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2016年12月27日 (火)

中島敦「父から子への南洋便り」

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「死者の書」の中島敦が、これは又、まるでちがった一面をみせます。彼は、南洋・・・サイパン、グアム、ロタ島などに太平洋戦争開戦の直前に派遣されますが、健康不安により帰国。南洋からせっせと妻と幼い二人の息子に送った手紙集が「父から子への南洋便り」です。
 



 これは、心洗われる一冊でした。中島敦、33才にて逝った若き天才。「李陵」「山月記」は随分前に読んでいまして、本棚から又引っぱりだしました。もう一度ゆっくり読み直しましょう。


 原文は、現地人のことを「土人」と呼んだり、「日本海軍は強いなあ」と飛行機の絵ハガキに書きそえたりしていて、戦後、出版がばかられたものとみられ、まとまって未発表で残っていた、とありました。全く、差別用語なんて・・・誰が考え出したのやら????妙にへりつくをこじつけて言葉を曲解して、多感で多彩な表現の邪魔しています。



 やっと文字が読めるようになった息子に、懇切に南国の食べ物や景色を伝えています。妻へもせっせと、実に筆マメです。中々教育パパで、そろそろ音楽を聞かせないと、とか、文字が読めるようになった兄ばっかりではかわいそうと、弟にも書いています。


 東大卒のエリートの中島敦の任務は、現地の教科書の実情と改善のため・・・のハズですが、彼は教科書うんぬんには、もはや絶望していると書いています。
 いばりちらしている日本人教育者におじけづく子供たち。はだしで食べ物にも困る子供たちには、教科書の改善どころか、もっともっと必要なものがいっぱいある・・・・と、妻に吐露しています。下スケッチは、先日植物園の温室にて


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コメント

大型の4発飛行艇が、南洋航路に就航していました
乗員乗客の乗れる民間飛行艇でした 銀色の翼の
主翼が胴体から離れたパラソル式という国産の
美しい機体でした。南方の島に駐留した日本の兵隊さん
整備兵は現地の子供たちに日本の童謡を教えた?
歌っているのを、覚えたのかもしれません。

投稿: あきみず | 2016年12月27日 (火) 19時20分

まずは、ひもじさからの解放後に教育でしょう。怖がらせては、善悪を教えても受け入れられないと思います。
戦争で、生産人口が減って、指導者となって下さったはずの方が逝ってしまわれました。上下、どれほどの損か、馬鹿な戦争を始めた人を憎みます。
温かな温室の中の珍しい花、蘭の仲間は一番高度に進化してると聞きます。

投稿: kazuyoo60 | 2016年12月27日 (火) 16時16分

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