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2013年7月31日 (水)

はじめてのメール

 ウインドウズ8・・・・ただ今、恐る恐るテスト中。


 結局は、パソコン教室の校長先生にぜーーんぶ、オンブにだっこでやってもらいました。   
 

 なんだかやりにくい。キーボードの並び方が違うし、何しろ大きさがちがいます。あ・あ・あ・・・やりにくい


 昨日、どうしても行きたかった高取城跡へも行ってきましたのに・・・・その記事…のちほど・・・のちほど

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2013年7月27日 (土)

カラ元気???

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 相棒は、朝から葦生の原生林のパックツアーにでかけました。
このところ相棒、盛んに出歩いています。先日は、早速、西国33番お札めぐりの4番と5番に行って、無事、帰ってきました。上写真は、第4番槇尾寺(まきのおてら)と第5番葛井寺(ふじいでら)。第4番槇尾寺は厳しい山道ですって。あ・あ・あ・・・行きたいような、行きたくないような・・・


 静かなお部屋・・・パソコンの前にやっと座りました。間もなく、マイパソコンを備えます。


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2013年7月25日 (木)

相棒のミステリーツアー西国33か所お札巡り

 今回の海水浴は、相棒のミステリーツアーでした。行き先は知らずについていったのです。串本と白浜に泊まったけど、相棒の目的は西国33か所お札巡りでした。一番から番号通りに、これから自分の足で行くんだそうです。今まで、全くそんな殊勝な気分はなかったけど、やっぱり年か??? 


 第一番には・・・那智山青巌渡寺 ♪♪

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 第2番には紀三井寺♪♪

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 第3番目には粉河寺  ♪♪・・・スケッチなし・・・も・お・お・・・暑すぎて・・・

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2013年7月24日 (水)

天国周辺

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 上は串本のホテル。夕食はおフランス。ブイヤベース風。でも・・・・???どこか和風。
シェフさんが説明してくれました。「和のだしをとって・・・」ももりはやっぱりフランス風おフランスがいいなあ。おいしかったけど・・・もの足りない。


 下は本州最南端、潮の岬。人影もほとんどなく静か・・・いいなあ!!!

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 下は白浜のホテルのお部屋から。朝の海。いいなあ!!!


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 泊まったホテルが見えてる。人影もまばらな朝の海。いいなあ!!!

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2013年7月23日 (火)

147才の海水浴

孫もいない老夫婦・・・相棒と海水浴に行って来ました。和歌山県は串本に一泊、次の日は白浜・・・・あ・あ・あ・・
天国、天国・・・下は串本


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 上も下もホテルのお部屋から


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 有名な橋杭岩
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2013年7月20日 (土)

ローマ帝国滅亡の日

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 ローマ帝国の終焉が近づいた頃、・・・この時期を知らなくては、ラヴェンナの歴史はわからないらしいとわかって、何冊かの本を読みました。上は「民族大移動から中世へ」東京書籍より

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406年、ライン川が氷りました。氷った川をいっせいに渡ってくる蛮族の群れ・・・蛮族ですって???今では、もう交じり合ってしまったヨーロッパ人です。上は「民族大移動から中世へ」東京書籍より


  6月22日・・・訂正とお詫び
  6月14日  ももり18才のテオドラ君  
上二つの記事ですが、どうもももり自身、納得いかなくて、いろんな本を当たった結果、ローマ帝国末期には皇帝達はローマにいつかず、ミラノへ、そして、ラヴェンナへと住みかを変えていました。蛮族、オドアケルも、オドアケルを亡ぼした西ゴートの王、アラリックも、その気息奄々のローマ皇帝から統治を委任されて、ラヴェンナを主都とした、ということらしいです。つまり、西ローマ帝国でもあり、西ゴートの主都でもあったという???ややこしさです。
 

 6月22日・・・訂正とお詫びの記事にまたまた付け加えたくなりました。どうやらイタリアに入れ込みそうな予感あり・・・でぇーす。


409年、西ゴートの王、アラリックがイタリア侵略。ローマは強奪され、ローマ皇帝テオドシウスの娘、ガッラ・プラキディアは捕虜となりました。当時、捕虜は身代金をゆすり取る大切な財産。アラリックは息子アタウルフォと結婚させました。


ガッラ・プラキディア・・・ローマ法王の娘、ガッラ・プラキディアが西ゴート族の王、アラリックに連れ去られた時・・・上の写真のような場面があったかなあ???後、息子と結婚させるくらいやから、もうちょっと大事にしてたかなあ??? 

 アタウルフォが死んで、彼女はローマへ還され、腹違いの兄、ホノリウスの元へ身を寄せますが、ホノリウスに近親相姦を執拗に迫られ、父王テオドシウスの元に逃げ帰ります。しかし、ラヴェンナに戻されました。ラヴェンナでは、アタウルフォとの一粒種の息子、後のコンタンチヌス3世の後見者として力を付け、ラヴェンナにひとときの平安をもたらしたといいます。ラヴェンナでは女傑の誉れ高いそうです。下はガッラ・プラキディアの廟


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2013年7月19日 (金)

長らくご無沙汰しました

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 長らくご無沙汰しました。体が悪かったわけではありません。何しろ相棒がパソコンの前にドッカーーン!!!と、根をは生やしてるんですもの。


 その間に、この本「ルネサンスとは何であったか」にドップリ。他にも、イタリア中世に近づきたいと何冊かの本をとっかえ、ひっかえ読んでいました。外は暑い!!!軽くクーラーをきかせて緑陰読書???これもサイッコーです。


 今まで、苦手意識が先に立って、なかなか読みすすめなかった塩野七生さんの本達。でも「ルネサンス・・・」の中の一文に出会って以来、急に彼女が近しい存在になりました。それは???

 彼女が学習院大学、文学部、哲学科に在席し、卒論のテーマに選んだのが、15世紀フィレンツェの美術。当時は、日本から海外へ出かけるには大変なお金がかかった時代。彼女は本物のフィレンツェ美術には触れることあたわず、本で写真を見て卒論を書いた・・・卒業して2年、イタリアへやってきて、ウフィッツィ美術館で本物を見ます。下は「ルネサンスとは何であったか」より


 ・・・・はじめて見る芸術作品の傑作の数々を前にして、私は、感動するよりも何よりも、存在しうるかぎりの神々に誓った。死んでも作品の解説はしない、と。芸術作品とは、仲介者なしで、それと一対一で向き合い、作者が表現しようとしたことを虚心に受け止めるべき物だと感じたのである・・・後、略

 どうですか・・・まさしくももりの言たいことを完璧に言い尽くした一文です。


 ももりは評論家がダイッキライ!!!若い日々、まだ外国に出ることもなく、海外の本物とては、たまに美術館で見る名品・・・ももりは、マユツバと思っていますが・・・くらい。「芸術新潮」なんかで、一生懸命、新しい美術をわかろうとしていました。当時は、NYのコンテンポラリーと呼ばれる絵画が全盛期にかかる頃、いわゆる、訳のわからんアート群こそが価値があるという時代でした。

 今、ももりは出来る限り旅をして、そこへ行かないと見られない絵画、藝術、建築、時代背景を見たいと思っています。額に絵画が入ったのは、まだ随分新しい!!!さ・あ・あ・・・ルネサンス以降でしょうか???それ以前の絵画は、教会中が絵に覆われていたり、どうして、あんな高いところにまで、絵が描けたか???と思うような、ドーム天井のてっぺんまで絵で覆っています。お墓や洞窟に描かれた古い時代の人々の息使い・・・それら、絶対に日本へはやってくることのない芸術を訪ねての旅で・・・ダイブ???人とは変わってしまった???かもしれないなあ

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2013年7月 1日 (月)

ご来場有難うございました。

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 アトリエ「桃源展」は、無事、盛会裡に終えることができました。御来場くださいました方々には心より御礼もうしあげます。皆様の暖かいお励ましを心の底に深く置いて、これからも精進したいと思います。アトリ「桃源展」は2年おき。2年後に、又、お会いしましょう。上はFさんの作品。モデルは不肖、ももりメでした。


 今日はこれから、次の展覧会の飾りつけにでかけます。
京都府立文化藝術会館、1F、2Fで行なわれる「日本水彩京都支部展」は明日からです。ゼヒゼヒ・・・

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