« 2017年7月 | トップページ

2017年8月12日 (土)

「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅

Dscn4477


 京都府立京北ゼミナールハウス・・・・自然とのふれあいや生涯学習、研修の施設です。京都市内、ももりの家からは、ちょっと行きにくい。車が運転できないときてるんですから。そこの催しがとても興味深くて、いつも参加したいとは思いつつ…膝もダメ、相棒は車いすで、一泊旅行すらおぼつかない状態になって、「もう・・・ムリやなあ」と、すっかりご無沙汰していました。

 でも、先日いただいた友の会のパンフレットに強く興味を惹かれた記事がありました。


 「遥かなる身延への道」  死と対峙した安永の旅・・・という記事です。

Dscn4477_2

 草深い丹波・・・その山奥の小さな村「大野」からはるばると身延山へ参詣の旅 とは???


Dscn4485

 「大野村」から庄屋、文字佐太七以下8名がはるばる、勿論、徒歩・・・馬や籠で山梨県の身延山参詣した・・・というのです。一同、女二人を交えた8人は、安永2年(1773年)大野を発し、周山、京都三条から東海道へ・・・鈴鹿を越えて桑名・・・途中、女二人は当時のはやり病、疱瘡を発病、43日を経て、大野に帰った時には二人が欠けていた・・・というのです。

 「大野」・・・「大野」という地名は、ももりにとって忘れることのできない地名です。つらい家族の思い出でもあります。も・お・お・・・・65年ほども前のこと・・・ももりは、未だホンの子供で、小学生でした。父はももりの通う園部小学校の教頭でした。あれは・・・・5年生の時???園部小学校に火災があり、火元責任者であった父は、警察の取り調べを受けたようです。子供心に家族に突然降りかかった異常事態はショックでした。あまり、子供たちが心配するような会話が交わされたという記憶はありませんが、やり場のない義憤に家族は耐えていたというべきでしょう。


 結局、・・・左遷・・・・その言葉を鮮明に覚えています。誰が言ったか???草深い田舎の小学校に、一応、校長として、栄転するという話でした。一度も行ったことのない大野ですが、短歌を作っていた父の・・・はるばる遠しと聴けば悲し・・・・と言う歌の一部を記憶しています。


 何とも奇妙な抑えられない気持ちのままに、ゼミナールハウスに手紙を書き、作家の東彗(あずまあきら)氏に電話にておはなしする機会を得ました。そして送られてきました本には、先年、統合によって閉校になったという大野小学校の記念誌と、作家をとりまく京北の歴史がつづられている冊子が同封されていました。


Dscn4478

その冊子にはしっかりと生徒たちの前列の真ん中にすわっている父がいました。5年間も在籍していたようです。まだ若い父・・・42才くらい???父は57才で死にました。ももり、27才・・・まだ大人の会話ができなかったのが悔やまれます。


 「大野」という土地・・・なにも知らずに、ただ草深い田舎とおもいこんでいたその地が、東彗(あずまあきら)氏の「ふるさとの風音」という冊子によって、突然あこがれの土地にかわりました。悲しい伝説や子守歌など・・・少し涼風がたったら、ぜひたずねてみようと思います。


 なぜか???文字が拡大できません。読みつらいでしょうがお許しください。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2017年8月 6日 (日)

日本水彩 「京都支部展」 火曜日から

Dscn4469_2


Dscn4468_2


 展覧会は火曜日からです。「衰えたり ももり」の日常ですが、出品は続けています。大体、病気の間も、展覧会となると新しい絵を描こうと思って制作をはじめたものですが、ももりの場合、心象風景を絵にするという進めかたなものですから・・・も・お・お・・・・自分でも見たくない病的な画面になってしまって、見るのもイ・ヤ!!!になりました。結局、以前の未完成に手を入れて、何とか仕上げて出品にこぎつけるという状態です。死んでしまった息子をさがしてる???のかも???

 会場のお当番は???なかなか多用で・・・・できるか???

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2017年7月 | トップページ