« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »

2017年1月31日 (火)

聖武天皇と光明皇后

 

 正倉院のお宝は、光明皇后が納めた当時は740点。現在まで残っているのは、150点ほどなんだそうです。勿論、後の時代にも、多くの天皇や貴族が宝物を追納し、あるいは持ち出し、現在の正倉院のお宝の点数は一万点余・・・破損した、かけらも大切に保存され、正確な数はあげられないんだそうです。

  下は光明子「楽毅論」王羲之の臨書。光明子44才の書です。何しろ日付けがある!!!

>Dscn4263

 下は、聖武天皇「雑記」拡大・・・どうですか!!!31才にしてこの書を書かれたというのです。この天皇の行動は破天荒で、常人ではないようですが、31才でこの書をモノする・・・凄い!!!取り巻いた周囲の人間のレベルの高さをおもいますと、驚異的です。

Dscn4275


光明皇后、光明子。光かがやくように美しく利発だったといいます。ご存じ、聖武天皇の奥方です。仏教に深く帰依し、施薬院を作り、孤児や病人を世話した。病人のうみを、自ら吸い取ったといわれ、これ以上慈悲深い方はいないと、ももりもどこかで聞いていました。今までの知識では、どちらかと言うと神経質で気の弱い夫、聖武、対するに、おしかけ女房のこの強い奥方。尻の下に敷かれていた???イメージでしたが、この書を見ると常人ではありません。天才!!!しかも、非常に強靭な、粘着質な、あるいは強靭すぎる???意志を感じます。その、夫の死に際しては、「これらを見ているとつらく悲しくて、耐えられないから、遺愛に品々を東大寺の献納する」と書き添えています。それらの品々を収めたのが正倉院というのです。

 しかし、一方、彼女は皇族以外から皇后になった、それまでとはちがう出自です。臣下であった藤原不比等の孫娘です。母親は県犬養美千代(あがたのいぬかいのみちよ、後の橘三千代)。皇族以外の血、藤原の血が持ち込まれました。聖武天皇の母親、宮子も、不比等の娘ですから、血は非常に濃いのです。この光明子の皇后位には強力な反対者がありました。長屋王です。長屋王は天武の息子、奥方は天智の娘です。皇位に一番近い存在であった長屋王は、突然の謀反の疑いでうむをいわさず詰問され、2日後に自害します。4人の息子も奥方も自害して果てました。そ・・し・・て・・・10年後・・・不比等の息子4人・・・次々に疱瘡でなくなりました。

 光明皇后と聖武天皇の間に11年目にしてやっと生まれた待望の第一王子、基王(名前もひょっとしたら某・・・なにがし王であったかも???)は、1歳にもみたぬ間になくなり、皇太子は娘、安倍内親王に.、後の孝謙女帝です。聖武が死んだ時はすでに、もう、この一人娘が皇位についていましたが、母娘して自分たちの身近に権力を引き付け、権力もたせたのが、藤原仲麻呂・・・・サインを見てください。この男、やがて自分の押した天皇、淳仁天皇から恵美押勝という名前をもらいます。この男が正倉院遺物の謎を握るキーポイントの人物・・・というのが、「正倉院の謎」の主張するところです。

 聖武天皇は、奈良の都から信楽宮、  恭仁宮、難波津の宮をさまよう歩くこと5年。あげくの果てに、再び奈良に大仏を造ることを実行しました。さまよう間に天皇の玉璽・・・天皇の認め印、権力の象徴・・・がどこに保持されていたのか???聖武天皇の命令によって。、信楽宮にでかけた皇位を継ぐべき安積親王のなぞの死、17才・・・聖武の一生は、実は藤原氏との戦いの生涯・・・というのが、「聖武天皇」中西進です。
 尻にしかれてた天皇様なんて、ももりは不敬罪ですよね。

 

Dscn4278

 結局、民衆の大変な負担の上に大仏は完成し、全国に、国分寺、国分尼寺がつくられました。


 ♪♪♪   そとは 木枯らし きたの風
 さあさ みなさん なつかしい
 おとぎ話の  冬がきた  ♪♪♪

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年1月29日 (日)

いつ???誰が???

 
 ちょっと、人様に読んでもらうにはトンがった中味ですが、自分のためにメモします。
どうぞ・・・興味のないお方は、どうぞ、スルー・・・・スルー・・・してくださいませ。

Dscn4274


 どうですか・・・・しっかり「大小王真蹟書一巻」とあるでしょう???大小王とは、王羲之と王献之父子のことです。その後ろには・・・先帝之玩好遺在・・・とあります。先帝が愛玩してたというのですね。下は左端・・王羲之・・・・の文字が見えます。

>Dscn4272

 二十才代から書道をやって来て、なんで今まで・・・と、悔しい思いをしているのが、こういう文書を読んでみようとしなかったこと。残りの人生では時間がたりない大きなテーマが目の前に広がった感じです。


 むつかしいですけど、上の写真は東大寺献物帳5巻のうち、国歌珍宝帳とよばれる記録です。こうはっきり記録に残されているのですから、王羲之の真蹟は日本に確かにあったでしょう。日付まで「天平宝字6月1日」とあり、光明皇后の「奕世の伝珍」・・・・と書きこみがあり、藤原の署名、サイン入りです。他に、王羲之書法20巻、屏風、歐陽詢の真蹟とかもあったといいます。


 しかし・・・この正倉院に献納された、お宝の数々は、書だけでは勿論ない。政権の象徴である天皇玉璽から駅鈴、他に膨大な武器も一切収められた、そのうらには、とんでもない謀略が渦巻いていた・・・というのが「正倉院の謎」の主張です。
 読めばよむほどナットクーー!!!

 つまり・・・大仏開眼をまたずになくなった聖武天皇が、5年間にわたって、紫香楽に大仏を造ろうと民衆を狩りだし、その後、恭仁宮、難波宮へとさまよい、病を発して平城宮に戻ったあいだの政治のみだれ、民衆の苦難。叛乱もおこりました。そして、聖武天皇の死後の混沌とともに、表舞台に躍り出たのが、藤原仲麻呂・・・のちの恵美押勝・・・・しっかりとサインがあります。

Dscn4273


 聖武の跡をついだ孝謙女帝の側近として権力簒奪をはかり・・・しかし・・・女帝の寵愛は、やがて道教にうつり・・・果ては、叛乱・・・敗死・・・・・・当分、ドキドキが続きそうです。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年1月25日 (水)

久しぶり  ゾッコンな本「正倉院の謎」

 ご存じ、奈良の正倉院。世界遺産。奈良の都に唐王朝の文化をもたらした、聖武天皇と光明皇后の天平時代。聖武天皇の死後77日に、なき天皇の遺愛の品を光明皇后が、追善供養とて、東大寺に寄進したお宝、絶品の数々を収めたお倉です。 


P1070297

 ちょっとオカターイ本ですが、そっりゃあ!!!お・も・し・ろ・い!!!

 以前アップした「書と漢字」魚住和晃をよんでいまして、「あれれ???」と思ったこと。それは正倉院の宝物、元は700点以上あったのが、現在は百数十点に減っているというのです。天皇の勅許が無ければ持ちだせないおタカラを持ちだして、返さなかったヤツがいっぱいいる。一体!!!???どこのドイツが???

 P1070299

 正倉院・・そもそも、正倉院というのは、一つの建物ではなく、正倉、薬倉、油倉、経蔵とか、いくつかあって「院」とは、境内のことといいます。
 正倉院の宝物は、聖武天皇が死に(756年5月)、悲しみの光明皇后が、生前の天皇が身近において愛した品々を77忌に東大寺に奉納したおたからから始まります。同年、6月21日に一回目、2年後の7月、6月、10月と続いて、その数、700点以上あった、というのです。奉られた品々にはキチンと目録があり、「東大寺献物帳」(国歌珍宝帳)が、見事な筆跡で記録しています。その中には、もう、本家中国にはとっくになくなり、日本に何点も残った王羲之の書があった・・・といいます。

 ももりは、これでも、20才代から書道を続けてきた人間です。改めて、聖武天皇や光明皇后のお書きになった遺品を見ますと、本当にその力に驚きます。しかも、30才代で書かれたものといいますから、書いた本人も凄いですが、指導した取り巻きのレベルが凄いにちがいない!!!

 これらの書や遺品から、天平から平安への当時の精神風景が生き生きと伝わります。唐帝国がもっとも栄えた時代、日本と唐を行き来した知識人たちは、最高級の文化や学問、芸術を日本にもちこみ、日本人も必死に学んだという時代です。


 


それを・・・なんとも安易に持ち出して、ある時は安く売り払い、またはどうしたのか、ネコババして???返さなかった者が凄く多いというのです。中でも、書の絶品をなくしてしまった張本人は、嵯峨天皇!!!というじゃありませんか。・嵯峨天皇といえば京都の人間にはとてもしたしいお方です。奥嵯峨には御陵があり、ももりも何度もお会いに行った天皇様です


 嵯峨天皇、平安の三筆、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)とならぶ三筆の一人で、超一級の書の書き手として名を残した人ですが・・・このズボラさは、許せなぁーい!!!


夢中になる本が身のまわりにないときって・・・何ともうつろでさびしいです。多少依存症の傾向あり。この2~3日、寒さがこたえたのか久しぶりにダウン。3日程食べずに寝ていましたら、何とか、昨夜はビールをのみたくなり、ちょっと食べたくもなってきました。やっぱり、ももりはビールを飲んで、プールに行ってなくっちゃ・・・ね。


 もうちょっと書きたいけど・・・書くのも読むのもむつかしい!!!一番右の大きな本は父が所蔵していた本。ほとんどかえりみることなく本棚に死蔵してたのをひっぱりだして観察。すごい!!!それにしても、56才でなくなった父のレベルには到底至らないわが身のフ・・ト・・ク・・・

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2017年1月24日 (火)

可愛いお仲間

 サッムーイお外ですが・・・窓からこんなお客様が来てるのが見えます。雀よりはちょっと小さいみたいで、目の周りが白いから・・・メジロ???さん???

P1070300


P1070304

 

  ホラ  向こうにもう一羽見えてます。


P1070305


 仲良く 二羽並んでおやつタイム。 こんなせまっ苦しい中京ですのに、よおくいらっしゃいました。

P1070309


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年1月12日 (木)

おカアさん おばちゃん おばあちゃん・・

 穏やかなお正月でした。家族もそれぞれの日常に戻りました。


新年は頑張ってプールへ。
「おカアさん ようがんばるなあ!!!」って声をかけてくれたのがイケメンのおっちゃん。お隣の上級者用コースでよく見かける方です。 これがぁあ・・・もし「おばちゃん・・・」とか、勿論「おばさん」「おばはん」とか、モッチロン!!!「おばあちゃん」ならいややねえ。「おカアさん」ならいいっか???生んだ覚えはないけどね。「アリガトネ」


 お誕生日。ももり、76才。お習字の生徒さん二人姉弟、5年生と3年生からこんなかわいいプレゼントをいただきました。えりまきとストッキング。やっぱり、モダン!!!今風!!!感覚が違うってのか、ももりの身の周りのダサイのとは、まるでセンスがちがうのよねえ。うれしい!!!アリガトね。
 

P1070289

 先日、スーパーで前の人から、ハラハラと・・・???あれ・れ???5000円札じゃないの!!!
「だれかぁ!!!大きなお金落としましたよ」
 前にいた二人が何やらゴチョゴチョ。え・え・え・・???ケンカしないでよ!!!
小柄な男性とスラッとした長身のべっぴんさんの女性・・・この二人、カップルだったらしく「メッチャ ア・リ・ガ・ト」って穏やかにいきました。よかった、よかった!!!
 下は今読んでる本です。


P1070290


| | コメント (10) | トラックバック (0)

2017年1月 2日 (月)

あけまして

Dscn2056


 新年が 皆さまのすばらしい年でありますように 祈っております。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

« 2016年12月 | トップページ | 2017年2月 »