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2016年10月23日 (日)

偉大なる先達

 


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 先日、老大家、松永暘石先生のご葬儀に久しぶりに大阪へ。先生の膝下をはなれ、もう20年ほどもなります。なつかしい!!!フルーイお仲間との再会・・・とてもうれしかったです。

 思えば・・・・奥山に迷い込むように、未だに道を探し続け、迷い続けている書の道ですが・・・もう・・・何人もの先生に先立たれました。
 


 まずは・・・田中香雲   私の父です。日展作家でしたが、私が27才の時に亡くなりました。なくなる6年前、胃癌ということで、「後・・・5年は大丈夫やろ」って言われました。それまで絵を描いていた自分から180度転換。改めて書を見つめますと・・・・これが…すごい!!!
 たまたま、当時は、NYの、いわゆるコンテンポラリー絵画が鬱勃とおこって来る時期で、絵として書をみると・・・これぞ!!!まさしく・・・・アート・・・白黒だけですべてを表す・・・アートにみえたものです。


 父は27才の時になくなりました。、すぐ、父の師でいらした谷邊橘南先生のもとへ。谷邊先生は、戦時中、園部のももりの母の実家の2階に疎開しておられまして、ホンの幼い私をよくご存じでしたせいか、いつも、おかしな生き物をみるようなお顔でクスクスクスクス笑っておられたものです。奥様にも、大変可愛がっていただきました。谷邊橘南先生は、当時は日比野吾鳳と並ぶトップクラスの大家です。

 5年ほどお習いする間に、私も二人子供を授かりました。谷邊橘南先生は中風で倒れられて、お稽古がお休みになりました。そのころ「仮名だけではどうしても書道はわからない。根本の漢字にもっとせまりたい」と切望しておりました。谷邊橘南が出しておられる「書窗誌」の漢字部門には、毎号、小坂奇石先生が漢字手本を揮毫されていたのです。早速行きたかったのですが、丁度、3男も生まれ、あまりにややこしく、「しばらく休もう」と腰をおろして、6か月。


 相棒が「エエ加減に再開セナあかんのとちがうか」ということで、誰の紹介もなく、初めて新京極、錦のお天神さんをたずねました。父の元で書いていた臨書を何点か見せましたら、小坂奇石先生は、「誰になろた???」ってお聞きになりましたので、私は、谷辺先生のお名前を出すのは、はばかられましたので、「田中香雲という人です」と答えました。そしたら、「ああ、京展で大賞取ったセンセやなあ」と言われた方がおられまして、その場で、入門がかないました。
 


 それからは、もう、あけても暮れても書ばかり。小坂奇石先生は、京都、錦のお天神さんに、月、一度いらしてまして、キラ星の如く居並ぶ、日展作家の高弟たちに囲まれて、先生の前に。大きな硯が2面。墨を2時間ばかりするのが私の役目になりました。なんと・・・なんと・・・えがたい貴重な時間であったことでしょう。目の前を先生の息づかい、筆が走り、打ち込み、躍動するのです。


 谷邊橘南先生はお亡くなりになりましたが書道界は残り、漢字とかなの二足のわらじで、ひたすら勉強に励む毎日でした。幼い息子たちが眠るのを待って、臨書。明け方の空があじさいい色に染まるころまで、勉強したものです。

 その内、小坂奇石先生の膝下から独立したいと、三谷治山先生と松永暘石先生が、お二人で一派をたてられることになり、どちらにも師事し続けたかったのですが「どうしてもどちらかを選べ」ということで、泣く泣く小坂奇石先生の元を離れました。やがて、小坂奇石先生も鬼籍にはいられ、三谷治山先生ともお別れの時がやってきました。

 どうしても書の良さがわからないと、どれほど悩んだことでしょう。でも、「あの父が、あれほど言ってた。書ほど素晴らしいものはない!!!」という言葉を信じて60年。今日、真実、書道の素晴らしさに浸っております。


 長期にわたって、私のもとに通って下さる生徒さんたち!!!この方々への感謝を書かずにはいられません。教えるということ、次々とわき起こる疑問点・・・何とか答えたいと・・・・それが私の独学でした。この方々がいらっしゃらなかったら、私はもう、書をやめてしまっていたかもしれません。そして、先生がずーっと生きてらしたら、自分一人で調べものをすることも、もっともっと少なかったにちがいありません。

 書道展で競うということはもう止めて久しいです。先生のお手本をマネしたり、会場で競うようなものでもないとも思えましたから・・・そのくせ・・・・絵の出品は、今もつづけてるんですから・・・勝手ですよねえ。スケッチは先日の植物園

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コメント

kazuyoo様  そう・・・先生ばかりが超一流。不肖弟子は気が多く、旅行が大好き。本の世界で遊ぶというオキラクぶり。は・は・は・・・でも・・・信じられないほどの凄い先生方とお出会いだったんですよお。書道の弟子っ、師匠のこと、案外、深く知り合えるような気がしてるんですけど。


あきみず様   アスリート・・・残念ながら運動神経には恵まれなくて・・・何しろ気が多くで旅が大好き。お金もその方に使いましたから・・・まあ・・・何度生き直しても、私は一流にはならないでしょうね。


山桜様   お・お・お・・・そんなことがあるんですねえ。ま・あ・あ・・・・は・は・は・・・こんなヨボヨボした私自身より、元気なあなたが会われた方がよっぽどいいですから。田部井淳子さんもなくなられました。今井通子さんのご健康を祈るばかりです。あ・あ・あ・・・・スイスへ・・行きたいなあ!!!又、本借りてきます。

投稿: 山口ももり | 2016年10月24日 (月) 08時49分

ももりさ~ん、今日、今井通子先生にお会い出来、万一の可能性を考え、ももりさんが今井先生への思いを綴られたこのブログの記事をプリントして持参していたファイルを直接お渡しすることが出来ました! ももりさんが大大ファンで遠く京都より応援されていらっしゃることも申し添えました。 ももりさんが熱望されていることに背中を押されて、特攻?する勇気を奮い立たせて実行してしまいました。 今でも自分のしたことが本当の事だったのか信じられない気持ちです。

今井先生は、流石に懐深く穏やかに突然の珍入者を受け止めて下さり、感激でした。 舞い上がってしまったのと、お邪魔になってはいけないという気持ちとで、ロクにお話は出来ませんでしたけれど、ももりさんの事をお伝え出来ただけで本望です。

ももりさんの書の生徒さん方の片隅にも身を置くのが恥ずかしい私ですけれど、不思議なご縁でももりさんと今井先生の接点を取り持つことが出来たのなら、嬉しく思います。

投稿: 山桜 | 2016年10月23日 (日) 22時02分

書と絵画とどちらも努力されたのでしょう 
持って生まれた素質もありますが いい先生と
それだけの弛まない精進があってこその
アスリート?のようです。

投稿: あきみず | 2016年10月23日 (日) 13時47分

小さいころのももり様をご存じ、その頃と直ぐには繋がらなかったのでしょうね。
お父様の影響が大としても、次々の巨匠にお出会いなさって、ご自身も極められたのですね。
書も絵も高い位置で楽しまれる、努力の賜物とはいえ、誰もが通れる道ではありません。

投稿: kazuyoo60 | 2016年10月23日 (日) 11時43分

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