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2012年11月 6日 (火)

セーヌは流れる・・・アンリ4世通り

  
 今回のパリ、シテ島をやたら歩き回りたい。バスチーユ広場から、アンリ4世通りを歩いて、サンルイ島へ入り、シテ島へ。そしてシテ島ではコンシェルジュリー宮殿を見学して、マリー・アントワネットの牢獄内の生活の人形を見たり、ギロチンも見たい、という予定です。予習通り、サント・シャペルとサン・ジェルマン・デ・プレ教会も見学したいと歩き始めます。先ずはメトロでバスチーユへ。スケッチはバスティーユ


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しっかり、アンリ4世通りを発見。嬉しいじゃないの。

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 アンリ4世、アンリ・ド・ナヴァールと云う人、フランスでは一番人気のある王様だと云います。
新教と旧教が激しく争っていた時代。「サン・バーテルミの大虐殺」・・・・このことは、もう大分前ですが書きましたけど、もう一度あらましを書きましょう。娘、マルゴの結婚式にと招待されて、パリに集まったプロテスタントの貴族たち。なんと、2日間にわたって3000人が殺された・・・カトリックとプロテスタントの激しい宗教戦争です。黒幕は、マルゴの母親、かのカトリーヌ・ド・メジチとか???婿がこのアンリ・ド・ナヴァールです。セーヌ河の流れが死体でせきとめられるほどに・・・1572年のことです。

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 ナヴァール王国、ピレネーをはさんで領地を持っていたナヴァール(スペインではナヴァラ)から婿入りしたアンリは、プロテスタントです。カトリックの牙城パリへも入れてもらえず、シャルトル大聖堂でカトリックに改宗しました。「ナント勅令」を出して、新旧両教の平等を認め、これより宗教戦争は終焉に向かいました。彼、アンリ4世から、王朝がヴァロワ家からブルボン家に変わりました。ルイ13世はアンリ4世の息子です。


 ルーブル宮の大改造、ポン・ヌフ(新橋)、国王広場など、パリの美化に力をつくしました。しかし・・・あ・あ・あ・・・・この王も狂信的なカトリック教徒に暗殺されて、その生涯を終えました。

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コメント

山桜様  オ・オ・オ・・・ナントうれしい!!!私より、早々と、上に行ってますよ。私は「一日不書 便覚思渋」なんて知りませんでした。顔真卿はもっと面白いはずです。だって、安思の大乱???字が違ったか???調べなくてすみません・・・で玄宗皇帝や楊貴妃が登場するんですから。たしか・・・・井上靖だったか安緑山を描いて愉快だったのは・・・忘れちゃったなあ。

kazuyoo様・・・・オ・オ・オ・・・違いますよ。殺したのは嫁側・・・しかも、嫁の母親、カトリーヌ・ド・メジチと云うのが専らの噂です。婿のアンリはよく無事でいられたもんですよ。ともかく、「3アンリの戦い」ってのがあって、カトリーヌの息子2人とものアンリと、親戚のアンリとが戦ったっていうんですけど。・・・・まあ・・・読んでもこんがらがって・・・は・は・は・・・

投稿: 山口ももり | 2012年11月 6日 (火) 11時30分

楽しかったでしょう。お帰りなさいませ。
結婚式での多数の殺人事件、テレビで見ました。ドキュメント仕立てだったのか、ドラマだったのか?ですが。
人気がある、不思議ですね。大虐殺をした人なのに。でトップの暗殺は日常茶飯事に起きた時代なのかな?。

投稿: kazuyoo60 | 2012年11月 6日 (火) 10時28分

ももりさん、おかえりなさいませ!
おみやげ話ゾクゾク…ワクワク楽しみです♪
歴史の舞台に実際に立っている感覚、溜まりませんね。
宗教抗争、死屍累々の川、ギロチン、
そんな流れの上に今のパリの時がまた流れて…。

次は顔真卿と中国書の流れを探っています。
臨書も米芾さんの
「一日不書 便覚思渋」
の気持ちで机に向かってます。

投稿: 山桜 | 2012年11月 6日 (火) 10時28分

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