« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月30日 (土)

オーストリアの最高峰、グロース・グロックナー山へ

Tiroru021


 いよいよ、目指すグロース・グロックナー山の麓の村、ハイリゲン・ブルートに着きました。夕陽を浴びて、お山が輝いています。グロース・クロックナー山3798Hはオーストリアで一番高い山です。これもオーストリア最長のパステルツェ氷河を見に・・・バスで・・・は・は・は・・・登ります。歩いて登りたいなあ!!!氷河は溶けて、年々低くなっているとか。下は泊まったホrテル★★★★


Tiroru22_2


 皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートは、この村から、約4時間かけて、今、展望台になっているこの地点、フランツ・ヨーゼフヘーエまで登り、あまりの素晴らしさ展望台を作ることを計画。1930年から5年かけて難工事は進められたと言います。

Tiroru027


Tiroru030


Tiroru029

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2012年6月29日 (金)

スケッチポイントが多すぎて!!!インスブルック

Tiroru006


 イン川と云う呼び名に、ずーっとあこがれていました。スイスの山中から流れ出てドナウ川に注ぎます。インスブルックの歴史は古く、ローマ軍も来ています。岩塩や銀鉱山にも恵まれ、イン川を上り下りして商った都は富んでいました。ハプスブルグ家のマクシミリアン皇帝が、この地を気に入って、主都をウイーンからここへ移した時期があったといいます。スケッチは2泊したホテル・インスブルック★★★★

Tiroru005


 上は後にテッペンまで上った市の塔。下はテッペンから見た町。イン川がとうとうと流れています。大変な水量で、勢いは強く青白く濁っています。

Tiroru010


| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年6月28日 (木)

インスブルック・・・この美しい歴史の町!!!

Tiroru001


Tiroru002_2


 インスブルックへ入るのは、なかなかハードで、アムステルダムで5時間近くかけて乗りついでミュンヘンへ、そこからバスで2時間半。真夜中はとっくに過ぎてインスブルックのホテルに入った時は、もう、グロッキーでした。


興奮状態のまま朝を迎えて,早朝、一歩ホテルを出ると、そこには素晴らしい景色が広がっていました。ホテルはインスブルック(イン川にかかる橋)のすぐ前、古都は四方を朝日に輝く雪の山並みに囲まれて息をのむ美しさです。上、スケッチ2点はインスブルック橋

Tiroru003


 朝日は、もう上っているらしいけど、高い山の山あいの町はまだ静かに眠っているようです。


Tiroru004_2


 ともかく町の家なみの壁の色が美しい。マリア・テレジアが好きだったと云う黄色、あるいはピンク、うす緑、グレー、うすい空色・・・極端な色はなく、淡いパステルカラーが、なんともロマンチックです。それに古びたレンガの屋根・・・たまらないなあ!!!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年6月27日 (水)

チロルの旅から帰りました

Tiroru026_3

Tiroru028_2

 オーストリア・・・チロル地方といえばヨーデル。アルプスの谷から谷へとこだまするヨーデルのイメージにつられてオーストリア、チロル地方を巡る旅に行って来ました。


 天候に恵まれ、素晴らしい風景に囲まれ、スケッチのタネが多すぎて寝てる暇がない旅でした。スケッチは、オーストリアで一番高い、標高3798Hのグロース・グロックナー山を見はるかす大展望台。その名もうれしいフランツ・ヨーゼフヘーエで、ここはもう、2360Hです。
 皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリザベートが、4時間かけて下の村からこの地点まで登り、あまりの美しさに展望台を作ることを計画。5年の歳月を要したという大規模な展望台からは、ヨーロッパの背骨、アルプス山脈の東の端、ここオーストリア・アルプスが一望です。氷河が大きく削り取った谷はまだ残雪に輝いて、底を流れる氷河の融水まで、あと少しと云うところまで行きました。後10分あったらなあ!!!

Tirotu204


 フランツ・ヨーゼフといえば絶世の美女、皇后のエリザベートでしょう。あ・ら・ら・・・・お二人の間でおジャマムシしてるのは???明日から少しづつアップしましょう

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2012年6月15日 (金)

しばらくブログお休みします

632


 ももりはフランスのラスコーの洞窟もスペインのアルタミラの洞窟も訪ねたことがあります。勿論、本物はかたく封印されて見ることは許されないんですけど、精巧なレプリカが作られて見学者を待っています。 
 新聞によりますと、学者達が新しい手法で調べたところ、約4万800年以上前に製作されたんですって。現代人は4万1000~4万5000年前に欧州に移ってきたといいますから、壁画はそれ以前の人類、ネアンデルタール人が描いたかもしれないんですって。
 間もなく訪ねるハルシュタットもすごく古い文明の痕跡が残っていると聞いています。人類・・・必死になって生きてきた、その中でも絵を描いてた・・・いじらしいなあ!!!スケッチはラスコー     

しばらくブログお休みします。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2012年6月 8日 (金)

ヨーロッパの王や女王と日本の天皇たち

Hougen_007


Hougen_003


Hougen_004

日本ではまだまだ皇室や天皇を描く時、ドラマにしきれてないようです。遠慮しいしい、かわごわ扱っています。でも、イギリスのヘンリー8世やリチャード3世、スコットランドのメアリ、ロシアのエカテリーナ、フランスではマリー・アントワネットやカトリーヌ・ド・メディチ・・・・個性満々の主人公の悲喜劇はいろんな作家に料理されて、たまらなく面白いドラマを提供してくれています。
 

 ももりはどちらかというと、ヨーロッパのお話の方がずーっと好きでしたから、今まで鳥羽、後白河、崇徳と云う名前にもあまり反応しなかったのです。でも、結局「平家」や「源平」よりは、この天皇たちの生涯と心理を描くほうが、よっぽどドラマチックなようです。ゴマすりの側近貴族や奔放な女達。当時の女性たちのたくましさも魅力的です。見過ごしてはいけないのが、加持祈祷などの非科学的なもの。それに対し現実的な暴力的力を見せ付けてしまったのが武士と云う階級だったのでしょう。下はヘンリー8世とのツーショット


Erizabesu002


| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012年6月 7日 (木)

寛永の三筆

Kiyomori_010

 去る5月23日のことです。「オオヤマレンゲ」と云う花が咲いているという新聞の記事を見て、フラリと八幡市の松花堂美術館へ行ってきました。


Kiyomori_011


Kiyomori_012


 松花堂昭乗・・・男山(石清水八幡宮)の社僧で、本阿弥光悦、近衛信尹(のぶただ)と並んで寛永の三筆の一人です。男山にもケーブルで上り、住居跡も見てきました。スケッチはお茶室


Kiyomori_007


 「八幡のはちまんさま」って平家物語にも登場しますし、「徒然草」にも書かれていますし、寛永といえば江戸・・・そこへ平成のおばんも参加って嬉しいじゃありませんか!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2012年6月 6日 (水)

悪魔が聞き耳を立てる時

Kiyomori_002


Kiyomori_003


 又、膝が痛みます。気力体力横溢してるのに膝が不自由なんて・・・

 以前、オーストラリア人から聞いたことがあります。
「人に自分は幸せって、あまり言ったらダメ。悪魔は人の幸せが大嫌い。だから、幸せって云ってる人に悪さをしに来るんだ。云ってしまったときは、机とか椅子とかを叩く・・・んですって。ももりもパソコンを叩くべきだったかしら???まあ・・・結局、幸せってそう長くは続かないって事なんでしょうかねえ。


 他にも心配出来。でも・・・これは云いますまい。どちらかと言うと、弱音は吐きたくないタイプです。


 ヒアルロン酸を5回注射して屋久島へ。帰ってから、どうもイマイチ良くないと、追加2回注射。そしたら、余計痛くなったのです。そんな事あり???かいな???今回の痛みは、自転車が痛い。以前のは、歩く時に痛かったんですけど、今回は、むしろ自転車。どうかした拍子にギクッときつい痛みがはしります。今、ちょっといじけてしまっています。それにしても、何処へ行くのも自転車。人があきれるほど何処まででも自転車、自転車だったのに・・・これがないってのは実につ・ら・い!!!

 でも、お外は快晴!!!電車でプールに行こうかしら。
スケッチは先日レンタサイクルで走った、奈良、西の京の法華寺と海龍王寺

| | コメント (5)

2012年6月 5日 (火)

祇園女御と作家達

Kiyomori_013


 NHKの大河ドラマ、どうも評判よろしくないようです。無理ないなあ。もうちょっと工夫があってしかるべきでしょう。例えば、登場人物の呼び名ですが、「白川天皇」・・・同じ人が上皇になり法王になり、はては、本院とも呼ばれるんですから・・・退位しようと出家しようと「白川様」で通してくれたら、まだしもわかりやすいでしょう。
 「崇徳様」「近衛様」「後白河様」ってな具合に・・・とももりは思うのですが・・・


 まあ・・・TVがあまりにわかりにくいもんですから、改めて読みなおした何冊かの本ですが・・・改めて、「作家って、まあ、なんて面白いことを考えて生活してるんでしょう」って思ってしまいました。例えば・・・


歴史の中にオボロゲに見える佳人・祇園の女御について


 杉本苑子氏は  吾妻鏡
            右中記
            近江胡宮神社文書

 に拠って、白川天皇は源仲宗の妻であったの女性を、夫、仲宗と息子を遠国へ逐い、宮中に入れた。祇園女御と呼ばれるようになったこの女性には子供が生まれなかったので、妹と白川の間の子、清盛を養育した。他に、僧侶となった禅覚と、後に保元の乱の因ともなった待賢門院璋子をも養育した・・・

 と、あります。この記事は小説ではなし、説得力があります。

 しかし・・・宮尾登美子氏は、祇園女御がちん毒で妹を殺し、あまつさえ、白川も???
と、云いますし、NHKは、白河の密命で女御の妹を殺したと、なっていたと思います。

 吉川英次では、白川の御胤をやどした祇園女御を忠盛に下げ渡された・・・その後、女御は江口の遊女宿のオーナーとなって生きます。


 なんとも、奔放というかエエ加減というか。作家ってこんなこと考えて生きてるんやねえ。


Kiyomori_008


 近江胡宮神社文書によれば、と云うより、杉本苑子氏によれば、清盛12才の時、石清水八幡の祭りに舞童となって登場、白川と祇園女御がそれを見物したと言いますから、とも角、あのNHKみたいに汚くはなかったんじゃない???スケッチは先日行った石清水八幡宮の本殿
 あ・あ・あ・・・・生まれなおしたら作家ってのもいいよなあ???

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »