« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »

2018年1月23日 (火)

あの日 京の都では

Dscn4619  



何人かの作家の「平家物語」を読み進めてきて、やっぱり一番つっこんでみたいのは後白河天皇というお方。何度も、御所に火をかけられたり、幽閉されたり、絶体絶命という立場におちいります。ところが、この天皇様、誰もが思わぬような対処で逃げ切ります。嘘はつくわ、裏切るわ…都合が悪くなるとスリスリ泣き落とし、どうしようもなくなると、人のせいにする。武器を持たぬ身のつらさ。取り巻き公家衆は屁のような小理屈ばかり・・・え・ええ・・・い!!!どいつもこいつも役には立たん!!!もうアカン!!!というピンチを実に4回、(ももりの知るところだけでも)おちいっています。一度それを年代順に整理してみたくなりました。多分どなたも興味はおもちにはなれないでしょうけれど、パソコンは挿入したり、付け足したり、順序を入れ替えたりはお手のものなんです。ももりの頭よりは、はるかに賢いですからここは‥‥自分のために・・・





1159年12月9日 (平治の乱) 藤原信範と源義朝がおこしたクーデター。後白河法王と二条天皇のお住まい三条殿を襲撃、お二人を軟禁。二条天皇は六波羅へ脱出。法王は真夜中、単独で仁和寺へ逃亡。12月26日の午後、六条河原にて戦い、あっという間にクーデター側は敗北。このとき活躍したのが平清盛。ここから平家の繁栄がはじまります。都大路には60あまりの首がさらされました。平安初期、薬子の乱以来、宮廷の廷臣が処刑されることは300年余りなかったことでした。




1176年(安元1年〉 平清盛との蜜月は終わりました。清盛は福原(今の神戸)に港を構築。宋船との貿易を開始。その大工事は、はじめは清盛の自費でしたが、毎年の台風、大風により清盛、後白河に協力を取り付けます。ところがところが・・・清盛は福原に軍隊を中屯させる腹と、悪く注進するものもあり、法王は言を左右にして認めません。おまけに後白河をとりまく摂関家や、古い勢力は平家を快く思わないやからばかり・・・・当時、もう平家の力は強くなりすぎて、法王だけでなく摂関家や地方の土豪たちも、平家に反感をつのらせていました。

 

1177年 鹿ヶ谷事件(治承1年) 後白河法王を含む取り巻きたちが反清盛を画策。これは未然にもれて、多数の寵臣を処分することになりましたが、法皇を処分することはありませんでした。法王も企てに一枚かんでいたことは確かでしたが・・・



 1179年(治承3年) 11月14日 清盛、突如福原より京へ。後白川法王を
鳥羽殿に幽閉。法王陳謝。後白河法皇の院政は一度停止。平家の軍事独裁です。
1180年(治承4年) 清盛の娘と後白河の息子高倉天皇の間に皇子誕生。後の悲劇のお方、海の藻屑と消えた安徳天皇。6月、清盛は後白河、高倉、安徳を連れて福原へ遷都。ところがところが・・・・


11180年(治承4年)  以仁王、各地の源氏に「平家追討」令を発する。これに応じて続々と源氏立ち上がる…源頼朝、木曽義仲、新宮幸家、武田・・・・平家、風前のともし火・・・
10月、平家は富士川の戦いで、戦いもせず頼朝の軍にやぶれます。も・お・お・・・このあたりから後白河は平家をはっきり見限った???10月の南都の戦いで、東大寺、興福寺を焼いたことは、たまたま延焼したとしても、かえすがえすも大きな失策、ももりだって腹だたしい!!!



1181年(治承5年 
養和1年) 1月15日 高倉天皇死。後白河院政再開。2月4日清盛死・・・



1183年(寿永2年) 法住寺合戦 木曽義仲5万騎は7月28日、京都へ乱入。そこは、ここ3年来の大飢饉。軍隊は略奪、放火、規律のない群盗です。後白河は平家追討の令を出し義仲の軍を西へ追いやり、留守中に無頼の徒や法師を法住寺に集めます。それを聞いた義仲、京都へとって返し、法住寺御所を襲撃。法王を守るはずの無頼の徒はてんでに逃げ散り、火に追われた法王は一人の従者のみ連れて逃げる。義仲追いついて、そのまま五条東洞院の内裏に幽閉21時間。後白河自身が戦ったのはこの戦いだけだけど、これは散々・・・ところが・ところが・・・法王に追いついた義仲は、よろい、かぶとを脱いで、法王を保護・・・・ってんだから日本史はおかしい!!!


なにしろ、今日の味方が明日の敵。反復つねなきドライな自己保身。義理も人情もありません。
 治承4年 11月17日  頼朝追討の宣旨を平家にくだす
 平氏に木曽義仲追討の宣旨をくだす
 木曽義仲に頼朝追討の宣旨をくだす
 頼朝に木曽義仲追討の宣旨をくだす

 

1181年(養和1年) 自然災害で年号を代える  干ばつ、洪水。
仁和寺の僧侶による       と餓死者は42300人・・・
      
1182年(養和2年) 「道路ニ餓死者充満セルホカ 他事ナシ」・・・公卿日記から
寿永1年 5月27日改元          9月14日 源氏追討令


1183年(養和3年)平家が幼い安徳天皇をつれて
西ににげたので、後白河は故高倉天皇の四の宮を天皇にたてます。後鳥羽天皇6才・・・




 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

「京都水彩展」にむけて

Dscn4618



  日曜日、京都水彩画会の作品研究会・・・・久しぶりに指導をおおせつかりまして、なんだかぐったりくたびれてバスで帰宅。ボーンヤリしていましたら聞いたことがないバス停が続きます。「あ・れ・れ・・・・乗り間違えた」もう一度戻って、乗りなおす気力もなくタクシーで帰宅。



 でも、なんだか描けそう・・・描き始めました。「お・お・お・・・・なあんて色って美しい!!!」久しぶりです。


 展覧会のたびに新しいのを描こうとはするのですが、心象風景を描いているせいか、出てくる絵はなんとも暗く、イヤラしい。病的です。結局、古い描きさしに手を入れて出品だけは続けていました。



 自分の病気が4年前、相棒の病気が1年後、そして次男の死・・・やっぱり打ちひしがれてたのか????おヘソもつむじも曲がっていて、泣き言をいうのは大嫌い、そしらぬふうに装っていたけど…やっぱりこの4年間は絵は描けなかった・・・ら・し・い・・・・


 久しぶりの高揚感!!!さ・あ・あ・・・・・又、描けるようになれるか???
 



| | コメント (1) | トラックバック (0)

2018年1月 4日 (木)

六波羅いまむかし

Dscn4603

 初もうでは六波羅蜜寺へ。初穂をいただいて皇福茶もいただきました。祇園に近いのですが、案外ひっそりとしています。


 六波羅といえば、平清盛のころ、平家一族が豪華な甍を並べていたといいます。そもそも、このあたりは公家や貴族が住む土地ではなかったのです。処刑地に近く、
鳥辺野の墓地の地で、検非違使の平家は、場末の取り締まりにも手近なこの土地を開いたようです。六波羅蜜寺はお正月の今はテントや人波でスケッチはできません。



Dscn4617

ここの宝物館には、清盛の姿を映した像があります。口から「南無阿弥陀仏」と唱えていらっしゃる空也上人のお姿もあります。



Dscn4613


Dscn4614


 平清盛が体を焼きつくすような高熱にころげまわって苦しみながら死んだ年、京都は大飢饉。加茂の河原には死体が累々。鎌倉や九州、木曽、越後、各地に反平家の旗をかかげた源氏が京都にせまります。いよいよ平家が都おちするというその夜、たった一人の家来を連れて法王は逐電。あわててかけつけた清盛の跡継ぎ、宗盛は必死に探し回りますが女官たちすら誰もゆくえを知らない。このあたり、この法皇様の真骨頂やなあ。徒歩で鞍馬山から比叡山へ。やむなく平氏は幼帝、安徳(8才)と母、建礼門院をようして、西へとおちていきます。



 昨日、平家に源氏の義仲を討てと命令を出したと思えば、今日は、平家を討てと命じる。1年4か月も清盛に幽閉されていた法王は「これみたことか」って快哉をさけんだやろうなあ!!!



木曽義仲が都に入ってきた・・・京都には、もう食料はない!!!地獄やねえ。

 六波羅蜜寺から10分ほどで、「六道珍皇寺」へ。ここには地獄とこの世をつなぐという井戸があります。小野篁は夜な夜な。冥途とこの世を行き来したといいます。こわあいお顔の閻魔さまにもお会いして、初もうでは無事でした。




| | コメント (12) | トラックバック (0)

2018年1月 2日 (火)

あけましておめでとうございます

Dscn4598_3




 あけましておめでとうございます。
本年も相変わりませずよろしくお願いいたします。
 旧年中はいろいろコメントいただきながらお返事もせず、本当にいたしました。穏やかな去年でした。自分の大腸がんも、もう3年9か月、無事。相棒は倒れて3年、無事。次男が突然死して、まもなく3回忌・・・いろいろのりこえました。今年もなんとか・・・老いてからの新たな出会いというのは、結構、つらいことも多いようです。うれしい出会いはブログで・・・なあんて、祈っています。
 旅…旅こそは・・・無念!!!海外どころか国内旅行もままなりません。でも・・・最近はもっぱら日本の歴史の本を読んでいますが、これが楽しくって。今は平家物語。何人かの作家さんの「平家」を読み比べて、興味はますばかり。京都に住んで、かつては物語の舞台であったところなど・・・今はすっかり栄花の跡形もない・・・無常・・・そんなところうろついて喜んでいます。


 
 ここ数年、古文書教室に参加しているのですが、京都には摂関家のお倉があり、平安時代の公家の日記とか手紙とかがとても大事に保存されてあります。歴史に直接迫れるっていうのはすごいこと!!!ここへきて書道をやってきたことは、なんとうれしいことであったかと思うことしきりです。

今年も楽しくやりましょう。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2017年12月 | トップページ | 2018年2月 »