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2017年11月28日 (火)

ゆく秋を惜しんで


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 干し柿は大好き。丹波のお山に柿の木を植えてもう30年。秋も終わり、木の葉がすっかり落ちたころでも、いっぱい花がさいたように、真っ赤な実の残っている渋柿!!!その風景が好きで渋柿をうえました。最近はよくなります。



小さなお出かけを楽しんでいます。京都に住んでるからこそと思える秋です。



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 まずは今読んでいる「平家物語」鳥羽天皇が営まれた鳥羽離宮あと。今は見る影もありません。空には高速道路がうなりを上げ、地には国道が交差しています。でも・・・行かなければなっとくできないんですから。いろいろあったお三方、近衛天皇陵、鳥羽天皇陵、白川天皇陵・・・・今は静かです。



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何人かの作家の書かれた「平家」を読みくらべていますが、どうも・・・・平清盛は憎めません。むしろ腹立たしいのは、白川法王、、後鳥羽上皇、後白川法王こそ・・・・



白川へも行ってきました。当時貴族の別荘地であったといいます。観光地でもなく、静かですが驚くほど山が近く美しいです。


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下、スケッチは法然院。このお寺の裏山で鹿ケ谷の陰謀が企てられました。福原(今の神戸らしい)へ隠居した清盛をたおすべく、後白河法皇もまじえての陰謀はあっけなく露見しました。首謀者は厳罰にしたものの、法王ご自身には危害を加えず、保護します。う・う・・ん・・・まあ・・・あ・あ・・結局…頼朝の力を使って平家を全滅させてしまうんですから・・・・なんとも・・・腹黒いお方よ。

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2017年11月20日 (月)

花園へ・・法金剛院

 法金剛院を尋ねました。JR花園駅からすぐ・・・・紅葉の名所です。



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 法金剛院は、待賢門院璋子(たまこ)が再興したお寺です。
待賢門院璋子は、白川天皇に育てられ、鳥羽天皇の中宮にあがりましたが、白川天皇の子を生んだといわれる女性です。そのお子が崇徳天皇。「叔父子」と呼ばれ父は愛しませんでした。後、ここで落飾し・・・つまりいい・・・尼になり、ここで死んだというお寺です。

 今、読んでいるのが平家物語・・・宮尾登美子、吉川英治、井上靖、漫画日本史やらいろいろ読み比べています。平清盛のお話よりよっぽどすごいのが当時の宮廷史です。


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 白川天皇は、幼い時から育て上げた璋子・・・懐に足を入れさせて眠らせ、ねこっかわいがりします。大臣が急用でやってきても取り次がなかったというほど・・・好き放題で、好色な天皇でした。
璋子は美しく成長、性的にも奔放で、様々なひそひそ話の好餌になりましたが、鳥羽天皇の妃にあげられました。そして生まれた子は、崇徳天皇。この人は「叔父子」・・・つまりおじいの子であるとして、うとまれ、鳥羽は策を弄して美福門院との間に生まれたまだ三才の近衛を皇位につけます。しかし、鳥羽天皇の死後、もう一度皇位に戻れるかと思った期待は大きくうらぎられ、あとを継いだのが後白河。天皇、上皇の取り巻きの勢力争いもからんで、崇徳上皇は謀反…平治の乱の勃発です。
 平治の乱は、鴨川の東、二条あたり・・・今の京都大学農学部のあたりで、夜明け前からはじまり、お昼にはあっけなく、崇徳天皇は敗れました


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このあたりの歴史、登場人物の姻戚関係が非常に複雑でや名前も似ていてなかなかすっきり系統だてることがむつかしいです。でも・・・・・同時代の書き物にすら批判された天皇家の内情は・・・・・・

まず・・・・
白川天皇…後三条天皇崩じられたのち、天下の政をとること57年、意にまかせ、法にかかわらず、人事をおこなった・・・・ウンヌン


堀川   このお方のみは悪く言われないけど、8才で即位され、13才で皇后を迎えたとき、皇后は32才ですって。
病弱で29才で没。まだ東宮は5才。白川法王、重祚しようとしたが、出家していたので、鳥羽に・・・・

鳥羽   法王の朝廷に臨みたまうこと17年、その政、多く道ならず、上は天心にたがい、下は人望にそむく・・・・・ウンヌン


 崇徳   このおん方こそは、悲劇の人。鳥羽天皇死後、武士や側近の公家にかつがれてご謀反。それが「保元の乱」あっという間に敗れて、讃岐に流され、後々長く世に祟ることになるお方。


近衛    美福門院の子で17才で死。頼長の呪いによると主張した美福門院によって、平治の乱がおこります。


後鳥羽   当今は日本、中国を通じて類の少ない暗君、暗愚・・・・ウンヌン

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 お寺の裏山に
待賢門院璋子の御陵があると聞いてたずねました。今はひっそり人影もありません。そのあと、後白河の中宮になった統子内親王の御陵にもまいり、うっとりと静謐をたのしみました。紅葉は今が盛り!!!嵯峨菊もはかなげに咲いています。


長く死刑のなかった平安の世は、武士の時代にはいり、戦後処理は過酷をきわめます。都は焼かれ、大水、ひでり、つむじ風、疫病・・・・盗賊も横行し、京の都は、死臭ふんぷん・・・・怨霊の祟りをおそれ、仏教にひたすら救いをもとめる・・・・う・う・・・・・ん。やがて、平治の乱へ・・・無官の詩人、鴨長明がため息とともに世の無常を語っています。



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2017年11月 6日 (月)

天平人に会いたい・・・・奈良、新薬師寺

素晴らしい秋晴れ…雲一つなし。
相棒をデイケアーに送り出してすぐシュッパーツ。近鉄で奈良へ。観光案内所で自転車を借りようとしたら、「新薬師寺と百毫寺なら登り坂ばっかりですよ。バスのほうがよい」ということで、さっそく市内循環バスで、まずは新薬師寺へ。
このお寺は、聖武天皇の病気回復を願った光明皇后がたてたといいます。このお堂の中の12神将は一体を除いて国宝。まさに天平彫刻の極みです。ゆっくり・・・ゆーっくり



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新薬師寺の外の神社・・・鏡神社ですって。



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新薬師寺を出てポコポコ。ヒザはイマイチですが、なんとも穏やかな静かな田舎道です。快晴、雲一つなし。
百毫寺につきました。なるほど…・自転車ではつらい上り坂です。でも・・・お寺からは奈良市内が一望!!!遠く葛城山、二上山・・・はるかむこうは摂津、富田ですって・・・すばらしい!!!!


急いで帰宅…相棒の帰宅とほぼ同時!!!やれやれ

 

 

このところ、聖武天皇、藤原不比等、孝謙女帝とか・・・藤原仲麻呂とかばっかり本で読んでいましたから、改めて身近に天平人の激しさ、命の強さ、思いの深さに感動しました。す・・ば・・ら・・し・・い・・
像は塑像といいます。つまりは粘土。雨に打たれたらひとたまりもない。翻る衣には芯は入っているそうですけど…それでも…ポロリとかけたら???像も素晴らしいけど、これらがきちっと守られて、今もこうして怒りの形相ものすごく、人をにらんで立っているということが信じられない奇跡のような気がします。下スケッチは百毫寺

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