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2013年2月28日 (木)

ピカソ 20才から24才  青の時代

 失意のピカソは、パリからバルセロナに帰ろうとしますが金がありません。父親の送金を待ちかねています。やっと金が届きました。バルセロナへ帰った彼は一層落ち込みます。みんなに嘱望されて出て行った彼、成功はおぼつかないとは・・・つらいよなあ!!売春宿かカフェか、友人のアトリエか???しかし、女達の絵が沢山残っています。
 1902年、再びパリヘ


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 パリの生活は相変わらず貧しく食べ物もない。友人の留守宅のパンを食べてしまったりもしました。どん底の暮らし、友人マックスが一緒の生活を誘ってくれ、マックスが昼間、働いている間には一つしかないベッドでピカソが眠り、夜はマックスが眠る間、ピカソは絵を描く。自殺も考えたといいます。結局4回、バルセロナとパリを往復。何処にも落ちつける処のない暗いピカソの青春です。又、バルセロナへ

 1904年。ピカソはパリヘ。そして、そして・・・・開けゆく「バラ色の時代」・・・

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2013年2月27日 (水)

ピカソ 16才から20才 早熟な青春 放蕩無頼

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 14才で、バルセロナのロンハ美術学校へ。そこでは父が教師でしたが、もう、学ぶことはないとふてくされ、売春宿に入り浸ったといいます。マドリッドへでて王立美術学校へ入学。年齢が足りないのをごまかして受けた試験は審査員を驚かせる出来でした。ピカソの自分の能力に対するゆるぎない自信は、その後の91年の生涯に一度もゆらぐことはありません。


 その後の生涯をみても、彼のランランと輝く強い眼差しや彼独特の言葉は、常に仲間を引き寄せます。マドリッドでは、国立美術館で多くの古典に触れ、又、パリでにぎわっている印象派などの刺激も受けて、パリへ出ようと決心します


 初めてのパリ行き。同行は同い年のカサジェマス。1900年、19才を目前にしていました。
 カサジェマスは、裕福なユダヤ人の気の良いボンボンで、気弱で一途な絵描きで詩人でした。若い二人は、パリでたちまち、それぞれ恋人ができます。カザジェマスにはスペイン女性ジュルメール、ピカソにはオデット。精力的で欲望をもてあまして、女にはスレているピカソと違い、カサジェマスはジュルメールにのめり込み無理心中をはかります。たまたま、ピカソはその時、バルセロナに帰っていました。カサジェマスは友人を呼んで、食事をしている最中に拳銃で女性を撃ちます。が、弾は女性をそれ、自分は死にました。カサジェマスの母親も、それを聞いて急死。上はカサジェマスを描いた「生」


 パリへ戻り、カサジェマスのアトリエへ引越しをした彼は精力的に描きまくります。パリで最初の展覧会も開きますが、絵は売れません。貧しく、食い詰めて、道化師や病人、障害者などを描いています。下は1901年、20才の自画像  カサジェマスの恋人ともやるっていうんだから・・・もう、やっぱりイヤ!!!
 しかし、「青の時代」と呼ばれる天才的な鋭い描写の作品は、この頃から3年程の間に描かれ、結局、彼の生涯を通じての、動かしようのない技量と感受性と能力を歴史に刻み付けました。


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 放蕩無頼のピカソの早熟な青春です。その後、「洗濯舟」と呼ばれる安アパートに移ります。まだまだ、貧しさは続き、自殺も考えるほどでしたが、この切ない試練こそが彼を世に出したのかもしれません。

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2013年2月26日 (火)

閑話休題

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 マラガにて。ピカソの彫刻の婦人にキスしたがっているももり


 土曜日、午後から急になんとも言えずしんどくなり、夕方から布団にもぐりこみ、コンコンと眠る。その内にお熱が上がりだし、38・4度くらいまでいきました。食欲も何も無く、トロトロ、ひたすら眠る。日曜日、月曜日、ひたすら眠る。ともかく、トイレに行くのもつらいほど動きたくないのですが、何処といって痛くも無い。食べないからお腹もなんともない。
 月曜日の夜に食欲は少し回復。あつーいお酒をチビリチビリ。そして、今朝、火曜日の朝、体温は36・2度。やっとお医者さんに行く気になりました。


 これから人に会う機会がふえるので、インフルエンザであったら困ると思い、判定を受けましたが、結果はほとんどゼロ。ほとんど・・というのはあるかなきかの色が???ももりには着いてるようには見えなかったなあ。薬局の先生も「インフルエンザなら、2日で熱が下がるなんて事はない」とおっしゃいます。
 まあ・・・「もう、普通に生活していいですよ」って言われて、おかしなもんですねえ。薬より何より、急に元気が出ました。


 「やっぱり、年やから」とか、すっかり弱気になっていましたが、急に「3日で回復とは、まだまだ」とか・・・ハ・ハ・ハ・・・なんて勝手なんでしょう。


 インフルエンザの予防注射も受けたことがありません。「周りの人がせっせと受けてくれたら、私は風邪うつされへんていうことやろ」なあんて嘯いていました。


 それにしても、腰が痛くなって膝の痛みを忘れ、風邪で寝込んだら腰の痛みを忘れ・・・なんて勝手な身体なんでしょう。


  ア・ア・ア・・・でも、うれしいです。やっぱり働いて帰ってくる釣りキチのご飯を作って帰りを待っていたい。ん???相棒は???相棒は旅行中です。

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2013年2月24日 (日)

ピカソ 16才まで

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 上の作品はピカソ16才のもの。マドリッドで開かれた公募展に出品、選外佳作。地元、マラガでは金賞を受賞した「科学と慈愛」。バルセロナのピカソ美術館で見ました。も・お・お・・・・死んだ母親の手の色が・・・


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 マラガで生まれ、貴族の血も有る程度は引く父親は、絵描きとしては食っていけない貧乏絵描きでした。美術学校の教師となり、なんとか家族を食わせています。ピカソが、早熟な視線を、貧しさ、病気、死などに注いだのも、この貧しさにあるでしょう。しかし、父は幼いピカソの才能にいち早く気づき、その才能に賭けました。 一家はマラガからバルセロナへ。ピカソはバルセロナからマドリッドの王立美術学校へと進みますが、怠学。バルセロナでは、売春宿に入り浸ったといいます。下は、う・う・・・・ん・・・クシュン・・・ももりのスケッチ。マラガのパラドールとそこから眺めたマラガの港。ピカソが大好きであった闘牛場が見えています。上はピカソが描いた父親


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2013年2月23日 (土)

ピカソが生まれたマラガ

 マラガではピカソの生家と、ピカソ美術館を訪問。その日の午後、マラガ空港から飛び立つと云うことで、あわただしく見たのが心残りです 


マラガは素晴らしい港町でした。下スケッチはピカソの生家。4Fに住んだといいます。前は大きな美しい公園で、幼いピカソは走り回っていたことでしょう。

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 下はマラガのローマ円形劇場跡。城壁はアラブの占領時代のものらしい。


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 下はピカソが洗礼を受けた教会ですって。あ・あ・あ・・・・時間が欲しい!!!

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 マラガのピカソ美術館はピカソが80才で結婚した、最後の妻、ジャックリーヌの遺族が寄付して出来たといいます。尤も、最後の妻といっても、正式の結婚は2回目。同棲した女性は何人もいますが、最初の妻、オルガがどうしても離婚してくれなかったから、オルガが死んでくれてやっと出来たのです。
 


 次回から、ピカソについて、少し・・・思うところを書いていきたいと思います。ピカソ・・・って・・・ホント、ヒドいヤツなんですよお。特に女性にとっては・・・ね。ジャックリーヌのことは最後になるでしょうけど、書きたいと思います。この人もエゲツナイ・・・。

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2013年2月22日 (金)

春 春 春・・・

 ア・ア・ア・・・・・うれしいぃ!!!
 朝から何度か心の中で叫んでいます。きさらぎのまぶしい陽射しがお部屋にカーッと差し込むたびに・・・・今は又、雲がかかっています。
 今日は、腰痛が相当、マ・シ。なんてうれしい!!!丁度2週間でしょうか???

  

 スケッチは、カディスの大聖堂。何か事が起こって、「旅はもうムリ」となるのでしょうけれど、腰痛がマシになると、「もう次の旅は???今度こそ・・・あちらへ、こちらへ・・」と思いは遠くへ飛びます。

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 大聖堂の地下には大きな部屋が・・・カディスでは地震や津波も過去に何度かあったといいます。

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 今回、バスを止めて、道端の草むらに肥やしをやった相棒、今までも、ナンやカヤとありました。屋久島ではへたり込んでしまってニトロで下山。ギリシャでも、食べ物がダメでゲッソリ。でも、帰国したらとたんに、夜中にまでおカキをバリバリ。すぐに現状に帰ります。
 そして、もう「モアイ見に行きたい。マチュピチュも見なあかん、アイルランドもええなあ・・・」
エライッ!!!???感服するべきか???呆れるべきか???
 旅先で死ねたら本望なんですって。でも、周りは大変なんやけど


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2013年2月21日 (木)

自殺は罪

 誰も言わないけど・・・あえて・・

 ももりは、自殺も自分を殺すというレッキとした殺人だと思います。
親が悪い、いや、先生が、友人が・・・・ でも、日本人に欠けているのは自殺は大きな罪であると言う・・・哲学というか、宗教というか、教育というか・・・が欠けている。この教育が、絶対必要だと思います。
 キリスト教では自殺は罪。チベット仏教は輪廻転生で、来世は絶対人間には生まれ代われないというといいます。


 勿論、自殺できなかったから牢屋へ入れとはいいません。しかし、自殺は罪深い行為です。今まで、どれほどの愛情が注ぎ込まれたか。死んだら、どれほど周囲が悲しむか。まして、遺書なぞ残したら、相手にはもう未来はありません。マスコミは死者には絶対同情的ですが、そんな事だから小学生までが自殺をするのです。単純に考えても、若い命を殺すということは国家的損失です。

 下、スケッチはスペイン。アルコス・デ・ラ。フロンテッラの大聖堂。 
不謹慎な記事でしょうか。

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2013年2月19日 (火)

遅ればせの・・・新年会

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 遅ればせながら・・・新年会をももり宅にてやりました。もう、小学生や幼稚園の時から来てくださってる書道の生徒さん達。今では、師匠よりはるかに上手くなっている見事な弟子達です。それにぃ、若くて美人そろい。「顔見て弟子とってるんちがう???」って、よく言われています。

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 料理は、何年ぶりかの、お手製ビーフシチュウ。年もよってきたし、お肉のことをいろいろ教えてくれた、気の良いお肉屋のおっちゃんも同じ・・・何時までできるかわからないから・・・・ほとんどは、どこかのお店へ出かけるのですけど・・・
「センセのビーフシチュウーがいい」ですって。嬉しいじゃないの!!


 お料理って言うのはホント、むつかしい。今回ちょっと焦がしてしまった。は・は・は・・・・お肉屋のおっちゃんが気を入れて、取っておいてくれたお肉は、ちょっと上等すぎ。
 「これは溶けてしまわへんやろか」1.5キロのお肉の塊りを、我が家は一人一切れ。・・・やっぱり、出来上がったら、ちょっと人数分に足りなかった???


 それでも「おいしい、おいしい!!!」って言ってくれるのが、うれしいじゃありませんか!!!。こういう優しさに包まれて、なんて幸せ!!!一生のたからです。

 手作りのケーキを持参してくれた子もいます。もう、お手製というのは・・・これが・・・最後かもしれないなあ

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2013年2月17日 (日)

一体、この安堵感は???スペイン

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 さようならぁああ・・・アフリカ大陸・・・又来ることがあるやろか???


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 このレストランで食事。心底、ホッ・・始めて生野菜を食べました。生水は歯磨きすらやめた方が良いということでしたし、相棒はお腹がイマイチ・・・ほとんど食べなかったのですけど、ここは、「もうスペイン。イザとなったらお医者様だって・・・ね。ももりは少しはスペイン語もしゃべります。この後、ジブラルタルの岩山、ターリク山を小型バスで観光。


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 アルヘシラスの港町  ナントカ教会 いいよなあ!!真っ白な壁、アンダルシア!!!穏やかで快晴無風!!!心底、う・れ・し・いっ!!!もう若くない!!!この安堵感がうれしくて!!!

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 翌朝、逆光のジブラルタル、ターリク山

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2013年2月16日 (土)

フェズからいよいよジブラルタル海峡

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 フェズからタンジールへ6時間、ほとんど起伏を感じない大平原をバスはひた走ります。
360度の大平原の緑は言葉に出来ないほど美しく、オレンジ色の小さな小菊のような花が一面に広がっていたりもします。
 ウトウトして、「えらく道が悪いな。こんな道って???ひょっとして道まちがえたんちがうかいなあ???」なんて思ったら、道が壊れていて迂回。私達が来る直前までは雨季で雨続きだったんだそうです。ガイド氏に聞きましたら「この季節が終わったら大地は乾き上がってしまう」んだそうです。
 

 お・お・お・・・・海にでました。干潟に夕陽・・・・なあんて美しい!!!タンジールに近づきました。

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 翌朝の船便で ジブラルタル海峡を西から東へ移動し、いよいよスペインへ。ジブラルタル海峡に突っ立つ岩山、ターリク山はイギリス領。「ガッチリしてるよな。ここってトコはチャーンとおさえてるんやから」やっぱりイギリスかいな!!!って感じます。下はタンジールの港。この先の日記は2月10日のブログにアップしました。

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2013年2月15日 (金)

フェズ・・・エキゾティックの極み  カオス

 下はフェズの旧市街 フェズは世界遺産で9世紀のもの、世界最大級と言われているそうです。人一人がやっと通れるかというような細い道は、まがりくねって、しかも暗い。分厚い壁には窓もない。中世ってホント ミステリアス!!!でも、時には、分厚い壁の中に明るく広い中庭、パティオが輝いていたりします。


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  何でもあり・・・カオス   生きたままの鶏とか・・・・泥棒も多いらしい・・・オッソロシ!!!大きな石を足で回して、刃物を研いでる、水牛のチーズを布巾で丸めてる、キャッ!!!らくだの頭がぶら下がってるぅ・・・らくだの顔って人間に似てるからあ・・・写真は、人間とか、タダで撮るのは禁止!!!  


 それにしても、街を分厚い城壁で取り囲み、家の周囲も分厚い壁で窓すらない。道は狭く曲がりくねって・・・とも角、外から攻められない、攻めにくい・・・を至上命令とした人間の集落だったのでしょうか。
 古来、フェニキア人、カルタゴ、ギリシャ、ローマ、アラブ、スペイン、イスラムに攻め立てられ、キリスト教、イスラム教、土俗の宗教がゼェーンブごった煮・・・カオス・・・ですねえ。


 下は皮なめし工場。多くの人が色の水の中で作業している。大きな展示室は皮製品が溢れかえっている。何しろ、値切らないといけないそうで、日本人とモロッコ商人の掛け合いを見学。9000円って云っていたバッグを4000円で買った人がいました。

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2013年2月14日 (木)

映画「カサ ブランカ」とモロッコ

 なんとか、やっと、今回の旅をホームページにアップしました。そちらは時系列です。左の「山口ももりのホームページ」からゼヒゼヒ 

モロッコ・・・映画「カサブランカ」とか、「アラビアのロレンス」・・・・旅の前は、その映画くらいしかイメージするつてもありませんでした。下は、「カサブランカ」ハンフリーボガードやっていたカフェですって。


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 映画「カサ ブランカ」・・・何度か見た映画です。
時は第2次世界大戦のころ。モロッコはフランス領であった。リックはここ、カサ ブランカで怪しげな店をやっている。ここは偽旅券の売買もありうるという空間。ナチスの手を逃れてアメリカへ亡命しようとする人々がやってくる。その中にかつての恋人、イングリッド・バーグマンがいた。彼女とは、レジスタンスの仲間であったが、ドイツ軍がパリへ迫る中、二人は一緒に逃れようと約束したのだった。しかし、彼女は約束の時に現れなかった・・・・深い霧の中・・・アメリカへ飛び建つ飛行機・・・・リックは彼女と夫のために、一人モロッコに残ったのだった・・・


 アルジェリアでは先日、多くの日本人が殺されました。アルジェリア、マリ・・・・旧フランス領の国々です。モロッコがフランスから独立したのは1943年。
 下は、ルーズベルト、チャーチル、モハメッド5世、ドゴールが北アフリカの戦後処理を議題としたカサブランカ会議が開かれたという国連広場。戦勝国が広大なアフリカ大陸に真っ直ぐな国境線を引いたっていうのが、今も問題を難しくしているようです。ウ・ウ・・・・ン。下はカサブランカにて国連広場 


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下はラバトにて、王宮と衛兵


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2013年2月13日 (水)

マラケシュの夜

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 モロッコでは、ともかくタジン料理。最近日本でも流行っているようですが、クッタクタに煮たお野菜のサラダは香辛料がきつくて、ももりはおいしく、沢山いただきましたが、相棒はたちまち、お腹にきてしまいました。脂汗を流して「バス止めてもろてえな」・・・まあ・・・道は草原の中ですから・・・畑の肥やしをやるハメになりました。スケッチは馬を乗り回してパンパーン・・・・夜のショーです。


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 たかのてるこさんの「モロッコで乾杯」に盛んに登場したジャマ・エル・フナ広場。コブラが鎌首をもちあげています。ミントティーをいただきながら、夕陽が差し込む広場を見下ろして現地の方々とおしゃべり。

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2013年2月12日 (火)

モロッコという国

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 飛行機が高度をグッと下げてマラケシュの空港に着陸します
凄い!!!素晴らしく美しい緑の大地です。遠くに山も見えない大平原。モロッコ、アフリカと言えば、荒涼とした砂漠のイメージを抱いていたのですけど・・・


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 「あ・あ・あ・・・・やあっとたどり着いた・・・・」もうクッタクタです。
「目的地へ着くまでに草臥れてしまうようになったら、旅もおしまいやね」なあんて友人に言われてきましたけど・・・なにしろ、イスタンブールまで13時間、空港で次の飛行機への待ち時間5時間以上。さらに、カサブランカまでは5時間・・・・え・え・えっ・・・・・23時間ですよお・・・
 


 最近は、もっぱらパックツアーですけど、空港から出たら、ちゃあんと旅行社手配のバスが待ってくれてるってのは、なんとも素晴らしい安堵感です。個人なら大きなトランクっを押しながら、売り込んでくる怖い目つきの自称ガイド達に取り囲まれるっていう算段になるんですから。
 あ・あ・あ・・・・やぁっと安心して・・・バスに揺られて・・・旅は始まりです。

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2013年2月10日 (日)

ジブラルタル海峡・・・波もなし

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 アフリカ大陸、モロッコのタンジール港から、ジブラルラル海峡を東へ、スペインのタリファ港へ・・・1時間。この日、快晴、無風・・・ヘラクレスの柱は輝いていました。
 古代、フェニキア人にとって、この柱より外海に出るのはおそろしい事だったとか・・・海は突然崖になってなだれ落ち、船乗りたちは船もろとも海のもくずに・・・って感じだったのでしょう。
 アフリカとスペインも、ホント、目と鼻の先です。


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 大昔、フェニキア人たちが船を乗り回した地中海。この海峡の外は外海、大西洋です。ヘラクレスの柱と呼ばれ、海中に屹立するこの岩山は、今は、イギリスがガッチリ軍事施設として領有しています。勿論、スペインも領有権を主張していて、いろいろ摩擦があるようです。
 聞くところによりますと、住民投票では、イギリス領の方が良いという住民は3/4で、スペイン領であって欲しいと思う人は少ないんだそうです。

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 この大きな岩山は、711年、ムーア人、ターリクに占拠され、ターリク山と呼ばれたのだそうです。島内は、小さなバスで観光。野生のおサルさんは、のおんびり。バスの屋根に乗ったり、運転手の肩に乗ったり。鍾乳洞もありました。

 帰国前後から腰痛・・・ト・ホ・ホ・・・・何時だって旅行中は、パワー全開なのにねえ。

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