« 2017年6月 | トップページ | 2017年8月 »

2017年7月23日 (日)

嫮生(こせい)さんの朝顔

Dscn4457_2


Dscn4462


嫮生さん・・・・福永嫮生さん・・・と言えば、最後の満州国皇帝、愛新覚羅溥儀の弟、溥傑に嫁いだ嵯峨家の令嬢、浩さんの次女です。
 「流転の王妃」には、浩の一生が描かれて、TVでも、素晴らしい評判をとりました。侯爵嵯峨家の長女として育った、母堂・嵯峨浩は、第二次世界大戦に至る、日本の国策、満州国建国の一環として政略結婚。政略結婚ではありましたが二人の愛は深く、変わることなく生涯続きました。皇帝の弟の妻としての日常から一転、日本の敗戦で敵中に「とり残された女たち数人。幼い二人の娘をつれて命がけの脱出、帰国するまでが描かれていました。


 溥傑氏が戦犯として拘束されている間も絶えることのなかった深い愛の書簡集を出版したのが、嫮生さん。両親の生涯をみつめた本「流転の王妃 愛の書簡」それも読みました。嵯峨家のお墓は、嵯峨野の二尊院にあって、ももりも何度か手を合わせました。

嫮生(こせい)さんはその次女。姉は天城山心中で大騒ぎになった愛新覚羅慧生です。姉の死は不幸のどん底でしたが妹の嫮生さんは、福永家に嫁いで5人の子福をえました。その嫮生さんの講演会に参加した友人がもらってきた「日中友好の朝顔」の種、そのおすそ分けがわが家で美しく咲きました。

この中京の猫の額にオハグロ蝶が来てくれています。中々近くには来てくれなくて・・・でも・・・うれしいなあ!!!どこに????見えないでしょう???中央右より、少し下・・・ね


Dscn4463

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2017年7月22日 (土)

大和川に沿って、河内から奈良明日香へ

 先日、大阪狭山にて仏事。釣りキチの車で出かけました。深刻な仏事に、いささか不謹慎ですが、狭山池博物館の案内板を見つけ、「帰りに、入りたい!!!」帰途、「入りたい」と強弁。「狭山池博物館」に立ち寄ってもらいました。



 狭山池・・・日本最古のダム湖だそうです。博物館の建物は、かの有名な安藤忠雄先生の設計。何ともアプローチの不可解な建物ですが、内部は凄い!!!。狭山池の堰堤をカンカンの夏空の下を歩き、舌をだらりと垂れてハアハア・・・犬みたい・・・

 狭山台地から流れ込む水を溜めて、稲昨を確かなものにしたのは、かの「行基」。 聖武天皇時代の仏僧です。しっかり見たつもり・・・ですが、なかなか難解です。

 そのあと、釣りキチに「大和川を見たい」とおねだり。長年、夢に描いていた大和川の堤を走ってくれました


 何しろ、その日は、お葬式。スケッチブックも鉛筆ももっていません。でも・・・深く感じるところがありました。

 大和川・・・・九州から瀬戸内海をへて、河内へたどりついた古代、邪馬台国のひとたち。ももりの頭には、小さな手つくりのいかだに所帯道具全部をのせて、夫と妻と、やや大きな子供が引いている・・・それに続いてノタノタあるいているのは、幼いはだしの子供二人・・・・
 大和川は、何しろ高低差を感じさせない平面をノタノタと流れています。京都とは、すごく違う平原・・・だだっ広い平野感。「この川なら、さかのぼれる」前には、くっきりと浮かぶ二上山・・・・そりゃあ・・・そこへ行ってみたいよねえ!!!川にそって歩いて、やがて出たところが、飛鳥の地???畝傍山、橿原へとたどり着くはず・・・上つ飛鳥から、下つ飛鳥へ・・・ね。

 古代史に興味を持ったといっても、まだホンの初心者。でも・・・長く一度は見てみたいと思っていた大和川をこの目でゆっくり見られたこの一日は、ほんと、ウレシイ日でした。不謹慎で、すみません。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年7月18日 (火)

ママチャリで祇園祭

 若い方のお話を聞いていて思ったこと「祇園祭のこと・・・ワタシ・・・ちっともしらない!!!」
何しろ暑い!!!むし暑いさかりのお祭りですから・・・・「もう、TVで見ましょう」ということになってしまっています。


 でも・・・ちょっとだけ出かけました。ママチャリで。

Dscn4453_2


Dscn4451_2

 も・お・お・・・・やっぱり暑い!!!それにスローテンポで・・・・ママチャリで先回りしましたら、お稚児さんが鉾から降りて、タクシー3台に乗って美しいお母さまたちもいっしょに、帰って行かれるところでした。ほんと・・・大役!!!ごくろうさまでいした。あれは・・・お池室町あたり???ももりもやっぱり帰ってしまいました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

高麗美術館へ広開土王碑の拓本を見に

Dscn4454

 
>Dscn4449_2


 堀川通りを北へ。北大路通も北山通もこえてしばらくいきますと、しの竹が密生した大きなお屋敷があります。ここが「高麗美術館」。一度は行ってみたいと思っていましたが、書のお仲間と行ってきました。


 好太王碑・・・広開土王碑・・・とも言います。4C末から5C初の高句麗19代の王。392年から413年まで在位。広開土王の偉大なる業績を記録した巨大な石碑で、所在地は中国吉林省集安。満州族発祥の地といいます。この拓本が展示されたということすら、ももりには初耳でした。
 まず、驚いたのはその碑の巨大さです。4面に1700余文字が刻されているそうですが、1文字は10センチ以上、篆書ではなく、扁平な楷書で、まああ・・・読みやすい????ももりにはムリですが・・・文字です。


 


Dscn4449_2_2


 この碑には倭という文字が多くあり、古代日本とのかかわりに関心をもたれました。その中に書かれている問題点は・・・

 391年、辛卯 倭人 海を渡り、百済、加羅、新羅を破り・・・・・とあるところだそうです。つまりぃ・・・日本がはるばる朝鮮の国土へやってきて激しい戦いがあった・・・どうやら・・・相当・・???後は、ウィキペディアへどうぞ。学問的に説明するには、いろいろむつかしいらしく、しかも歴史観には非常に神経をとがらせている国が相手でもありますので。

 下は、今読んでいる本です。平安時代、遣唐使を中止して以来、日本が積極的に 海外派遣を試みたという記憶は、日本側から見たら秀吉の朝鮮出兵や倭寇ですが、もっと古代にさかのぼると、朝鮮半島と日本には、もっともっと激しい人間の移動があった・・・つまり、日本にやってきた百済人や新羅は多かった・・・・つまりぃ・・・・蘇我氏は巨大な勢力をえて、朝鮮半島も日本をもひっくるめた「日本」という国をたてるべく構想していた・・・と、いうお話です。


 ま・あ・あ・・・天智天皇称制の頃の「白村江の戦い」・・・時代は200年近くくだりますが、唐と新羅の連合軍に、二コッテンパネクソにやられて幽霊のようになって破船が日本にただよいついた…一体???なぜ・・・わざわざ海を渡って朝鮮半島まで出ていった???

Dscn4450_2

 
 高麗美術館  在日朝鮮人1世・故鄭詔文氏が創設。主として高麗、朝鮮王朝時代の美術品を収蔵。陶磁器、絵画、金工品、石造美術品のほかに家具、民具類もあり、所蔵品は約1700点。年に3回展示替を行う。朝鮮半島で育った「美」を専門に・・・とあります。


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2017年7月11日 (火)

日々これ無事

 最後ときめたグループ展を無事終えて。心底ホッ!!!
実にいいタイミングでした。と言うのは・・・頭がどうも・・・お・か・し・い???よく忘れます。焦点が定まらないみたいに。


 夜は熟睡。昼間、ちょっと横になったらいつのまにか寝てる。それでも、夜も平気で熟睡。一時、不眠に悩んでいたことなんぞすっかり忘れてしまいました。死んだ次男がニコニコしてあの世で待っていてくれると思うと、死ぬのもうれしいような気がします。


 相棒との残された時間を、落ち着いて静かに守りたい・・・と思います。


 ブログ・・・・書くほどのことも起きず・・・です。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2017年7月 1日 (土)

「アトリエ 桃源」展 会場便り

 昨日・・・お天気は梅雨。でも、たくさんの方々にご来場いただきました。深く感謝いたします。
あと2日・・・今回でこの展覧会はお終いにするつもりなので、心底、ホットする部分があります。寂しいとか・・・ちっとも感じないなあ。相棒の古い友人もいらしてくださいました。やっぱり、みんな病気の話

 下、豪快で大胆な描きっぷり。超多忙なお方で、絵にも旺盛な活力があふれています。仕事でも絵でも・・・神って二物どころか・・・何物もを与えるという見本のようなお方です。


Dscn4440


 この方、もうスケッチは完璧!!!大胆で描写力もいうことなし。ここから・・・どう展開するか。楽しみです。


Dscn4443


 やさしくて、きりっとしています。京都のわらべうたを書きました。書道も長いお方。本当に、ももりの書道教室は、生徒さん方の方が師匠より、みんな上手という状態になってきました。「絵をやっておいて、書道をやっておいて良かった」と最後には言ってほしいものです。こんなうれしいことはありません。


Dscn4436


| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2017年6月 | トップページ | 2017年8月 »