« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月21日 (金)

久しぶりの感動をありがとう・・・「小さいおうち」

Dscn0702_2

 最近、あまり映画を見て感動するということが無かったのですが・・・・良かった。しみじみと、うっとり、ほろり・・・

Dscn0703

 きれいですねえ。倍賞千恵子さん。主人公タキの、さ・・・あ・・あ・・80才くらいかなあ???を演じています。この老女にゾッコン。ももりが買って帰ったパンフレットによれば、倍賞さんとももりは同じ1941年生まれ。老け役メークはしないで地のまま演じたと書いています。しゃっきりしたインテリジェンス、上品でかざり気なく率直。堂々とした老女です。ももりもかくありたい。特に頭の白髪交じりなんか・・・・まるで同じ・・・
 下は若き日のタキ。彼女がカンヌで賞を取ったというのもうれしいです。役がらが女中で、ひたすら女主人や坊ちゃまのためにつくす。自分を主張することないこの地味な役柄が賞を取ったことが、この映画祭を信じられるものにしたと思います

Dscn0704


 それにしても予告編のハリウッド映画のイヤラシサよ。ガラガラガッシャーンと車を何台もこわし、地球滅亡と、これでもかこれでもかと破壊的で暴力的。よっぽど感性が鈍ってるのでしょうか。
 山田監督は、本当に映画作りが好きなんやねえ。これ見よがしのオタメゴカシもハッタリもない。怒張したところが全然ありません。上品で美しく、うっとり。久しぶりにホコホコとうれしく映画館をでました。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014年2月20日 (木)

真っ赤という色

 
Dscn0700

上は、ペルーの天野博物館でみたプレインカの織物。赤が素晴らしくきれいです。コチニールは貝殻から取れる赤色のもっとも古典的な絵の具ということは知っていました。今回「オアハカ日誌」に、その作り方が出ていましたから、チョット私的にメモ。

 スペイン人は、初めてコチニールを見て驚いた。旧大陸にはこんなに赤が濃く鮮やかで、早く染まり、色落ちせず、環境の変化にも強い染料はなかったのだ。コチニールは金や銀と共に、ノバ・イスパニアからの貴重な戦利品となり、実際、同じ重さで比較したら金よりも高価だった・・・乾燥したパウダー450グラムを作るのに、70000匹のコチニール貝殻虫をつかうそうだ。コチニール貝殻虫は(メスだけ使う)メキシコと中央あたりだけ生育する特定のサボテンにしかいない。…略
 ・・・・・庭にはウチワサボテンがきれいに植えられている。そこについている固くて白い蠟のようなカイガラムシの小さな繭、・・・少し鱗に似ている・・・をナイフ、あるいは爪でそぎとる。繭からカイガラムシを出して蠟をとりのぞきすり潰す…子供達がローラーですり潰している、どんどん細かい粉にしている・・・そのうちに濃いマゼンタやカルミン(カーマインか???ももり)になってくる。


 Dscn0697

 コチニールは有名な赤色の色素です。でも、こんな風に作るとは知りませんでした。…この粉の10パーセントはカルミン酸で、カルミン酸は、今ではかなり簡単に合成できるそうだ・・・・ですって。

Dscn0699


 人類が洞窟やお墓に絵を描くようになったのは古い。絵具はまさに英知の結晶やったんや!!!粗末に使ったらあかん!!!!なんだか感動してしまいました。

 ペルー、リマにある天野博物館は日本人、天野芳太郎博士の収蔵品を展示しています。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014年2月19日 (水)

南米から食べ物が入る前のヨーロッパ

Dscn0696

   「オアハカ日誌」から…征服者は、金や銀をほしがって、植民地の物を根こそぎ奪っていった・・・だが金や銀は彼らが持ち帰った本当の戦利品ではなかった。本当の戦利品は、侵略以前にはヨーロッパにはなかったタバコ、ジャガイモ、トマト、チョコレート、カボチャ、唐辛子、胡椒、トウモロコシ、そして、もちろんゴム、チューインガム、エキゾチックな幻覚剤、コチニール・・・・・

 南米から新しい食材が入る以前、小麦がとれない土地では、人類は飢えとの戦いが続いた、と、読んだことがあります。民族大移動も食糧危機が引き金になったんやろなあ。ドイツの食糧危機はジャガイモで救われたとか・・・・

 


 ジャガイモ、トマト、唐辛子なしでは・・・・イタリアンもフレンチもドイツ料理も・・・もちろんイギリス料理も成り立たないよねえ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2014年2月17日 (月)

遅ればせの新年会

Dscn0693


Dscn0694


 お・お・お・・・・食べるのとおしゃべりに夢中になってしまって、写真を撮るのを忘れました。京都、押小路麩屋町「ティアレ」にて、遅ればせながらの新年会。みんなの写真も忘れたし・・・それほど楽しかったということです。おいしかったですよお。


 少し前に、相棒と下見というか、下食べにいきました。今回の会費は2900円。ドリンクは別です。相棒と行ったときは、おすすめランチがポークでしたので1000円アップして牛に。1000円のちがいなら、お高い方がおすすめ、です。ももり的には・・ネ。お肉にはフォワグラがぽってり。おさかなはホタテで、かにのすり身がのってというのでしたから。スープもゴボウと松の実でした。今回はキノコのポタージュ。もちろん、それはそれでおいしかったのですよお。

 あ・あ・あ・・・来年は1000円アップして再度のごちそうとしましょう。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2014年2月16日 (日)

お・お・お・・・・なんてうれしい!!!

Dscn0692


  左、ももり書教室の小学2年生、チイちゃんがくれた手作りチョコレート  右、今、適齢期、花盛りのマユちゃんがくれた手作り。どうですか???桃里とサインいりですよ。食べるのもったいないなあ!!!きっととてもかわいいお嫁さんになるのですね・・・・なんてうれしいんでしょう

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年2月13日 (木)

チョコレートの日

  チョコレート・・・この魅力的な食べ物について面白い話をみつけました。
「オアハカ日誌」オリヴァー・サックス著(早川書房)によりますと・・・


Dscn0675

 アステカ王国最後の王、モクテスマは、泡のたったチョコレートを媚薬として一日に4、5杯のんでいたそうだ。モクテスマにいっぱいのチョコレートを振舞われたコルテスは、苦くて唐辛子の利いた飲み物にくらくらしたが、コップが純金でできていること、これならメキシコからいくらでも金を獲っていけそうだということに――そして、この苦い飲み物に甘味をくわえれば、ヨーロッパ中の人々を魅了し、スペインがその利益を独占できそうだということに気づくだけの頭は働いていたとつたえられる。最初の、カカオ・プランテーションはコルテス自身が考えたものだったらしい。

 コルテスがユカタン半島に上陸したのは、1451年。メキシコに繁栄していたアステカ王国を征服しようとたくらんだ。アステカに敵対する部族を味方に引き入れ、アステカの首都テノチティトランへ攻め寄せた。不幸なことに、アステカ王国には「部族の神がいつか海からやってくる。色が白い神が・・・」という言い伝えがあった。   


 穏やかにコルテスを迎え入れたモクテスマだったが、コルテスは王を宮殿に軟禁した。一方、コルテスのアステカ征服を聞いたキューバ総督が、功を横取りすべく兵を大挙してテノチティトランに押し寄せる。コルテスとアステカ帝国危うし。スペイン人を都に入れた王、モクテスマは人民の投げた石が当たって死に、あとを継いだ弟の王は、スペイン人の持ち込んだ天然痘にかかって死んだ。疫病神・・・まさしく、メキシコ人にとって、スペイン人は死の神であった。
 栄華を誇ったアステカ帝国は1521年、亡ぶ。金銀財宝はことごとく持ち去られ、敗れた住民はその後奴隷のように銀山や農場で酷使され、死に絶えた。男たちばかりだった征服者は女たちとの混血を速め、へき地以外のメキシコ原住民はほんの少しとなった。


 1650年代には、チョコレートハウスはヨーロッパ中に広まり、特にフランスの宮廷では媚薬として珍重された・・・とあります。


 「オアハカ日誌」から・・・カカオの木は光沢のある大きな葉をつけ、小さな花と紫がかった立派な実が幹から直接生える。実を割ると甘い白い果肉がある。この種は空気に触れると藤色や紫色になる。・・・おそらく何千年もかかって、種にも価値があることをメソアメリカ人は知った。実から種を取り出し、一週間ほど放置しておくと、発酵して渋みがやわらぐ。それを乾燥してローストすると、チョコレートの風味がでてくる。ローストされてこげ茶色になった豆は皮を取り除いてグラインダーにかけられると・・・究極の奇跡が起きる・・・摩擦でココアバターがとけて、チョコレートの濃い液体ができる。この液体は苦くてとても飲めたものではないが・・・・以下略・・・・
 コロンブスはその価値を知らずに、その種をイザベラ女王に持ち帰った。・・・カカオ豆4粒でウサギ、10粒で売春婦、100粒で奴隷が買えた・・・とあります。


 どうですか・・・明日はチョコレートの日・・・

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年2月10日 (月)

おもろいやつ

 何冊かのメキシコ関係の本を読んで、大分、メキシコ熱が高まってきました。改めて、メキシコの苦難の歴史をかいつまんでアップしましょう。 
   


Dscn0691


 メキシコが領土の52パーセントをアメリカに売り渡したのは1848年。当時、テキサスは独立国だったそうです。あらためて・・・・そう言えば・・・・たしか・・・西部劇に「リオ・グランデ」とか???映画があったよなあ。

Dscn0690


 「アラモ」はアメリカ側から描いた米墨(アメリカメキシコ)戦争。ご存じ、ジョン・ウエイン、リチャード・ウイドマーク・・・懐かしい!!!国境の砦に配属された男たちが、孤立無援でスペイン軍をむかえ全滅した。実話だそうです。このころ、まだ大砲に泥を詰めこんで使えなくしたり・・・まだまだ、武器が酷くなかった時代。戦争もこのころまでなら映画にもできるロマンがあるようです。

 相棒が持っているCDをみると、西部劇がたっくさん。今、仕事を完全にリタイヤし、西国33か所のお寺巡りが終わったと思ったら、最近は古代史に凝り始め、せっせと銅鐸や埴輪や古墳を見に出かけています。ウンウン・・・以前は西部劇だったから・・・・なんと、たくさんのCDが出てきました。これでも、整理してしまったと悔しがっています。 おもろいやっちゃなあ!!! 


| | コメント (5) | トラックバック (0)

2014年2月 7日 (金)

今城塚古墳 古代歴史館に行ってきました

Dscn0679


Dscn0680


Dscn0681

 澄み切った冬空の日、相棒おすすめの歴史資料館[「今城塚古代歴史館」にゆっくり行ってきました。
その日、天上大風。ものすごく冷めたい日でした。落ち葉が大蛇のように束になってくるくる回ってました。古代の神々の咆哮かとも思える烈風の中、継体天皇陵を歩き、暖かい資料館でホッ。ジオラマも丁寧に見てのおんびり。そのあと、埴輪を焼いた窯跡公園をたずね、番山古墳もたずねました。あまりの寒さにスケッチはなし。
 


 下はヨルダン、アンマンの「国立考古学博物館」で見た6500年前の人体彫刻。1メートルほどの力作ですよ。人間って、大昔から、す・ご・い!!!

Dscn0683


Dscn0688


| | コメント (8) | トラックバック (0)

2014年2月 6日 (木)

すっごく面白い!!!69才のチャレンジ 南米の旅500日

 69才で南米大陸放浪記・・・豪傑おばさんの紀行文です。


Dscn0674


 世の中に紀行文はたくさんあれど・・・・500日南米をさまよった69才は、この作者の他にはいないでしょう。うらやましい!!!もっとも、野人の息子さんとそのたくましいお嫁さんと一緒だからできた旅ではあります。アンデスの山の中で迷子になって、大木の根元で一夜をあかしたり、勿論、膝が痛んだり、歯がぬけたりもする。さ・あ・あ・・???下痢の話はなかったなあ。ももりが野性的な旅を怖がるようになったのは、何度かの酷い下痢の経験のせいです。シルクロード、ペルー、エジプト・・・ひどく苦しみました。だぁかぁらぁ・・・もう自分には限界と思ってあきらめて、今では、優しいパックツアーにばっかり行っています。



 この豪傑おばさんの息子さんというのが、そもそも凄い豪傑!!!・・・これまで、アメリカ、ヨーロッパはもとより、インド、中東、アフリカ、南米となにが目的なのか、そもそも目的があるのかないのか、20年近くも世界を旅してる・・・日本にいる間、二つも三つもかけ持ちで仕事をし、ひたすらお金をためる。稼いだお金をもってまた、数年の間、外国へと旅立つ・・・・

 圧巻は24泊のテントを担いでのチリへの旅。いえいえこの息子夫婦の荷物です。おばさんは、自分の着替えだけ、しまいにはそれも息子が持ってくれるのですが・・・ももりも、10日近くのテント持ちの山歩きは体験しています。それは凄い荷物です。

 この旅で、おばさんは二人から遅れ、道に迷ってしまいます。
・・・風は相変わらず強く吹き荒れ、私は何回も達磨さんのように転がった。・・・疲れと強風によろよろしながら林の中へ入った。よつんばいになって進んで行ったが、もう歩けない、とうとう体力の限界だ。私は大きな木の根元に座り込んでしまった。根元にごろごろしている枯れ枝をやっとのことで払いのけ、どうにか座る場所を作った。おしりが痛いが、もう私の力では動かすことができない。・・・ふと、山の下の方に懐中電灯のようなあかりが見えた。浩たちだ・・・・叫びながらその光を見ていたら、それがどういうわけか、どんどん大きくなって空にあがっていくではないか。満月だったのだ・・・夜が更けてきた。寒い・・・・いつの間にか真っ暗になっている。まもなく雨が降り始めた・・・さあ…どうしようと考えていたら雨はすぐに上がってしまい、今度は満点の星。・・・風はおさまらず、寒さがますます厳しくなってきた。私はリュックサックに顔をうずめて目をつむった・・・少しねむったようだ。・・・目が覚めたら少し元気が出てきた。・・・湖に近い高い場所にたどり着き。飛ばされないように大きな石につかまって待った・・・きっと来てくれると信じて・・・・・・・・よかった。本当に、よかった。心配して、夜中探していた息子夫婦に見つけてもらいます。

 


 作家は開拓農地の八人兄弟の長女。生涯を給食のおばさんとしてひたすら働いた庶民の一人です。ア・ア・ア・・・・・冒険とは遠い年になってしまった???でも、次の旅が今のももり楽しみです。


 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2014年2月 4日 (火)

台所は手渡せない

Hapusu_549


Hapusu_547

Hapusu_546

 朝早く、何やら台所でこそこそ・・・やがて、釣りキチが「朝ごはんできたでえ」って呼んでくれました。な・な・なんと・・・今、家にいる釣りキチが、朝食を整えてくれました。目玉焼きにおみそ汁。おいしかったですよお。おいしいわあ。なんてうれしい!!!」


 次の朝、分厚いベーコンとハムエッグ・・・おいしくいただきました。
ところがところが・・・3日目ともなると
「今日はおもち焼いて食べるから、もお、ええわあ」人に作ってもらうってのはやっぱり、なんかぴったりしないんです。



 実家の母は、よく食べ物のことをぐちっていました。お嫁さんに台所を任せてしまったからです。そういえば・・・わが家の姑も常に不満で不満で・・・今では、家にいる相棒の食事作りも本当にシンドイことです。


 初めて、ハタと気がつきました。自分が食べたいものをそれぞれ作って食べたらええやん。
さ・あ・あ・・・今晩はお好み焼き。各自が自分のだけ焼きます。釣りキチは豚とタコ。相棒は牛です。そして・・・ももりは餅チーズ・・・おいしかったですよお。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »