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2013年8月31日 (土)

長靴形の半島にフランス王家の旗がひるがえった日

 イタリア半島に群雄割拠する小国のほとんどにフランス王家の旗が翻った日があった。塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジアその華麗なる冷酷」より・・・


 1494年 8月23日、フランス王シャルル8世、フランスのグルノーブルを発つ。
9月3日にはアルプスを越え・・・サヴォイア公国、トリノへ…パヴィア、ピアチェンツアを過ぎ、11月9日ピサに入城。11月17日には「フランス万歳」の声に迎えられてフィレンツェへ。12月2日にはシエナ、12月13日チビタヴェッキア、いよいよ、12月27日にはローマに姿を見せた。12月31日シャルル、ローマのバチカンに入城。

 スケッチ、下は前回の旅、シエナとフィレンツェ。他は、10月予定の旅の目的地です。あ・あ・あ・・・・早く行きたい!!!

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 それにしても、小国に分裂して、いまだ、イタリアという国家がない時代です。歴史を読むのはむつかしい!!!長靴形の半島に割拠する小国家群は、自分の領国を守ることに精いっぱいです。フランス王だってスペイン王だって、自分のために引き込むのは普通のことなんでしょう。今の地図の国境の線引きがどうしても頭から抜けないももりです。

 一方のフランス王シャルル8世、十字軍遠征の基地としてナポリを欲しがった。ナポリ王国には正式の嫡子がいたのに、相続権を主張したのは、厚かましいけど・・・彼にしても、AD800年にはローマ帝国の皇帝としての戴冠したという事実がある。冠をかぶせたのは、ほかでもないローマ法王。その、700年ほども前の業績がすばらしかった・・・カール大帝の時には、今のイタリア、ドイツ、フランスなんぞ、みんなフランク王国の領土だったのだから・・・。われこそはキリスト教の西ローマ帝国国王の子孫である、という正当性があった???おまけに、王家同志の結婚で相続権だってひっぱりだせる・・・ということらしいけど・・・??


 しかも、ももりの持っている程度の、簡単なフランスの歴史の本にはシャルル8世なんて、まるで登場しません。つまり・・・こんなことは、ことさら取り上げるほどのことでなく、何度も繰り返されてあった・・ということです。ミラノより西はほとんどフランスの領土であった時代も長いようです。


 イタリアという国名は1861年、ヴィットリオ・エマヌエレ2世がイタリア王国の成立を宣言して始まります。ドイツ統一より10年早い。そのイタリアの国名の由来は???目下の課題です。

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2013年8月30日 (金)

壁の後ろに封印された傑作

 「アンギアリの戦い」という世に有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作・・・今、まだ???あるか??ないか???


 フィレンツェのベッキオ宮殿の大広間、1500人広間にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いたとされる「アンギアリの戦い」という作品。今はない・・・いえいえ・・・今ある壁の向こうに、1センチから3センチの隙間を作って保存されている???2重壁の向こうにあるということで調査中といいます。下スケッチ、ベッキオ宮殿

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 ルーベンスが模写したのが、ルーブル美術館にあるのですから、しかも、かの有名なマキャベリが契約書にサインしているというのですから、あったことは間違いない。

 この有名なアンギアリの戦いは、1440年、フィレンツエとミラノの間で戦われました。
絵は激しくぶつかり合うダイナミックな戦争の場面ですが、ある本・・・どの本だったか、どうしても思い出せないのですが・・・この戦いは、実は、死者はゼロ・・であったと読んだ記憶があります。

 つまり、当時、戦争は傭兵同志で行われ、傭兵隊長は自分の部下たちの消耗を恐れ、危ないとなるとさっさと逃げたり、裏で談合したり、あるいはさっさと寝返ったというのです。中世の戦争はある意味、ゲームであった???

 ももりが言いたいのは、絵のことではないのです。
武器さえ持たなかったら、人間なんて、ごくごく弱い生き物です。まず、棒や石を持ち・・・そのうちに青銅や鉄製の武器を作り出し・・・今では、核爆弾や生物兵器をもってしまった。
 か弱いかいしょなしの分際で・・・ボタン一つで強くなれると錯覚するなんて・・・本当に恐ろしいことです。

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2013年8月27日 (火)

立山・・・あ・あ・あ・・・青春は遠い!!!

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 「雷鳥荘に泊まる」というパックツアーに、相棒と二人で参加しました。ももり、20才。このお山に行ったのですよねえ。上は、まさに52年前の雷鳥荘。遠く、とおく、トオーック、過ぎ去った青春よ!!!下は、今回のスケッチ。


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 52年前、ももり、大学3回生。20才。立山から槍ヶ岳へ向かうコースの山行です。


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 あ・あ・あ・・・・こんな荷物をもって歩いてたのに・・・・今回、二人は、もうヨボヨボ・・・50分くらいで行ける一の越までを、這うようにして1時間10分・・・帰りも同じくらい時間がかかりました。でも・・・立山は、ももりたちを、大きく手を広げて迎えてくれました。
 「オッカエリナッサーイ!!!」
 一の越から見た槍穂高は今もちっとも変わらない!!!カンドーッ!!!


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2013年8月24日 (土)

十字軍

 1095年のある日、フランスのクレルモンでローマ法王が演説をした。


 「トルコ人が地中海沿岸まで来ている!!!トルコ人はキリスト教国を次々と占領し、民をとらえ、教会を破壊し、神の王国を荒らしまわっている。そこで神はすすめておられる。キリストの旗手なるあなた方騎士と歩兵、あらゆる階層の男たちが立ち上がれ。神がすすめておられるのだ!!!

あなた方騎士・・・中世の騎士は教会や領主から叙任された兵士です。


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 ローマ法王、ウルバヌス2世、キリスト教徒の聖地エルサレムを取り戻そう…という呼びかけです。
トルコ人とはセルジュークトルコ。一昔前からエルサレムに侵入していましたが、イスラム教徒では新来です。もともと、エルサレムは、もう数百年もイスラム教徒に占領されていましたが、キリスト教徒の聖地への巡礼は認められていました。キリスト教徒は、はるばるエルサレムへ聖地巡礼をしていたわけです。ところが、新来のセルジューク人は、しばしば危害を加えた。


 さ・あ・あ・・・教皇も予想しなかった事態になりました。聖地奪回の熱に、200年ほども、みんなが取りつかれたのです。


 騎士は馬、歩兵は歩き、大きな荷物を背負い、長い陸路を行きました。胸には十字架・・・・こうして十字軍の時代が始まる。公式の遠征は7回、あるいは8回、ほかにも非公開の小さな遠征がいくつかあった。


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 外国や異民族のことをなにも知らず、相手の戦力も知らなかったから苦戦が続いた。とうとう3年後、十字軍はエルサレムとパレスチナを占領した。ここにエルサレム王国を建て、指導者ゴドフロアを、王に定めた。200年も続く十字軍の王国の始まりです。時にはおいだされ、存亡の危機もあったけれど・・・攻め寄せられた方もいきなりで驚いたが、その後は、戦に備えたから、負け戦が増えてきた。


 少年たちだけで出かけた十字軍などは、異国の港で奴隷として売り飛ばされたり・・・だまし、だまされ、駆け引きをやりつくし・・・しかし、この人間の往復が、街道周辺の小国を富ませ、来るべき領主たちの群雄割拠の時代をもたらすのです。

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2013年8月23日 (金)

あなうやと

 相棒、この暑い中をせっせと、西国33番お札所めぐりにはげんでいます。1番から順番を守ってお寺参りをしているのですが、昨日は、はや21番、丹波国、亀岡市、穴太寺へ


 穴太寺ですって???朝、「あなうやと・・・って何のことか聞いてきて」と頼んでおきました。「わすれへんかったらな」

 子供時代、お盆になると父を真ん中に、兄弟そろってご詠歌を上げるのがわが家のならいでした。
わけもわからず、考えもせず・・・それでも・・・「あなうやと????」って何のこと???


 かかるよに うまれあふみの あなうやと ♪♪
 おもはで たのめ とこえ ひとこえ   ♪♪・・チーン


 聞いてきてくれました。「あな 憂やと」なんですって。
こんな世に生まれ合わせてしまって なんと「憂いことよ」と思わずに、十声一声 ご詠歌をうたいなさい・・・


 子供の頃の疑問・・・72才にして氷解。いい気分です。
どこかの国の文部省、今の事情に合わないと「ふるさと」を小学校の歌から外したとか・・・

 うさぎ 追いし あの山
 小鮒 釣りし かの川
 夢は 今も めぐりて
 わすれがたき ふるさと

 いかにいます父母 
 つつがなきや ともがき
 雨に風につけても
 忘れがたき ふるさと  

 こころざしを はたして
 いつのひにか 帰らん
 山は青き ふるさと
 水は清き  ふるさと


 ・・・・・・・・こんな いい歌、ないのに・・

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2013年8月22日 (木)

中世の農民、ボドの日々

 カール大帝の頃、800年前後・・・フランスはパリ、セーヌの左岸、サンジェルマン・デ・プレ修道院の土地台帳が残っているそうです。修道院が大きな土地を持ち領主になって、貧富の差が大きくなっっていった時代。一人の農奴、下層農民の生活記録を再現したお話を「物語世界史4」ヨーロッパの夜明け、騎士の時代・・・学研にみつけました。


 下スケッチは、フランスではない。先日訪れたイタリア、モンテ・カステッロ・デ・ヴィビオ・・・中世のまま???なんじゃない???その下はウルビーノ

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 農奴といっても、奴隷ではなく、小さな小作地を借りて、家族だけで耕し、小作料を収める。その上、領主の直営地でただ働きをしなければならなかった。


 季節は春、直営地に行く日は、丸一日、領主の屋敷や畑で働かされる。妻は、小作料の卵と鶏一羽をもって出かかける。領主の館では靴職人、大工、鍛冶屋、銀細工師たちが管理人の指図のもとに、せわしく働いている。家で織った布を収めるもの、たきぎを持ち込むものもいる。


 領主のブドウ畑でも、何時間か働いて家に帰り、子供の世話をし、暗くなるとろうそくをケチって、早く眠る。 


 何人ものボドたちの楽しみの日は安息日。教会はその日は休め、というはずなのだが、面白いことに教会の庭で、歌ったり踊ったりした。


 農民は、キリスト教徒であっても異教の神々を信じていた。迷信も魔法も悪魔も信じられていた時代です。吟遊詩人もやってきてフランク族の英雄を礼賛する歌を歌う。教会は認めようとはしなかったけれど、カール大帝自身が大好きだったといいます。


 毎年、10月の始め、サン・ドニ修道院の催す太市が 、パリの城門の外であった。ベネチア人、ユダヤ人、オリエントの商人・・・・芸人・・・教会もワインや布、塩漬けの肉などを売ります。空想するだに楽しいにぎやかな太市です。


 戦争さえなかったら・・・病気さえなかったら・・・あくどい領主の搾取や、教会の1/10税さえなかったら、つつましくかわいらしい多くのボドの生活は、案外、不幸とは言えなかったかもしれないなあ。でも、もし、ももりが中世に生きてたとしたら、たちまち魔女として火あぶり・・・にされた???かもしれない。。

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2013年8月21日 (水)

≪終戦のエンペラー」見てきました。

 最近はもう目新しくないですけど、「京都エッセー」という同人誌に記事を書いていたころ、あの敗戦はなんであったかということにひどく興味を持った時期がありました。


 「終戦のエンペラー」・・・映画は、マッカーサーが大きなパイプを加えて、厚木飛行場に降りたつ前後から始まります。狙撃の危険をおそれず、丸腰で降り立った大男・・・焦土と化した日本の占領統治の始まりです。


 以前に読み漁った敗戦前後の日本の中央にいた政治家、軍人・・・ももりの解釈とあまり違いはありません。毎日新聞で取り上げられていた記事では「まあ・・・こんなアメリカ観もあるか」と軽くいなす感じでしたけど・・・ 今、アメリカをほめるなんてはやらない??


 何度も書きましたけど、終戦の年、ももりは4才。当事者???とは言えないか???
アメリカの占領下で日本は立ち直りました。アメリカ軍が統治したことは日本にとってプラスであった???少なくともソ連や中国であったら・・・どうなっていたか???
 ラトヴィアやエストニア、旧共産圏ではどんな様子であったか???
 ラトヴィアやエストニアでは、元から住む住民を半分以上追い出してシベリアへ送り、ロシア人を引き込んだ・・・つまり、国を乗っ取った・・・


 いつの旅だったか???モスクワ空港は、雨がザーザー漏り、薄暗く、乗換の客が、ほんのまばらに寝転がっています。確かに、日本よりはるかにインフラ設備も遅れていました。バンクーバー周りでヨーロッパに行っていたころです。


 相棒にも「一度見てほしい」って言っておきましたけど・・・皆様、ご覧になりましたら感想をお聞かせください・マ・セ

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2013年8月20日 (火)

バチカンとローマ

 暑い中グダグダと・・・お許しください。入門歴女の未熟な記事です、マタマタ、イタリア・・・・
わかりにくいのは、相次ぐフランスやドイツの干渉。しかもそれを許してしまったのが、イエ、自分の利益のために、常に、外国の軍隊を引き入れるのがバチカンのローマ教皇他、群雄割拠の領主達。自領のためになら、フランスだってドイツだってスペインだって・・・ところが、引き入れた外国勢は野心満々!!!というわけでしょう。  


 まずは、800年にカール・・・この男、フランク王国、つまり、フランスの王ですが、彼を西ローマ皇帝として王冠を授けるということをしてしまったのが、ローマ教皇です。・・・つまり476年に亡んだかつてのローマ帝国を再現したというところです。
 更には、962年には、ドイツのオットー1世を神聖ローマ帝国皇帝として、またまた、王冠を授けるという事柄です。これがももりにはわかりにくい。結局、かつてのローマ帝国の繁栄の再現のためにやったことで、イタリアという独立国を作るという観念はなかった???!!!現代人でイタリアに限りない魅力を感じているももりには許せないなあ。


 イタリアは、常に小国分裂。群雄割拠です。各地の豪族が自分の領地を守るためにフランス軍、ドイツ軍、はては、スペイン軍までを引き入れた・・・というところでしょうか。
いうわけで、このかつての勇者たちが蠢いていた土地に・・・早く行きたい!!!


 おまけに兵隊は傭兵。傭兵っていうのは、雇われ兵士で、かつて、476に最後の西ローマ皇帝、幼帝を追いやって、ローマに居座ったオドアケルも傭兵隊長でした。この、傭兵隊長、後に大きな力をもつ群雄の大将は、ミラノ、ウルビーノ、シエナ、パドヴァ、フェッラーラ・・・大きな力を持った群雄、古い貴族を押しのけて大将になったのは、勇猛果敢な傭兵隊長出身者たちでした。
 しかし、何と言っても雇われ兵集団、金でコロび、戦争が亡くなると、略奪、強盗に早変わり。外国兵も多く、結局、民衆は苦しみました。


 バチカンが独立国として認められるのは、ムッソリーニの時のラテラノ条約、1929年、なんですから、ローマ教皇は、歴史の暗闇の長い間、ローマのペトロの墓守り。つまり、サン・ピエトロ寺院のトップだったにすぎないのに、これほどヨーロッパの国々にくちばしを入れる存在感が持てた???・・・と考えると、宗教ってのはやっぱりすごい!!写真はバチカン・・・なんと、この写真1988年です。ももりもわ・か・い!!!!

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2013年8月19日 (月)

アルプスを越えて

 イタリアの歴史で、どうしても切り離せないのがフランスやスペイン、ドイツとの関係。ここはまずフランスの歴史に寄り道します。
 民族大移動の最たる民族はゲルマン族ですが、ガリア人と呼ばれたフランスに住むゲルマン人は、背が高く、青い目に金髪、戦争にはめっぽう強いと怖れられていました。そのガリアはジュリアス・シーザー統治以来、一応まだローマの支配下です。


 一方、イタリアでも、多くの部族に分かれていくつもの王国を建てたゲルマン民族ですが、その大部分は6Cから 8Cの間に亡び、最後に残ったのが、ブルグンド族とフランク族の王国でした。スペインには西ゴート王国を倒したサラセン人がいました。サラセン人は、イスラム教徒のアラブ人です。


 下スケッチはサラセン人の首都グラナダ、スペイン


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 フランク族も小さなグループに分かれていましたが、5世紀、クローヴィスという男がフランク族をまとめあげました。クローヴィスは計算高い男で、キリスト教に改宗します。これで、ローマ教皇との関係がミツになりました。クローヴィスはフランク族をまとめあげ、フランク王国メロヴィング朝を作ります。ガリア人とフランク族が同一民族か???それは今のところ、どの本にも書いてない!!!/strong>


 それから200年ほどたった8世紀前半、フランク王国は、ヨーロッパに侵入しようというサラセン人を、ピレネーの峠で追い返し、ヨーロッパ一の覇者となりました。その時の大将がピピンの子、カール。後にカール大帝と呼ばれる。下スケッチはピレネーのイバニエタ峠と宿場の教会、「ローランの歌」の峠です。


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 ピピンが王になろうとして開いた会議にのこのこやって来たのが、ローマ法王の使者。「力のないものが皇帝であるより、力のあるものが王となるべきである」と・・・うまくやりました。ローマ法王から王になっってもよいというお墨付きをもらったのです。フランス王です。
 一方のローマ・・・ランゴバルド族が攻め寄せます。攻められて教皇が頼ったのが。ピピン。これこそチャンスとフランク族はアルプスを越えて、イタリアに侵入。ランゴバルド族を打ち破ってしまいます


 その後、再び力を盛り返したランゴバルドは、ピピンの息子のカールの時、徹底的に息の根をとめられます。その時に切り取った土地を法王に寄進。初めてローマ法王が土地を持ちました。
.あ・あ・あ・・・ももりの好きなランゴバルド族・・・あ・わ・れ・・・

 そのあとも執拗に続くフランスの干渉は、もとはといえば、ローマ教皇が招いたものではないの???
ローマの教皇を救い、サラセン人を追い、ゲルマン諸族をカトリックに改宗させ、西ヨーロッパに、かつてのローマ帝国に匹敵するほどの大国をまとめ上げたピピンの息子カール・・・カール大帝です。教皇が、これを見のがすはずはない。


 800年のクリスマスにはカールをローマに呼んで、西ローマ皇帝の冠をかぶせます。オドアケルに滅ぼされて三百数十年の後に復活した西ローマ帝国です。以後、キリスト教を守るためという大義名分を得たフランスは執拗にイタリア攻め寄せます。もちろん領土的野心のもとに。

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2013年8月18日 (日)

むつかしい!!!イタリアの歴史

 暑いから・・・ホント・・・猛暑です。外へ出たくないから、もっぱら本読み。それにしても、イタリアの歴史の難解さよ!!!


 傭兵隊長オドアケルは、幼いローマ皇帝を排して、西ローマ帝国を手にましたが、それでも、王にはなれず・・・まあ・・・周りのみんなが認めないから・・・威張りかえっているうちに、東ゴート族のテオドリックに敗れ、西ローマ帝国はテオドリックの手の中にありました。しかし・・・ローマ皇帝にはなれず、帝国の統治を委任された形です。
 テオドリックは自分の王国、東ゴート王国の首都をラヴェンナにおきました。安定するかに見えたテオドリックの王国も有能な後継者を得ず、30年もたたないうちに東ローマ帝国の、ユスティニアヌス皇帝によって滅ぼされます。上はテオドラ、下はユスティニアヌス皇帝

 ユスティニアヌスという人・・・この人は優秀でした。トルコ、イスタンブールのハギア・ソフィア寺院は彼が建てた寺院です。このお方のお后・・・が、かの有名なテオドラ皇后、踊り子…といっても、当時はまあ・・売春婦と大差なかったといいます。
 このお二人を描いたのは、モザイク画。金色モザイクで、金をガラスの間に挟んだキラキラ輝く高価なしろものです。

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下、お二人の素晴らしいモザイク画がある、サン・ヴィッターレ教会!!!正しく、珠玉のビザンツ芸術です。

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 ギリシャ、ローマ以前から、床などには盛んに使われていたモザイク画・・・小さな石やタイルをよせあつめ、寄木細工みたいな手法です。ラヴェンナでは、ガラスに金を挟んだ金色モザイクが、ピカピカ輝いて、それも壁一面!!!素晴らしいヴィザンツ芸術!!この時期を過ぎると、壁面はもっと安価なフレスコやテンペラ技法に変わっていきます。

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2013年8月17日 (土)

ヨーロッパの龍退治

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 ヨーロッパでも龍はいて、英雄に退治されていた!!!
一天にわかにかき曇り、イナズマがひらめいて・・・龍って、どこでもだれでも想像したくなる架空の生き物です。でも・・・あんまり、ギリシャやローマの美術界では見たことがなかったような???上は、フランスで買った、「モン・サン・ミッシェル」のさし絵です。そう、・・・モン・サン・ミッシェルの守護神は、龍を退治した大天使ミカエルの教会でしたっけ。・・・フランス読みではミッシェル
 


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 先日、アップした「中世 ジーグフリートの龍退治の物語」
龍は、確かに、ヨーロッパで時々見かけます。前回の旅、ウルビーノでもしっかり見ました。でも、ギリシャ、ローマには見かけなかったような???気がするのですが・・・

 お・お・お!!ある本の中に、こんな記述がありました。龍はゲルマン民族の伝承の影響なんですって。

 龍を退治するのは、大天使ミカエル、・・・日本で見かける龍とはちょっとちがうようですね。ミカエル、フランス語読みではミッシエル、イタリアではミケーリア??まったく・・・これだから、困ってしまうんです。

 

 日本の絵本はヘタウマが主流のようですが、ヨーロッパの絵本の技術はとても素晴らしいです。ももりは行く度に、何か子供向きの本を買ってくるようにしていますが、下は、モンさんミッシエルで買った絵本から。
 今からは想像もできない、教会がまだない頃の島。


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  お・お・お・・・ノルマン人の襲撃です。略奪!!!好き放題しては帰っていくバイキング。そのうち、帰らず居座って、そのまま居ついてしまったのが、フランスのノルマンジー地方。そこから出かけて行ってイギリスを切り取ってできたのが、今のイギリスの王朝のご先祖なんでしょう???

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2013年8月16日 (金)

「風たちぬ」と「少年H]

 「風たちぬ」はもう少し前にみていたんですけど・・・あまりアップする気にもなりませんでした。 


 「少年H]・・・力作ですけど・・・・ももりは戦前派・・・16年1月生まれ、その同じ年の12月に第2次世界大戦は始まり、4才の時に終わりました。本当に苦労したのは親です。


 原作を読んでいたこともあり、耳慣れた時代のことで、あまり興味もなく・・・実は「終戦のエンペラー」を見に行ったのに満員で入れなかったので、こちらにしたのです。


 一つ、文句をつけたくなったのは、終戦後の一日、一人で疎開していた妹が、静岡の親戚からお米を持って帰ってきます。その夜、大きな真っ白な握り飯が・・・頭数よりはるかに多い大きな真っ白な握り飯・・黒ゴマがついて見るからにおいしそう・・・それは結局、壁の穴からのぞいたお隣の家族と、行き倒れの男にあげる・・・ということなのですが、・・・終戦直後の、あの酷い時代、真っ白な大きな握り飯なんて夢の中にしか存在できなかったものだった…明日のお米がない時代、そんな人様にあげるなんて、そんな甘いモンではなかった!!!いうことくらいはももりにもわかっています。

 戦争は絶対にいけない。勝っても、負けても・・・

 でも・・・・あの戦争、日本が負けて、日本を占領統治したのがアメリカやったから、あれですんだ??
もし、中国やロシアに占領されていたら???ももりは、いえいえ、ほとんどの日本の土地には中国人かロシア人がすんでいるでしょう。ももりは???さ・あ・あ・よくて天国???

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2013年8月14日 (水)

中世の人々

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 ももりの次の旅はランゴバルド人たちの古い都です。少しはサビニ族のいた土地にも行くかもしれません。リグリア海岸へいきそうですから。ポー川以北、アルプス以南・・・ロンバルディア地方が次の旅のターゲットです。どうやら、しばらくヨーロッパ中世を空想しながら、本の中で、過ごしそうです。・・・それにしても本って楽しい!!!

 

 ヨーロッパが、まだまだ深い森につつまれていた頃、オオカミがウロウロ・・・赤ずきんちゃんの物語みたいな・・ももりの中世観はまだまだ幼稚です。


 ヨーロッパの中世・・・深い森の中を流れる大河、ライン川、ドナウ川、イン川、テベレ川、ポー川・・・
そびえたつアルプスの峰々…まだまだ国境というものがない時代の諸民族・・・・自然が棲み分けの国ざかいとなっていたのでしょう。

 

 人口が増え、放牧地を新たに確保したいと、うずを巻くように動き出した民族の群れ・・・寒い北の国の人々にとっ、キラキラ太陽が輝き、雪にとざされることのない大地への渇望・・・後ろから脅かすアジアからのフン族・・・匈奴という説が濃厚なようです。ハンガリーのハンはフン族、つまり、中国史では匈奴・・・・民族大移動です。蛮族がある日突然攻めてくる。オッソロシ!!!
 蛮族??ですって???この言い方は失礼ですねえ。バルバロッサとかバルバラ・・・野蛮っていう意味でしょうけど・・・文字や記録を残せないままい消えてしまった民族や歴史はいっぱいあるでしょう。
 四周を海に囲まれ、豊かな地力、豊かな水・・・・日本人が少々甘チャンだっても仕方がないよねえ。


 ランゴバルド族、西ゴート、東ゴートはヨーロッパへ乱入。古い民族エトルリア人、サビニ族、ウンブリ人たちはその独自性を失っていったようです。
 そう言えば、ももりの知り合いにヴィッキ・サビノーっていう子がいたなあ。イタリア系のアメリカ人で、結構ワルだったけど、サビニ族の末裔だったかもしれないなあ。

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2013年8月13日 (火)

暑過ぎ!!!

 この暑さの中、相棒は醍醐寺にのぼりに出かけました。お札所のお寺です。あ・あ・あ・・・・よせばいいのに!!!もうちょっと涼風が立ってからにしたらよいのに!!!言っても聞きません。

 ももりは、ゆっくりパソコンで遊びましょう。ウインドウズ8にも、少し慣れてきました。今、72才。この機種を大事に使ったら10年くらいはいけるでしょうか???その先は???もう要らないんじゃない???

 今日からは、プールも図書館もパソコン教室もお休み。ももりの教室もお休みです。釣りキチは、もちろん釣りに出かけます。孫もない老夫婦・・・静かなお盆です。本だけはたくさん借りてきています。


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2013年8月10日 (土)

中世  ジーグフリートの物語と龍退治

 ライン川がオランダ、北海にそそぐあたりに…昔々・・・ネーデルランドという国があった。


 今もある。ネーデルランドってオランダですよね。
そのネーデルランドの王子、武勇のほまれ高いジーグフリート。ニーベルンゲン族と戦い、恐ろしい龍を退治してその血を浴びたために全身が角のように固く、不死身になったといわれていた。


 「ニーベルンゲン物語」の主人公、勇者ジーグフリートはライン川をさかのぼったところにあるブルグントの国にやってきた・・・・出た!!!ブルグンド!!今、ブルゴーニュ地方と呼ばれるワインの名産地。フランスです。

 絶世の美女、クリームヒルトは、ブルグンドの王の妹。妹に結婚の申し込みをした頃、ザクセン王とデンマーク王が連合してブルグント王国に攻め寄せてきた・・・・・・中世ヨーロッパって、まだ国境は戦い次第、切り取り次第だったのですよね。だから…歴史としてとらえにくい!!!でも・・・その地に行ったら実感できるでしょう

 「ニーベルンゲンの歌」は、12世紀から13世紀にかけて出来上がった叙事詩で、作者は不明です。吟遊詩人が歌ったのでしょう。
 ジーグフリートのお話はまだまだ続きますし、ちょっと説明は省きますが、登場する人物たちは当時の世界情勢をしっかり反映しているそうです。エッツェル王は実はフン族のアッチラだとか、脇役ながら登場する東ゴート族の王、ディートリッヒは、テオドリックのことなんだそうです。テオドリックといえば、前回の旅のラヴェンナにお墓があるのです。下は前回の旅の足跡


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 ヨーロッパで時に、龍を退治している像をみかけます。龍って???ヨーロッパにもいたの??こうして、次々と疑問がわいてきます。

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2013年8月 8日 (木)

緑陰読書


 入門したての歴女には難しいイタリア。中々集中できません。図書館では、ついつい手が伸びてしまうお手軽な本たち。面白かったなあ。

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2013年8月 6日 (火)

ルネサンスって???・・・眼からうろこ

塩野七生さんの凄さがわかったような気がする1冊でした。


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 何気なく「きれいやなあ」ってながめていたボッティチェルリ「ヴィーナスの誕生」


 この美しいヌードこそは、近代的知性への窓口だった。女性のヌードなんて、中世では到底許される主題ではなかった!!!のでした。目からうろこ・・・   

 信心深い民衆のいちずさをよいことに、神の名をかりて民衆を支配していた聖職者たちの欺瞞に、まず気づいたのは、金をにぎった一部の商人や貴族たちでした。新しく建てた宮殿に飾る・・・・それは、改めて見なおしたら、今まで粗末にあつかってきた素晴らしいギリシャやローマの彫刻群でした。
 今まで、見向きもしなかったローマやギリシャの彫刻群!!!それは、誰が見たって、ぜったいに美しい!!新たに掘り出された過去の芸術に、目を覚まされてしまった人たち!!!それが、近世への扉を開いたルネサンスであった、と塩野さんは言っています。古典に帰れ!!   

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 中世って???、教会が民衆をキリストの名を借りて支配した時代。476年、西ローマ帝国が亡びんでから、15世紀後半、ルネサンスが開く近世まで、人々の暮らしはいったいどんなものだったのでしょうか。

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2013年8月 4日 (日)

イタリア 歴女入門

 あ・あ・あ・・・・旅!!!旅!!!


 旅したい!!!10月に北イタリアへ行こうと思っていますが、先が長すぎる・・・


 前回の北イタリアの旅で目覚めてしまったイタリアの歴史・・・なかなか手ごわい。このところ、何冊かの本の間をうろうろしていますが・・・ちょっとは、長ったらしい地前や、よく似た人物の名前などにも慣れて、少し立体的に見えてきました。


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2013年8月 3日 (土)

雪辱 高取城

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 「 5月16日 衰えたりももり」の記事にアップした高取城址。目的地がすぐそこなのがわかりながら、断念。口惜しい思いでした。その高取城址へ行って来ました。


 相棒が取り組んでいる???西国33番お札所廻りの第6番壷坂寺へ。その壷坂寺の背後の山が高取山です。その頂上近くに、豊臣秀長が築城したという高取城の城址があります。


 壷坂寺から、2・8キロ、たかが300メートルの高低差にアゴを出して、諦めて撤退した5月、つくづく衰えたり!!・・・切ないなあ!!!帰りのバスも2時か3時にしかないというわけでした。下、スケッチ壷坂寺


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 今回は壷坂寺から城址までマイカーです。曲がりくねった細い山道。片側は崖、生い茂った昼なおくらい森の中
「あ、ここ覚えてる。あ、こんな開けたとこ歩いた。あ、ここ真っ暗でいややったなあ!!」
「こんなとこ、よう、一人で来るわ。キュッと首しめられて、ポイッと崖の下に放り込まれたら、誰にもわからへんでえ」って相棒が言います。


 今回、車で行ってみて、さ・あ・あ・前回は、それでも3/5くらいまでは行ってたか???ところが、ところが・・・城跡の入口からお城の天主閣までが、又々一難。まあ・こんなトコにようお城なんか建てたもんや。ツワモノドモの夢の後は草ボウボウです。


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 上、スケッチ7番岡寺、そこから初瀬寺8番へ。ここまでは、激しい雨の後で、案外涼しく楽でしたが、興福寺南円堂では、夏日がカンカン。狂いそうでしたが、これで第9番です。それにしても・・・昔の人は、皆、この道を歩いたんでしょう???

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