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2012年7月27日 (金)

愛することと愛されること

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毎日新聞の朝刊の小説「だから・・・荒野」桐野夏緒

 始まった頃は なんとも、うっとおしい・・と思いながらも、グズグズと読んではいました。ところが・・・このところ・・・作家の奔放なイメージ能力ってものを感じて、グングンひっぱられています。


 お話は、一見、何処にもありそうな4人構成の核家族。高校生の息子はゲームおタク。大学生の息子は彼女にフラれたばかり。夫は、何処にでもいそうな、でも、結構良い会社に働くサラリーマン。彼は、もう、安心しきって妻の存在なんか眼中に無い。あるのはゴルフと、ちょっと気になる若い美人のゴルフ仲間の主婦。妻は、「もう誰も作ったって食べない」からと食事作りを放棄した、ある種、ネグレクトな中年主婦 


 思い立って、妻の誕生日に出かける一家。しかし、運転は妻の役目。食事のオーダーにグダグダ文句をつけ、久しぶりの妻のお洒落を、ハチャメチャに見下す夫に妻はプッツン。そこから車ごと出奔します。


 妻は、何と云っても世間には疎い。若い時の彼氏がいるというだけで長崎へと向かいますが・・・結局、親切にした若い女性に車を乗り逃げされ、ひとりぼっちになります。たまたま、原爆の語り部をしているという、老人と若い男性に拾われて長崎へ。老人の家に身を寄せます。そこも・・・しかし・・・誰かが空き巣に入っているらしい???お金がなくなる・・・


 乗り逃げされた車から、話は警察へ・・・・さ・あ・あ・・・・どうなる???


 家族の誰にも少しづつ愛情っていうものが欠けてる一家。慣れてしまった平安。しかし、何か一つが抜け落ちると、家族はガタガタと瓦壊する・・・


 夫がちょっと気にしていたゴルフ仲間の女性の所にはコンドームの入ったポーチが送りつけられた。妻が乗って行ってしまった車に置いたままのポーチだった。ゴルフ仲間全部から、もう相手にしてもらえない。会社でも・・・今に???
 主婦なら、誰しも、たまには家族をスッパリ忘れて自由にしたいと思うものですが・・・世間知らずの主婦なんて・・・!!!世間ってのは実に怖い!!!


 周囲を見回しても、案外、自分が幸せだと思わない人は多い。欲しがるばっかりで、満足するってことが無い人って結構いるようです。愛されるのは、勿論、幸せだけど、本当は愛することにこそ幸せはある・・・と、ももりは思うのですが・・・。この、崩壊の危機にある家族・・・・救いはあるのでしょうか。写真は先日のチロルの旅から。

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2012年7月19日 (木)

世界三大料理にも4大料理にも入らない・・・って???

 先日、釣りキチがキスをたくさん釣ってきました。
「冷やしうどんをがっつり食いたい」と釣りキチがいうもんですから、早速、天ぷらに。美味しかったんですよぉ。勿論、お刺身や、南蛮漬けもテーブルには並びました。柔らかく、香り高くおいしい!!!

 でもねえ・・・日本料理は世界3大料理にも、4大料理にも入らないそうなんです。

 一位はフランス料理、2位は中華、3位はイタリアか、トルコか???あるいは韓国とか???


 悔しがることはありません。日本料理は複雑な技を持たなくても充分に美味しい!!!おいしすぎるんです。素材が、そのままが美味しすぎるから、ももりの腕でもおいしいのです


 でも・・・正直なところ、日本で食べるフランス料理、どうしてあんなにワインがお高いの???

 ももりが旅するとき、特にヨーロッパ・・・「いいっぱい、ワインやらビールを飲んできてやる」って意気込んででかけます。そして・・・ビールもワインも実においしい。まああ・・・今回のオーストリアワイン・・・さ・ああ・・・300円か400円くらい

 グルメとは「気むずかしい」と云う意味なんだそうで、その意味では、ももりは、まるで、グルメじゃありません。何だって、何処のワインだっておいしい!!!


 ももりの行くような旅は、そのほとんどが格安パックツアーでして、そこで飲むワインは、まずはリーズナブルなお店お薦め品です。それが・・・・安くって、実においしいのよ・・・それに、なったって嬉しいのがターップリ注いでくれる。
 京都のホテルのあの、ケチクサい、あのチョボッとしか入ってないワイン。あれは、一体、何???小さなグラスにチョボッと入って800円、それ以上のを飲みたがったら、メッチャお高くなる・・・


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 あ・あ・あ・・・・だぁかぁらぁ・・・又、行きたくなるのかもネ。スケッチはオーストリア、ドナウ川沿いのバッハウ渓谷の小さな村。山のてっぺんまでワイン畑

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2012年7月18日 (水)

ナポレオンとベートーヴェン

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 上、スケッチはベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたと云う住い。その後「田園」を作曲したという小路を散策。ベートーヴェンは実に、よく引っ越しをしています。それは、実は彼が新体制の共和政治を支持していたから・・といいます。
 ご存知フランス革命は1789年。4年後にはハプスブルグから嫁入りしたマリー・アントワネットをギロチンで殺害。オーストリア皇室が新体制、共和にオゾ気をふるって反動化したのは、無理からぬ話でしょう。共和主義者の部屋の前には立ち聞きする官憲がいたといいます。
 

ナポレオンは1794年にはボンを占領。1804年、ナポレオンがフランス皇帝になると、ハプスブルグのフランツ皇帝は、自分から「オーストリア皇帝」と名乗ったといいます。ナポレオンは「ライン同盟」を結成。ハプスブルグをのぞくドイツ諸侯国が参加。こうしてフランツは、営々とご先祖が守ってきたハプスブルグの王冠を自分の頭から脱いだ。国名も、「オーストリア帝国」と改名。あ・あ・あ・・・・でも、それでも、今よりはるかに大きな国だったようですよ。その後の民族意識の高揚。他民族の寄り合い所帯の帝国は、それぞれの民族の独立を認めざるをえなかった・・・ということのようです。全く、西洋史ってむつかしい!!!スケッチ下は、お昼を食べたホイリゲ。豪快で実に美味しかったです。


 

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2012年7月13日 (金)

武器によらず平和にかちとった世界帝国 ハプスブルグ

 以前、ハプスブルグ帝国の本を始めて読んだ時、急に西洋史が立体的に見えた気がしたことがあります。スイス、ドイツ、イタリア、チェコ、ハンガリー、スロベニア、リヒテンシュタイン・・・七つの国に囲まれた帝国の歴史とは???


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 ライン川の上流、スイスのバーゼルから遡って数十キロ。ブルックと云う小さな町の郊外に今も残る中世の城塞。1020年に築かれたハピヒツブルグ(鷹の城)があるといいます。このあたりに、飛び地のような領土を持つ一地方領主であったハピヒツブルグ家がやがて、世界に冠するハプスブルグ帝国に発展する・・・・・


  まあ、賢皇、愚公いろいろ出ましたが、この帝室の凄さは、その多産系。国母、マリア・テレジアは16人、その娘マリアは・・・なんと18人・・・それぞれを他国の王家に嫁入り、婿入りさせます。そして、先方の皇子や王女が死んだり、息子、皇女があとを継いだり・・・して、ヨーロッパはもとより、大西洋の彼方の新大陸から極東のフィリッピンまで、日没なき世界帝国を形勢しました。
 「戦いは他のものにさせるがよい。汝、幸あるオーストリアよ、結婚せよ」と云ったのは誰だったか???諸説あるそうです。下はマリア・テレジアが住んだシェーンブルン(きれいな泉)宮殿 ウイーン
 

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 下は王宮とマリア・テレジア像、ウイーン


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 下は一族が埋葬されているカプチーン教会 ウイーン。巨大な棺おけを家族、一族の棺おけを見学。不謹慎かな???

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ハプスブルグで、オーストリア。一方、神聖ローマ帝国・・・・この3つの国名を使い分けるのがややこしい。神聖ローマ帝国については先日触れました。800年、カール大帝がローマ法王から王冠を受けた・・・ローマの跡継ぎ帝国の皇帝は、7人の選帝公により選挙で選ばれます。
 1246年、ルドルフが初めてこの冠を被ります。この神聖なるローマ帝国を潰したのはナポレオン。1806年、フランツ2世は冠を手離し、単にオーストリア皇帝と名のるにいたりました。その後、このオーストリア帝国は、呼び名を変えながらも存続。第1次世界大戦にいたり、敗戦。ハプスブルグ帝国の民族は複雑な寄り合い所帯だったので、諸民族が独立あるいは、他国に帰属し、融けるように崩壊。ハンガリーチェコ、ユーゴスラヴィア、ポーランド、イタリア、ドイツなどに分かれ、オーストリアは、あっという間に小国となったとあります。


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2012年7月12日 (木)

すばらしい!!!到来物

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 我が家に届いた薫り高い獲れたて食材!!!有難うございました。


 早速、おじゃがはころっころの煮物。お供は鰹節だけ。実は、ももりはこれがダイッスキ。ちょっとワイルドなえぐみと香りが大好きなんです。

 あとは、ピザ風、バターいため、サラダ・・・・お豆さんはおあげさんと煮ようかなあ。何しろタップリ食べられる!!!本当に有難うございました。

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2012年7月11日 (水)

ハルシュタットのお友達

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 下は何年か前に行ったハルシュタット。12月に入っていまして雪景色でしたが、折りしも、夕陽が山に当たり、湖水がピンクと黄色に輝きわたった、不思議なあの光景をわすれられません。


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 今回は真昼です。スケッチブックを見て、お向かいのドイツ人が「見せろ」と云うしぐさ。こうなれば、もう、こっちのものです。後は知っているドイツ語を全部並べて、もう、しっかりお友達です。


「イッヒ リーベ デッヒ 
ドゥー ディー トゥ ミッヒ
アム アベント ウントゥ アム モルゲン♪♪♪・・・」ももりの知っているのはここまで。後は皆さんが合唱してくださいました。うれしいのよねえ。スケッチブックを持っているだけで何処でも、どなたでも、すぐお友達です。


 でも、スケッチはあまり出来なかった。は・は・は・・・

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2012年7月10日 (火)

サウンド・オブ・ミュージックの地

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 ザルツブルグから南東へ。ハルシュタットへ向かいます。スケッチはモントゼー。ここの黄色い教会で、修道女マリアと、7人の子連れやもめの大佐が結婚式をあげたんですって。

 ご存知、映画「サウンド・オブ・ミュージック」 ジュリー・アンドリュース演じる清純無垢な修道女マリア。一方、7人の子を残して妻を亡くした男やもめの大佐。初めて、大佐の家を訪れた質素な修道女マリア。子供達のお行儀は散々で、マリアを拒否して意地悪もしますが、マリアは優しく、子供達の心をつかんでしまいます。特に素晴らしいのが音楽。子供達のコーラスが素晴らしい!!!しかし、大佐は愛する妻の思い出につながる歌を許しません。 

 二人の心は通い合いますが、あまりにも違う身分のために、大佐は別の女性軍団を連れてきます。虚栄にまみれた野卑な女たち。特に子供なんかダイッキライ!!!・・・そして、やがて二人はこの黄色い教会で結婚式を挙げた・・・といいます。

 この当たり一帯が、映画の地らしく、「サウンド・オブ・ミュージック」ゆかりの地をめぐるツアーもあるそうです。
 デモ・・・ネ・・・ちょっと意地悪な、ここだけの話。本当は、映画通りにナチスから逃れようとたどるこの山道を行くと、ヒットラーの山荘にたどり着いてしまうんですって。いつか、どこかで読みました。

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 シャーフベルク山の麓に着きました。おもちゃのような登山鉄道に乗ってシャーフベルク山(1783M)へ。下は山頂駅


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 雲脚は速く、時に霧がかかります。でも、なんとも素晴らしい!!切り立った崖、ヴォルフガング湖、モント湖、アッター湖が見えます。さあて・・・どれがどの湖なんやろ???

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2012年7月 9日 (月)

ミラベル宮殿を作った大司教

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 旅の本を読んでいましたら面白い記事を見つけました。スケッチはミラベル宮殿。ここは今、ザルツブルグ市の市庁舎です。素晴らしい庭園です。

 「・・・この豪華絢爛のミラベル宮殿は1606年、大司教、ヴォルフ・ディートリッヒが愛人、ザロメ・アルトのために建てたもの・・・とあります。ふう・・ん・・・???大司教が愛人???なんとも、なんとも・・・

 教会が「免罪符」と云うバカバカしくも、禍々しいお札を民衆に売りつけて、ボロもうけ。キリスト教の腐敗に憤ったマルチン・ルターが宗教改革の旗印を挙げたのが1519年。大反乱が南北ドイツ、ザルツブルグ周辺で起きた。1525年にザルツブルグは陥落。農民の犠牲者は10万人を越えたといわれる・・・と、あります。


 懲りない坊主やなあ!!!プロテスタントと違ってカソリックは、確か妻帯はゆるされない???だ・か・ら・・・愛人???これでは、余計・・ウソくさい!!!

 でも、本当に美しい!!!ここを大切に守って、市庁舎にしてるってのも、やっぱりいいですよねえ。下は大聖堂。ここでありがたいお説教をしていたの???


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2012年7月 5日 (木)

チロルの谷の可愛らしいSL

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 チロルの谷をSLで移動します。インスブルックからイエンバッハへ移動。可愛らしいSMにのってチロルの谷あいの村、マイアーホーフェンへ約2時間。のんびりと牧場の中をすすみます。この後、先にアップしたクリムルの滝を見て、ハイリゲンブルートへ。グロース・クロックナー山の麓の村です。グロ-ス・クロックナー山は先日アップしました。順序が前後しています。お許しください。
 やっとHPにアップできました。そちらは時系列になっています。ホームページは左の「山口ももりのホームページ」からどうぞ。

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2012年7月 4日 (水)

氷河が削った深い谷の底・・・チロルの村

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 インスブルックからイン川が削り取ったエッツタールの村へ、西に約1時間移動します。
そこは、氷河が削り取った急峻な崖に囲まれた小さな村です。ビブルガー湖畔を一周。若い人たちがきれいな裸身を惜しげもなくさらして寝そべったり、泳いだり・・・なんてうつくしい!!!でも、水は冷たいやろなあ???

 エッツタール村は現代の壁画でも有名なそうで、いたるところに絵が描かれています。岩と思ったら絵だったり窓枠が描かれていたり。


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2012年7月 3日 (火)

チロル・・・ウイリアム・テル

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ももりのイメージではチロルといえばヨーデル。それと「ウイリアム・テル」
ホラ、あの息子の頭にリンゴを乗せて、「見事射ぬいたら、要求を聞いてやる」・・・損じたら、息子の命はない。スイス独立のための一場面です。 読みかじった本では、スイスの独立国として歴史は古い。ハプスブルグの代官の悪政、搾取に耐えかねて立ち上がった住民が、シラーによって「ウイリアム・テル」と云う作品になったと、あります。 


ハプスブルグ家がスイスの片田舎、東北部からドイツ、フランスの国境アルザス地方の一領主であった頃、これは、案外新しい。11世紀です。ハプスブルグの歴史は案外新しい。
 英明な領主、ルドルフの頃は、スイス住民とうまくやっていたが、代が代わり、代官をよこして統治するようになると、この地の住民達は圧政に耐えかねて反乱。猟師テルが悪代官ゲスラーを射殺する場面は、ハプスブルグの支配への抵抗劇であったといいます。やがてスイス13州は誓約同盟を結成して独立。山間の隘路をやってくる、よろい、かぶとの旧弊なハプスブルグやフランスなどの兵士達は農民の軍隊に敗れ去ります。そして、ハプスブルグの旧領地をジワジワと蚕食。ハプスブルグはウイーンに向かって発展していった、と、あります。スケッチはクリムルの滝。山の精とももり

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2012年7月 1日 (日)

王宮のかつての住人たち

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 ハプスブルグ帝国・・・・この古い王家は面白いエピソードが一杯で、かなりのところ、ももりも読みかじっています。オーストリア帝国が出来たのはレオポルト1世の976年。ナポレオンに負けて、神聖ローマ帝国の帝位から自主的に降りたのが1806年、気の弱いフランツ1世ですが・・・ややこしい・・・。ハプスブルグ帝国とハプスブルグの王達が営々とかぶり続けた神聖ローマ帝国の王冠、これが640年も重なるのですからねえ。


 そもそも、この神聖ローマ帝国がわかり難い。ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国は傭兵隊長オドアケルに盗られて崩壊したのが476(死なむ・・・と覚えます)。しかし、東ローマ帝国はビザンチン(今のトルコ、イスタンブール)に残りました。この帝国がオスマントルコによって亡びるのは、1453(ひと夜明ければゴミになり・・・と覚えます)。


 この亡んでしまった西ローマ帝国を再び興こしたいと願ったのが、かのカール大帝。カール大帝の領土は、後、フランス、イタリア、ドイツに分割されるのですから、その大きさがわかろうというもの。兄弟で遺産を分けるという家訓から分裂しました。
 このカール大帝が、惜しいことに、ローマ法王に王冠をかぶせてもらうという前例を作ってしまったために、このややこしい「神聖」と云う物々しい名称を頂き続けることになります。それが800年(これは覚えやすい)まあ・・・いわば、ローマ生き残り帝国と云うことでしょう、と、ももりは理解しています。


 神聖ローマ帝国は、選挙でローマ皇帝を選んでいました。カール大帝以後、主に東フランク(ドイツ)に引き継がれていましたが、空位時代も長かったのです。

 1273年、マルヒフェルトの戦いでボヘミア王オットカルに勝利したルドルフ1世。白と赤の十字架をシンボルにしたオットカルの軍勢は「ローマ、ローマ」「キエリスト キリスト」と」叫び激しい戦いを制したといいます。この日がオーストリア帝国がハプスブルグ帝国と呼ばれるようになった日です。ももりのスケッチの中にもはいくつか、この赤と白の十字架が書き込まれています。帰国してから「ああ・・・・あの旗が」と納得。
 そのハプスブルグ帝国の王冠を自ら返上したのが、先に書いた、気の弱いフランツ1世。以後オーストリア帝国、オーストリア・ハンガリー帝国と名前を変えながら、1918年年、第一次世界大戦終焉まで実に640年続きます。まあ・・・ルドルフ以後王冠を手放したこともありますが・・・細かいことは云いますまい。


 スケッチはインスブルックの王宮。 オーストリアの宮廷はウイーンにありますが、ここインスブルックを愛してここに住んだのがマクシミリアン。実にマクシミリアンから、オーストリア帝国は繁栄を重ねていくことになります。

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