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2016年12月20日 (火)

当麻寺と中将姫

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 折口信夫「死者の書」難解と言われるお話ですが、ももりは理解しようとは思わないなあ。イメージを温めながら、この一風変わった文章を味わう、なぞる・・・・歴史の背景に空想を飛躍させたいものです。

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中将姫とよばれたやんごとなき姫君・・かの皇極女帝の目の前で蘇我入鹿を殺した若き中大兄皇子と藤原鎌足。その鎌足を曾祖父にもつ、さとくうるわしい女性です。天性の政治家、藤原不比等は祖父、その長男、豊成の娘がこの物語の芯になる、中将姫・・・


 大和、葛城の里にそびえる二上山、雄岳、女岳の真ん中に夕日が沈むのは春分秋分の日とか。二上山雄岳の頂上に大津の皇子の御陵があると聞いて、ももりが一人、二上山に皇子に会いにのぼったのはいつだっけ???、当時、大津皇子にあこがれて、一人で登りにいきました。あの山はけっこう、キツイ。今の足ではもう無理です。


 
 深窓に育てられた高貴な中将姫は二上山にあらわれた大津皇子の霊にまみえ、誰にもみとがめられることなく、一人、この当麻の地へと出奔します。かの昔、非業の死をとげた大津の皇子の魂が・・・死者がよみがえる時・・・・



 
 

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 国宝「当麻曼荼羅」は天平宝字7年(763)、中将姫が蓮糸を5色に染め上げ、綴れ織りで織り上げたといわれています。

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コメント

そうですね、お経を理解しようとせず音魂に身を委ねるように、物語の調べの中に身を置いて浸る方が味わいが深いかもしれません。 物語の舞台へも足を延ばされていらっしゃるので尚更です。 私はシンクロしてしまう性質なので、ちょっと危ないかしら。

丁度新聞であの曼荼羅が絹織物と判明したとの記事を読んだ処でした。 それならば復元品? 元々は蓮糸で織られたのだと信じたいです。

投稿: 山桜 | 2016年12月23日 (金) 16時46分

こんばんは~♪ヽ(´ー`)ノ
  http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/4398_14220.html

 ここで読み始めました^^

投稿: すみとも | 2016年12月22日 (木) 20時58分

当麻寺へは何度も行かれたでしょう。二上山へは小学校の時の遠足でした。登山もマラソンも嫌いです。(笑い)
わが家から東南東へ1.5kmあたりに中将姫が産湯をつかったとされる場所があります。
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage999.htm
前は通りますが中は知りません。

投稿: kazuyoo60 | 2016年12月20日 (火) 18時49分

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