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2018年6月25日 (月)

「血脈」の御陵めぐり

 このところ、人様にはわかってもらえないような行動ばかり。
 そ・れ・・がぁ・・、天皇方の血脈・・・を追って御陵めぐり。というか御陵さがし。 「平家物語」の主人公…清盛よりよっぽど面白い天皇の方々??面白いっていっては不敬罪???かもしれないけど・・・天皇方々すごくヘンテコリン・・というにはあまりにもおかしく悲しい。幼いころから女官たち、女ばかりに囲まれて育ちます。女たちは一門の勢力安定や地位獲得のためにさしだされているんですから、よりどりみどり。やりたい放題!!!



 今読んでいます「宮尾本 平家物語」は、平安末期の天皇家の血脈を興味深くくわしく描いています。それが・・・・・佐藤愛子さんの「血脈」よりもはるかに、はるかに・・・人間的というか???動物的というか???退嬰的というか???小説よりもはるかに奇!!



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 後白河天皇は29才で即位。たった3年で、16才の第一皇子二条天皇に位を譲り、上皇となります。この方、7年在位して23才で死。あとを継いだのが六条天皇、2才・・・満年齢では7か月???六条天皇も後白河の第二皇子です。六条は、たった3年在位。5才(満年齢では??才)で譲位し、継いだのが高倉天皇8才。高倉天皇11才、18才の平徳子・・・・おそばには手あたり次第にものになる女房どもにかこまれて、なかなかお子ができません。8後にやっと生まれた第一皇子が安徳天皇。




 周りの大人どもの都合で好き放題される幼帝もあわれですが、この後白河というお方の生きておわす間に、「保元の乱」「平時の乱」「鹿が谷の陰謀」「以仁王の反乱」「源平の戦い」とひどい殺し合いが続き、結局、平家は義経に壇ノ浦で亡ぼされ、義経は兄、頼朝に亡ぼされ・・・・
 1192年(いい国つくろう鎌倉時代」後白河が死んで、鎌倉時代に入ります。




 梅雨の晴れ間に「二条天皇陵」をさがしにババチャリででかけました。
何気なく地図をながめていたら「二条天皇陵」というマークが・・・・これは・・・行かなくっちゃ。西大路通りをひたすら上り、平野神社から北西西あたり????


 近くを歩いていますお人に聞きますと・・・「確かに近くに、なんやあったねえ」という返事。二条天皇というお方、人には知られていないようですが、平家物語では非常に興味深いお方です。
 その1・・・先帝の后、(多子)まさるこ)をどうしても・・・と聞かずに、自分の后にしてしまった。すでに皇后はいましたのに。
 その2・・・父親、後白河は自分が好き放題をしたくてたった3年で譲位したものの、息子二条天皇は独自の政治路線を打ち出し、父子の仲は険悪に。「三十三間堂」(蓮華王院)の建立祝いに、頑として出席しなかったとか。
「三十三間堂」は、平清盛が後白河のために建てたお寺です。


 
 目指すあたり???大きな塀に囲まれた木立がありますが、住宅に囲まれて入口がわかりません。ババチャリでよかった!!!歩いては、ももりの足ではも・お・お・・・確かに二条天皇陵がありました。
 

 

 

先日行きました「清閑寺」 門のすぐ横が高倉天皇陵と六条天皇陵。



 高倉天皇もすごい。21才でなくなられますが、すでにお子が7人。高倉天皇と清盛の娘徳子の間に生まれたのが第一皇子で安徳天皇ですが、安徳天皇が壇ノ浦でおばあ様に抱かれて、海へ身を投げたあと残された皇子は3人。後白河が、御前に呼び出して会います。「おいで」と言われて、逃げたのはバツ。チョコンと膝に乗ったのを次の天皇にした・・それが後鳥羽天皇ですって・・・・宮尾本「平家物語」にはあります。




 これで、白川、鳥羽、二条、六条、高倉天皇、後白河天皇陵にはお参りができました。おそばには愛された女性方、待賢門院や上西門院の御陵もあります。清閑寺には高倉天皇に愛されて宮廷を追われた小督の局のお墓もあって、今は静かに仲良く眠ってらっしゃいます。

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2018年6月18日 (月)

地震・・・・今のところ無事です

今のところ・・・なんて…これが余震で、もしかしたら???本震が来たら???っていう意味です。
 朝8時過ぎでしょうか。ももりは玄関でゴミ出しの整理をしていました。突然「グワラグワラ」と大きな音。地震か???それとも突風か???戸を開けて表を見ますと電線が大揺れ。地面が揺れている感じはあまりわからなかったのですが、あの大きな音はなんやった???
  とっさに相棒の部屋にかけつけましたら、良妻なんでしょうけれど、まずは自分が表にでました。どこの家からも人は出てこず、地震は収まりました。

 

 

 

 やれやれ・・・この後、本震が…なんてことがないようにいのります。電話は通じなくなりましたので、この場にてご報告いたします。
 「大きな音やったでえ、何か落ちたんとちがうか???」って相棒も言いますので2階へ。床から天井までの長いふすまが2枚、ふくれて敷居をはみ出しています。上に積んでいたぶ厚いアルバムが落ちた模様。被害はそれだけ。まずまず、今のところ、電気もついて無事です。




 今日は忙しい一日でした。朝イチ、地震、直後・・・8時40分にマッサージ師さんが見え、約20分。10時には、相棒の歯科の予約。歯科の先生が地震でお休みになった小学生の子供さんをむかえに学校へということでしたが治療はしてもらえて、11時には次の眼科の予約。京都市立病院には異常の様子はなく、みてもらえました。病院でお昼を済ませて、1時ころ帰宅。午後4時には、ももりの膝治療の予約ですので、その間にプールへ。「まあ…時間もないけど歩くだけでも」と出かけましたら。プールは閉館。あ・あ・あ・・・・・
 今のところ、家も周辺も静まり返っています。被害の様子はありません。相棒もお昼寝。4時に膝注射に行くまでには薬局とスーパーへ。やれやれ・・・ももりも休憩します。


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2018年6月15日 (金)

ほのぼの  うれし

 先日、ほのぼの、ほんのり、うれしいことがありました。


 今かよっています京都アスニーの古文書教室。月一回ですがとても面白い。サークルの講師の万波寿子先生は西本願寺の古文書を研究なさっている若い龍谷大学の講師でらっしゃいますが、「西本願寺36人歌集」のお話にふれられまして、おっしゃいました。


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 「この歌集はほとんど出版印刷されていません。西本願寺が許可しないから」というお話しでした。「????ワタシ・・・ 持ってる」・・・・もうずっと以前ですがももり自身が買った本。2万8000円。家にかえって本棚を見ますと、ありました。おまけに、もう1冊。父親からうけついだ「西本願寺36人歌集」もでてきました。次の勉強の会(先日)にもっていきまして「よかったら、皆さんに見てもらってください」といいました。ついでにももり自身が作った臨書「ま・あ・あ・・・レプリカです」も、お見せしました。下





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なんて嬉しいことでしょう!!!授業の前に、先生はももりのレプリカを皆さんに見せて「本当にこんな美しいものが平安か鎌倉時代に作られていて、本阿弥光悦なんかはまねしたものを残しているのですが、現代にもこんなのを作っていられる方がいると知って、大変うれしいです」とのお言葉。

 

 

 長年、押し入れにつっこんだままだった小さな切れ端に、こんな出幕があるなんて!!

 

 古文書の勉強には何度か参加したのですが、扱うテーマに興味がないと、まるで楽しくありません。今のサークルは藤本孝一先生と万波寿子先生のお二人が講師ですが、ともかく、とてつもなくおもしろい。文化庁で、古物を「国宝にするか、それとも重要文化財にするか」を決定するための資料をまとめるという仕事をなさってらしたという、もう90ン才の藤本先生ですが、続々出てくる古文書には限りがないらしく、毎回新しく解読された文書のお話をしてくださいます。




 もしできたら・・・・ももりのレプリカ、先生にもらってもらえたらなあ。そして西本願寺の文書を研究なさっている先生のお部屋の片隅にでもおいてもらえたらなあ!!!
 なあんて・・・あつかましいかな???
下は父の残した「本願寺36人歌集」の写真です。貴重なものかもしれませんよっ!!!





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2018年6月13日 (水)

高倉天皇と清閑寺

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 高倉天皇といえば、清盛の娘、徳子と結婚。やがて素晴らしい日々は終わり、平家は西へ逃亡。源義経によって壇ノ浦に追いつめられます。お二人の子、安徳天皇は祖母にいだかれて海に身をなげます。おんとし5才・・・あわれあわれ・・・・



 高倉天皇陵に隣接するのが清閑寺。清閑寺は今、西郷隆盛で話題になっている倒幕密議のお寺です。ここへ行きたい・・・でも・・・・・山の中、小松谷ということです。



 以前、妙法院のお庭の中の小さな看板に「小松谷、平重盛屋敷跡」という小さな立て看板があり、これはぜひぜひ・・・・一度ゆっくり、このあたりを歩いてみたいとおもいました。ある日・・・




 ババチャリで家を出て、五条坂をまっすぐ東へ。渋谷街道っていう、響きも古そうな街道をババチャリを押してエンヤラコヤラ・・・・向こうに古そうなお寺が見えて、あれかいな???と思って近づきましたが違いました。でも・・・「小松谷御所遺跡」という石柱があります。ババチャリを道端の草むらにすてて
坂道を登り始めました。ネズミ捕りのおまわりさんたちに地図をみせて「清閑寺へ行きたい」っていいますと・・・まだまだだいぶ・・・遠い。しかもややこしい説明。もう・・・「いやっ」になって、ちょうど来たバスに乗って一駅戻り、チャリを拾ってその日は帰宅。


 後日、友人と龍谷大学の「釈迦展」を見たついでに、タクシーで清閑寺へ。

 とりあえず、思いはとげました。京都が一望に見張らせるポイントもありいいお寺です。昔は清水寺より広い敷地を誇ってたんですって







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2018年6月 6日 (水)

山科の勸修寺

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 梅雨いり・・・したか???山科の勸修寺へやってきました。ここは、「かんじゅじ」と読むそうです。今はハスとスイレンとあやめ???ももりには「いずれを あやめ かきつばた」よくわかりません。でも・・・静かでとても美しい!!!のおーんびり。このところ相棒とは・・・ケッコー・・・???

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妙法院門跡寺院

ちょっと古いお話です。5月14日…この日にかぎり門跡寺院「妙法院」は五月会として開放されます。いつもは非公開の豪快な桃山建築や仏様たちが無料で拝見できます。ということで…やってきました。


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 近くに豊臣秀吉が建てた方向寺大仏殿。秀頼が継いで完成、大仏の開眼供養のために1000人の僧侶をあつめ、その供御を奉ったという大きな台所。豪快な木組みがすごい!!!

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 ここは、元、後醍醐天皇の院政の地、法住寺殿のあった土地です。平清盛が後白河のために建てた三十三間堂(蓮華大院)はじめ、塔や殿社が建ち並んでいたといいます。戦火に焼け、再建された蓮華王院を管理してきたのがこの門跡寺院だそうです。小松谷・・・平重盛(清盛の長男)の屋敷跡という石碑もあって、なんともうれしいです。




 小松谷は平家物語ではよく聞く地名です。一度ゆっくり歩いてみたい・・・と、後日改めて挑戦したのですが・・・・後日まとめますね。






 

 

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