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2017年1月29日 (日)

いつ???誰が???

 
 ちょっと、人様に読んでもらうにはトンがった中味ですが、自分のためにメモします。
どうぞ・・・興味のないお方は、どうぞ、スルー・・・・スルー・・・してくださいませ。

Dscn4274


 どうですか・・・・しっかり「大小王真蹟書一巻」とあるでしょう???大小王とは、王羲之と王献之父子のことです。その後ろには・・・先帝之玩好遺在・・・とあります。先帝が愛玩してたというのですね。下は左端・・王羲之・・・・の文字が見えます。

>Dscn4272

 二十才代から書道をやって来て、なんで今まで・・・と、悔しい思いをしているのが、こういう文書を読んでみようとしなかったこと。残りの人生では時間がたりない大きなテーマが目の前に広がった感じです。


 むつかしいですけど、上の写真は東大寺献物帳5巻のうち、国歌珍宝帳とよばれる記録です。こうはっきり記録に残されているのですから、王羲之の真蹟は日本に確かにあったでしょう。日付まで「天平宝字6月1日」とあり、光明皇后の「奕世の伝珍」・・・・と書きこみがあり、藤原の署名、サイン入りです。他に、王羲之書法20巻、屏風、歐陽詢の真蹟とかもあったといいます。


 しかし・・・この正倉院に献納された、お宝の数々は、書だけでは勿論ない。政権の象徴である天皇玉璽から駅鈴、他に膨大な武器も一切収められた、そのうらには、とんでもない謀略が渦巻いていた・・・というのが「正倉院の謎」の主張です。
 読めばよむほどナットクーー!!!

 つまり・・・大仏開眼をまたずになくなった聖武天皇が、5年間にわたって、紫香楽に大仏を造ろうと民衆を狩りだし、その後、恭仁宮、難波宮へとさまよい、病を発して平城宮に戻ったあいだの政治のみだれ、民衆の苦難。叛乱もおこりました。そして、聖武天皇の死後の混沌とともに、表舞台に躍り出たのが、藤原仲麻呂・・・のちの恵美押勝・・・・しっかりとサインがあります。

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 聖武の跡をついだ孝謙女帝の側近として権力簒奪をはかり・・・しかし・・・女帝の寵愛は、やがて道教にうつり・・・果ては、叛乱・・・敗死・・・・・・当分、ドキドキが続きそうです。

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コメント

こんばんは~♪ヽ(´ー`)ノ

 この お写真を300%に拡大して 読んでます^^
   古い古い 歴史が文字で残っているのですね!!

王義之は( 303~361) 
日本から413年に倭王讃が東晋に使いをおくっているらしいのですが、 その頃にでも持って帰った ものなのでしょうか  天平宝字6月1日とありますし・・・本物の王義之のもがあったのですね~などと楽しんでおります^^
 
  

投稿: すみとも | 2017年1月30日 (月) 19時27分

難しいです 何がかいてあるかさっぱり
わからないです。これを今から勉強される。
凄いです。

投稿: あきみず | 2017年1月29日 (日) 17時30分

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