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2012年11月30日 (金)

「大津の皇子をしのぶ」会に参加しました

 友人がくれた奈良のミニタウン誌に、この催しを見つけました。これは行きたい!!!しかし、近鉄畝傍駅に9:30分に・・・てのはちょっと厳しいなあ。京都の我が家を出るのは7時半か・・・まあ、予約の必要なさそうやし・・

 夜半、激しい雨音・・・「どうやろか???」しかし、朝起きたらほんのショボショボ
「こんなので止められるか!!!行く!!!」7時半家を出ます。


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 畝傍駅から10人足らずずつのメンバーに分かれて、ガイドさんが3人もついて歩きはじめました。先ずは田んぼの中の道を通って本薬師寺へ。薬師寺は、元々、ここにあったんだそうです。


 藤原宮跡を経て、香具山へ。以前、この道は頂上へと登りました。結構急なのぼりやったから「ヒーッ!!!」と思ってたら、途中まで。中腹を左に巻いて「ここが舒明天皇の国見されたところです」って。
  あ・あ・あ・・・大和は国のまほろば・・・続き???なんやったかいなあ???
 


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 香具山の裾を巻き、コンクリート道を横切り竹薮の中へ。これは連れてきてもらわないととても行けないなあ。池は二つ。しかしこれは新しい時代のため池だそうです。上は磐余池(いわれ池)跡地。一面の原野です。 


 大津の皇子は死を賜り自刃。お妃がはだしで髪ふり乱し、追いかけてきて死んだといいます。持統女帝が、わが子草壁を次代の王にするために、ライバル大津の皇子を殺した・・・しかも大津は姉の子ですぞ


 足引きの 山にしずくに 妹待つと わが立ちぬれし 山のしずくに(大津の皇子が恋人の大名児におくったお歌)・・・大名児は草壁の妃であったとか・・・草壁と大津、この、いとこ同士の皇位継承者には女性を巡る争いもあったらしい

 吾を待つと 君がぬれけむ 足引きの 山のしずくに ならましものを(大名児の返歌)

 大津の皇子の姉、大伯皇女(おおくのひめみこ)は伊勢の斎宮に仕える独身女性。神に仕えて男性との交わりは許されない悲しい宿命です。彼女が弟、大津におくったお歌が・・・

 わが背子を 大和へやるとさよふけて あかとき(暁) 露にわがたちぬれし

 あ・あ・あ・・・・大和へ帰ってしまったら死を命じられる弟よ。あなたを思って、私は暁の露にぬれて立っている・・・


 うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を いろせとわが見む
同じく、姉、大伯皇女(おおくのひめみこ)が、弟の死の後、詠んだお歌。 自分はまだ生きてこの世にある。でもあなたはもういない。明日からは二上山をあなたと思ってながることでしょう。


 ボランティア主催というこの催し、本当に有難うございました。とても嬉しかったです。

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2012年11月29日 (木)

吉野の宮瀧 あこがれの・・・

 万葉集に、くり返し出てくる「たぎつ河内の吉野宮瀧」・・・・もう随分以前ですが、吉野の和紙工房を訪ねたとき、工房の主に「宮瀧」の行き方を教えてもらって探したのですが場所がわからずじまい。今回、歴史大好きの弟が「ほな、連れてったげる」っていうことで実現しました。


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 「ボクも初めてやけど・・・バス停にしか名前は無かったような気がするけどなあ」
 「それでも、なんでも・・・エエから行きたい!!!」スケッチはバス停宮瀧あたり


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 それがそれが・・・ここ・・・もう感動!!!資料館は開いていない。人がよっぽど少ないらしい。下は資料館

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 「淑人(よき人)の よしとよくみて よしと言いし 吉野 よく見よ よき人よきみ」 


 「見れど飽かぬ 吉野の河の とこなめの 絶ゆることなく また かへり見む」


 まああ・・・万葉集・・・ももりりには難解です。でも、くりかえし、書いたり、口ずさんだりしているうちに、なんとも、その大らかさ、豊かな感情、激しさ、言葉の響きの美しさ・・そして表現の的確さ・・・が迫ります。万葉集を知ったことだけでも書道をやって良かったと思うくらいです。 


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持統女帝が何度もみゆきしたというここ宮瀧。行宮は、勿論、今はありません。大きくカーブする吉野川にいだかれた狭隘な山中です。これは・・・大水でも出たらイッパツやなあ!!!って思いました。古い「宮瀧醤油」のお店がある辺り、そのあたりが宮瀧の所在地らしい、ということでした。

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2012年11月25日 (日)

岩の上に一番最初に立った人 フランスはロカマドール

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 そそり立つオーバーハングな岩の上に建つ教会・・・これを一番初めに建て始めた人って???一体???人間の情念の不思議を見る思いのする、ロカマドールのノートルダム礼拝堂。12世紀ですって


 教会内は簡素です。この地は旧教徒が多く、多くの犠牲者が出たといいます。1400年から1500年頃のフランス王国の旧教徒弾圧は、かの有名なカトリーヌ・メディチの話にもでてきます。サン・バーテルミの虐殺。あれは・・・たしか・・・1458年???


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 以前「けがれなき悪戯」と云う映画を見ました。この話をすると良く「禁じられた遊び」と間違える方がいらっしゃいますが、違う映画です。

 スペインの寒村・・たった一人だったか??4人だったか???何も無いところにやってきた修道士、ある日、石を運びそれを積み上げ始める・・・最初不審に思った村人もやがて協力して、教会が建つ・・・こんな所に教会を建てようとした最初の人は???なにを???どう考えた???その一人の人間の情念が、協力者を集め、やがてこの巨大な石の教会に結晶していく・・・何人もの工夫が崖から転落死したにちがいない。


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 上、スケッチは黒いマリア像。船乗り達の守護神だったそうです。外部のフレスコ画が12世紀のものですって。12世紀といえば、巡礼真っ盛りの頃。スペイン、カスチージャとトレドの領主アルフォンスが二つの村を巡礼道として献上したとか・・・信仰心っていうものかなあ!!

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2012年11月22日 (木)

17000年前の人々  ラスコーの洞窟

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どうですか!!!・・・・今の人がこの絵を描けるでしょうか。ベゼール川近くに住んだ先史時代の人々の荒い、熱い息使いが聞こえてくるようじゃありませんか。


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 フランスのラスコー、スペインのアルタミラ・・・先史時代の絵画です。人類って本当にすばらしい!!! 1万7000年ほど前の芸術です。


 旧石器時代は、まだ石を加工しない時代。新石器時代になると石やじりや、石斧、石の包丁とか、石を加工する段階なんだそうです。先史時代・・・クロマニョン人・・・ももりたちのご先祖様です。
 旅に出る前、高校教科書の地図帳を見ていましたら、ラスコーの近くに「クロマニョン」と云う地名があるじゃないの!!

 ラスコーを見学して、説明してくれたガイド氏に早速聞きました・
「クロマニョンって言う地名がこの近くにありましたが、そこで頭蓋骨とかが発見されたのでしょうか」


 クロマニヨンと言うのは現代人、ホモ・サピエンスをさす言葉だそうで、どうやらこの地から頭蓋骨が出たのではなさそうな・・・あ・あ・あ・・・言葉が話せたらなあ!!!もっと突っ込みたいポイントです。


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 写真、最後はスペインのアルタミラの洞窟絵画。これは以前に記事にしました。サンチアゴ・デ・コンポステラへの旅の途中です。ここ、フランスのラスコーとはごく近いイメージです。「どちらが古いのですか」と聞きました。こちら、ラスコーの方が古いんだそうです。

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2012年11月19日 (月)

フランスの小さな村・・・カルカッソンヌ

 雨・・・ここは2度目・・・やや黄葉
カルカッソンヌは、スペイン、フランスの交通の要所で、歴史は古い。ローマ時代、古代ガリアの駐屯地で、BC6世紀にはローマ人の城壁が築かれていたといいます。その規模はヨーロッパ最大だそうです。

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 はね橋があったサン・ナザール門を渡ります。


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 外壁と内壁の中を歩く。


 サン・ラザール教会はロマネスク様式。涙を流すマリアの像に抱かれたキリスト、ピエタ像は、口の中の歯まで描かれていた。スケッチはできず


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 13世紀、カタリ派と云うキリスト教の一派として弾圧を受け、十字軍に水路を絶たれ陥落。以後、荒廃にまかされていたといいます。何度も何度も苦労した土地。交通の要衝なんですねえ。

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 8.5ユーロでとりでの中へ入る。出口がわからず往生しました!!!

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2012年11月18日 (日)

フランスの小さな村  コンク  サントフォア教会のタンパン

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 アルビを出発。真っ白な深い霧。時に太陽がのぞく。この様子では、今日は良いお天気でしょう。 


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 霧の中に浮かび上がる城塞の村・・・いくつか同じような村を見て通りすぎる。


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 コンクは、ここ、サント・フォア教会のタンパンがよく知られている。タンパンとは、教会の入口の上部のこと


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 中世の教会を見るのに一番楽しみなのがタンパン。文字が読めない民衆のために、彫刻や絵画で聖書の内容を面白く描いています。11~12世紀の頃、民衆の中から、一大巡礼ブームが沸き起こり、多くの民衆が聖地を目指して旅をしました。ももりも2度、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステラの巡礼道を訪ねています。


 ロマネスク芸術と呼ばれる、素朴な民衆の芸術、石材も身近なものを使い、絵画もどことなく子供っぽく、なんとも愛嬌があります。例え、地獄の閻魔様???イヤイヤ、サタンや悪魔や怪物すらどこかおかしい。ユーモラスな顔立ちなんですよ。

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 たとえば、このタンパンの中段、真ん中は神・・・ハ・ハ・ハ・・・さしずめ地獄の閻魔様・・・左5人目はシャルルマーニュ大帝ですって。神の前に出るのが怖くってだだをこねてるのを、ペテロが手を引っぱって連れて行くところですってサ。フランク王国をまとめ上げた一大英雄も神の前にでるのは怖い・・・は・は・は・・・楽しいねえ。

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2012年11月16日 (金)

フランスの小さな村・・コルド・シュル・シェル

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 フランスには、政府の認めた「小さな美しい村」と云うのがいくつかあるそうで、この村も、標高320メートル人口1000人足らずの小さな丘の上の村でした。巡礼道の村であったそうで、まるで、中世を歩くようです。上は廃墟のままの城壁。下の真っ白な小さなトラムに乗って丘にのぼります。

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 教会は何処でも村の中心です。シュル・シェル・・・とは、つまり空の上の・・・と言う意味らしくて、正しく「天空のコルド」村なんですねえ。


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  上は古い商館。下は集会所みたいなところ。


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 日本でも、山城は戦国期、平城は徳川政権が固まってからと聞きます。フランスも、小高い丘には必ず城塞が築かれています。このだだっ広い平原では敵から攻め立てられるのは常時であったことでしょう。

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2012年11月15日 (木)

フランスの農村が美しいわけは???

 12月には選挙っていいます。一体、誰が、どの党が、チャアンと責任を持ってやってくれるんやろ???ちいいっとばかりのぞいてきたからって、フランスと日本と比べてどうのこうのというのは、ホント、いやなんですけど・・・

食料はもちろん輸出国、電気も原発で輸出しています。地震の無い国だから国民からは原発に文句も出ないとか。武器を売って、海外で核実験をしまくり、商売が実にうまい・・・日本とは対極にある???国として・・・どう有るのがいいのか???

 フランス・・・本当に美しい!!!高速道路沿いには下品な看板まるでなし。チリ一つ落ちていません。ま、尤も、小さな町ではアチコチにワンコの落し物が・・なんでも、鎖につなぐほうが動物虐待にあたるんだとか・・・尤も、しっかりしつけてから飼うのが義務化されているんだとか聞いています。フランスではホテルでも絶対にはだしにならないこと。スケッチ下はトイレに立ち寄った小さな村


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 なんと云っても、農村がきれいです。完璧に管理されてホーッタラカシの荒地っていうのをほとんど見かけません。農業は保護されてるの???日本では保護したら荒れるみたいですけど・・・歴史ばっかり調べず、政治の現状こそ知るべきかも。スケッチ下はサンシル・ラポピー


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 以前の旅の時、日本では成田空港に1軒だけ立ち退かない家があって、工事が遅れているというのが、改めて、石原慎太郎知事の下で大きく取りあげられていた時でした。ドゴール空港は確か成田の19倍の広さだったっけ???
「フランスは自由の国なんでしょ???立ち退きとかは、強制的にさせられるのですか」と聞きましたら」「フランスでは、そんな場合、さっさと退かなかったら、公共の利益に反すると言うことで大変な罰金を払わされる」と云う答えでした。

 


今回の旅の前、フランス革命の歴史をザーッと調べたのですが、あの王様とお妃・・・同情しようにも、どうにもできないあのお二人が処刑されて王様がいなくなってからの人民政府の酷さ・・・知性も何も無い人民の集団の怖さ・・・を知っているからこそ、個人の自由と、国としての規制、つまりは政治の力・・・が個人の自由を制限しているのでしょうか。
 ひるがえって日本の国土・・・ここまで荒れてしまったのは、土地の私有権の野放図に問題があると思うのは私だけでしょうか

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2012年11月14日 (水)

フランスの1/3ほどがイギリス領だったころ


 フランスの歴史、実に華麗でしかも残酷。イギリスもしかり。そもそもイギリスの王様の祖先はバイキング、と云うのはよく言われてることですが、そのバイキングの王様というのはフランスに居ついてしまったバイキングのことです。


 北フランスをバイキングが侵攻しはじめたのは9世紀半ば。最初、バイキングはやって来ては略奪の限りを尽くし、海が荒れる前に帰って行ったが、そのうちに、金品を与えて、ご帰国を願うようになり、やがては・・・住み着いてしまいます。ロロと呼ばれたそのバイキングの首領がノルマンディー公と呼ばれ支配者となったのが911年のこと。1066年にはイングランドを征服し、イギリス王朝を開きます。


 フランスは先祖代々、「サリカ法典」と云うのがあって、男子相続でしたが、跡継ぎ男子がいないと常に争います。1154年、フランスのアンジュー伯、アンリがイングランド王に即位し、イギリス支配は海を越えてフランスを圧倒します。アンリがもともと持っていたノルマンディー地方に加え、お妃の領地、アキテーヌとポワトーをも領有します。上の地図


 今回の旅はアキテーヌ地方。パリに出るためのTGBでポワトーと云う駅を通過しました。


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 上スケッチはバイキングの襲来や新旧キリスト教による略奪被害を逃れて、切り立った岩山の洞窟に逃げたという、ラ・ロック・ガジャック。前はドルドーニュ川。バイキングの船は底が浅く、川を遡って侵入してきたといいます。


 下はボルドー。カテドラルと国鉄駅。ここ、ボルドーもガロンヌ川を遡れば、バイキングは苦労なく来たやろなあ。苦難の歴史の地です。

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2012年11月13日 (火)

カオールの赤ワイン

 ももりの旅の意欲の元は、勿論美術史もあるけど、大きな部が活字です。
中学生時代の「世界名作全集」その中のピカⅠが、アレクサンドル・デュマ「モンテクリスト伯」。ピカⅡがユゴーの「レ・ミゼラブル」そして、それらは、どちらもおフランス

 ご存知、アレクサンドル・デュマ「モンテ・クリスト伯」あまりにも有名ですが、あえて少しだけあらすじを書きましょう。
 マルセイユの若き船乗り、エドモン・ダンテスは長い航海を終えて、マルセイユの港に帰ってきます。勢い込んで坂を登って恋人メルセデスに会いにいくのですが・・・


 恋人は盗られ、無実の罪をでっちあげられて、マルセイユ沖の孤島の牢屋に閉じ込められて15年・・・岩屋の牢を掘り進むうち、きちがいぼうずと呼ばれている老人と出会います。向こうからも岩穴を掘っていた・・・老人から「モンテ・クリスト島」に隠されているというチェーザレ・ボルジアの財宝の話を聞き、地図をゆずられます。老人は死に、彼は老人の死体と入れかわって、海に捨てられます。脱獄は成功。
 モンテクリスト島で財宝を得て、一躍大金持ちになったエドモン・ダンテスは自分を陥れた3人の悪人に復讐のための旅に出ます。マルセイユからエックス街道を北へ。

 ポン・デュ・ガールの場末の酒場を営む悪人カドルッス。彼は落ちぶれて店はもうどうしようもない。そこへ現れた紳士、モンテ・クリスト伯。悪人カドルッスはエドモン・ダンテスとは気づかず、「最後の一本」のワインを出します。それが、カオールの赤ワインなのよねえ。黒ワインとも云われるほど、濃い赤色のワイン・・・濃厚なお味で、おいっしい!!!スケッチは以前の旅から、ポン・デュ・ガール



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 上、スケッチはサンテ・ミリオンのワイン蔵。カオールからごく近い。下は一面のワイン畑。完璧に管理されて実に美しい。命を掛けてるって感じです。


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2012年11月12日 (月)

「マルセル」高樹のぶ子   ロートレックの作品のなぞ

 ロートレック美術館は、解説してくれたガイド氏のお話が長くてスケッチする時間はなかったのですが・・・気になっていた作品「マルセル」を見てきました。高樹のぶ子氏が、毎日新聞の朝刊に連載していて、毎朝待ちかねて読んだ作品です。

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 「マルセル}は1968年、京都国立近代美術館にて開催された「ロートレック展」の会場から忽然と姿を消した・・・盗まれた・・・これは事実で、警備員が一人自殺しています。当時大変な話題になった事件です。絵は時効成立直後、1月に戻りましたが真相は迷宮入りのまま・・・ここ、アルビのロートレック美術館に戻されました。

 残念ながら、ももりの画集には「マルセル」はなく、パソコンからコピーも出来ないようですが、アルビのロートレック美術館にはしっかり展示されてありました。50×70位の地味な作品です。


 解説してくれた美術館のスタッフに「これは、以前、京都市の美術館から盗まれませんでしたか???」と、ももりは聞きました。スタッフ氏は「そうです」とは応えてくれましたが、。明らかに触れられたくないような感じ・・・を、ももりは抱きました・・・さ・あ・あ・・・・なぜ???


 高城のぶ子氏の作品「マルセル」では、大がかりな偽造集団、保険会社、そして、その偽造を受け持った日本人女性・・・その日本人女性と主人公の関係は???ひょっとして、一度も、母について語らなかった父との愛???曖昧模糊とした闇の中をうごめいていきます。


 小説「マルセル」の主人公、千秋は死んだ父親の家を整理しようと片付けています。と、新聞記者であった父の取材ノートを見つけました。「マルセル」盗難事件を克明に追った取材の跡・・・


 謎を追って、アルビまでやってきた主人公、千秋・・・・ももりがこの旅行に参加申し込みをしたのは正にこの時期でしたが、旅行社側が人数が揃わないとか、ももり自身の予定と合わせられないとか・・・あって、やっと、今、アルビの美術館にいるのです。 


 でも・・・・このスタッフの「触れないでほしい」と云う感じは???ももりの疑惑は更にふくらむのです。ひょっとして???}偽造された????作品???髪の毛が一本、ついていたら???後は・・・どうぞ、「マルセル」をお読みください。

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2012年11月11日 (日)

ロートレックと古都アルビ

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 日が落ちる・・・ 


古都アルビ、ここは2泊。ロートレック美術館もあって、ロートレックの町として知られています。

 美しい赤レンガの町、アルビ・・・ホテルの横を流れるタルン川は水がまっ茶色です。アルビの名門貴族の嫡男としてロートレックは生まれました。1864年のこと。


 両親はいとこ同士。名門ゆえの血の濃さを代々重ねています。財産の散逸も恐れたのでしょう。しかも、もう、彼の時代、貴族社会華やかな時は過ぎ去っていました。父親は狩りと乗馬を好み、時に奇驕な行動にはしり、珍しい衣装に凝ったといいます。「小さな宝石」と呼ばれて、両親の愛を一身に集めて成長していた彼に、やがて・・・悲劇が・・・訪れます。


 8才で椅子から立ち上がろうとして転倒、左大腿部を骨折。更に翌年、ピレネーの湯治場で散歩中、今度は左大腿部を骨折。両足の発育は止まりました。胴体は人並みに成長しましたが、顔も変貌し、父親は彼を、家系の恥と扱うようになりました。やがて両親の離婚。


 彼はパリに出て、娼館に入り浸ります。彼の青春を救ったのは絵を描くことでした。ショーのポスターとして、俳優や踊り子を大胆に配置した彼のポスターは人気が出ました。しかし、彼の母親は彼の絵を全部買い取り、売ることは無かったといいます。売らなくても食べていけた・・・からかもしれませんが・・・


 1901年、37才で亡くなりました。死因は梅毒・・・美術館のガイドは結核といいましたが。下スケッチはロートレック美術館の中庭。説明が長くてスケッチできず・・・


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2012年11月 9日 (金)

サントシャペル・・・この素晴らしい教会

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 1時間ならんでサント・シャペルへ。時間をかけてるのはセキュリティー検査のためで、中は案外こんではいません。筆箱のカッターナイフは取り上げです。これって鉛筆削りで必需品なんですよねえ。スケッチ上は階上。下が一階。正に息を飲む美しさです。
  

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 サント・シャペルの完成は1248年。正しく中世。ミステリアスな時空間です。
命じたのはルイ9世、敬虔なカトリック信者でしたが、神聖なる聖遺物、キリストが磔になった字架のかけら、イエスの血、マリアの乳、モーセの杖、洗礼者ヨハネの頭蓋骨・・・とくれば・・・・現代人なら頭がおかしくなりますけど・・・中世の人々に取っては大変なお宝。それらを祀るために建てられた教会なんですって。サンチアゴへの巡礼道を2度歩きましたが、中世の教会は、聖遺物を祭るために建てられているようです。下、スケッチは外観。これはいたって質素です。

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2012年11月 8日 (木)

セーヌの中洲へ、10の橋

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 セーヌ河の中洲の島、サン・ルイ島とシテ島。昔はもっと中州があったそうです。「セーの右岸(北側)でお金を使い、左岸で頭を使え」と云うそうな。右岸左岸と中州を結ぶ橋は10個(個というのか???架???)まずはサン・ルイ橋から見たアルコル橋


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 プチ・ポンの前のお店「プチ・ポン」にてピザと白ワインとティーで18ユーロ。怖がるほどには高くないけど、なかなかのもの。橋をわたると建物の後ろにノートルダムがのぞいている。

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 上はシャンジュ橋(Chnge・・・つまり両替屋)橋の上に両替商がならんでいたそうな。セーヌ河を上がってくる船からしこたま税金を取ったにちがいない。

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 上、ポン・ヌフからルーブルを見る


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ポン・デ・ザール橋から真っ直ぐにルーブルへ出る。ア・ア・ア・・・これで気になってた橋も渡った・・・!!!そのあと、サン・ジェルマン・デ・プレ教会も見て、迷子になりながらも初志貫徹!!!

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2012年11月 7日 (水)

一番の目的、コンシェルジュリー・・・休館

 ノートルダムは大変な行列です。相棒には申し訳ないけど、ここはパス。さ・あ・あ・あ・・コンシェルジュリーは???一体何処???どうやら、上のポスターは囚われのマリー・アントワネットらしいけど・・・


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  あ・あ・あ・・・・・コンシェルジュリーは休館ですって。ま・あ・あ・・・いいっか!!!又のお楽しみ!!!


 その後、1時間ならんで、サント・シャペル。これは・・・実にすばらしい!!!11世紀、中世のもの。1時間列んだのはセキュリティー検査のため。鉛筆削りのカッターナイフは取り上げです。後はパリ裁判所。これが???復元されたという革命時のパリ高等法院やろか・・・あ・あ・あ・・・・誰か教えて!!

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2012年11月 6日 (火)

パリの弥次喜多

 もう頭の中にはパリの地図はしっかり入っているつもりだったのですが・・・一筋縄ではいかないパリでした。おのぼりさんの弥次喜多は本当に珍道中、何しろ、パリの道は好きな方向に曲がったり、くねったりしてる・・・言葉は通じない・・・で、迷子になることしきり・・・は・は・は・・・
 スケッチはコンコルド広場。マリー・アントワネットやルイ16世が処刑された広場。当時は革命広場とよばれていたが、その前はルイ15世広場で市民の憩いの場だったそうな。コンコルドとは「融和」と云う意味らしい。


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 先ず、パリは初めての相棒のために、ホテルからコンコルド広場と凱旋門、ご存知、シャンゼリゼー通りへ。お宿は、サン・ラザレ駅の前、コンコルドオペラ★★★★です。歩いてコンコルド広場へ出て、凱旋門へ・・・・さあ・・・お次・・・エッフェル塔です。
 ももりは「こっち!!」左腕をあげます。相棒は「コッチに見えてた」と、右腕を上げます。大体、ももりは方向感覚ゼロなもんですから「そんなはずない」といいながらも相棒についていくと・・・相棒の指の先に、ちゃあんと立ってるじゃありませんか????スケッチはサン・ラザレ駅


 
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 「なんで????」考えても考えても納得できません。
しかし・・・・まあ・・・なんと、ええ加減な・・・凱旋門は東西に通り抜けと思い込んでいたのですが、実は、南北にも開いている・・・つまり、ももりの頭では、クルッと回って方向が逆になったことが理解できなかった???らしい。それに気がついたのもホテルに帰ってからで、相棒は「パリはわかってるから、とか何とか云うから、黙ってついて来てるのに・・・あ・あ・あ・・・・サッパリ信用でけん」と、ぼやくことしきり。
 皆様、凱旋門が東西南北に開いているなんてご存知でしたか???

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セーヌは流れる・・・アンリ4世通り

  
 今回のパリ、シテ島をやたら歩き回りたい。バスチーユ広場から、アンリ4世通りを歩いて、サンルイ島へ入り、シテ島へ。そしてシテ島ではコンシェルジュリー宮殿を見学して、マリー・アントワネットの牢獄内の生活の人形を見たり、ギロチンも見たい、という予定です。予習通り、サント・シャペルとサン・ジェルマン・デ・プレ教会も見学したいと歩き始めます。先ずはメトロでバスチーユへ。スケッチはバスティーユ


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しっかり、アンリ4世通りを発見。嬉しいじゃないの。

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 アンリ4世、アンリ・ド・ナヴァールと云う人、フランスでは一番人気のある王様だと云います。
新教と旧教が激しく争っていた時代。「サン・バーテルミの大虐殺」・・・・このことは、もう大分前ですが書きましたけど、もう一度あらましを書きましょう。娘、マルゴの結婚式にと招待されて、パリに集まったプロテスタントの貴族たち。なんと、2日間にわたって3000人が殺された・・・カトリックとプロテスタントの激しい宗教戦争です。黒幕は、マルゴの母親、かのカトリーヌ・ド・メジチとか???婿がこのアンリ・ド・ナヴァールです。セーヌ河の流れが死体でせきとめられるほどに・・・1572年のことです。

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 ナヴァール王国、ピレネーをはさんで領地を持っていたナヴァール(スペインではナヴァラ)から婿入りしたアンリは、プロテスタントです。カトリックの牙城パリへも入れてもらえず、シャルトル大聖堂でカトリックに改宗しました。「ナント勅令」を出して、新旧両教の平等を認め、これより宗教戦争は終焉に向かいました。彼、アンリ4世から、王朝がヴァロワ家からブルボン家に変わりました。ルイ13世はアンリ4世の息子です。


 ルーブル宮の大改造、ポン・ヌフ(新橋)、国王広場など、パリの美化に力をつくしました。しかし・・・あ・あ・あ・・・・この王も狂信的なカトリック教徒に暗殺されて、その生涯を終えました。

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