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2016年12月29日 (木)

古代ギリシャ展 神戸市立博物館

 暮れも押し詰まっていますが、やっぱり外が好き。昨日は映画「海賊と呼ばれた男」をみてきましたし、今日もマタマタ・・・・相棒を送り出してすぐに神戸へ。3時には帰っていなくてはなりません。
 実にすごい展覧会でした。地味な展示ですが、内容は濃い!!!これだけのものをよく日本へもってきてくれました。


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 ギリシャ文明の最盛期、あのパルテノン神殿が建てられたのは、実に紀元前500年代。しかし、それよりも3000年も前に栄えたミノア文明。クレタ島です。どうしてもこの島を訪ねたいとクレタ島を訪ねたのは6年年前。まだ元気でまるまる太っています。

 

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 スケッチは朝のクレタ島。イラクリオン考古学博物館こそ・・・世界で最高の博物館と信じます。小さな地方の美術館ですが、5000年も前の人間達の健やかさ、豊かさ、あふれる健康美、文化。日本ではまだ石器時代でしょうか。エーゲ海を船で縦横無尽にのりまわした海洋民族は、やがてギリシャ本土からやってきた青銅器や鉄の武器をもつミュケナイ人に滅ぼされました。

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 明日はもう少し、ももりのうんちくを・・・いえいえ・・・夢の世界をつぶやきたいなあ。
今年、食いしん坊の次男はもういないし、次男の家のおせちも必要ない。長男は大晦日に帰宅。2日にはお嫁さんの家に。釣りキチはできるだけ早く四国へ釣りに・・・今から気もそぞろです。
 二人だけのお正月には、たいしていらないしなあ!!!

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2016年12月27日 (火)

中島敦「父から子への南洋便り」

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「死者の書」の中島敦が、これは又、まるでちがった一面をみせます。彼は、南洋・・・サイパン、グアム、ロタ島などに太平洋戦争開戦の直前に派遣されますが、健康不安により帰国。南洋からせっせと妻と幼い二人の息子に送った手紙集が「父から子への南洋便り」です。
 



 これは、心洗われる一冊でした。中島敦、33才にて逝った若き天才。「李陵」「山月記」は随分前に読んでいまして、本棚から又引っぱりだしました。もう一度ゆっくり読み直しましょう。


 原文は、現地人のことを「土人」と呼んだり、「日本海軍は強いなあ」と飛行機の絵ハガキに書きそえたりしていて、戦後、出版がばかられたものとみられ、まとまって未発表で残っていた、とありました。全く、差別用語なんて・・・誰が考え出したのやら????妙にへりつくをこじつけて言葉を曲解して、多感で多彩な表現の邪魔しています。



 やっと文字が読めるようになった息子に、懇切に南国の食べ物や景色を伝えています。妻へもせっせと、実に筆マメです。中々教育パパで、そろそろ音楽を聞かせないと、とか、文字が読めるようになった兄ばっかりではかわいそうと、弟にも書いています。


 東大卒のエリートの中島敦の任務は、現地の教科書の実情と改善のため・・・のハズですが、彼は教科書うんぬんには、もはや絶望していると書いています。
 いばりちらしている日本人教育者におじけづく子供たち。はだしで食べ物にも困る子供たちには、教科書の改善どころか、もっともっと必要なものがいっぱいある・・・・と、妻に吐露しています。下スケッチは、先日植物園の温室にて


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2016年12月24日 (土)

大津皇子が死の瞬に感じたこと

原文のまま・・・・其瞬間、肉体と一つに、己の心は、急に締めあげられるような刹那を通った気がした。そうして、ほんの暫らく、ふーっとそう考えたきりで・・・・空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も去った・・・・おれ自分すら、おれが何だかちっとも決(わか)らぬのものになってしまったのだ。
  ああ、其時きり、おれ自身、このおれをわすれてしまって・・・・折口信夫「死者の書」より(原文のまま)



 人が死ぬ瞬間,、命があの世へと移る瞬間を描いた文学を、ももりは他に知りません。
折口信夫は33才で妻と二人の子を残して喘息の発作でなくなりますが、苦しい発作をくりかえし、何度も死と遭遇したのでしょうか・・・死とは…一体、本人にとっては、どんな感覚でやってくるものか???

 ももりの次男は、今年2月26日、突然に死にました。心臓が急に動かなくなったらしい。苦しんだ後もないちょっと笑ったような口元には少し歯がのぞいていました。
 息子が死の瞬間、どんなことを感じ、何を思ったのでしょうか???お嫁さんのこと???ちょっとはももりのことも???

 急に締めあげられるような刹那を通った・・・・のでしょうか???


 「死者の書」が描く、この死のあるじは、大津の皇子。かの持統女帝に死を賜った・・・さ・あ・あ・・・打ち首なのでしょうね。もっとも死を給うのは、殺されるよりは名誉ある死だったというから???あまり考えたくない話です。


 春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香久山

  
 どうですか!!!この実に堂々たるおおらかなお歌・・・あまりにも有名な持統女帝のこのお歌からは、自分の息子、草壁皇子を後継にするために、無実???事実か???罪によって死を命ずる激しさも秘めているのですねえ。しかも、みずからの同腹の姉と、あれほど愛した夫のあいだに生まれた甥です。


 優秀で人望も高かった大津皇子のお歌は万葉集につとに有名です。その弟をいたむ姉のお歌も肺腑をえぐります。ここでは、もう説明はやめましょう。
 その二上山・・・・奈良と河内の県境です。


 スケッチは京都…船岡山   ちょうど京都の町をお多福さんの顔になぞらえたら・・・おたやんの低い鼻・・・標高102メートル

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 下は嵯峨野、野々宮神社・・・もう観光客も少ない・・・・冬です。


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2016年12月20日 (火)

当麻寺と中将姫

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 折口信夫「死者の書」難解と言われるお話ですが、ももりは理解しようとは思わないなあ。イメージを温めながら、この一風変わった文章を味わう、なぞる・・・・歴史の背景に空想を飛躍させたいものです。

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中将姫とよばれたやんごとなき姫君・・かの皇極女帝の目の前で蘇我入鹿を殺した若き中大兄皇子と藤原鎌足。その鎌足を曾祖父にもつ、さとくうるわしい女性です。天性の政治家、藤原不比等は祖父、その長男、豊成の娘がこの物語の芯になる、中将姫・・・


 大和、葛城の里にそびえる二上山、雄岳、女岳の真ん中に夕日が沈むのは春分秋分の日とか。二上山雄岳の頂上に大津の皇子の御陵があると聞いて、ももりが一人、二上山に皇子に会いにのぼったのはいつだっけ???、当時、大津皇子にあこがれて、一人で登りにいきました。あの山はけっこう、キツイ。今の足ではもう無理です。


 
 深窓に育てられた高貴な中将姫は二上山にあらわれた大津皇子の霊にまみえ、誰にもみとがめられることなく、一人、この当麻の地へと出奔します。かの昔、非業の死をとげた大津の皇子の魂が・・・死者がよみがえる時・・・・



 
 

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 国宝「当麻曼荼羅」は天平宝字7年(763)、中将姫が蓮糸を5色に染め上げ、綴れ織りで織り上げたといわれています。

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2016年12月14日 (水)

今年の漢字  「耐」

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 大掃除・・と、いうか・・・たたみを新しくするついでに、本棚の整理。百科事典をゴミにだしました。なんとなく罪悪感。「ごめんね」時代がすっかりかわりました。今では、パソコンでポイッ!!!


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 上の4冊は、先日あっというまに読了。すごい!!!素晴らしかった!!!今日は朝から冬の雨。もうスケッチブックを持って出かけという楽しみもムリ。冬ごもりですかねえ。

 新しく借りてきた本。これが・・・・すっきりしない本ばかり。本依存症みたいなももりですのに、うれしい本がないと・・・干だるいような感じ。何日か食べてない時みたいに魂に力が入りません。


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 高峰秀子さん・・・これは一晩で読了。以前ハマったこともあって、スンナリ。次は「死者の書」折口忍・・・これは・・・難解です。じーっくり、とりくまなくっちゃムリみたい。


火曜日はプールも図書館もなし。たたみ屋も来る。外は冷たい雨。林扶美子でも読みましょう、とゴロゴロ。これが良くなかった!!!「パリの恋」林扶美子の日記です。


  林扶美子「パリの恋」・・・・実に、うっとおしい!!!も・お・お・・・・イヤッ、と思いながら、読んでいますが、こちらもウツになりそう。「放浪記」で入ったお金を懐に、単身パリへ。しかし・・・日々の生活はたちまちひっぱく。「書かなくっちゃ、書かなくっちゃ。金のため、金のため」脅迫観念のように、文を書き、満足できないながら日本へ送ります。友人たちとの交流も決して楽しいものではない。イヤナヤツ・・・という言葉がひんぱんに出て来ます。誤字だらけ

 


 夜、眠れないままに読み継ぎます。隣室はしつっこく相棒がTVでなんかスポーツの実況を見てる。耳の底にこびりつくようにとぎれなくつづくTVの音。消そうと起き上がってコントローラーをさがしますが、どうしても見つかりません。も・お・お・・・・キーッ!!!
 え???ここはどこ???パリ???はっと目が覚めて、ここは中京のわが家でした。目がさえてしまって、又読み継ぎます。そういう朝は目覚めからぐったり疲れています。
  眠ってる時の方が起きてる時よりくたびれるなんて・・・こ・れ・は・・・つらいなあ!!!


 ももりが一番うれしくフカフカしてられる時は、なんといっても、スケッチをして歩きまわれる時。さ・あ・あ・・・これから・・・次の桜の時まで・・・・う・う・・・・今年の漢字は「耐」です。

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2016年12月 9日 (金)

シンムケゲムケゲコ・・・

のめりこめる本がない時の寂しさは・・・なんとも・・・たよりない。 


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本来、あまり宗教的でないももりですが、次男が死んでから般若心経をあげています。勿論、訳はわからないんです。 ふと、立松和平「仏と自然」が目に留まり、借りてきました。仏教の解説書らしい。他の3冊のエッセー集は簡単に読みましたが、どうも好きにはなれない感じ。なんか・・・・聞きなれたお説教みたい。自己肯定というか・・・自己撞着っていうか???安易な感じ。一方、般若心経は全然わかりません。仏教の奥義なんて、ももりの脳ミソにはむり???
 それまで読みふけっていたボナッティーや、植村直美、野口健(これらはアップし忘れて図書館に返却してしまいましたが)・・・命がけの冒険、激しい生命の充足。生と死との一瞬を分ける理性と強固な意志。許してはくれない過酷な自然、しかし、その美しさ、神々しさ!!!感動します。その緊迫感が強すぎたからか???


 シンムケゲムケゲコ・・・って・・・ッタクー・・・なんの意味やろ???

 人間だけの命が大切なわけではない・・・そう思っています。
結局・・・今、ももりたちの暮らしって、結構修行かもしれないなあ。相棒は病気をうけとめて、我慢強くおだやかにしています。と、いうか・・・最近穏やかになってきました。結構激しかったようでしたけど。一方、ももり・・・一日の休みもなく3食を枕元に運び・・・イエイエ、デイケアーの日は昼食はいらない・・・でも、本当に大変になるのはもっと先???逃げることはできず、日々の無事を感謝して平穏に過ごします。これって、禁欲的な修行生活じゃあない???

  


  1年、3500円で無料の市バスのパスを使ってフラフラ。相棒がデイケアの日は3時には帰宅。在宅の日は昼食後。短い時間ですが小マメに出歩きました。相棒はもうあまり出たがりません。「行っといで」って言います。いない方が気楽らしい。


 今日はもう冬の風。スケッチがいっぱいできた幸せな秋でした!!!。冬の間は、又、プール。セッセと泳ぎましょう。やがて、又、めぐってくる春!!!京都の桜は、そりゃあ!!!すばらしいんですから。

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2016年12月 6日 (火)

吉田山登山 標高105,12メートル

 紅葉もそろそろ終わり。お外を歩きまわりスケッチをするにはちょっと寒い。でも、キラキラきらめく陽光を見れば外に出ずにはいられまんせん。ということで、今日は又々・・・吉田山へ。標高は、たかが105,12メートル。京都大学の裏山です。山頂からは大文字が真正面。登ってる人も見えます。

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 有名な三高(現京都大学)寮歌がひとりでにでてきます。人影もない落ち葉道。。不思議なことに登りは案外平気です。下りが・・・ねえ。


 
♪♪♪紅もゆる 岡の花
 さみどりにおう きしのいろ
 みやこ花に うそぶけば
 月こそかかれ  吉田山♪♪♪


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 一人だけ、この学校へ受かってくれた子がいます。一生の内で一番うれしかった日やったなあ!!!

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2016年12月 3日 (土)

ぶっ飛んでた江戸時代の女流画家 玉蘭

 この日も又、フラフラ。相棒をデイケアーに送り出してフラフラ。無料パスで「真如堂」下車。いつもは正門から入っていましたが、今回は裏門から。急な階段を登ります。

 真如堂をゆっくり拝観して、人けのない墓地をのーんびり。もう、足がダメで、急ぐこともできませんから、お墓の方が近道。おや??おンや???

 「おンや????」草仮名で「池玉蘭の者可」とあるような???「へ???あの玉蘭のお墓???」
 玉蘭はたしか・・・池大雅と共に住んで、祇園石段下で絵を売ってたという奔放な女流の文人画家のはず。でも・・・江戸時代でも亭主の姓を上につけるのかしら???それにぃ・・・ひとりぼっちで、道端に石碑が傾いてあるのはやっぱりお墓???ちょっと疑問に思って、スケッチもせず、帰宅してパソコンに聞きますと、やっぱり「池玉蘭」でバッチリ出てきました。

 玉蘭、池玉蘭(1727~1784)祖母、母ともに、歌人。池大雅29才、玉蘭25才で結婚。祇園石段下に扇子屋をひらき、絵を売った・・・とあります。「亭主の墓になんか入るもんか」と言ってたとか・・・いつか何かで読んだ覚えがあります。亭主の池大雅も旅が大好き。家はほったらかして遊んでた・・・というか・・・当時って、行く先々で豪農とか、商人の家とかお寺とかに泊まって一宿一飯のお礼は絵で残した・・と言う時代だったようで、旅先の各地で絵を残しています。ある意味、庶民にも豊かな文化に手が届く時代やったんやねえ。真如堂の墓地に、亭主と離れてほおむられてる。噂にたがわぬ、しっかり独立した女性やったんやなあ!!!、

 

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 ひっそりした境内は、紅葉は少しさかりをすぎて、でも、まだ十分に美しいです。
もう一つ。面白い石碑をみつけました
 

 
 「多天可波さ九朗」・・・草かなで、「たてかわさくら」です。

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 横の解説板によりますと、春日局が、父、斎藤利三の供養のために植えた桜で、幹は1メートルほどもあったが枯れて、今のは新しく植えられた木だとあります。春日局はおなじみ、徳川3代家光の乳母。父、斎藤利三は明智光秀の重臣。山崎の合戦で秀吉に敗れ、近江堅田で斬首。母親は稲葉一鉄。
 楷書や篆書で書かれた墓碑は、見過ごしてしまいますが、かな文字のお墓となると、ついつい読もうとおもいます。ええもんやなあ。

 

  これはこれは・・・・楽しいなあ!!!もう海外も、国内旅行すらできなくなったももりですが、京都中京に住まう限り、ほとんどお金も使わずに、楽しみは無限にありそうです<

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