい、勝気でわがままいっぱいの女性に目覚めてしまいました。もちろん仲麻呂はおもしろくありません。


 称徳女帝はお気に入りの道鏡をなんとかして位のトップにつけたがっていましたが、旧来の摂関家、藤原一族はこぞって大反対。仲麻呂の下心にやっと気づいた自分の愚かしさよ!!と思ったかどうかは知りませんが、道鏡への愛に目覚めた40才過ぎての初恋は燃え上がります。仲麻呂はクーデター。ここは旧臣たちのおかげで乗り越え、仲麻呂は琵琶湖畔で死にました。
そんなとき・・・766年(天平神護2年)、平城京の北東にあり「隅寺」とよばれてた海龍王寺から仏舎利がでた!!!毘沙門天のお像の中から仏様の骨がでた!!!というんです。出現したありがたい仏舎利とは???誰が仕組んだ????おおげさな儀式をもよおし、即日、道鏡を法王に任じました。



 聖武天皇と光明子の一人娘、孝謙女帝・・・もっとも、弟、安積親王は生後1歳くらいで死。その死に悲しみにおぼれ、長屋王を呪詛と言いがかりをつけ無実の罪で攻め、長屋王一族は自死。そのあとすぐ光明子が聖武天皇の妃になりました・・しくまれたドラマ以上の面白さ・・・面白がってるなんて不遜かもしれませんが・・・歴史は勝者によって書かれるとして、現在では様々な憶測がうまれ、今では、いろんな作家が好き放題を主張しています。読み比べていくと、結局その裏の作家の人間観が見えてくる…それがまた魅力なんですよねえ


 
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 法華寺には光明皇后を写したという等身大の観音様がいらっしゃるのですが、やっぱり会えず…また来春に…なんて・・ね。

 

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2018年12月18日 (火)

「十五の夏」 佐藤優 読みました

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  友人が「すっごく面白かった」と言っていましたので、長いこと図書館で待ってやっと読みました。難関の県立浦和高校に入学した佐藤優君は15才。夏休みに共産圏諸国を一人旅します。しっかり予習もしてお金は父さんにだしてもらう一か月の冒険旅行です。ともかく15歳にしてはしっかりしすぎていて・・・自分とくらべるからか???・・・どこまで本当でどこから虚構なのか、常に??しながら読み終えました。


 エジプト航空でカイロ乗り換えチューリヒ。そこから汽車で東独、ポーランド、チェコ、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、アルバニア、ソ連はモスクワ、キエフ、ブハラを経て、ハバロフスクからナホトカ経由帰国という大旅行です。旅の計画立案から共産主義への予備知識などをしっかり報告していますが、15才にしては完璧すぎる???んじゃない???


 ももりも、この本に登場する国のいくつかを旅しています。尤も、ももりの旅はアマちゃんのパックツアーがほとんどですが、ももりの旅の年代もけっこう古くて、自分の体験と、大いにダブってぐいぐい読み進みます。ももりもソ連からモンゴルへ出る旅では往生しましたっけ。まだ、ツーリズムが十分でなかったので、いたる所で立ち往生。でも、本当の旅のだいご味はそんなハプニングのスリリング感と人々との生の交流です。ルーマニアがひどかったとか、ハンガリーの食事はとてもおいしかったとか…うんうん…ナットク、納得。

 

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 上の写真はハバロフスク。ももり45才。優君の旅の6年後です。ももりの初旅はその6年前の中国。共産圏・・・未開放というか、監視付きの旅はある意味ではほぼほぼ似た印象はあるかもしれません。下はルーマニア。

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 チェコからハンガリーの平原…まっ平らな平原はハンガリーの民族音楽をおもいださせます。

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下はオーストリア。シェーンブルン宮殿です。雨が降ってたんやねえ。


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 優君はハンガリーの文通仲間を訪ねますが、友人は留守。でもいろんな人と知り合って、貴重な時間をすごします。上の写真はハンガリーの王城にて。



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 旅ほど楽しいものはないなあ!!!今では国内旅行すらムリ。でも…この紅葉の秋、ちょいちょい旅はしました。奈良へ3度。草津鉄道に2回、田辺に1回。もう…冬・・冬ごもりの時・・・温かいお部屋で本といっしょ、は、うーんとのおーんびりー。現実離れした夢を見るのがうれしいです。

 もし、ホント???って思われる方は、ももりのホームページへどうぞ。左のお気に入りからいけますよ。尤も、初めのころの共産圏の旅は写真は許されたところ以外は禁止。スケッチまでチェックされたから・・その上、記憶も、も・お・お・、お・ぼ・ろ・げ・・・

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2018年12月13日 (木)

平安でなかった京の都

 

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こんな文をみつけました。「徒然草」より



・・・京極殿、法成寺など見るこそ、志とどまり事変じにけるさまは、あはれなれ・・・・・・大門、金堂など近くまでありしかど、正和のころは南門は焼けぬ。金堂はその形とて残りたる。丈六の仏、九体、いと尊くて並びおわします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、鮮やかにみゆるぞあはれなる。法華堂などもいまだいま侍るめり。これもまたいつまでにかあらむ・・・・



解説に・・・
 平安中期から中世にかけて、盗賊による放火や戦災が相次いだ。内裏は平安遷都以来、15度にわたって火災に遭い、1227年、再建中の殿舎が消失して以来、宮城内に内裏は営まれず、代わりに貴族の邸宅を里内裏とした。・・・最大幅84メートルというメインストリートの朱雀大路も、ほぼ畑と化した・・・



 吉田兼好が生きたのは鎌倉・・・1192(いい国)造ろう鎌倉時代…って覚えましたっけ。それから90年ほど後に生まれた人。だから・・・今、影も形もない法住寺、藤原道長の栄華の館は彼のころはまだ残ってたんやなあ。丈六の仏9体も・・・もったいない!!!

 案外京都って古い仏さまはいらっしゃらないんです。やっぱり仏さまは奈良。か、京都周辺のお寺・・・何度もの大火・・放火も多く焼き尽くしてしまったんやねえ。

 そうかぁ・・・ももりの住む中京、朱雀大路より西は特に荒廃がひどかったらしい。狐狸、盗っ人、鬼が住む・・・う・う・・・・ん。内裏は天皇のいます館というくらいの意味になって転々としたらしいなあ




 平安時代、天平時代…・{平}のつく時代。知れば知るほど無秩序っていうか・・・今の感覚の秩序なんてもちろん通じないけど、暴力的で利己的。血なまぐさい政争で、ライバルの命を奪っていきます。一方では狂ったほどの仏教への思い入れ…ま・あ・あ・・・・ひどいことしたからこそ救われたかったんかなあ!!

 平成時代!!!昭和の戦争からあとのももりの生きた時代って歴史上でもまれにみるいい時代やったのかもしれません。

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2018年12月 9日 (日)

最後のきらめき

 

パソコンが3晩入院しました。ブログで記事を書いてたら、突然・・・なんだか勝手に動き出して・・・やがて・・動かなくなりました。またまたぁ、気のいいパソコン教室の校長先生に来てもらいましたら、「ちょっと持って帰ってみてみましょう」ということです。


 ハードもソフトも何もわからず、ブログとホームページだけを楽しんでいるような状態です。校長先生が信頼できなければ、預けるのすら心配。尤も、買い物はしないからお金にかかわることは書いてないとは思うんですけど・・・ 世の中の仕組みの変わりようについていけません。ま・あ・あ・・・なんだか、悪い人が妙なこともするようで、そろそろ素人の手にはおえない??限界なのかも???


 初冬・・・つらい季節です。足元から冷えがはいあがる。サーッとしぐれて透き通ったような碧空がひろがる・・・秋とお別れ・・・ママチャリで嵯峨野へ。落柿舎へ行きました。



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下、厭離庵へ。ここは尼寺。最近こそ特別公開しますけど、普段はひっそり。

  騒人に 
ひたと閉ざして 嵯峨の寺…誰かの句です。いいなあ!!!



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下、大沢の池は水をぬいています。鯉あげするんやろか???


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嵐山もすこしは静かになったかしら??やっぱり横目でみて北へ・・・今年の秋ともお別れです。

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2018年12月 3日 (月)

奈良 般若寺

 次の日(11/29日)は奈良般若寺へ。実は、一度円城寺へ行ってみようと奈良駅まででてきました。ところがおっそろしくバスの便が悪い。もう出てしまった後で、1時間後のバスにのったら???帰りが・・・ということで「じゃあ、般若寺へ」   

 般若寺は大好き。奈良坂をこえて、平城山をこえて・・・という表現は万葉集によくみかけますが、奈良に住む友人たちに聞いても「平城山???そんなん知らんでえ」って言う返事。ここ般若寺の前の道が古の奈良の都と京の都をつなぐ奈良街道でした。


 ここに陣取った平家の若き御曹司、平重衡が南都へ攻め寄せたのは12月29日。真っ暗な夜の般若野に陣をおきます。当時、茅屋に日をつけるのは闘いの定石、ということで、付近の草屋に放火。折りからの冬風にあっというまに東大寺、興福寺、大安寺など、南都をほぼ焼きつくしました。バス停からは般若野が一望に…・歴史の中に身をおいてうっとり。


 やがて平家が衰え、重衡は南都焼き討ちの罪で鎌倉へおくられ、都への帰途、山科で処刑されます。天皇、貴族いならぶ前で「青海波」を踊って当時トップをうたわれた美貌の公達、トップスター。清盛の栄耀栄華のなか、蝶よ花よと育てられ、名目上の将軍として南都焼き討ちの罪を一身にかぶった公達あわれ・・・
この春、重衡の処刑地が公園になっているのを探しに歩きましたっけ。


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 何年か前、一人でフラーリ。そのときは片隅の小さなお堂で200円の入園料を取って寺宝を公開していました。13重の塔の5段目から出土した小さな胎内仏とさらにその胎内からでてきたアクセサリーみたいな小さな仏様だったか???2体。が展示されていてお客は私一人。お坊様がいろいろお話しを聞かせてくれました。天智天皇の息子にはほとんど弟の天武の娘が嫁入り。へ・え・え・・・反対に天武の息子たちには天智の娘が嫁入り・・・へ・え・・え・???そんなこと???「血を守るためです」って。


 後日、TVで、そのお坊様が偉いお方としりました。あの2時間ほどの夢みたいな時間は???般若寺のまぼろしか???門番のお方に聞きますと、老僧は30年ほども前に亡くなられてますとのこと???あのお方は一体???


 私が日本史に近づいたのは、大腸がん以後。相棒も介護が必要になって海外旅行どころか国内旅行も行けなくなってからです。古事記から始まって、目からうろこ・・・へ・絵・絵…なあんて面白い!!!飛鳥、奈良・・・白鳳、天平の仏様たち・・・今は、平安から鎌倉あたりをうろうろ。ちっとも急ぐこともないし、好きで周辺をさまよってるだけ。


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般若寺は一年を通じてお花が咲いているお寺ですが、コスモスももう終わり、さすがに・・荒涼…これがまた好きなのよねえ。大体…は・は・は…「すさび」ってのがいいじゃないの。



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2018年12月 2日 (日)

勧修寺(かじゅうじ)の姫君のおはなし

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 今昔物語にあるお話です。高貴な公家の若君が山科に狩りに行きました。一天にわかにかきくもり、大嵐。夕立です。お供の者たちともはぐれ、一人の郎党と、とある田舎屋に駆け込みました。田舎にしては、ひそやかな優雅なおももちの住まい。あるじがでてきて、やがてひそと茶をささげて出た娘をみますと・・・なんとも…幼いながら美しい。その一夜がすぎ、嵐もおさまって若君は都の家に帰りますと、家中が心配して大騒ぎ。二度と遠出をしてはならんとの言いつけで、久しく娘のことも忘れておりました。そのうちにあるじはなくなり、遠ざけられていた郎党も身近に戻り、気になっていた娘の家に行ってみようと思いたちます。
 その家は昔と変わりなく・・・そして茶をささげて出てきた美しい娘の横には5~6才くらいのいとけなき姫が・・・お・お・お・・・あの一夜のおきみやげ・・・
 と言ったかどうかはわかりませんが、やがてこの公達は立身出世し、姫君は宇多天皇の后に上り、醍醐天皇の母となられました。その屋敷跡が今の勧修寺だといいます。(巻22第7)ここは蓮の時にも来ましてスケッチをしましたっけ。



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 そのあと随心院へ。月イチの古文書の教室は、今、ももりが一番楽しみにしている教室ですが、その教室の藤本先生が先週おっしゃってました。
「私は随心院の古文書の調査を依頼されていまして、京都にきますと、随心院の3畳の部屋に滞在するのですが、最近では洗濯物を自分でコインランドリーにもっていって、洗濯ができるのをぼーっと待ってる…こんなところで自分は何してるんだろう」っておっしゃってました。先生は確か90才+アルファ・・・古女房のもとに洗濯物をおくりつけることもなさらない・・・かわいいなあ!!! 随心院はスケッチなし。

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2018年12月 1日 (土)

お出かけびより 真如堂から吉田山

 風邪はしつこく続いています。咳がとれません。ということでプールはしばらくヤ・メ。プチお出かけを楽しみましょう。


 今日(11/27日)は真如堂から吉田山へ
行きましょう。市バスは真如堂で下車。厳しい階段を手すりにつかまってオッチラエッチラ。裏門です。ここは、京都でおそらく随一。紅葉はただ今真っ盛り!!!燃えたつようです。すばらしい!!!お・お・お・・・すばらしい!!!赤、オレンジ、黄色…いちょうの黄色が紅葉の赤を引きたてます。
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 そこから吉田山へ。目の前に大文字山が広がります。ここまで来るとたった一人。帰り道、神楽坂通りって言う道標が気になりました。どうも気になる???この道はまだ行ったことがありません。足は???ま・あ・あ・100メートルくらいの吉田山、なんとかなるやろと下りていきましたら・・・素晴らしいお屋敷の並ぶ静かな道に出ました。手入れをされたお庭です。ももりの住む中京とはえらい違いやあ!!!
 スケッチをしいていますと上品な奥様が声をかけてくれました。「何描いてはりますのん??」「比叡山があんまりきれいやから」「あの後ろは蓬莱ですよ」へ・え・え・・・・蓬莱山は比良山脈の一番京都よりです。若い頃何度も登りました。息子達ももちろん!!!「きれいですねえ。これだけのお庭のお世話は大変ですねえ。とても一代ではむりですねえ」「住むのは大変ですよ」う・うううん。坂道の上に住むのは大変やろなあ!!


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