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2015年5月29日 (金)

カラス まるまる 太る町

ご存じ???京都・・・・そのⅠ 


「カラス まるまる 太る町」????烏丸丸太町を、まさか、こう読んでいらっしゃる方はいらっしゃいませんか??? 「からすま丸太町」・・丸太町通りは古い通りです。東は鹿ケ谷通り(ししがだに)から、西は釈迦堂大門町まで続く大通りですが1685年には、東は寺町よりにし(ひぐらし)通りまであったと記録があるそうです。


 平安京の一番東の端は寺町通りでした。今、一番賑やかな河原町通りは後世のもの・・・・河べりってのは、そもそも、新しく流れ込んだ流れものが住んだところ・・・・いつ水につかるかわからないし、戦争となれば一番に攻められる・・・・川原ものとか川原こじきとか・・・・あまりリッチなイメージはありません。東山通りも東大路通りも後世にできたものなんだそうです。


どうですか。お仲間の作品です。絵も書も・・・・いいなあ!!!すばらしい!!!


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 寺 ごこ 麩や とみ 柳 堺 高 合 東 車屋町
 烏 両替 室 衣・・・♪♪♪
京の町を東西にうたうとこうなります.
まだまだ続きますが・・・ももりの頭が続かない。


 寺町 御幸町 麩や町 柳の馬場(ばんば) 堺町 高倉 合の町 東洞院 車屋町  
 烏丸 両替町 室町 衣の棚・・・新町 釜座(かまんざ) 西小川 あぶら 醒ヶ井で 堀川のみず・・・・まつひぐらしにちえこういん


 新町 釜座(かまんざ) 大宮で・・♪♪

 南北は・・・・丸 竹 えびす 二 押し お池 姉 三 六角 蛸 錦 ♪♪
こちらはけっこう、ポピュラーですよね。でも、こんなのもあるんだそうです。


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2015年5月24日 (日)

美しいお嬢さん

 今日は、久しぶり。水彩会の人物画勉強会です。モデルは何とも美しく若いお嬢さん二人。


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 ももりは描くのが早いものですから、すぐに場所を移動します。反対側からのアングルがまたまた美しい。美しくて知的、若い大学生さんです。アメリカからとのことでした。一人はルイジアナから、もう一人はニューメキシコからですって・・・・あ・あ・あ・・・・旅心がうずくなあ・・・


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 絵を描く連中って美しいだけではたよりないとか言って・・・ヘンな、ゲージュチュテキな絵にしたがります。でもねえ。ももりは病気をへて、やっぱりきれいなものはよりきれいに描きたい・・・単純です。


 手術から、はや1年たちました。もう・・・このまま治りそう・・・・快調に過ごしています。
皆様、本当にご心配をおかけしました。心よりお礼もうしあげます。

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2015年5月20日 (水)

植物園にて

 先日来「栴檀」のことついて書きましたら、いろいろご教示くださる方がありまして、「これは何とかしなくっちゃ」。と、またまたママチャリで出かけました。家から植物園まで・・・けっこう遠いんです。でも入場料はタダ・・・は・は・は…運動だと思って・・ね。


 「コーヒーフロート」と「ゆで卵」を食べて一服。園内をさがしはじめました。たぁしぃかぁあ・・・このへんにあったはず。そこはかとなくかおりもただよっています。


  ありました!!!木には、のきしのぶやコケがびっしりついて、大した古木です。ちゃんと札で確かめました。やっぱり「栴檀」です。でも・・・「栴檀はふた葉よりかんばし」の栴檀はビャクダンのことなんだそうです。おうち科とも書いてありました。うすむらさきのかすみか雲か・・・・青空ととけあって何とも風雅な趣です。木が年くったのは、すごく魅力的やねえ。それに比べて人間のおいぼれは・・・・クシュン・・・

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このところ読んでいた本・・・凄い・・けど・・・もう・・・しんどい
何か…夢のあるほがらかな本が読みたい。うーっとりしたい


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2015年5月15日 (金)

閑話休題

 これということもなく、粛々と日々を送っています。

 間もなく、家をケアマネージャーさんが見に来てくれるそうです。手すりをどこに付け??ベッドをどこに置く???階段は???さ・あ・あ・・・・要介護Ⅲで、費用には補助があるそうです。


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 先日、車いすを押して散歩していた時のこと、五条の大通りを横断して、向こう岸???へ。ホンの4センチほどの段差が越えられません。車椅子には、先を上げる機能がついているにですが、新米の介護人は要領が悪くてタイミングが合わないのです。アッ・・・信号がっ!!!か・わ・る・・・・・!!!


 その時、バイクで停止していた若い男性がさっと降りて、かけつけてくれました。車椅子はなんなく歩道へ。横を歩いていた若いお嬢さんの二人連れが、「大丈夫ですか」ってかけつけてくれて・・・・も・お・お・・・感激!!!!
 「日本って、なんていい国!!!」


 信号から少し行くと、コンビニが、そこで新聞を買います。スタバではコーヒー。そこまでの途中の小さな疎水べりに、ちょっとかわった大木があり、あまり見かけないつぼみがいっぱいついているのに気づきました。

 「何の木やろ???ひょっとしてせんだん????」
グーッと回って花をみつけました。お・お・お・・・・なんていいかおり「クンクンクーン」犬ではありませんよ。
相棒は「わからへん」ですってサ。


 穏やかな日々も、病院のおかげです。これで、相棒が家に帰ってきたら???も・お・お・・・ももりは自信がありません。は・あ・あ・あ・・・

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2015年5月13日 (水)

三陸海岸大津波  吉村明

今朝も又、東北では地震・・・・お見舞い申し上げます。

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作家自身が歩き回っておさえた資料、聞きとりで構成した克明なレポートです。
 三陸海岸には過去に何度も大きな津波が押し寄せてきていました。その激甚なもの
   1896年(明治29年)死者2万人
   1933年(昭和8年)・・・・生存者にインタビューしていて、生々しい証言をえています。

「三陸海岸大津波」が発表されたのは1970年(昭和45年)。彼がなくなったのは2006年。そして、彼の死後、5年、2011年に東日本大災害が起こりました。彼が鳴らした警鐘は生かされなかったのです。

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2015年5月12日 (火)

関東大震災と三陸大津波 吉村明

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 今、吉村明「関東大地震」を読んでいます。この作家は徹底した資料の収集とその読みこみから始まるので有名ですが・・・いつ来るかわからない巨大地震。火山、地震、津波、台風…果ては竜巻と最近もTVの話題です。

 大正12年(1923)9月1日。何度もくり返した激震と余震。死者は20万人といわれます。


 何度もくり返す余震におびえ、公園内に避難した人々・・・誰が撮影したかわからない惨事の直前の写真が2葉。


 吉村は語ります。・・・そのひとつの写真には、荷物に腰をおろしている婦人たちの姿が映しだされている。前夜来の雨で地面には水がたまり、後ろ向きになった少女は裾をからげている。前面の左部には、嬰児を背負った和服姿の女性が立っているが、彼女たちの顔には、安全な場所に避難できた安らぎの表情が一様に浮かんでいる。  
 他の写真を目にした私は、思わず背筋の冷えるのを感じた。
 その写真には、「本所被服廠校内惨劇の一瞬前」として、9月1日午後2時ころ撮影と附記されている。
 写真には、人と家財に埋もれた構内が映し出されている。荷を高々と満載した大八車が随所にあり、その間隙に荷物と人がぎっしりと詰め込まれている。洋傘や番傘が所々に見え、その下で人々が陽光を避けて座っている。・・・・中略・・・・人々の顔に不安の表情は薄い。カンカン帽をあみだにかぶった男の顔は平静であり、食事をしているらしく手を口に近づけている中年婦人の顔も見える。
……大旋風が被覆廠跡を襲ったのは午後4時ころと推測されるが・・・・


 どうですか・・・地震そのものから無事に逃げた被災者がやがておこった火災で無残に死にました。熱風が渦をまき、あちこちへ移動しながら竜巻のように天に吹きあげたのです。神戸もそうでした。

 江戸時代にはすでに、荷物を持って逃げるのは罪、組長までが罪と、お触れが出たとあります。


 現代、各家庭には車があり、燃料満タンで、しかも引火性・・・逃げることなど不可能です。しかも、国の地震対策委員会の官僚たちは吉村氏の本を読んだ形跡もない・・・らしい。あまりにも無知・・・なんですって。オッソロシ

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2015年5月 9日 (土)

連休のひと日

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 連休の一日、相棒を病院から連れ出しました。連休の間はリハビリがないそうですので。


 丹波のお山の木々や雑草が気になるというのです。釣りキチが車を出してくれたのですが・・・・・

 車のバウンドが背骨にこたえる・・と言います。あれやこれや・・・・


 あ・あ・あ・・・・「やっぱり家が一番ええわ」って言ってくれるかと思ったのですが・・・
甘かった。やっぱプロの方が一番。マヒしたからだは重くて、とてもとても・・・・
 


先日、ある方のブログに書きこみましたわが句???川柳もどき


 いざとなりゃ  もっともっとと  ほしい金
 いつまで生きるのかわからないと考えると、もっとお金を残しておいたら良かったって思いますよ。いままで、遊びすぎました。

 遊びすぎ  いばって貧しく  死ぬつもり
 人知れず 貧しく死ぬのも かいしょなり

 曽野綾子さんは言ってました。老人の病は体の一部が死ぬ。それが徐々に隅々まで・・・・ですって。

 老いやまい 一部はすでに 死んでいる

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2015年5月 4日 (月)

大仏が造られた日々  松本清澄「眩人」

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 まだ、松本清澄「眩人」に引きずられています。それにしても・・・作家の膨大な資料を渉猟する力というのが小説よりも??凄い!!!

 唐から帰国した留学僧「玄昉」は 宮子皇大后の36年にわたる精神疾患を数日のうちに快癒させ、宮廷の奥深く入りこみます。麻薬をもふくむ西域の薬・・・・時の天皇聖武と夫人安宿媛(あすかべひめ)の信頼深く、政治の底部に入りこみます。安宿媛に「光明子」という名を進言する玄昉、光明皇后です。彼女を唐の女帝則天武后になぞらえ、政治を壟断させようと画策します。皇后に黄金の大仏を作ることを進言・・・下は光明皇后の写経。もっとも写経はももりの本から転載

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 黄金は火・・・ゾロアスター教、長安では祆教の秘儀に触れた玄昉は、光明子に大仏建立をすすめます。遠くペルシャに起こったオロアスター教・・・・
 ア・ア・ア・・・・ペルシャといえば、病気で入院、直前にキャンセルした旅です。ももりが入院した日、相棒は元気にペルシャに旅立ちましたっけ・・・・こういう話になるから行きたかったのよお。そのツアーにはゾロアスター教寺院観光も含まれていたのですよお・・・絵は小学6年生の社会教科書から


 日本の教科書って凄い!!!この絵の作者は誰???書かれていません

一方、下は夫、聖武天皇の書・・・これじゃあ・・・どう見ても、かかあ天下やわなあ!!!。


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 平城京を出て、恭仁京、信楽、難波、へと都は移ろいます。やがて、又、平城へと戻りますが。この落ち付かない、精神不安定な聖武天皇のそばにあって渦巻く権力。藤原仲麻呂、橘諸兄、吉備真備・・・その中ですすめられていく大仏建立

 やがて・・・主人公は失脚・・・そのわけは???黒子に徹した影の人物が・・・・
さ・あ・あ・・・もう少し・・・何とか読了できるでしょうか。

 ちなみに、今の奈良の大仏さんは、当時の大仏さんではありません。ここからは、ももり流お勉強。

 745年(天平15年10月15日)   聖武天皇、詔勅。 4日後に、信楽にて大仏を造るための寺地を伐り開きはじめる。松本清澄は信楽の陶土だ塑像を作るのに良いからだといっています。
 747年(天平19年9月29日)    大仏鋳造はじまる
 749年(天平勝宝元年10月14日) 鋳造終わり       
 752年(天平勝宝4年4月9日)   開眼供養

 しかぁし・・・歴史は無残!!!
 1180年(治承4年)   平重平の兵火で、頭部、両手を失う・・・重源によって勧進修補
 1567年(永禄10年)  松永弾正の兵火で、頭部が焼け落ちる。その後、木造の薄い銅板をはりつけた仮修理 のまま放置・・・
 1692年(元禄5年)   徳川家、竜松院公慶が・・・今私たちがみる大仏さんに治してくれたんですって。
 

 大仏に  草もちそなえ  かえりけり・・・って誰かが詠むんでたなあ  

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2015年5月 2日 (土)

泥縄式で絵

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東京の展覧会への出品をひかえ、どうも、絵を描く気になれなくて困ってっていましたが「エイヤッ」と引っ張り出して、「ガッシャー」と色をかけたら、不思議なことに気が満ちてきました。というわけで・・・こんなショーモナイ絵ですけど・・・・又、描けそうな・・・????ホント、うれしいです。


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 旅は当分、オアズケ・・・でも・・・だからこそ・・・心に残った残像を大切にして・・・なあんて、ネ


 「どれにしようかなぁ」

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