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2013年10月30日 (水)

そんなことしてる場合か!!!モデナにて

 ブログには時系列にはしていませんが、やっと、時系列に整理して北イタリアの旅をホームページにアップしました。といっても、どうしてもアップできない写真が一つ。それはその内に・・その内に・・・左の「山口ももりのホームページ」からお入りください


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 今回行きたかった中世の町、モデナ
さ・あ・あ・・・見学です。外側をスケッチ。その時、あ・ら・ら・・・・こんな行列が・・・

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 行列なんかスケッチしてる場合じゃなかった!!!ここは、ももりが見たかった中世の貴重な教会遺産の中世都市です。 モデナ大聖堂は1099年に建築がはじまりました。ルネサンスよりはるかに古い、正しく中世の建物であり内部彫刻もともに絶品!!!これ見たかった!!!
 建築当時のトスカーナの女伯マチルダは、「カノッサの屈辱」1077年の際、カノッサ城主として、教皇と皇帝の中を取り持った人です。

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 初めてリンゴを食べたアダムとそそのかしたイヴ。その顔がいかにもおもしろい!!!く/strong>


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 上は射殺されるカイン。右端はノアの箱舟。上部は地球の裏側に住むアンティポデス・・・だから逆さって???でも地球が丸いって知るのはもっと後じゃないの???


「カノッサの屈辱」は、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒが、ローマ教皇が勝手に自分の意に沿わない教会人事を断行するのに抵抗。ドイツ諸侯をかたらって抵抗しはじめたため、ローマ法王は破門を宣告。何しろ、当時、教会から破門されると、生きても死んでもキリスト教の保護は受けられず、地獄へ墜ちる
 ハインリヒは、ドイツからアルプスの峠を越えてイタリアへ。教皇は北イタリア、ロンバルディア平原に近い山の上、カノッサという城にこもり会おうとしない。1月25日のことだという。北イタリアの山岳地帯はそっりゃあ寒い。皇帝は三日三晩立ちつくして許しを乞うた・・・とか・・・結局ローマ法王が勝ったわけですが、これは真偽はあやしいらしい。
 しかし、ともかく神の名において武力を持たないバチカンが支配したというのがヨーロッパ。日本人には理解しにくいところです。


 カノッサは現在は廃城らしくて、Yahooで見る限りでは今回の旅のパルマとフェラーラの間あたりらしい。廃城でもいいから行ってみたいなあ・・・城跡っていいもんですよねえ。

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2013年10月29日 (火)

今日から四明展

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 今日から四明展   寺町三条上がる「ギャラリー カト」11月三日まで。
        11:00~18:00最終日17時


 自分の展覧会の絵をアップするのは久しぶりです。最近、なんだか人に見られるのが苦痛で・・・・
でも、今回のはクレタ島のミノス文明に憧れて帰国直後に描いたもの。大分…前やけどぉ・・・

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2013年10月28日 (月)

シモネッタとジュリアーノ

 美しい人の名前はシモネッタ。ボッティチェルリが描いています。

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上は「ヴィーナスの誕生」のヴィーナス。シモネッタがモデルと言われています。そういえば、ボッティチェルリの描く女性像はみんなこの顔です。

 彼女の名は、はシモネッタ・カッターネオ。1459年にポルト・ヴェーネレで生まれ、1476年に亡くなりました。はかなくも17才。今回ポルト・ヴェーネレを訪ねました。ポルト・ヴェーネレはリグリア海岸の5つの小さな村、チンクエ・テッレの村の一つです。


 彼女はボッティチェルリの絵の中で永遠に生きます。「春」の中では花を振りまく女神、「ヴィーナスの誕生」では、海のあわから生れ出るヴィーナスに、「アポロンとヴィーナス」もモデルは彼女といいます。


 わが故郷は海のほとり
 かの荒々しいリグーリア
 誇り高き海神ネプチューンの
 大いなる岩のかなたに・・・・・詩人ポリツィアーノのうたった港です。

 美しき青春も
 とどむすべなし
 愉しみてあれ 
 明日を知らねば


 こちらはジュリアーノの兄、イル・マニフィコがシモネッタの墓誌銘に残した詩です。メディチ家の兄弟にかくも愛されたシモネッタとは・・・・

 シモネッタは16才で、フィレンツェの名家にポルト・ヴェーネレから嫁ぎました。
当時、お祭りの最高の催しは馬術試合。その競技の優勝者に勝利の女神として花かんむりを与えるのが、騎士が身を焦がして仕えるという女性、中世的な騎士道の世界では人妻であっても、何ら問題ない。


 勝利者はジュリアーノ。フィレンツェ真っ盛りのメディチ家の、音に聞こえた、イル・マニフィコとジュリアーノの兄弟。その弟のジュリアーノに花冠を与えた16才の花嫁シモネッタ・・・・想像するだに美しいですよねえ。


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 上はジュリアーノ。兄のイル・マニフィコは7月のイタリア旅行でデスマスクをアップしました。ジュリアーノは、この後、競争相手のパッツィ家の陰謀で、花の聖母教会でミサの最中に襲われ死にます。25才。


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2013年10月25日 (金)

美貌の女傑  イタリア編

 「カタリーナが来ますよ」と言えば泣き叫ぶ子も黙るという、「カタリ-ナ・スフォルツァ伯爵婦人」


 ミラノからリミニへ、まっすぐに通ずるローマ時代の街道、エミーリア街道があります。その街道沿いに点々と面白い逸話を残した町々があります。今回の話はフォルリ。すぐ近くのボローニャまでは行ったのですが・・・残念。ボローニャからは北上しました。


 カタリーナ・スフォルツァの夫、リアーリオ伯の家来が謀反を起こした。1488年4月。夕食をとってくつろいでいたリアーリオ伯爵は殺され、6人の子供達と婦人は襲われた。頑強に抵抗したが、抵抗に欲情を刺激された賊徒は、衣服をはがし犯す。子供達は連れ去られ自らも監禁された。殺された夫は城の窓から投げ落とされ、引きずりまわされた。


 彼女は騒動の寸前に、実家のミラノのスフォルツァ家とボローニャに助けを求めることを家来に命じる。謀反者たちはミラノからの援軍が来ないうちに城塞を明け渡させようとあせったが、彼女はたらふく食べ、たらふくワインをあおり、交渉には応じない。城門の前に子供達が縄を打たれて連れてこられ、槍がつきつけられた。胸壁の上に立った伯爵夫人は、傲然と顔を上げ、パッとスカートのすそをまくり上げ、裸の股をさらして叫んだ。
 「バカ者どもが・・・・子供なんか、ここからまだいくらでも生めることがわからないのか」
あっけにとられている謀反者たちの上に砲弾が落下し始め、彼らは慌てて退散した。この逸話はマッキャベリが書いて大変有名になったといいます。


 カタリーナはあっけないほどの思いきりの良さで暗殺者たちの周辺の女子供を許した。

 彼女が「泣く子も黙らせる」というほどの残忍さを見せるのは、その後、彼女が恋をしてから。彼女は8歳も年下の小姓、まだ18才のジャコモ・フェアに恋をする。フォルリの城主、彼女の息子はまだ10才、母親のカタリーナが摂政として君臨していたのだが、再婚すればリアーリオ伯爵夫人としての相続権を失う。しかし、ジャコモにすっかり入れ込んでしまっていたカタリーナは1490年に秘密に結婚する。
 若いジャコモはカタリーナの愛をよいことに、ことごとに横柄な態度を見せつけるようになった。これに反発したのが重臣たち、ジャコモ暗殺の計画がねられ、決行された。1495年1月。



 狩りの獲物に満足したジャコモとカタリーナが意気揚々と城門にさしかかった。カタリーナと二人の子供がわたり終え、ジャコモが渡ろうとした瞬間、暗殺者はジャコモを刺殺。ジャコモは死んだ24才。


 彼女は再び恋をする。1496年、フィレンツェから大使として現れた29才の美貌の男、メディチ家のジョヴァンニ。今回はメディチ家が名門でありすぎることが彼女の恋の邪魔になった。彼女の国、フォルリと同盟するミラノやヴェネツィア共和国がフィレンツェと敵対していたからである。しかし、結婚。
 この恋は早々に終わる。ジョバンニは1498年、戦場の傷が元で死んでしまった。たった2年間の恋。彼女はまだ35才だった。翌年にはチェーザレ・ボルジアがカタリーナの治めるイーモラとフォルリに攻め寄せる。彼女は阿修羅のように戦ったが、しょせん、敵ではなかった。

 カタリーナはローマに送られ投獄されたが、その後、釈放され、その後は、最後の夫、ジョヴァンニの国、フィレンツェで静かな信仰生活を送り46才で死んだという。


 どうですか・・・・美しいこの地にこんな激しい時代があったのでした!!!下スケッチはボローニャ


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2013年10月23日 (水)

あ・あ・あ・・・・・360度のドロミテ山塊

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 ボルドイ峠からケーブルで展望台に上りました。も・お・お・・・・・感動です。
山はお天気次第。今回、快晴そして・・・無風。でも、西側展望台は手がちぎれそうに冷たかったです。


 あ・あ・あ・・・・名前くらいは覚えたいものですが・・・とてもとても・・・

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2013年10月22日 (火)

北イタリア・・・素晴らしい自然!!!

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 ドロミテ山塊は、2度目です。以前の旅、突然の自転車レースということで通行止め。今回、あまりの素晴らしさに息をのみました。


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 北イタリアを、フランス国境からオーストリア国境近くまで、アルプスと中世の都市めぐりの旅・・・素晴らしい旅でした。


 もう、こんな雪の山道を歩くとは思いもしなかったももりですが、アウロンソ小屋からトレチメ山を目の前に見る標高2545hの峠まで往復2時間が持ち時間です。標高差は110メートルということ・・・・膝はイマイチ、足も弱ってしまっていますが、みんなの後を、行けるところまで行こうと、ゆっくりゆっくり歩きはじめました。みるみる遅れていきます。
 そのうち、あ・ら・ら・・・・霧がすっかり晴れて、トレチメ山が黄金色に輝いているじゃありませんか。岩の上で一枚スケッチ。これでよけい遅れました。ええやんか!!!
 結局、峠まではたどり着けず、下りにも人より時間がかかること思って引き返しました。相棒は・・・えっ・らっ・いっ!!!上まで登りましたよ。ももりよりも3つも年長です。結局、それでも、「9/10くらいまでは行ったやろ」ということでした。


 このイタリアのアルプス、ドロミテ山塊は、昔、海の底だったんですって。アンモナイトや貝の化石が岩に露出しています。上は、ガイド氏の説明を聞くお仲間、真ん中はトレチメ山、下は二つの山小屋

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2013年10月 8日 (火)

ルネサンスの時代 3部作

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 塩野七生さんの三部作です。そこそこ読み終えました、彼女は言っています「この作品の主人公は時代そのもの。登場人物や時代背景は実在したもの。主人公は創作と言うことです。


 ももりがママチャリで美術館から帰る途中、寄らずに素通りできない古本屋があります。例によって本棚をながめていると・・・ありました。塩野七生さんの三部作。以前、紹介されて「読みたいなあ」と思いましたが図書館にはなく・・そのうちに忘れていましたが・・・なんと、一冊200円・・・×3で600円でゲット。

 さ・あ・あ・・・・明日の今頃は・・・♪♪♪♪


 今夜、台風とかけっこで出発します。ヨーイ・ドーン!!!
しばらくブログお休みします。

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2013年10月 2日 (水)

わかりにくいペテロの後継者

 イタリアの歴史・・・ややこしい・・・自分のために書いています。興味のないお方は、どうぞ、素通りしてくださいませ・・・ね。


 ローマ法王…あるいは教皇って、一体なんやろ???ももりにはヌエみたいな存在に見えます。つまり・・・あっちにつき、こっちにつき・・・正体不明なのに、いつの間にか絶大な権力をふるってる・・・キリスト教、ペトロの跡継ぎという立場だけで、荒けない、群雄割拠の傭兵隊長や領主をマインドコントロールした・・・・それができたっていう宗教の不思議・・・これは日本人、ももりには実にわかりにくい。


 10世紀ころから18世紀のころまでのドラマに出てくる、ローマ法王、つまり教皇という存在が不可思議です。。教皇と王、または皇帝・・・この両者の対立に、民衆はずーっと、さんざん苦しめられるわけですが・・・そもそもこの皇帝って誰のこと???東ローマ帝国の皇帝???フランス王???それとも神聖ローマ帝国皇帝(ま・あ・あ・ドイツの皇帝)???それがぁ・・・どれもが皇帝らしい。こういう疑問がわく時、独学って限界ですねえ。


 7世紀から8世紀、ローマは東ローマ帝国の一部でした。もちろん法王より皇帝の方が強かった。しかし、ローマはランゴバルド族の侵略にさらされて、フランク王国に助けを求めます。ビザンチン(イスタンブール)の東ローマ帝国皇帝よりはるかに近いし、頼りがいがある。フランク王国の宰相ピピンが王を廃して自分が王になろうとした時、教皇に国王廃止の是非をたずねる・・・・「してやったり・・・・」と教皇は思った??かどうか???
「国王に適さないものが国王であるより、適任者がなるべき」と答えたとか・・・なんで、そんなこと聞くの???
 753年、ランゴバルド再度襲来。フランク王ピピンはローマを守ることを約束。そしてランゴバルドを平らげます。そして、ランゴバルドに占領されていた領土をローマ教皇に返還します。東ローマ帝国皇帝は当然抗議します。だって、寄進した領土はもともと東ローマ帝国の土地なのですから。しかし、800年、カールはローマ法王の前に膝を屈して王冠を頭にのせてもらいます。


 これが・・・・ももりにはわからないのよねえ。
ナポレオンは自分の戴冠式の時、法王が王冠に手を伸ばす直前に、自分で自分の頭に王冠を戴せたって言うじゃないの。「お前の力で、ここまで勝ったんやない。自分でかちとった王冠やでえ」っていうんです。

 その後、東ローマ帝国が亡びるのは1453(一夜開ければゴミになり)・・・それまでは東ローマ帝国の国王はいたはずですが・・・そこが西洋史の面白いところなんでしょうか。「西ローマ帝国を再現した王」としてカール大帝はローマ法王から王冠をかぶせてもらったのです。つまり、フランク王国の王でありながら、西ローマ帝国の王でもある・・・ちうことか????わからんなあ???


 もう一つ、わからない存在が神聖ローマ帝国皇帝という存在。カール大帝は今のフランス、ドイツ、イタリア北部を合わせたほどの土地を切り従えましたが、相続法が変えられず、2度にわたって領地は分割統治されます。東フランクがほぼ今のドイツ。西フランクはフランス。そしてイタリア北部はフランク王国の支配下にあったが、王国分裂後、諸侯が後継争いを演じ、かつアラブ人やハンガリーの侵入もあっって内乱状態にありました。この状態の中で、962年(苦労人)、東フランク(ドイツ)のオット-一世が勝利し、神聖ローマ帝国皇帝となる。その時もこのローマ教皇が冠をかぶせて承認してやってるのよねえ。これって、ローマ教皇が、外国人をかつてのローマ帝国の後継者として認めたってことでしょう???なんで、こんな利敵行為がまかりとおるの??????ヨーロッパでのキリスト教の凄さなんでしょうか。

 有名な「カノッサの屈辱」は1077年のこと。皇帝が教皇に謝った。破門を取り消してもらうために雪の城外に三日3晩、はだしで立った・・・・この話はマユツバらしいですが、次回の旅はカノッサの近くを通ります。

 そもそも・・・11世紀以前・・・最大の宗教儀式である子供の洗礼すらしっかりおこなわれていたかあやしいらしい。ラテン語のミサなども、民衆ってにはチンプンカンプン。11世紀に入ってやっと日常生活に入り込むようになったらしい。洗礼、結婚の儀式、死ぬときの儀式、クリスマスや復活祭が盛大に行われるようになったのは聖地巡礼がはやったことと根は同じようです。


 どうやら、ももりのつけ刃の旅の予習は消化不良のまま・・・でも・・・GO!!!

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2013年10月 1日 (火)

本大好き  山崎豊子さんと井上靖

  山崎豊子氏が亡くなられました。・・・・巨星墜つ・・・
ももりは本が大好き。本なしの生活は考えられません。本さえあれば、人を待つのも平気。夜眠れなくったって平気です。山崎豊子さんの本もずいぶん読みました。


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 ももりが一番好きなのは井上靖です。彼が作り上げる人物、男の純情、一途な探求心。そして詩・・・・人間の思考の中に詩を感じるって、ちょっとおかしいかもしれませんが、昔風の男の、渋い、たがねように強靭な、しかし、人には理解されないような、孤独な戦いと情熱。・・・あ・あ・あ・・・・ダーイスキです。

 山崎豊子氏はだいぶ違います。こちらのほうが男性的で豪傑。ズバリと書ききった社会の軋轢、不正。山崎さんを世に出したのは井上靖です。まだ読めてないのが「運命の人」で、あ・あ・あ・・・・読まなくっちゃ。
 

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 井上靖に仕込まれた山崎さんですが、井上靖の本はもう、どれもボロボロ。何度も何度も引っ張り出して読んだようです。他に好きな作家は、吉村明、司馬遼太郎、遠藤周作ってところでしょうか。

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