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2017年8月31日 (木)

不安・・どうしようもなく

 間もなく、「日本水彩巡回展」と「日本水彩関西支部展」が岡崎の京都市美術館別館であります。ももりは関西支部展に出品。

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 大腸がん手術から3年半。相棒の脳溢血から2年半、次男の死から1年半・・ごく最近になって絵を描こうかと思うようになれました。あれほど旅にのめりこんでたのに、車椅子の相棒のこともあって、全部ダメ。国内旅行すらダメ。でも…絵を描こうとは思えませんでした。あり合わせの絵で何とか出品をつづけてきたというのが正直なところです。

 どうしようもなく不安。ももりは本が大好き。特に歴史には興味があります。人間の歴史・・・歴史はどうしようもない人間の本性の羅列です。どんな人間にも人権というものがあって、存在そのものに価値と権利がある…しかも平等に・・・こんな夢みたいな理想を口にしてきたけど・・・・かの国の将軍様は、そんなもの全く鼻にもひっかけない・・・人間の英知と果しえない夢・・・の宣言を頭から面白半分に裏切った・・・かの将軍様は確かに歴史に残るでしょう。過去の人類の辛苦の果ての人権と平和が、どれほどたよりないものであることか・・・を大口をたたいてバカにしてるんですから。

 どうしようもない・・・・かと言って、うそらしい、そらぞらしい平和という念仏を口にする気にもならない。でも・・・平凡な、一市民は無力。笑っていたその一瞬後には死んでるかも・・・ももりの次男の死もそんなあっけない死でしたから。存在の頼りなさ・・・・・絵にはできないなあ。タイトルは「あてどない旅」

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2017年8月25日 (金)

真夏の夜の夢

 どうも…・胸苦しい目覚め・・・・暑いから???

 ここはどこ???私は・・・相棒と旅しています。ふと・・思い出しました。幼い息子二人に食費を渡してくるのを忘れてる・・・・あ・あ・あ・・・・・どないしてるやろ・・・

 目がさめました。40歳を過ぎた釣りキチが朝食の支度をしています。いつのまにか、息子より遅く起きる生活になっています。釣りキチは一人で朝食を食べて仕事に出かける…その横で、のんびりと起きるというパターン。時には親の分の目玉焼きも作ってくれます。
 
 そんな・・・もう、十分おっさんになった息子たちの心配をしてるなんて・・・これじゃあ・・・胃に悪い・・・・


 中京の我が家の近く・・・民泊の家があるらしく、朝、道の両側にたむろした旅行者らしき男女が大声でやりあっっています。タバコをすったり、しゃがみこんだり・・・傍若無人・・・ジロジロ・・・通り抜けるのも怖い。

   


 ひょっとして、日本中には、もうかの国に買い取られてしまった古家や空き地がいっぱいある???いつの間にか占領されてる???このやさしい日本の自然…もちろん天災は随一ですけど、どんなすき間からも雑草がはびこってるような旺盛な生命力に満ちた日本の自然。ももりは結構たくさんの国を旅しましたが、地球は案外乾燥しています。こんなに、町から一歩出ると雑草が地を覆っている、清らかな水がサラサラ流れてるような土地ってあまりないと思います。

 パレスチナ、ガザ地区・・・アラブ人が住んでいた土地は、合法的にユダヤ人が買い取った、というじゃありませんか。ももりだって、もっと年老いて、その後、この土地は???外国人には売りたくないったって、窓口が日本人なら、どうしようもない。

 夢はさめるけど・・・・国土は戻らないってこと???


戦前生まれのももりは、国土は日本人自身で命をかけて守らなければならないと思っています。ザルカゴやカケなんかで国会を空転させていたヤツ・・・・ひょっとして、あんた???回し者???

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2017年8月12日 (土)

「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅

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 京都府立京北ゼミナールハウス・・・・自然とのふれあいや生涯学習、研修の施設です。京都市内、ももりの家からは、ちょっと行きにくい。車が運転できないときてるんですから。そこの催しがとても興味深くて、いつも参加したいとは思いつつ…膝もダメ、相棒は車いすで、一泊旅行すらおぼつかない状態になって、「もう・・・ムリやなあ」と、すっかりご無沙汰していました。

 でも、先日いただいた友の会のパンフレットに強く興味を惹かれた記事がありました。


 「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅・・・という記事です。

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 草深い丹波・・・その山奥の小さな村「大野」からはるばると身延山へ参詣の旅 とは???


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 「大野村」から庄屋、文字佐太七以下8名がはるばる、勿論、徒歩・・・馬や籠で山梨県の身延山参詣した・・・というのです。一同、女二人を交えた8人は、安永2年(1773年)大野を発し、周山、京都三条から東海道へ・・・鈴鹿を越えて桑名・・・途中、女二人は当時のはやり病、疱瘡を発病、43日を経て、大野に帰った時には二人が欠けていた・・・というのです。

 「大野」・・・「大野」という地名は、ももりにとって忘れることのできない地名です。つらい家族の思い出でもあります。も・お・お・・・・65年ほども前のこと・・・ももりは、未だホンの子供で、小学生でした。父はももりの通う園部小学校の教頭でした。あれは・・・・5年生の時???園部小学校に火災があり、火元責任者であった父は、警察の取り調べを受けたようです。子供心に家族に突然降りかかった異常事態はショックでした。あまり、子供たちが心配するような会話が交わされたという記憶はありませんが、やり場のない義憤に家族は耐えていたというべきでしょう。


 結局、・・・左遷・・・・その言葉を鮮明に覚えています。誰が言ったか???草深い田舎の小学校に、一応、校長として、栄転するという話でした。一度も行ったことのない大野ですが、短歌を作っていた父の・・・はるばる遠しと聴けば悲し・・・・と言う歌の一部を記憶しています。


 何とも奇妙な抑えられない気持ちのままに、ゼミナールハウスに手紙を書き、作家の東彗(あずまあきら)氏に電話にておはなしする機会を得ました。そして送られてきました本には、先年、統合によって閉校になったという大野小学校の記念誌と、作家をとりまく京北の歴史がつづられている冊子が同封されていました。


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その冊子にはしっかりと生徒たちの前列の真ん中にすわっている父がいました。5年間も在籍していたようです。まだ若い父・・・42才くらい???父は57才で死にました。ももり、27才・・・まだ大人の会話ができなかったのが悔やまれます。


 「大野」という土地・・・なにも知らずに、ただ草深い田舎とおもいこんでいたその地が、東彗(あずまあきら)氏の「ふるさとの風音」という冊子によって、突然あこがれの土地にかわりました。悲しい伝説や子守歌など・・・少し涼風がたったら、ぜひたずねてみようと思います。


 なぜか???文字が拡大できません。読みつらいでしょうがお許しください。

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2017年8月 6日 (日)

日本水彩 「京都支部展」 火曜日から

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 展覧会は火曜日からです。「衰えたり ももり」の日常ですが、出品は続けています。大体、病気の間も、展覧会となると新しい絵を描こうと思って制作をはじめたものですが、ももりの場合、心象風景を絵にするという進めかたなものですから・・・も・お・お・・・・自分でも見たくない病的な画面になってしまって、見るのもイ・ヤ!!!になりました。結局、以前の未完成に手を入れて、何とか仕上げて出品にこぎつけるという状態です。死んでしまった息子をさがしてる???のかも???

 会場のお当番は???なかなか多用で・・・・できるか???

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