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2013年1月28日 (月)

しばらくブログお休みします

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しばらくブログお休みします。

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2013年1月24日 (木)

ヘラクレスの柱を見たい

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地中海へ入る喉元、ノドチンコにあたるジブラルタル海峡へ間もなく出発。
冬のジブラルタル海峡。モロッコから海峡を越えて、つまり大西洋から地中海へ。その昔、「ヘラクレスの柱」と呼ばれた大きな岩を中心にすえた企画を見つけて、早速、相棒と二人申し込みました。
 


 丁度、3月の大きな展覧会の前、すき間の空き時間!!!お隣は、今、大変なアルジェリアですし、冬の地中海ってのが結構激しいと聞いてはいますが・・・ね。もう、72年も生きたんですから、何かあっても・・・それでも行きたい!!!行く!!!

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2013年1月21日 (月)

柴五郎その後

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 上は柴五郎、下は西郷どん。これじゃあ、勝負にならないねえ。


 ももりは以前から、どうも、西郷どんは好きになれません。写真は、中に焼酎が入っていて、屋久島に行った時に鹿児島空港で買ったもの。中味は美味しくいただいきました。けど、このだらしないおなかやらどんぐり目だけでなく、維新成立前には、後方撹乱の為に江戸に騒擾事件を起こしたとか・・・やり方が汚い!!!。大体、錦の御旗なんて・・・担ぎ出して・・・これに日本人がコロリと参ったって云うのは、いかにも日本的な不思議です。一体???ドイツが考案したん???

 前回のブログは、柴五郎が陸軍士官学校に入るあたりで、本人の語りは終わります。
本来、世に出すつもりではなく、祖母、母、姉妹の回向のために寺に納めるべく、半紙にぎっしりと細かい字で記されていたと、あります。
 10才にて城は落ち、一転、極貧の生活であれば、本来の教育が受けられなかったことを恥じ、文字の乱れなど無いかと云うことで、出版にいたる作者の手に渡ったようです。

 柴五郎のその後は、軍人としての生涯です。北清事変(柴五郎43才か)の時に、数十倍の敵と戦って列国の公使館を守り抜き、諸国の尊敬を獲たとあり、日英同盟も彼の人格による所が大きいそうで、明治の、日露戦争の勝利にも彼の貢献は大であるといいます。


 第2次世界大戦の敗北を見てからの死でした。
日中戦争では・・・・この戦は負ける・・・と見通していたといいます。明治の軍人に比べ、あまりにも程度の低い昭和の軍人、戦争指導者でした。とも角、純朴な優秀な若い者の命を粗末にしたってのが許せません。この若者達だけが、日本の宝であり資源でり、尊いものであったのに・・・
 

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2013年1月18日 (金)

「ある明治人の記録」 会津人柴五郎の遺書

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この小さな冊子、ブログで紹介されていまして、早速図書館へ。借りてきたその晩に読み上げてしまいました。読みやすい文語体で格調高く、一言片句、無駄な言葉というものがありません。今日、日本人が忘れてしまった武士の精神と誇り。ガーンと頬ゲタをなぐられたような感じです。


 鮮烈な語り口です。突如、朝敵とされ賊軍の汚名をきせられた会津の人々。柴五郎が裂ぱくの気合をこめて書き上げた遺書です。主人公の父は280石の隊長、常に裃着用の重臣です。5人の男子と6人の姉妹の5男に生まれ、会津戦争の時は10才。

 会津落城。突如として一家は没落。祖母、母、姉妹、おなごは全部自刃。戦いに出かけた男達は傷つきながらも、生きて会津へ帰りますが、その後の苛酷な運命と戦うことになります。青森県、現在のむつ市、への移封。苛酷なすざまじい寒さと飢えの中、よくも生き残れたと思うほどです。
 ・・・建具あれど畳なく、障子あれど貼るべき紙なし。板敷きには蓆を敷き、骨ばかりなる障子には米俵を藁縄にてしばりつけ、戸障子の代用とし、炉に焚き火して寒気をしのがんとせるも、陸奥湾より吹きつくる北風強く部屋を吹き貫け・・・炊きたる粥も石の如く氷り・・・食べる物といえば、海岸に流れつく昆布ワカメなどをくわえた薄き粥・・・


 
 極貧の中、「侍の子である」と云う誇りに拠って、生き延びます。「負けてたまるか、生きていも(薩摩)に恥をすすぐまでは・・・一途な激しい会津武士の魂魄です。

 柴五郎は87才まで生き、軍人として日本のために尽くしましたが、寡黙にして功を語る事は少なかったといいます。

 すごいなあ!!!ご先祖様たち
それにしても「今どきの、軽る者!!!」
あ・あ・あ・・・・・

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2013年1月16日 (水)

「カディスの赤い星」逢坂剛

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 大分前からももりの本だなにあった本ですが・・・
間もなく行くジブラルタル海峡のパックツアー。カディス、マラガ、アルヘシラスに立ち寄るとありますから、読み直してみました。全く・・・落書きまでしてるのに記憶はゼロ。でも、ダカラー、初めて読んだみたいに面白く読めました。まあ・・・登場人物が多すぎて、ももりの頭では・・ちょっと苦労しましたが面白かったです。

 さあて、カディス・・・早く行きたい!!!
京都水彩の絵も日本水彩の絵も手元から出ていったから・・・


 あ・あ・あ・・・・♪♪♪ 早く来い 来い・・・旅立ちよ ♪♪♪

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2013年1月15日 (火)

活字大好き

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 このところ、引きずり込まれるように読む、という本との出会いがありません。


 先日、図書館で借りてきたエッセー集に面白い文章を見つけました。
柳沢桂子氏の「いのちのざわめき」からです。柳沢氏は植物学者の娘。コロンビア大学大学院卒。若くして病にたおれ、詩人。生命科学の著作を世に出した方と云うことです。


 ・・・人間の子供が男女の接触によってできるということは、かなりわかりにくいことであったようである。妊娠から出産までに10か月もの期間があることが、この因果関係をつけることを困難にしていたらしい。・・・・略・・・
 人間は男女と妊娠の関係に気づき、さらの子供が親に似ることにも気づくようになった。紀元前400年には、ヒポクラテスは、からだの色々な部分が何かの物質を作り出し、これが親から子に伝えられる為に子供が親に似ると考えた。
 アリストテレスは、紀元前350年ころ、子供は月経血が精液によって固まった凝固物から発育するもので、人間の霊魂は受胎後5日目に子宮の中に入ると考えていた・・・・


 遺伝子を人工的に作り出すような現代になって、果たして人間って幸福になったんやろか???



 それにしても、紀元前、3000年以上も前、ミノタウロスは牛と人間のあいのことして生まれたんやネエ。クレタ島のミノス王は、お祭りに、ゼウスから借りた白い雄牛を、あまりに美しいものですから返さなかった。別の牛を返した。怒ったゼウスは、お妃が雄牛に恋するようにしむける。大工ダイダロスが作った牝牛の作り物の中にはいって、思いを遂げたお妃が生んだの子は、上半身は牛、下半身は人間・・・ピカソがせっせと描いています。


 新しい科学が、牛と人間のあいだの子を作り出さないことを祈ります。

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2013年1月12日 (土)

たかのてるこが理解したチベット仏教

 先日アップした「ダライ・ラマに恋して」で、大いに感じるところがありました。ももりより30才ほども若い方のお話に目からうろこ・・・彼女、確かにただものじゃありません。

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 つぅまぁりぃ・・・日本人のよくいう「罰があたる」って云うことについて・・
「仏教って言うのは節理、自然科学みたいな学問であって、仏陀は、悪い事をしたヤツに罰を当てるなんてことはありえない。仏陀は、キリストやイスラムの神みたいな、絶対的な力を持った存在ではないのだから」、「たとえ、今までに罰のあたりそうなことをしていても、これから改めて善いことをしたら、因果応報で未来には良いことがある」


 人間は善をなしたら、来世も人間に生まれ代われる。悪いことをしたら虫けらや獣に・・・「自殺は絶対悪いこと。生き物の命を奪うことは全て悪、まして自分の命を自分で奪うなんて・・・来世人間には、絶対生まれ代われない」

 本は暮れに図書館に返してしまいましたので、うろ覚えです。でも、うろ覚えでも、こうして頭に残るって事は、凄いことじゃない???ももりも、普段、ちょっとはバチのあたりそうなことを云ったりしたりしてるから・・・これから、世の為、人の為・・・

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2013年1月11日 (金)

間もなく・・・京都水彩展の出品

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 どっちにしようかなあ??


 最近、人様に喜んでもらえそうな絵を描いていません。乞食とか・・・道ばたで何かを売ってる子供とか・・・赤ん坊を抱えた子供みたいな若く貧しい母親とか・・・
 時々、「飾ってくださいよ」とか「個展を」とかお声をかけてくださるんですけど・・・人様に喜んでもらえそうな絵じゃないから・・・


 でも、とも角、展示してくれる場所があるなんてありがたいことです。
さ・あ・あ・あ・・・又々・・・ちょっと汚い画面ですけど・・・

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遅ればせながらの初詣で  信貴山

 1月8日・・・空は見事に晴れ上がって、冬を忘れるほどです。やっと家族から開放されて、ひとり、フラーッとどこかへ行きたい!!!


 一度行って見たい思っていた信貴山へ!!!


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 信貴山縁起絵巻というのを、画集で見た記憶がありましたし、信貴山城という名にもうろ覚えの記憶があります。かの腹黒い謀略の主、松永弾正の城跡があるというじゃありませんか。  


 松永弾正・・・確か、信長に攻め亡ぼされた・・・その前夜、秘蔵の茶器、つくも茄子・・・??だっけ???を所望する信長に、「この茶器 信長メに渡すくらいなら」とハッシと投げつけて・・・攻め亡ぼされたとか・・・どこかで、いつか、誰かの本で読んだ記憶あり。確かめる気もなくて、間違っていましたらご教示をおねがいします。


 信貴山城跡は、標識のみ。標高400メートルちょっとののぼり坂であごを出すとはなさけない。ももりも、翌日はン才のお誕生日・・・は・は・は・・・

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2013年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

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 本年も宜しくお願いもうしあげます。

蛇の誘惑に負けて、禁断の木の実、リンゴを食べてしまったアダムとイーヴ。そして、楽園を追われて以来、ずーっと、今も楽園から追放されっぱなし???なんでしょうか???

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