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2018年2月19日 (月)

はや2年。次男の忌

 次男の三回忌。心配していたお天気も、この日だけは穏やかで無風。きさらぎのまぶしい光いっぱいでした。無事、ベーンブ終わってお食事。も・お・お。・・久しぶりの熱燗。こってりいただきました。まったく…相棒が元気な間はよくやってましたが、今では相棒もちょっと口をつける程度です。おいしいものを用意して熱燗で・・・なああんて、まったく…自分で燗して台所をうろうろしながら・・・なんて飲む気にもならないから・・・なんだか即物的にビールを流し込むのが日常です。



 長男、三男、もちろんお嫁さんとご両親も一緒でしたけど、羽を伸ばしてしまいました。

 

 
 あまりにもあっけなく逝ってしまった次男・・・・もお…言いますまい。優しいいい子でした。ふしぎと幼い頃ばかりが思いだされます。
 

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2018年2月14日 (水)

きさらぎの寂光院

 大原、寂光院へやってきました。バスは1時間に1本。時間待ちもスケッチブックがあればヘーッチャラ。空の青さと冬木立をたのしみます。この日、冬空は真っ青。雲は真っ白・・なんてすがすがしい!!!



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 今日、大原を訪ねたのは、壇ノ浦でほろんだ平家の悲劇のヒロイン、建礼門院をしのびたかったからです。まずは、建礼門院の御陵へお参り



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 日陰はまだ雪が凍てついて滑ります。ゆっくりゆっくり歩きます。如月の陽光が目に痛い。近くの山々はまだ雪!!!お・お・お・・・・ここはまだ冬!!!ちらほらと人影が・・・静かです。



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 建礼門院徳子…平家物語の悲劇のヒロインです。清盛の全盛期、2姫として生まれ、高倉天皇に后にあがったのが17才。高倉は6才年下でした。高倉をとりまく女房は多く、徳子が皇児を生むのは6年後。その前後、他の女房2人に3人の子があったといいます。中宮とはいっても、多くの女房に取り囲まれ、女心はやすらかではなかったでしょう。待ちに待たれた皇子誕生。このお方が、後、壇ノ浦で二位の尼にだかれて入水。海の藻屑と消えられた安徳天皇です。しかし、皇子が4才の時、高倉天皇はなくなりました。徳子は建礼門院とよばれます。



 宮尾登美子版「平家」では、別の女房の生んだ皇子とすりかえた・・・となっています。あとを追って身を投げた徳子、その長い黒髪を熊手でからめとられ、引き上げられます。恥多く、あまりにも無力な身。都に送られるまでの屈辱と悲しみはいかなるものだったか。悲劇です。
 その後、28才で剃髪、尼になり草深い大原に庵をかまえ、7年、ここ大原ですごしてなくなられました。庵のには石碑が一本。杉木立の中、陽もささない山中です。当時はもっともっと鄙びてたんやろなあ・・・あわれ・・・


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大原、寂光院です。




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 茶室「孤雲」池はまだ凍っています。
帰るころには、もう雪が顔に痛いほどふきつけます。あんなに真っ青な空やったのになあ。まだ、如月やなあ

 

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こいつぁあ  春から 縁起がいいわい

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どうですか!!!美人ぞろいでしょう???遅ればせの書道の新年会です。今年は娘さんに赤ちゃんができるとか、インフルエンザとかで何人かへりました。下の壁画も素敵でしょう。イタリアンです。ワインはシチリア・・・モチ!!!おいしかったですよお。


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どうですかぁあ・・・お正月の年賀はがきが大当たり!!!切手が9枚と2等賞!!!今年、出すほうはだいぶ減らしたんですけど・・・


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2018年2月12日 (月)

都がもえた日

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 古典平家・・・琵琶法師が語ったという平家物語は鎌倉時代に成立したもの。平家と戦って天下を取った鎌倉の勝者の歴史です。だから・・・清盛を徹底的に愚かしく悪者に仕立てている…ということのようです。


 京都に都がうつって、平安時代…鳴くよ うぐいす 平安京・・・794年です。それから、このお方が皇位につかれるまで380年近く、都には大きな戦いはなかったといいます。
このお方こそは、後白河天皇。このお方が26才で天皇になられたのは1156年。途端に、保元の乱。2年後には平治の乱。そのあと、鹿が谷の陰謀、以仁王のクーデター、敗者はようしゃなく、首をうたれました。やがて全国に源氏が興り、木曽義仲が都へはいるのが1183年。そして義仲を討った義経が入京、平家は都落ち、壇ノ浦で滅びます。そのあとも、各地に戦は続き、1192年、このお方、後白河がなくなられるまで、都は戦火にさらされました。どうですか…上は南都焼き討ち、平家が奈良、東大寺、興福寺を焼きました。下の絵は平治の乱。都大路を信西の首をかかげた兵が行進しています。あ・れれ???信西は坊主頭のはず???何でぶらさげてんのやろ???




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一方、天皇は仏教に帰依すること深く、また、怨霊をも恐れ加持祈祷もやったといいます。でも…この方、今様狂い。「梁塵秘抄」なる本に今様をまとめました。{遊びをせんとやうまれけん} …何度も、幽閉されたり、一人で脱出したり、人を利用したり捨てたり・・・裏切ったり、だましたり・・・それでも・・・このお方を担がないと天下に号令できなかったというのが日本の歴史の不思議です。このお方…どんな時もひやひやと冷静です。第三者的に自分の状況を把握、分析、一人で動きます。つまり???ゼエーンブ、おアソビやったんかも???清盛も義経も…遊ばれて滅ぼされた???




 
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上は三十三間堂。清盛が後白河法皇のために建てました。




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鹿ケ谷の陰謀-・・・1177年。京都東山、ノートルダム女学校の北にある細い道を上がっていくと山荘跡があるといいますが、行ったことはありません。ここで、清盛、平家打倒の計略がねられましたが未然に発覚。一味の一人が垂れ込んだのです。清盛は怒って、首謀者、僧、俊寛と他二人を鬼海が島(今の硫黄島???)へ流罪。しかし・・・清盛は法皇に手を出すことはしませんでした。


 以仁王の陰謀。1180年。平家が力を誇示し、摂関家や天皇家を圧迫。後白川の第四皇子、以仁王がひそかに全国の源氏に平家追討の令旨をとどけました。このクーデター計画は失敗しましたが、これをきっかけに、各地に反平家勢力が勃興。平家滅亡につながります。

 下は平家納経。平家が当時jの技の粋を駆使して、厳島神社に奉納した写経です。平家の女たちの手になるといわれています。これが、また…なんともロマンチックですばらしいのよねえ。平家の男たちは徹底的にほろぼされましたが、女たちは、なんとか生きのびたようです。

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政治ってこわいものですねえ。後白河が死んで頼朝が鎌倉に幕府をたて、鎌倉時代になります。この後白河というお方、皇位についてたった3年で幼帝に位をゆずり、院政をしきます。この方が66才でしぬまで、なんと5代の幼帝が位につきました。二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽・・・みんな幼い天皇です。政治は・・・そりゃあ・・・むちゃくちゃですよねえ。

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2018年2月 6日 (火)

天平の顔と今の人の顔

 先日行った東大寺戒壇院と法華堂(三月堂)の仏様たち。スケッチは禁止なので画集からここにアップしました。そのお顔が・・・なんともおもしろいのよねえ。




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「うわ・あ・あ・・・モ・お・お・・・怒ってるでえ!!!」




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「ふん・・・お前は一体何考えてんじゃ」




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この賢いお顔は絶対、藤原不比等さん。このお方、歴史上で最高の知恵者です。今、平清盛を読んでますけど、この方には負け。だって清盛の死と同時に平家はあっという間に没落。全滅…ま・あ・あ・この時代、女たちは生き残ります。建礼門院(清盛の4女、安徳天皇の母)大原寂光院で一門の菩提を弔ってひそやかに生きました。ところが、ところが・・・藤原家はしたたかです。平安時代は摂関政治で天皇を牛耳り、現代まで営々と生きています。天皇家に娘を嫁入りさせて、ま・あ・あ・・・・うまくやったのよねえ。




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怒りの形相ものすごく・・・は・は・は・・・・でもねえ…なんとなくおかしくもある。特に…このふんづけられているガキの顔ときたら・・・・



ももりはいつも、まず思うんです。「モデルは誰???」ひょっとしてガキは自分???? 



昨今の人々の顔、TVなんかでみる偉そうなこと言ってる顔、これほど魅力がないと思いませんか。日本人、「赤ちゃん返り」してませんか???ほら、下に弟とかが生まれると、お兄ちゃんが甘えるために赤ちゃん返りするってあの態度です。何か人におもねってる。平和とか人権って言う言葉のまえには、卑屈に頭をさげています。天平時代、今より大きな大仏を造り上げた時代のお顔、最近の日本人の顔よりは、よっぽど、まっすぐで一心な顔をしてます。ガキだってね

像を刻む作家は必ず頭のなかにモデルをもっています。そのモデルはかならず、身近にいる人。絵描きが描く人物の顔は、自分か奥さんに似ているっていいますよ。




 


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2018年2月 4日 (日)

77才・・・・よう生きた!!!

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 実はももり・・・1月9日がお誕生日。でも…その日、癌のアフターケアの検査でひっかかりました。なんともないって言われていたのに・・・ちょっと・・めげて・・・ケーキ買って帰る気にもなえらず帰宅。そのあと、胃カメラ。
 それが・あ・あ…このももり、口からカメラを飲むのはおっそろしくヘ・タ。ゴーゴーゲーゲー悶絶状態です。それが、前、一度鼻からやってもらったらウソみたいに楽だったもんですから、先生には鼻からお願いしますと言っておいたはず・・・なのに・・・口から突っ込まれて…ショックのあまり立ち上がろうとして押さえつけられ、も・お・お・・・・観念して・・・なんとか終わりましたけど・・・



 結果を聞きにいきまして、とりあえず、薬も治療もなし。説明はしてくださったんですけど・・・理解がム・リ。友人に言わせると、とりあえず、今は何ともないんやから上々。その年になったら探したらなんかある…んですってサ。




 というわけで、小さなかわいいケーキを相棒と釣りキチでいただきました。
おいしかったですよお。


 先日、京都が凍り付いた日、ももりは検査で9時予約です。相棒はいつもなら8時半ころにデイケアーがお迎えにきてくれますから、相棒を送り出してすぐ家をでる予定が・・・バスが遅れるという電話です。道路がツルッツルで・・・
 仕方なく先に家をでました。相棒はそのまま、寒い玄関先で40分ほども待ったのですって。ま・あ・あ・お熱を出すこともなく風邪もひいたようにもなく・・・・「やっぱり、私がいなあかん」やろ???

 

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2018年2月 1日 (木)

天平人と会いたい   Ⅱ

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天平人と会いたいと・・・奈良へやってきました。今日は珍しく風もない冬晴れ。奈良のお空は真っ青です。東大寺、戒壇院と三月堂が目的です。



東大寺はかなりの観光客です。日本語は聞こえません。スケッチをしていると鹿が厚かましくバッグの中に顔を突っ込もうとします。「イヤッ!!!何にも持ってへん!!!」

早々に戒壇院へ。ここには四天王様がいらっしゃいます。

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このお像のモデルはきっと藤原不比等さん。ももりのほかにはお客は老夫婦一組だけ。ゆっくりお目もじしてきました。これらの天平仏は塑像です。粘土なので造形は自由ですが、やっぱり、もろい。ここまで完璧に保存されてきたということは、人々がいかに心を込めてお守りしてきたか…胸が熱くなります。

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次は法華寺(三月堂)へ。ここも、ももり一人。撮影、スケッチは禁止ですって。でも・・・ゆーっくりお目もじ・・・いいなあ!!!うれしい!!!奈良って暖かい!!!

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さあ…相棒がデイケアから帰る時間!!!急いで帰りましょう!!!




 



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