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2013年9月30日 (月)

鼻からカメラ

 うれしいっ!!!
「何ともありませんよ。何にもできてない」ですって。


 鼻から胃カメラを入れてもらっての検査です。「痛いよおお」って言う人もいましたのでおっかなびっくり。鼻の穴が細い人は、どうしても入らなかったり痛かったりするんですって。ももりといえば・・・立派な団子鼻がデーン


 一昨年の検査・・・もお・お・・・よだれ、鼻水、涙でグッショグショ。カメラが引き抜かれて「ア・ア・ア・・・もう止め。検査なんかでけへんかってもええ」と思ったとたん「やり直し」ですって。ひどく苦しみましたので、今回は鼻の穴からの検査にしてもらいました。


 ももりの家系は短命です。父は56才で胃がん、兄68才で食道がん、母、82才で肝臓がんです。次はももりの番。あ・あ・あ・・・・・・


 それにしても、一回はグッと痛かったですけど、そして、もう一回は「オエッ」となりましたけど、「あ・あ・あ・カメラが入っていくらしい。あれ、れ・・・カメラが動いてる」って思っているうちに「はい。おわりましたよ。何にもでけてませんよ」ですって。

 帰宅。白ワインで「カンパーイ!!!これで、あとはイタリアへGO!!!」

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2013年9月26日 (木)

明治維新とイタリア王国

 明治維新は1867年(いや むなし) イタリア王国成立は1861年・・・・ですかあ。
そう思うと、急にイタリア王国が身近に感じられます。日本では天皇家は健在。しかし、イタリアの王様は国外追放・・・おかわいそう・・・


 1861年 ヴィットリオエマヌエレ2世、王国成立を宣言。初代国王に。ももりがこれから尋ねるサヴォイア家の当主です。ちなみにイタリア統一はドイツ統一より10年早い。
 1900年  ウンベルト1世暗殺されます。
 1900年~1946年まで ヴィットリオ・マヌエレ3世の治世


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   エマヌエーレ王の時、ムッソリーニがファシスト党を結成、力を持ちますが、国王を廃することはせず、むしろ取り込みます。・・1922年 ムッソリーニ ローマに進軍・・・やがて第2次世界大戦、日本、ドイツと組んで戦ったことは周知の通りです。国王のあいまいな妥協もあって、イタリアはヒットラーに肩入れしますが・・・戦争では負けてばかり・・・国民はすっかり厭戦気分になりました。


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 1943年、イタリア降伏。10月にはドイツに宣戦布告ですって。さ・あ・あ・・ドイツに痛めつけられることになります。
 1945年、ムッソリーニはパルチザンにとらえられ、裁判もなく逆さ吊り。国王も、ファシズムに肩入れしたとして人民に拒否され、1946年に退位。以後、共和制となります。王国であったのは、たった85年間・・・
 王様がいる国ってなんとなく好きな、ももりです。


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1946年5月、ヴィットリオ・エマヌエーレ3世退位。6月王政廃止。息子ウンベルト2世はたった27日間の王様でした。2002年、男子王位継承者がイタリアの地を踏むことを禁じた憲法が改正され、やっと帰国されたそうですよ。


  面白い記事を見つけました。要点のみ
・・・フランス革命の影響もあって、19世紀前半から国家統一の機運が高まっていたのですが、面白いことにミケランジェロの子孫、フィリッポ・ブオナローティーはパリでフランスの革命運動に洗脳され、フランス革命にも参加しますが追放され、国外退去処分。各地を転々としますが帰国。1799年ナポリでの革命運動に加わります・・・「イタリアを知るための55章」村上義和  明石書店


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2013年9月25日 (水)

好きになれないキャラクター

 ももりは、どうも、あの等身大の人形がウロウロするのは好きになれません。


 先日、天の橋立にいた時、大きなフランス人形みたいなばけものが、突然目の前に現れて・・・もう・・・ギャッ!!!気味ワリイ!!!。「ひこにゃん」とか「くまもん」とか・・・ほとんど知らないのですけど・・・どうも、仮装した人間は好きになれません。

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 子供たちに聞いてみました。「一緒に写真を撮ろうと肩を組んだら背中が汗でベッシャベシャ・・・気持ち悪い」
 「あの中にいる人すっごく暑いんやでえ」
 「横に来たら汗で、くっさい、臭い!!!」
必ずしも良い評判ではないようです。マ・ア・ア・・・・商業戦略なのかもしれませんけど・・・

 貴族や王様が民衆の中に混じってお楽しみっていう歴史もあったようですけねえ・・・

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2013年9月21日 (土)

北イタリアの豪傑たちの夢のあと

 北イタリアへの旅も近づきました。ももりのイタリア歴女入門はまだまだですが・・・


 中世も終わろうとする頃のイタリア。ミラノのヴィスコンティ家、モデナのエステ家、マントヴァのゴンザーガ家、パルマのファルネーゼ家・・・・これら北イタリアの豪傑たちの領国を訪ねます。


 これらの多くの小国は結局、外国王家から君主を連れてきたり、それぞれドイツ(神聖ローマ帝国)、フランス、南部ではスペイン。ナポレオン以来はオーストリアの支配下にあって、イタリアを統一する集中力には欠けました。


 
 唯一、イタリア土着の君主国として存在したのが、サヴォイア家です。サヴォイア家の中心となった町、トリノもおとずれます。あ・あ・あ・・・早く行きたいっ!!!イタリアの長靴の付け根の西側…そう・・・ニース、マルセイユあたりまで、サヴォイア王家の支配する土地でした。首都がトリノ。冬のオリンピックがあった町です。

 サヴォイア家は11世紀にさかのぼる古い家で、今日のフランス、スイス、イタリアの接する地域を支配していましたが、やがて、アルプスを越え、北イタリアのロンバルディア平原へと勢力を広げます。強敵ミラノをおさえ、トリノを包囲したルイ14世のフランス軍を破り、神聖ローマ帝国ともうまくわたりをつけ、1713年、シチリアの王位を得、やがて、サルデイーニァ王となり、この王国こそがイタリア統一運動の中核となった・・・とあります。すごくはしょってますが・・・


 イタリア統一は19半ばに始まり、かのラデッキー(オーストリア、ウイーンへ行けば必ず聞く行進曲、ラデッキー将軍をたたえた行進曲です)に大敗し、頓挫。ヴィットリオ・エマヌエレ2世によって引き継がれます。名宰相カブール、将軍ガリバルディの活躍によって統一を達成します。
 1861年、ヴィットリオ。エマヌエレ王はイタリア王国の宣言をした・・・ドイツ統一より10年早く、世界を驚かせたといいます。トスカーナ大公(旧フィレンツェのメディチ家)や両シチリア王国や列強の君主たちは排除され、イタリア統一はなされたのです。


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 イタリアを旅するとカブール通りとかヴィトリオ・エマヌエレ広場とか、ガリバルディ公園とか、いたるところにその名を見ます。


 しかし…この王国はムッソリーニに協力したとして民衆に嫌われ、やがて消えます。そのところは次に・・・

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2013年9月18日 (水)

ドーバーおばちゃん

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 昨日、ご近所の小さな本屋さんに行ったら、あ・り・ま・し・た!!!


 ドーバー海峡と言えば、ももりのイメージは「二都物語」チャールズ・ディケンズです。
フランス革命をはさんで生きのびる人間のドラマ。舞台はフランスとイギリス。映画にもなりました。
明日は処刑されるという貴族たち。ドラマは、まずは真っ暗な闇夜、カレーの港町へとぬかるみの道を急ぐ馬車から始まったような・・・・


 本で読んだイメージが強烈です。行ってみたい!!!その海峡をリレーで泳いで渡ったというおばちゃんたち。54才から67才。チャレンジは多くの困難をのりこえて、成功!!!達成後も、今、又、新しい挑戦をしているそうです。


 ももりは、最近、頑張ってプールへ通っています。まずは1時間歩き、その後、泳ぎます。気分次第で500メートルから1キロくらい。膝を強くして山歩きをしたい、旅行もしたいから・・・


 ももりが特に気に入ったのは、おばちゃんたちの体形です。太くて頑丈な足、立派な筋肉もりもりの肩。へなへなと痩せた最近の流行体形じゃありません。それが、イッチ、気に入った!!!


 プールの先生によりますと、ドーバー海峡は水温が低く、痩せた人ではもたないんですって。うれしいなあ!!!それにしても、34キロの波高いドーバー海峡を、14時間22分かけて5人でリレーして泳ぎ切りました。

 それでも・・・「ドーバーばばあ」とは酷いタイトル。せめて「ドーバーおばちゃん」に・・・・

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2013年9月17日 (火)

山上にひるがえった色とりどりの傘の花

 台風被害の皆様には心よりお見舞いをもうしあげます。京都中京に棲まいするももりの家の周辺は至極平安。本当に無事・・・ことが無いのがうれしいです。さて、またお気楽なブログです。


 台風の前日、早くから旅行社に申し込んでおいた山城、「竹田城蹟」見学です。土砂降りの雨の中、家をでました。「ま・あ・あ・旅行社がやるっていうんやから、どないかしてくれるんやろ」


 バスは時刻通りに出発。まずは「茅葺の里美山」へ。この時、雨はしょぼしょぼ・・・あ・あ・あ・・・うれしい!!!下スケッチは美山町


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 さてさて、お昼を宮津ですませて目的の竹田城へ。雨は降っていますが無風!!!これなら何とかなるか・・・

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 それにしてもすごい人波よ。行列で上り下りしています。今、一部石垣が壊れているとかいうことで話に聞いていたキッツーイ石段へは行けず。スケッチは天守閣に咲いた色とりどりの傘の花。

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2013年9月13日 (金)

イタリアに王様がいた日々

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「山猫」という映画・・・素晴らしい名画でした。滅びゆく貴族階級。侯爵サリーナ演ずるバート・ランカスター、軽薄、おバカな赤シャツ隊の甥っ子、アラン・ドロン 

 イタリアが王国だった時があった・・・・イタリアは、今は共和国です。最後の王様はサヴォイア家のウンベルト2世。在位わずか27日間、ポーランドに亡命していましたが、帰国することなく、スイスのカンナトーレ病院で客死。1983年3月のこと。王妃マリア。ジョゼも同じ病院で2001年94才で死にました。ごく最近まで生きてらしたんですねえ。

 イタリアという国が、昔からずーっとあったのかと、お気楽に思っていましたが、多難な、実に多難な、長い苦節の時があったのでした。小国が乱立、群雄割拠・・・周囲の王権が確立した国々、フランス、スペイン、ドイツ、オーストリア・・・ほしいままに干渉され、ぶんどられ・・・ナポレオンまで・・・ついつい日本と比べてしまいます。イタリアという国ができる以前が上の地図


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 大体、ももりの頭の中にあるイタリアです。
地図が同じ色で塗られるって感動的なことなんですねえ。

 未熟ながら,イタリア独立のレポートを次回から。中学生の宿題感覚ですので、どうぞ、ご教示を!!!


 

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2013年9月 9日 (月)

あっぱれ!!マンマミーヤ  ロザンナ

 もうだいぶ前になりますが「徹子の部屋」に「ヒデとロザンナ」のロザンナさんが出ていたことがありました。彼女の話の中での、忘れられない話です。


 「第二次世界大戦の終わり頃、北イタリアの私たちの町は負けたドイツの兵隊が本国へ逃げ帰る通り道にありました。何度も危険な目に合いました。ある日、私たちの家にもドイツ兵が来て「食べ物と車を出せ」と言いました。とりあえず食物をだし、ドイツ兵は家中をひっかきまわしましたが、倉庫の隅に古い自転車を発見、「隠したな!!!、皆、並べ」と銃をかまえました。家族全員殺されそうになった瞬間、赤ん坊だった幼い子が泣き出し、ドイツ兵は、「自分にもこんな子がいる」と言い、銃を使わず立ち去りました」

 

 ロザンナさんは、ヴェネト州、スキオの出身とのこと。ヒットラーとムッソリーニは同盟を結んで、戦争を始めましたが、イタリアは負け続き。特にアフリカへの出兵で3万人ほども犠牲者が出るに及んで、国内からムッソリーニに反対の声が高くなり、ムッソリーニはアペニン山脈の最高峰、グランサッソ山のてっぺん近くの山荘に拘束されます。それをヒットラーの手の者が救出・・・ドラマみたいですが・・・/strong>


 結局、ムッソリーニのいない間にイタリアは全面降伏。昨日の友は今日の敵。怒ったヒットラーは、軍をイタリアに向けました。ひどいですよねえ・・・
 1943年9月、連合軍と休戦。イタリア半分はドイツ軍が占領・・・とあります。


 ムッソリーニは、結局、ドイツ軍の傀儡としてイタリアのパルチザンと戦いますが敗れ、やがて亡命を図ります。しかし・・・コモ湖の近くでバレて・・・裁判もなく処刑。死体は逆さ吊りに・・・


 スケッチはコモ湖、1983年です。30年も前になるのですねえ。


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 それにしても、てんとして動じないし、美しく豪胆でたくましい豪傑ママ。イタリア女の鑑、マンマミーヤですよねえ。5人の孫に囲まれ、まだ63才!!!大好きです。


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2013年9月 6日 (金)

どうして???崩れ落ちない大天蓋

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 どうしても、ももりの頭では理解できない???どうして???どうしてこの大天蓋、クーポラは崩壊しないのか???


 上は、ご存じフィレンツェ。花の聖母寺。・・・・面白い記事がありました。「イタリアものしり紀行」紅山雪夫(新潮文庫)

・・・・・その途端に、せり持ちがドド-ッと崩壊し、作業をしていた大工たちが石に打たれて死ぬという事故の実例がいくつもあった。 
 フィレンツェの大工組合は、直径43メートル、高さ100メートルという途方もない大円蓋の石材をひとまず支えるに足る木造の足場を筑くことは不可能として、工事を拒否・・・・困り果てたコムーネの政府は新しい案を公募する。堂内に土を盛り上げて工事を行い、終了後、土の運びだしに弾みがつくように、あらかじめ土の中に金貨をばらまいておく、という珍案もでた。そんな中で、古代ローマにおいて古代建築をつぶさに見てきたブルネッレスキの案が・・・円蓋を内外二重にし・・・・ここからはももりの頭ではちょっとム・リ・・・
 工事は1420年に始まり、16年後、一応の完成として献堂式が行われ、更に45年をかけて完成した・・・

  下は、ラヴェンナのクーポラ・・・こんな高いところにまでどうして絵が描けた??


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  フィレンツェの大聖堂。完成当時はキリスト教の最大の聖堂でした。85年後、ローマのサンピエトロ大聖堂の巨大な円蓋が完成します。このブルネッレスキを学んだミケランジェロが工事に命をかけ、完成は死後。ローマが一位、フィレンツェが2位。ちなみに三位は、ロンドンのセントポール寺院で、ももりは天辺まで上ったことがありますよ。それにしても、人間って賢いのか、アホなんか・・・わからない!!!

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2013年9月 4日 (水)

信じたい!!!から信じた

 ももりは旅が大好き!!!それも、ヨーロッパ。今の興味は中世です。
中世の絵画や彫刻は、日本にはまず来ないでしょう。絵画が海を越えて、はるばる日本へやってくる…ということは移動可能な状態で・・・まあ、額に入ったような作品です。絵画が額に入ったのは、ルネサンス以降・・・それまでは、教会の壁いっぱいに描かれたり、高い天井など、建物に一部になってしまって取り外せません。

 中世の絵画や彫刻は、スペインやフランス、もちろんイタリアなど・・・・たくさん残っています。しかも田舎に残っています。 ということで、小さな村を回りたい・・・・
 下は、フランス、コンクのカテドラルのタンパン彫刻。「地獄へ落ちたら、悪いことしたら、こうなるぞおお」って文字を読めない民衆に教えています。悪魔が・・かわいらしいのよねえ。愛嬌たっぷり!!!

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 民衆 素朴な生活もかいま見えます。下、スペイン、レオンのサンイシードロ教会


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 しかし・・・正直言って・・・ヨーロッパには何とも魅力あふれる教会がたくさんあるのですが、そこに祀られている聖遺物なるものは???・・・信じられないなあ!!!
 いわく、キリストの涙??キリストがゴルゴダの丘で、十字架を背負って歩かされていた時に汗をふき取った布きれ・・・いわく、1000年ほどもたってから流れ着いたペトロの遺体!!!いわく・・・聖人の遺体の一部・・・塩野七生さんは言っています。聖人ともなると、みんなが持ち帰ろうと争って遺体を切り刻んだとか・・・はては、高額で売買される・・・


 ま・あ・あ…言いますまい!!!信仰は、対象は問わない、ということなのでしょうか???

 しかし、その異常さに目覚めたのが近代的知性、ルネサンスであったということでしょう。

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