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2015年11月27日 (金)

古代の系図、その行間からたちのぼる妖気???

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 作家って凄い!!!あらたに出会ったのが、小石房子氏


 「巫女王斉明」「天照らす持統」読了。面白い!!!


 天智、天武は舒明天皇と皇極の子供・・・というのは皆みなが信じています・・・ところが、ところがぁ・・・事実ではない・・・といいます。皇極は実は百済の王、武の娘・・・・皇極は重祚して斉明女帝になりますが、実は・・・・そして、天武は高向玄理・・・高向王の子で二人は百済や長安で暮らしたこともある・・・と飛躍します。だぁかぁらぁ・・・斉明女帝は亡びゆく百済に執着し、百済救済に乗り出す・・・という筋書きです。


 そもそも・・・「日本書記」は天武の命により編纂が始まり、天武死後、遅々として進まなかった。自分が今、天皇家の王で、この国は、天より天下った王家が営々と受け継いできた・・・由緒正しい家系であるということを宣言するための書物である・・・・当時の、国際社会、唐、韓や他の国々に主張できる根拠にするための本という気宇壮大なもの・・・・でも・・・だぁかぁらぁ・・・当然、誇張やウソもあるよねえ。


 そもそも系図ってヤツ、単純に信ずるのはバカなことです。ももりも、本家に系図があると聞いて、一度見てみたいとは思ったのですが、その系図が藤原鎌足から始まっていると聞いて、途端に興味はうせました。「いいかげんせえよ」って感じです。


 日本書記、古事記の行間によみとれる不審な空気・・・そこを小説にして空想をふくらませるなんて、楽しいにちがいないなあ!!!ももりもいっちょ!!!

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2015年11月25日 (水)

京都東山・・・・南禅寺

 またまた・・・相棒を送り出してから、ママチャリで・・・・せっかくの秋!!!紅葉の古都なんですもの。今日は、東へ・・・・南禅寺にやってきました。観光客はかなり。でも落ち着いて拝観できました。


 下は金地院。ご存知徳川家康の黒幕にして策士、黒衣の宰相と呼ばれた金地院崇伝が、家康の死後、東照宮をまつったお寺。もともとは足利義持が創立したとあります。


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 もう一院。ここは天授庵


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 帰り道、たまたま見つけた古い水力発電所。大正3年建設、日本初めての事業用水力発電なんですって。京都には、まだまだ見知らぬスケッチポイントがありそうです。


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2015年11月21日 (土)

西行が棲んだ小倉山荘・・・厭離庵

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 お天気は快晴。あ・あ・あ・・・・どこか行きたい!!!
相棒が「行って来たらええやん。だーれも行くなって言うたことないでえ」
「そやねえ・・・でも・・・・」
「よこで、うなうな言われてるより、いいひんほうが気楽でええわ」ですって・・・サ


 ええい!!!どこへ行こうか。来たバスに乗りこみました。ところがこれはひどい失敗・・・嵐山を通るので観光客でいっぱい。ちっとも前へすすみません。 結局、一時間かけて嵯峨、釈迦堂下車。


 ぽこぽこ歩いて厭離庵。手前の藤原為家卿のお墓へ。ふかふかした苔がと密生した竹藪の中の小道が、やっぱり嵯峨野!!!出て来てよかった。ここは観光客も少なくひっそり。ももりは嵯峨野のお寺の中で、ここが一番好きかも。


 もう、はやお昼。ゆっくり「天ざる」待ち時間に厭離庵のパンフレットを読んで驚きました。
実は、ここ厭離庵こそは、西行が百人一首を編んだ山荘なんですって。何度も来ていながら、知らなかったなあ!!!下は茶室「時雨亭」

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 その後、嵯峨野を北上。念仏寺を通り越して鳥居本へ。


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 そのあと、思い切って落合いまで歩きました。六丁峠をこえて、3・6キロを1時間10分。ここ、落合いは、清滝川と保津川の合流点で、二つの川はもう少し先で桂川となります。
 膝は案外いける。しかし、落合いから清滝までは、何度も歩いた道なのに・もう、怖い!!たよりない足は登山靴をはいていないから川沿いの石ころ道は足首が心配。あ・あ・あ・・・・・もう、2度とは、来れへんなあ。今生の見納め、歩き納めやなあ・・・滑りそう


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 やっと清滝川にかかる真っ赤な猿渡橋が見えた時はホッ。3時間のハイキングでした。

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 「あ・あ・あ・またまた帰りのバスが一時間!!!相棒死んでへんやろか???」帰宅は3時半。
無事でした。やれやれ・・・・

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2015年11月19日 (木)

♪♪♪  やりたいこと すきなように 自由にできる夢

♪♪♪ 朝の空を見上げて 今日という一日が
 笑顔でいられるように  そっと  お願いした
 時には 雨もふって 涙もあふれるけど・・・・♪♪♪


 ♪♪♪・・・・思いとおりにならない日は あした がんばろう
 ずっと見ている夢は 私がもう一人いて
 やりたいこと すきなように 自由にできる夢
 人生は 紙ひこうき 願いのせて とんでいくの 
 風の中を 力のかぎり・・・さああ 心のままに♪♪♪・・・・
 

 あささん!!!がんばってぇ!!!応援しています。


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  スケッチは、先日歩いた嵯峨、JR花園駅から5分「法金剛院」人影もまばらで静か。でも、由緒、格式一流で、おすすめです。そこから妙心寺へフラフラ・・・・・この日、紅葉は今しばし・・・

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2015年11月18日 (水)

古代への旅

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 「日御子 ひみこ」帚木蓬生  読み終えました。
変わった小説です。文学以外では表現できない世界です。やさしい語り口で、歴史以前の九州と漢、韓との交流を描いていきます。語り部は・・・まあ・・・通訳とでもいいましょうか、あずみの一族。はるかむかしに北からやってきた一族。まだ日本に独自の文字のない時代の語り部が、一族で語り継いできた倭国の歴史です。

 下は「韓委奴国王」(かんのわのなの国王)・・・ご存じ、志賀島から発見された金印です。その中の「奴」の文字は実は「那」(九州にあったな国)であったのを、奴隷の意味を持つ「奴」に代えられてしまった・・・・あずみ一族の無念の思いを代々つたえていきます。1784年(天明4年)博多湾口の志賀島から発見された実在の「韓委奴国王」金印。中国側の記録では、後漢の中元2年、57年にあたるそうです。

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 戦乱の世が続き、やまたい国に卑弥呼があらわれて、平和がきます。「親魏倭王」の肩書を魏の国王からもらった邪馬台国は、しかし、卑弥呼の死と共に、たちまち、又乱れ、「登与」が女王位についてやっとおちつきます。そのあたりは魏志倭人伝に書かれて、史実かどうかにぎやかなところです。

 下、写真は何度目かのおつとめですが、吉野ヶ里遺跡で卑弥呼時代の人達とももり。


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 相棒病んで、もう遠い国への旅は望めません。でも、久しぶりに、旅!!!遠い古代への旅を楽しみました。作家の、深い知識と空想力に脱帽・・・文学って、やっぱりすごい!!!

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2015年11月16日 (月)

日本水彩京都支部小品展  「復活」

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 展覧会は明日から。
はや、もう・・・1年半・・・手術以来、展覧会出品は続けてきました。なんとか、気力をふるい起こそうと・・・描いてはみても、結局、自分の絵も病気そのもので何ともいやらしい。見るのもいや!!結局、過去の描きそんじ・・・ももりは一枚の出品のために何枚か描いていたものですから、日の目をみなかった絵は結構たくさんあるのです。


 上は「復活」今回、病後はじめて「これで出しとこか」と思う絵を描きましたから・・・タイトルは「復活」・・・クシュン


 でも、お仲間は、みんな素晴らしい絵をだされますので、お近くへいらしたらゼヒゼヒ。

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2015年11月15日 (日)

京都 もみじたより

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嵐山、渡月橋です。相棒をデイケアーに送り出してママチャリでやってきました。紅葉は未だ少し・・・

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  渡月橋を渡って桂川・・・・幼かった釣りキチとよくボートに乗ったなあ。クレープを買って・・・ね


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 上、松尾大社・・・ここは磐座(いわくら)がご神体という。古い神社です。奥山に本物のご神体の大岩があるそうです。二人以上でないと入山できないとのことです。結構きつい登りだそうで、若い日に登っておくべきやったなあ


下は猿田彦神社・・・このあたりは若いころ、ちょっと仕事でウロウロしたことがあるのですけど・・・もうすっかり変わってしまっています。古代の神々が今もひっそりといます。


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 下は「蚕の社」ここは3本足の鳥居で有名です。人影もまばらで鳥の声がふるようにひびきわたります。こんな市内の喧噪のなかに古代のままの森があって神います感じが深い!!!・・・いいなあ!!!
 このあと、車折神社へ、回りましたが、そちらは、なんか・・・有難くない感じでした。


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 ももり自身は遠いところへは行きにくくなったのですが、マメにチョコチョコと近場の秋をうろつこうと思っています。
先日「琳派」を国立博物館へ見に行ったのですが、ものすごい人、人、人。特に、京都駅ではバス乗り場の長い行列は、最後がどこかわからないくらい、整理もできていなくて、京都に住む人間として・・・ホント・・・申し訳なさでいっぱいです。せっかく遠いところからお出ましいただいて・・・申し訳ないです。おすすめはしないなああ!!!

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2015年11月11日 (水)

私見 高松塚 ももり論

 古代史って古い学問のようですけど、今、実はとてもホットなんですねえ。「日本書記」も「古事記」も、なんぼ読んでも、どうにでも読めて、決定的なことは誰にもわからないんですから、学者、小説家、ジャーナリスト・・・その他、もろもろ・・・いいたい放題なんです。何冊か・・・大分たくさん読みましたけど・・・「ええい!!!こうなりゃ、ももりだって書いてやるぞ」って思うほど・・・はらふくるるわざ・・・です。


 例えば、かの大物哲学者、梅原猛も「高松塚は誰の墓か???」っていう本。「私本 高松塚」。これはまるで・あ・か・ん!!!下写真は「別冊太陽飛鳥」より


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 墓の主は・・・ももりから言えば、これは絶対、「永泰公主の墓」とか、唐か朝鮮半島の絵の入った墓を見てきた人物の「自分の墓はこのように造れ」って言う遺言のもとに、絵描きの工房が、何人もの画工を使って描かせたもの。つまり・・・渡来系の絵描き集団のボス・・・って言うのが・・・ももり論。それはだれか???ですって???は・は・は・・・それは、これからこれから・・・


 あの絵は描かせた人物が必ずいる。権力志向ではない。王や皇子の墓ではない!!!絵描きの墓!!!なあんてね。
 は・は・は・・・・・紅葉も進んだ飛鳥へでかけたい!!!


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 人気者、関根裕二もあかん。自分の主張にそう資料ばっかりをこじつけてムリがあるっ!!!井沢元彦もあかん!!!こじつけと弁解が多すぎる!!!黒岩十吾は品がない。

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 その中で、ゾッコン!!!十分な知識と才能、それになによりクリエイティヴで独創的!!!生身のおんなを描いて、虚と実を回転させてすごい!!!則天武后を識る持統女帝ならでは・・・これはももりイチオシ。
作家は坂東真砂子・・・・初めての出会いです。奈良女子大出身で、イタリアで建築とインテリアを学んだのですって・・・ぞっこん・でも・・・100パーセント信じないよ。

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2015年11月 2日 (月)

長岡京と中山修一先生

 京都に都を定めた桓武天皇。794年、なくよ うぐいす 平安京・・・の前10年間、長岡に都がおかれました。平城京と平安京に挟まれたわずか10年という短い造営ゆえに、仮の都、未完の都として「幻の都」と思われ、誰も興味を示しませんでした。


 この幻の長岡京が、意外や、東西4,2キロ、南北4,5キロの本格的な都であったことを明らかにされたのには、中山修一先生の存在を欠かすわけにはいきません。その「中山修一記念館」に、先日行ってきました。


 代々庄屋をつとめていた中山家は、戦後の農地解放でおおよその土地を手放すことになりました。しかし、この一区画だけは残したいと、今の土地に屋敷を建て、にわか百姓になりました。中山先生は、普段から、自分の土地であった田んぼのあぜ道がきれいな正方形を描いていることに注目し、「長岡京の条里の跡ではないか」と思っておられました。


 ある秋の日、稲刈りを終えた正方形の田んぼの一区画が、他と色が違うことに気がつきました。その一画だけが、水をふくんでじくじくしていたのです。その時、先生の頭にひらめいた一文がありました。長岡の都を京都に遷して1年ほどの後、「長岡左京三条一坊十丁を近衛府の蓮池にせよ」というお達しがあったことを思い出したのです。

 胸を躍らせて、足で実測。家に帰って、自分で作成した古い長岡京の想像図の上に自分の実測した部分を乗せてみますと・・・ピッタリ。長岡京の大通り、内極殿の位置がわかったのです。


 そのあとの生涯は、私財を投じて長岡京発掘にささげられました。今年、その生誕100年です。


下、スケッチは大原野神社。実は・・・相棒の出自である大原野石作り町は、古代、秦氏の集落であることは疑いようがありません。大原野神社には「はた」家と「さいとう」家のみが参加できる秘密の神事がある・・とは司馬遼太郎も書ていまして、どうしても一度大原野神社へ行ってみたいと思っていたのでした。石作町はそのほとんどが「はた」家で一軒だけがなぜか「山口」???は・は・は・・・相棒もいろいろ聞いてみたらしいのですがわからないとのことだったようです。

 拝観料も取らない小さな古びた神社は、拝観者にも興味がなさそうにしずまりかえっています。
「この神社に、はた家とさいとう家だけしか参加できない神事があると聞いていますが????」と聞きますと
「ああ お弓の神事ですね。終戦の年からやっていません」とのこと・・・・・あ・あ・あ・・・・・のぞいてみたかった!!!
ちなみに、中山先生の奥様は、大原野神社の娘さんとのことです。


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 下は乙訓寺・・・「乙訓」(おとくに)という地名は古事記には「弟くに」という名で登場します。やっぱり古い土地なんやねえ。


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