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2017年8月12日 (土)

「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅

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 京都府立京北ゼミナールハウス・・・・自然とのふれあいや生涯学習、研修の施設です。京都市内、ももりの家からは、ちょっと行きにくい。車が運転できないときてるんですから。そこの催しがとても興味深くて、いつも参加したいとは思いつつ…膝もダメ、相棒は車いすで、一泊旅行すらおぼつかない状態になって、「もう・・・ムリやなあ」と、すっかりご無沙汰していました。

 でも、先日いただいた友の会のパンフレットに強く興味を惹かれた記事がありました。


 「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅・・・という記事です。

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 草深い丹波・・・その山奥の小さな村「大野」からはるばると身延山へ参詣の旅 とは???


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 「大野村」から庄屋、文字佐太七以下8名がはるばる、勿論、徒歩・・・馬や籠で山梨県の身延山参詣した・・・というのです。一同、女二人を交えた8人は、安永2年(1773年)大野を発し、周山、京都三条から東海道へ・・・鈴鹿を越えて桑名・・・途中、女二人は当時のはやり病、疱瘡を発病、43日を経て、大野に帰った時には二人が欠けていた・・・というのです。

 「大野」・・・「大野」という地名は、ももりにとって忘れることのできない地名です。つらい家族の思い出でもあります。も・お・お・・・・65年ほども前のこと・・・ももりは、未だホンの子供で、小学生でした。父はももりの通う園部小学校の教頭でした。あれは・・・・5年生の時???園部小学校に火災があり、火元責任者であった父は、警察の取り調べを受けたようです。子供心に家族に突然降りかかった異常事態はショックでした。あまり、子供たちが心配するような会話が交わされたという記憶はありませんが、やり場のない義憤に家族は耐えていたというべきでしょう。


 結局、・・・左遷・・・・その言葉を鮮明に覚えています。誰が言ったか???草深い田舎の小学校に、一応、校長として、栄転するという話でした。一度も行ったことのない大野ですが、短歌を作っていた父の・・・はるばる遠しと聴けば悲し・・・・と言う歌の一部を記憶しています。


 何とも奇妙な抑えられない気持ちのままに、ゼミナールハウスに手紙を書き、作家の東彗(あずまあきら)氏に電話にておはなしする機会を得ました。そして送られてきました本には、先年、統合によって閉校になったという大野小学校の記念誌と、作家をとりまく京北の歴史がつづられている冊子が同封されていました。


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その冊子にはしっかりと生徒たちの前列の真ん中にすわっている父がいました。5年間も在籍していたようです。まだ若い父・・・42才くらい???父は57才で死にました。ももり、27才・・・まだ大人の会話ができなかったのが悔やまれます。


 「大野」という土地・・・なにも知らずに、ただ草深い田舎とおもいこんでいたその地が、東彗(あずまあきら)氏の「ふるさとの風音」という冊子によって、突然あこがれの土地にかわりました。悲しい伝説や子守歌など・・・少し涼風がたったら、ぜひたずねてみようと思います。


 なぜか???文字が拡大できません。読みつらいでしょうがお許しください。

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コメント

本日は阿弥陀様のご縁日、主人の新盆の法要にお坊様が家に来てくださいました。 有難いことに、そのお坊様は私のお茶の稽古仲間…仏様が繋いでくださったご縁を感じます。

お父様がももりさんを元気づけるために、招いてくださったご縁なのでしょう。 そうやって年月を経て、亡き人と会話できることもあるのですね。 私にもいつかそんな奇跡がめぐってきますように…。

この秋、山梨には、大菩薩嶺と三ツ峠に登ります。
どちらも秀麗なる富士山を拝める展望の良い山です。

投稿: 山桜 | 2017年8月15日 (火) 22時29分

お父様と繋がったご縁。
良かったですね。
これも、貴女から繋いだ・・
そして、仏縁でもあるかと。

いろんな歴史があるものですね。
立派なお父様だったのですね。
有り難いことですね。

投稿: くちかずこ | 2017年8月15日 (火) 20時06分

皆様コメントありがとうございます。中々・・パソコンの前に座れなくて・・・お返事もせずに申し訳ないです。

kazuyoo様   本当に江戸時代の旅ってたいへんです。費用は懐にずーっと持ってたんでしょうね。旅はこの場合8人・・・屈強な???多分・・・男6人ならまあ…心配ないかもしれません。松尾芭蕉「奥の細道」あの旅はたしか6か月・・・途中、銀行があるわけじゃなし・・・懐のお金を盗まれたり追いはぎにあったりしたらどうなるって思いました。しかもあの旅は二人・・・だから・・・芭蕉は幕府の隠密であったという推理もあるんだそうですよ。


あきみず様   親の年になって、イエイエイ私の場合、親より20年も長生きしてるんです。今頃、父の持っていた本の値打ちがわかったりして・・・長生きしてほしかったとおもいます。碁ですか・・私の場合、将棋「馬の高跳びフのえじき」とか・・・教えてもらいましたけど・・・もう忘れました。


おばさん様   へ・え・え・・・車で1時間・・・行ってみたいなあ!!!京都に棲むわたしにとって、山梨県ってなんとなく遠いんです。葡萄がおいしいとか・・・信州ならずいぶん山に登ったりもしましたのに。身延山も一度行ってみたくなりました。山梨県の旅してみたいです。

tomoko様   日蓮宗ですか・・・日蓮宗は激しいイメージがありますね。山梨県・・・行ってみたいです。山梨県といって・・・パッとイメージがわくのは葡萄・・・・そんなことではいけませんね。

投稿: 山口ももり | 2017年8月15日 (火) 09時14分

実家が日蓮宗だったこともあり、身延山へは行ってみると良いなあ~と思いつつも
未だ行ったことが無いのです。
お若いお父上に再会されたお気持ちは如何ですか?
チョッとした偶然と、反応した行動が・・・
人生ってこういうことがあるものですね!
秋風が待たれますね。

投稿: tomoko | 2017年8月13日 (日) 05時08分

日蓮宗の身延山までわが家から車で1時間
丹波から身延までは遠い距離ですが
信仰心が強かったのでしょうね

1本の電話でお父上様との再会
懐かしく喜ばれたことでしょう
こっちまで胸が熱くなってきました
校長先生だったお父上様の写真を手にされ
ももり様の心中は・・・
存命時に多くの事話したかったわね

投稿: おばさん | 2017年8月12日 (土) 21時57分

歴史ヒストリアのような ルーツを探すような話し
です。若い頃は親父とは話ししなかったです
亡くなってからもっと話を聞いたり、碁を習ったり
したいと思ったもんです。
身延山へ参詣は、聞いたことないです 関西は伊勢
だったのでしょうか。

投稿: あきみず | 2017年8月12日 (土) 19時56分

どこかに責任を持っていきたい警察だったのでしょう。教頭先生にしわ寄せだったのですね。給料は大切、ご家族のために耐えてくださったのですね。
身延山まで、よほどの強い思いがあったとしても、旅費も残された家族の生活費もですから、それなりに恵まれた方たちだったのですね。身延山が信仰の山らしいのは微かに知ってる程度です。

投稿: kazuyoo60 | 2017年8月12日 (土) 19時35分

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