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2017年11月20日 (月)

花園へ・・法金剛院

 法金剛院を尋ねました。JR花園駅からすぐ・・・・紅葉の名所です。



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 法金剛院は、待賢門院璋子(たまこ)が再興したお寺です。
待賢門院璋子は、白川天皇に育てられ、鳥羽天皇の中宮にあがりましたが、白川天皇の子を生んだといわれる女性です。そのお子が崇徳天皇。「叔父子」と呼ばれ父は愛しませんでした。後、ここで落飾し・・・つまりいい・・・尼になり、ここで死んだというお寺です。

 今、読んでいるのが平家物語・・・宮尾登美子、吉川英治、井上靖、漫画日本史やらいろいろ読み比べています。平清盛のお話よりよっぽどすごいのが当時の宮廷史です。


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 白川天皇は、幼い時から育て上げた璋子・・・懐に足を入れさせて眠らせ、ねこっかわいがりします。大臣が急用でやってきても取り次がなかったというほど・・・好き放題で、好色な天皇でした。
璋子は美しく成長、性的にも奔放で、様々なひそひそ話の好餌になりましたが、鳥羽天皇の妃にあげられました。そして生まれた子は、崇徳天皇。この人は「叔父子」・・・つまりおじいの子であるとして、うとまれ、鳥羽は策を弄して美福門院との間に生まれたまだ三才の近衛を皇位につけます。しかし、鳥羽天皇の死後、もう一度皇位に戻れるかと思った期待は大きくうらぎられ、あとを継いだのが後白河。天皇、上皇の取り巻きの勢力争いもからんで、崇徳上皇は謀反…平治の乱の勃発です。
 平治の乱は、鴨川の東、二条あたり・・・今の京都大学農学部のあたりで、夜明け前からはじまり、お昼にはあっけなく、崇徳天皇は敗れました


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このあたりの歴史、登場人物の姻戚関係が非常に複雑でや名前も似ていてなかなかすっきり系統だてることがむつかしいです。でも・・・・・同時代の書き物にすら批判された天皇家の内情は・・・・・・

まず・・・・
白川天皇…後三条天皇崩じられたのち、天下の政をとること57年、意にまかせ、法にかかわらず、人事をおこなった・・・・ウンヌン


堀川   このお方のみは悪く言われないけど、8才で即位され、13才で皇后を迎えたとき、皇后は32才ですって。
病弱で29才で没。まだ東宮は5才。白川法王、重祚しようとしたが、出家していたので、鳥羽に・・・・

鳥羽   法王の朝廷に臨みたまうこと17年、その政、多く道ならず、上は天心にたがい、下は人望にそむく・・・・・ウンヌン


 崇徳   このおん方こそは、悲劇の人。鳥羽天皇死後、武士や側近の公家にかつがれてご謀反。それが「保元の乱」あっという間に敗れて、讃岐に流され、後々長く世に祟ることになるお方。


近衛    美福門院の子で17才で死。頼長の呪いによると主張した美福門院によって、平治の乱がおこります。


後鳥羽   当今は日本、中国を通じて類の少ない暗君、暗愚・・・・ウンヌン

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 お寺の裏山に
待賢門院璋子の御陵があると聞いてたずねました。今はひっそり人影もありません。そのあと、後白河の中宮になった統子内親王の御陵にもまいり、うっとりと静謐をたのしみました。紅葉は今が盛り!!!嵯峨菊もはかなげに咲いています。


長く死刑のなかった平安の世は、武士の時代にはいり、戦後処理は過酷をきわめます。都は焼かれ、大水、ひでり、つむじ風、疫病・・・・盗賊も横行し、京の都は、死臭ふんぷん・・・・怨霊の祟りをおそれ、仏教にひたすら救いをもとめる・・・・う・う・・・・・ん。やがて、平治の乱へ・・・無官の詩人、鴨長明がため息とともに世の無常を語っています。



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コメント

皆様、すっかりご無沙汰しまして本当に申し訳ありません。お返事はしませんが、元気に過ごしております。相棒は麻痺はあるものの安定しています。デイケアーでは塗り絵が得意。もともと彼は一級建築士ですし、絵はもちろんおチャノコサイサイなんですけど、デイケアーのおばあちゃん方に大変モテモテらしくうれしいことです。私はもっぱらプール。最近、バタフライらしきものもやるようになりました。下手な方が3人、古いうまい人に教えてもらってましたのを眺めていましたら「あなたも、やってみ、やってみ」ということで「エイッ」とばかり25メートル・・・「初めていしては上出来」ということですっかり舞い上がってしまい、それ以来恥ずかしげもなく、チョコチョコやっています。ま・あ・あ…腰も痛くならないし・・ええでしょう???

投稿: | 2017年11月28日 (火) 16時26分

今日は雨の新嘗祭 勤労感謝の日 ですね。
 雨読に勤しんでいらっしゃいますか^^

その昔の 天平人も色々とあったのですね!
 どっぷりと浸かって読書夢辿り! で、ゆっくりとお過ごしください 雨ですから~

 

投稿: すみとも | 2017年11月23日 (木) 11時05分

最近は本から遠ざかっています
ももり様から教えて頂き苦手な歴史ものも
少しずつ理解しようと努めていますが
姻戚関係は何とも複雑

13才で皇后を迎えたとき、皇后は32才<<<
信じられないような時代を生きた人々に
思いを馳せ楽しく読ませ頂きました

投稿: おばさん | 2017年11月22日 (水) 15時49分

嵯峨菊、子供の頃にはこちらでもよく見かけましたが、近頃は何処へ行ったやら…子供心にも好きな菊で、その頃の図鑑に丸印(欲しい花)をつけていたのを思い出しました。

崇徳帝の名はハリーポッターでいう所の、「名前を口に出してはいけないあの人」のように、今でさえ声に出すのが恐ろしいような気持ちがあります。 「徳」の付く諡名は、祟りを恐れての証しとか。

投稿: 山桜 | 2017年11月20日 (月) 22時58分

保元、平治の乱で 武士の台頭があるのですね
なかなか歴史の本を読む機会がありません。
遊びに忙しい?のです 急に寒くなり出かけるのも
おっくうに なってきました。

投稿: あきみず | 2017年11月20日 (月) 17時44分

この時代のことはドラマにもですね。この記事を拝読して思い出しました。
叔父子?として描かれてたと記憶です。
本物の嵯峨菊をご覧ですね。園芸店で見ましたが、とても手に負えません。
仏像たちは浮世をよそに、お鎮まりでしたか。

投稿: kazuyoo60 | 2017年11月20日 (月) 10時44分

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