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2012年4月27日 (金)

「王朝文化の華 陽明文庫明宝」展 見て来ました

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 陽明文庫・・・何度か見学したことがあります。

 今回、まるでNHK「平清盛」にポイントを当てたかのような内容で、とても興味深く見て来ました。


 下は「兵範記」 藤原信範の日記です。読み下し文はないのですが、正しく、保元の乱のあった1156年7月11日。何人もの作家が、この日記を資料に使っているのは間違いないでしょう。それにしても、当時の摂関家の記録への執念は職業意識でもあるでしょうが凄いものです。「議事録がない」なんて騒いでいるイマドキの日本の政治家、見習えっ、つうの。

 保元の乱は、7月11日、未明、東山のふもとで始まり、白川殿に火がかけられてあっけなく勝敗が決まりました。山本耕史クンの頼雅どのは、流れ矢に当たって死。崇徳上皇は比叡山に逃れ、仁和寺へ。後、讃岐へ流罪。讃岐の閉所で狂死。 
 平安時代、落雷や地震、日蝕など、天候不安は崇徳の怨霊の祟りと長く信じられたということです。

    
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 スケッチは三十三間堂。平忠盛、清盛父子が白川法皇のために建てたといわれるこのお堂。これほどの仏様を祀っても・・・仏心は体得できなかったということでしょうか。

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2012年4月22日 (日)

保元の乱・・・ももり考

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 NHKの「平清盛」サッパリ人物の関係がつかめません。ということで取り出したももりの本。上、吉川英次「新・平家物語」下「後白河院」井上靖


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 今の平成の今上天皇様、にこにこと好々爺で、誰一人憎む人はいないでしょう。
しかし、清盛の生きたこの時代の天皇様ときたら・・・・


 まず、  天皇・・・・白川、鳥羽、崇徳、近衛、後白河・・・・
      上皇・・・それぞれ、退位させられ、あるいは退位して後も天皇と対立する。おまけに出家したら法王・・・出家して、まだ自分の好きなようにしたがる・・・


 このややこしさ・・・でも、結局、退位した後も好きにするから、現役とモメるのよねえ。


先ずは白川天皇・・・この方のことは、先日のブログでふれました。白川が幼い頃から、掌中の珠といつくしんで育てた璋子・・・待賢門院・・・を息子、鳥羽の嫁にします。しかし、鳥羽は生まれた子を、父親の胤と信じて憎みます。「叔父子 おじご」というのです。
 一方、白川死んで、鳥羽は、あらたに美福門院を内裏に入れて、この方との子が生まれます。だって鳥羽はまだ39才、この年出家して法王にはなりますが、このお方の横槍が「保元の乱」の原因となります。鳥羽は自分と美福の赤子をたった3ヶ月で立太子、3才で天皇にします。崇徳に退位を強要して。3才で天皇になった鳥羽と美福門院の子、近衛天皇ですが、体は弱く、目を病み、17才で死んでしまいました。
 「さてこそは・・・誰かが呪詛したものぞ」美福門院は悲しみのやり場をさがし、呪詛の犯人を悪左府、頼長に・・・あの、山本耕史さん???・・・TV では、これからでしょうか


 さてこそは、自分の世になるか、と思った崇徳は、自分の長男を天皇にと望みますが、陰険な父は崇徳の弟、しかも崇徳の4番目の弟を天皇にしてしまいます。その天皇が後白河・・・
 間にいた子はもう出家させていたり・・・???ナンヤカヤとあった???らしい
 鳥羽死んで涙もかれぬ間に、崇徳挙兵・・・保元の乱です。


 さ・あ・あ、先を急ぎましょう。ももりの頭ではこの程度がやっとです。


 崇徳に力を持たせたくないというのは、璋子の他に鳥羽が愛した美福門院。まあ・・・先妻の子に力を持たせたくないと云う・・・この美福門院こそは「保元の乱」の元凶・・・と・・・ももりが小説家なら・・・描きたいところです。

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2012年4月21日 (土)

勝手に・・・する するっ!!!

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 朝ドラ「うめちゃん先生」のお父さん、どうも好きになれません。
実は、あのお父さん、ももりの父にとてもよく似ていると、当初から思っていたのです。もうちょっとシャープにした感じですけど・・・・丁度、あんな黒ブチの目がねをかけて、丸刈り頭でした。
 大体、あの当時の人はみんなひどく瘠せて、あんなに緊張感なくプックリしてはいませんよ。

 ももりの父は、決して「お前にそんな事なんか出来るか」なんて、言いませんでしたねえ。

 ドラマの中で「勝手にせえ」と言いはなつ場面がありました。ももりなら「勝手にする、するっ!!」と答えますねえ。

 一番初めの海外旅行は中国、なま身で書道史に触れたいと、毎日新聞の「三国志の旅」と云うのに一人参加しました。その時、相棒は「行ってきたらええやん」って言うことでした。


 その何年か後、次はソ連からモンゴルへ・・・その旅は友人にたのんで押しかけ参加。相棒は
「あのセンセが行かはるんやったら、行ったらええやん」ですって

 その次の旅???何処だっけ???相棒は「勝手にせえ」って言いました。寸発いれず「勝手にするするっ」と応えて参加。

 次の旅・・どこだっけ???

 相棒は「勝手にせえって言わへんでえ」って言いました。でもねえ。「行きたい。行きたい。行きたい」と繰り返し・・・他の事は言わない。けんかになるから。
 相棒がご飯食べてる横で、ひたすら「行きたい。行きたい。行きたい」って言ってる・・・相棒が働いている間は一人旅。パックツアーにも一人参加でした。スケッチは、先日の奈良、崇峻天皇陵

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2012年4月20日 (金)

聖林寺の11面観音さま

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 談山神社からひたすら下り坂を川沿いにあるきます。のぼりよりも、膝にこたえます。
聖林寺に着いたらゆっくり休もうと、黙々・・・黙々・・・黙々

 やっと着きました。お堂の回廊から見る景色が素晴らしい!!!スケッチ、手前はもくれん。さくら、桃、レンギョウ、こぶし、もくれん、ゆきやなぎ・・・野には水仙、たんぽぽ、すみれ、ホトケノザ、イヌフグリ・・・春爛漫とは正しく・・・天国もかくやとは思いました。

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 以前から一度は行きたいものと思っていました聖林寺。国宝11面観音様にお目どおりがかないました。お腰のくびれがマッチョで、引き締まった肉体美です。お顔も男性的???ヒョットして観音様は女性だっけ???そんなの・・・関係ないでしょっ。

 さるお方のブログには、この仏様が廃仏毀釈で三輪(大神神社)で捨てられ、大八車に載せられて聖林寺までいらした、とありました。 


 さ・あ・あ・・・これは又・・・好奇心がメラメラ・・・

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2012年4月19日 (木)

談山神社から聖林寺へ  さくらさくら♪♪

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昨日、朝からお日様ピッカピカ!!!
こうなると、もう、じっとしていられなくて、念願の談山神社から桜井駅へのハイキングに挑戦です。
近鉄桜井駅から、先ずはバスにて談山神社へ。以前、行ったときは紅葉の真っ盛りで、それはそれで、素晴らしくきれいでしたが、今回は桜。今を盛りと咲き誇っていました。薄墨桜も満開です。

 ふうわりと薄ピンクの布をおおいかぶせたような・・・さくら・さくら・さくら・・・♪♪
薄ずみさくらも満開です。


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 この前来たのは秋のくれ。お山は早くに暮れ急ぎ、山道が怖かったので断念したお破裂山へのぼります。今日は明るくて、時折人が登ってきます。スケッチはお破裂山頂上展望台から見た大和三山。世の中に不正がまかり通ると、このお山は破裂するとか・・・今、ももりの足元で破列しないかしら???

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2012年4月14日 (土)

平 清盛

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 大河ドラマ「平 清盛」イマイチ評判がよろしくないとか・・・スケッチは六波羅密寺の平清盛

 ももりも、何度か見ようとしましたが、サッパリわからない。話の進展がバラバラで理解できない。
そんな事を言いましたら、昨日友人が色々教えてくれましてやっと、多少はわかり始めました。


 つまりぃ・・・ももりの頭には、吉川英次の「新平家物語」がガッチリと鎮座していて、こんがらがっているのです。例えば・・・


 白川天皇が祇園八坂に棲まいする「祇園女御」をお忍びでお尋ねになった・・・久しぶりで・・・その時、侘び住いの屋敷から、飛び出した男が一人・・・八坂神社の神官くずれか・・・はては・・・???


 その後、白川法王が平忠盛に下げ渡された「祇園女御」が生んだのが清盛・・・はて・・・父は法王か??それとも無頼の神官くずれか???それとも、やっぱり忠盛の子か???清盛は悶々とします


 TVでは、殺されたのは「祇園女御」の妹。白川のお胤を宿し、そして白川の命で殺された・・その赤子を憐れに思った忠盛が引き取った、となっているんですってね。


 どうですか・・・吉川英次・・・皇国史観、戦争に加担すべく天皇制を慫慂したとして、戦後は、あまりふるわなかった吉川英次ですが・・・今、もう一度、読んでいます。なんとも・・・文体がトローリと・・・魅力的です。下、スケッチは清盛が住いしたという六波羅に残る六波羅密寺


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2012年4月13日 (金)

満座の中でかいた赤恥

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 かわいそうなのは国民。あの3世様の着任祝いになるはずだったミサイル発射は失敗・・・

 先日訪れたカンボジアとも仲が良かったという北朝鮮ですが、為政者が本当に国民の為に身を挺して働いてくれる日が何時くるのでしょうか。


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 スケッチは以前に行った時の、カタクリの花とショウジョウバカマ

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2012年4月 9日 (月)

天晴れなる万葉遠足

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  平均年齢、ナント・・27.1才の万葉遠足。71歳のももりがいないと、ぐっと若くなります。柿本人麻呂麻呂さんはかえりみ・・しています。

  奈良は榛原、万葉公園や人麻呂公園、又兵衛桜・・・そこからカタクリの花の群生を見に松山町の森野旧薬園へ・・

 雲ひとつない春・・・天晴れ  あっぱれ・・・でした。


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2012年4月 7日 (土)

年寄りの冷や水

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最近、我が家夫婦は急に体力作りに目覚めたようです。
相棒は先日愛宕山に登ってきました。5月に屋久島の縄文杉に会いに行くのにむけて、足の鍛錬というところです。時間が許すかぎ、朝、暗い内からモゾモゾと起き出して、周辺を歩き回っています。

 ももりのほうは、専らプール。最初800メートルくらいであごを出していましたが、今では2・5キロです。と、言っても歩くのが1000、泳ぐのが1500くらいです。一週に3回くらい行けたらいいのですが、なかなか・・・と云うことで、行ったら最後、頑張ってしまいます。 

 というのも、、つまりは身をもってソクソクと筋力の衰えを知ったからなんでしょう。膝が痛みます。わが身に降りかかる老いを自覚するまではノオーンビリと構えていましたが・・・

 昨日は御所の一般公開、そのちょっと前は京都府庁の一般公開・・・さあ・・・桜もアチコチで誘っています。出かけましょう!!!上スケッチ京都府庁 下が京都御所  そして・・老婆心ながら、皆様、筋力アップはお早めから・・・

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2012年4月 6日 (金)

「平和へのかけ橋」 国連事務次長 明石康

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 カンボジアの大地に600万もの地雷を埋めたのは誰か

 「平和へのかけ橋」 国連事務次長 明石康   
この本は図書館の子供部屋でたまたま見つけました。最近、図書館に行ってもほとんど子供部屋で過しているももりです。

 1991年、12月31日、NYの自宅に突然の電話。国連の時期事務総長ガリからでした。元旦から国連事務総長になる人です。「明石君、カンボジアへ行ってくれないか」明石康、60才でした。


 カンボジアは1970年代からクーデターがあいつぎ、20年に及ぶ内戦状態が続いていました。国内は4つの党派に分裂し、国は疲弊しきっています。
  1・・・プノンペン政権(フン・セン)  隣国ベトナムが支援
  2・・・ポル・ポト
  3・・・クメール・ルージュ人民解放政権  
  4・・シアヌーク(以前の国王 クーデターで中国に逃避)  今は息子、ラナリット


1991年 国連の和平調停を4派が受け入れ、パリにて和平協定に調印


 しかし・・・こんなにすんなり行くはずがないと思っていたとおり、4派は日がたつにつれて、それぞれのエゴをむき出しにし険悪になってきました。
 ともかく、1993年5月の総選挙を実施する為の命がけの交渉が始まりました。ところが、世論は武力を持ちながら行使しない国連を軟弱だと嘲笑するしまつです。そういえば、日本でもそんな話をTVでよく聞いていましたね。


 日本からも、自衛隊が到着し、世界中の市民レベルの協力体制、NGOの会員が15万人。カンボジアの人口900万。いかに多くの市民達が協力したことでしょう。


 5月の選挙予定。その2月前、ポルポト派は牙を剥きました。カンボジア各地で襲撃があいつぎ、相当の被害をだしたのです。日本人、中田厚仁さんが殺されました。そのあと、文民警察官である高田晴行さんも殺害されます。明石氏自身にも暗殺計画がある・・・やるならやってみろ!!! 


ポルポト派を除く3派の武装解除は進み、ラジオやポスターで民衆の政治参加を呼びかけ、選挙はカンボジア大衆の多くの参加をもたらしました。ポルポト派心配していたほど選挙を妨害する事はしなかったようです。むしろ、200人の若い兵士が選挙にやってきたのです。その時の感激は、この本の圧巻です。

 選挙の投票率は89・56パーセント。大衆は心から平和を望んでいたのでした。
こうしてカンボジアは民主政治を取り戻しました。


 明石氏はその後、旧ユーゴスラビアへ、求められて、同じ和平工作に奔走しますが・・・これは成功とは言えなかった・・・と言っています。


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2012年4月 4日 (水)

自然と・・・人間

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 下の写真の真ん中には神様のお顔が隠れています。

 カンボジアの一番の悲劇は国土にばらまかれた地雷。その地雷をまいたのは、一体、誰か???製造者は大半が中国、残りはソ連・・・自己責任で取りのぞけっつうの!!!
 それは内戦の時、カンボジア人自身によって埋められたといいますから、埋めたのはカンボジア人・・・???そのことを知りたくて買ってって来た本ですが・・・難解です。ポルポト側にいて虐殺にかかわった元兵士と一般人の、今の関係はどうなってる???


 先日買って来た本を、今、読んでいますが、米ソの対立からベトナム戦争、アメリカと中国の介入など・・・難解で、ももりの頭ではナーーカナカ・・・
 しかし・・・政治が機能しないと、政治家がしっかりしないと、国はこんな悲劇的な状況になってしまう。12世紀頃、3世紀にわたってこの半島全域を支配した大国であったこの国がたどった悲劇はよそ事とは思えません。


 今は自然に、征服されそうな遺跡郡。しかし、そのままにしようと云う意見もあるそうです。カンボジア遺跡は石作りの神殿です。木造の王宮や大臣たちの家が建ち並んでいたであろう当時の殷賑を思わせるものは何もありません。密林が食べてしまった・・・・人間の営みのはかなさ・・・ですねえ。

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2012年4月 3日 (火)

泥の海 トンレサップ湖

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 カンボジアでは、平均月収月5000円。まあ、15000円から2万円あればいい生活が出来ると、若いガイド氏が言いました。自分は観光ガイド以外に畑を持っているし、お嫁さんも働いているから、家には電気も自分で引いたし、TVもある。映画をやる時は劇場みたいに近所の人が見に来るっていいます。

 子供は3才の女の子が一人 「その子の教育はどうするの」って聞いたももりの質問に、彼は「国際学校へ入れる。子供はもう作らない。お金がかかるから」と云うことでした。夫婦で働いているから田舎の親戚の女の子に手伝いに来てもらっているが、その子に月50ドル。「その子に、ナンボ、電化製品の使い方を説明しても理解できない。自分の3才の娘の方が、さっさとテープを入れてゲームなんかやってますよ」


 隣地との境界でもめるようになったのは最近のこと。昔は境界線なんてなかった。でも、最近、土地を囲い込む人間が出てきて常にもめてる・・・

 貧しい暮らしで、ほぼ自給自足だが、税金ってものはない。政治をキチンとして税金や社会保険のお金を集めると言うことになったら誰も政治を望まないだろう・・・


 「地雷がいたるところに埋められていて、畑が出来なかったから、酷い飢饉の時代が続きました。食べられる物は何でも食べた。犬もネコも・・・ヘビもかえるも」


「お家には犬を飼っているの」って聞きますと「飼ってますよ。今度の犬は、よく吠えるから大事にしてるけど、前の犬は吠えないから・・・」「「え・え・え・・・・?どうしたんですか」
「泥棒除けにならないから食べてしまった」ですって。
 一般の人々は泥棒なんかをまるで気にしない、つまり盗られるようなものは何も無いあけっぴろげの小屋ですが、貯金のシステムは稼動してなくて、貴金属にしてお米の中に生めておくんだそうです。


 草葺きの小屋は、貧しい。トタン屋根になってランクアップ。タイルの屋根になってお金持ち。TVがつくと大金持ち。高床式の草屋根の小屋は開けっ放し。高床の床下にハンモックで眠るのが涼しいそうです。

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 やっとホームページにアップしました。お暇があれば・・・どうぞ・・・

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2012年4月 2日 (月)

気球フワフワ

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 実をもうせば・・・このももり・・・気球に乗るってのが、少々怖かったんです。熱気球でフワフワと飛んでいくのかと思っていましたから。

 ところが、これは、早く言えば風船にぶら下げたドーナツ状に囲いの中に人を乗せてぶら下げる、まあ、ロープで上げ下ろしするってしろもの。フランス製ですって。やっぱりフランス人って商売上手やなあ。


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 と云うわけでご機嫌です。高見の見物とはよく言ったもの。部外者として、遺跡を見るだけのももりです。結局、カンボジア国民にとって大切なことは自立、自律でしょうね。援助はある意味、自律自序を送らせているのかもしれません。憤懣やるかたないという若いガイド氏に、カンボジアの明るい未来をかいま見ました

 カンボジア、ちょっとのぞいた外国人のももりから見たら、農業国として豊かにやっていけそうにみえます。ところが、まだ農村部には地雷が200万。以前は600万あったとか。部分的には、もう、きれいに捕縄整備されています。人間のすることほど酷い事はありません。地雷はほとんどが中国製。他はロシア製だということでした。


 所々に「井戸を掘ってください」と云う看板が日本語で書かれていました。一年の半分は雨季というこの国だから、地下には滔々ときれいな水が蓄えられていそうに思えるけど・・知らなさ過ぎるのか???

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