« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月22日 (水)

哲学ばあちゃん

Hapusu_556


 絵はある意味、自分自身を投影しているのでしょうね。まもなく出品しようとしている「生きる」

 まだまだ若い、女になりきっていないような母親・・・庇護もなく、子供と路上に座り込む。旅をしていると、しばしば目にする貧しさ・・・日本とは、違う貧しさ・・・しかし、彼女は歯をむいて自力で生きています。売春だってなんだって、生きるためには・・・

更年期症状も、40肩も、ぎっくり腰も、アレルギーも花粉症も知らないももりでしたが、最近、「老年期鬱」???気味でした。

 71才・・もう、ケラケラしてられない年なのでしょう。何事も笑って受け入れるなんて、大らかさを期待されてもねえ・・・本に囲まれて、独り、ボンヤリ、哲学してる気難しいばあちゃん・・・そんなばあちゃんに私はなりたい。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

2012年2月20日 (月)

新雪に輝く伏見稲荷大社

Husimi1


Husimi


Husimi_2


去る16日、京都は珍しく雪。朝5時過ぎ、モゾモゾしていた相棒が「行ってくるでぇえ」と言いました。暖かい布団の中でオボロゲに聞いた声です。相棒は最近、朝に歩いているのです。「このクソ寒いのにぃ・・・」と思いましたが、何故か「わたしもぉ・・・」と答えてしまいました。

 外は真っ暗、細かい雪が街灯に照らされているところだけ降っているようにみえます。道は凍てついてツルッツル。


 「ドッチ行くのん???」
「さあ・・・伏見稲荷へでも・・・」

 キャッ!!!冗談じゃないの???「伏見稲荷までなんか歩けるの???」からだはまだ半分眠っています。「龍馬なんか、毎日歩いて往復してるんやでえ」

 家を出て2時間、伏見稲荷に着いた頃は、白々と夜が明けかけて、真っ白な新雪をかぶった山々や屋根の雪に、真っ赤な鳥居と緑の窓枠が生えてなんとも素晴らしい光景に目を見張りました

 残念ながらスケッチブックもカメラもない。ツルッツルの道をコンビにまで。インスタントカメラで撮影しました。朝日がさしたら、もっと素晴らしい写真が取れたでしょうにねえ。

 京都駅で、ホットケーキの朝食。おいしかったですよぉおお・・・

| | コメント (8) | トラックバック (0)

2012年2月17日 (金)

うれしいお勉強会

Yamanobe_007

 先日は、遅ればせながらの新年会。そのあと、ももりの家で「万葉集のお勉強会」

 なんて嬉しかったことでしょう。お相手はほとんど、ももりの書の教室の生徒さん。小さな頃から付き合ってくれてる若い方々です。適宜な質問も出て、会は、本当にホントに嬉しかったです。

実は、もう一方の絵のサークルのほうは、最近、もう、さんざん・・・・
あまりにも好きなこと言われて・・・老人性鬱???になりそう・・・
 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2012年2月15日 (水)

「日本水彩会員小品展」   銀座2丁目 東京セントラル美術館

Toukyou_007

 ただ今、「日本水彩会員小品展」  銀座2丁目貿易センタービル5F「東京セントラル美術館」にてやっています。おついでがおありのお方はゼヒゼヒ・・・3点出品しています。


Toukyou_004

 会場から歩いて宮城へ。ずーっと以前に、子供達が小さかった頃、小さな日の丸の旗を新聞社からもらって、「バンザーイ!!」って叫びに行ったことがあったっけ。あれは・・・八丈島からの帰りでした。この橋を渡って門の中に入ったんでしたね。


Toukyou_002

 ここが、かの有名な「桜田門」井伊直弼の首が落ちたとこなんやねえ。

Toukyou_003

  坂下門ってのも、ナンか聞き覚えがあったけど・・・思い出せなかったなあ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

スカイツリー見てきました

Toukyou_001


Sukai


スカイツリー見てきました。今、有楽町、貿易センタービル5F セントラル美術館にて開催中の「日本水彩展」に出品中なもんですから。ちょっと足を伸ばして見て来ました。

 会場で、「スカイツリーって何処へ行けば見られるんですか」って聞きましたら、「浅草ならね」っていうことでした。先ずは徒歩にて宮城へ。二重橋など雨の中で軽くスケッチ。東京は苦手です。でも、ここからは歩いては行けないんですから、なんとかしないと・・・有楽町から浅草橋へ。
 でも浅草橋の駅員さんは「すぐそこの地下鉄で5つ先の押上まで行くと橋の上から見える」って言うじゃありませんか。無事、スカイツリーの足元まで行けました。生憎の雨・・・でも、やっと納得・・・


Yuraku_2


  上は出品中の小品2点。下は20号「生きる」会場内ではガラスに反射してちゃんとした写真がとれませんでした。ス・ミ・マ・セ・ン

Yamanobe_009


 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年2月10日 (金)

研究発表 万葉と山の辺の道

Yamanobe_001_3

 去年の秋、山之辺の道を歩いたお仲間と、明日は新年会。
と、いうことで、中学生の研究発表みたいな資料を作りました。これが・・・楽しくってねえ


Yamanobe_002

 絵の会のお仲間には「絵画史」の研究発表を計画してかなり長く我慢強くやってたんですけど・・・それがぁああ・・・ゼーンゼンお話にならなかった。興味がないとなると、大きな声で私語「あんた、あそこで会うたなあ!!!」って感じ。結局止めてしまったなあ!!あ・あ・あ・・・あんなに、面白いのにぃ。つぅまぁりぃ・・・自分の思い入れの押し付けだったか???

 明日は・・・???まあ・・・楽しみましょ。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2012年2月 8日 (水)

マルカの長い旅

 下は、毎日新聞青少年読書感想文コンクールで興味を持った本です。

Hapusu_555


 ナチスのユダヤ人狩り・・・いろんな映画や本で触れてはいましたが、この本は、たった一人になってしまった7才の女の子、マルカ・・・美しい金髪の可愛いマルカ・・・が、ドイツ占領下のハンガリーでどうやって生きのびたかを描いて息もつかせません。

 ハンガリーとウクライナ(当時はロシア支配下のポーランド)の国境に近い、ムンカチュの町に住む、ユダヤ人でシングルマザーの医師、ハンナ一家は、姉のミンナ、16才とマルカ。何人かのお手伝いをおいて診療所を開いています。医師ハンナは農民と違って文字も読め、ムンカカチュではなくてはならない存在であり、ドイツ人将校も患者です。ユダヤ人が片っ端から捕らえられて収容所送りにされていることは耳にしていますが、切迫感が持てないでいます。

 そんな、日常が急展開しました。ユダヤ人狩りがはじまったのです。ドイツ人将校は「今すぐお逃げなさい」と教えてくれます。着のみ着のままの逃避行が突然始まりました。

 7才のマルカはカルパチア山脈の山越えで靴擦れから化膿し、高熱を出してしまいます。殺気だつ仲間たち。ハンナは国境近い村で密かに難民の世話をしているユダヤ人一家にマルカをあずけて、一先ず先にハンガリーにむかいます。

 密かに難民を助ける・・と言っても正義なんかではない、袖に下めあての・・・密輸業者みたいな・・・・一家にかくまってもらうことになったマルカは、高熱の中、母の状況を認識します。彼女が目覚めた時は、母も姉もいませでした。

 かくまってもらうはずの家に、捜索の手が伸びるということで、見知らぬ町に連れて行かれ、置いてきぼりにされてしまったマルカ。おなかがすいて目が回りそうなマルカの前では、ご馳走や音楽が一杯の楽しげな結婚式が。フラフラと入りこんだマルカに、人々は美味しいお皿をくれましたが、警察へつきだされてしまいました。そして、牢屋からゲットーへ。そしてゲットーのユダヤ人狩り。無人となったゲットーには、それでも何人かの生きのびた子供達がいました。

 時に登場する優しい人、半分腐ったリンゴをくれた人、刑務所の隣のおばさん、パンを半切れ恵んでくれた人、ダウン症の子供をもつ農家の人。畑のにんじん・・・袋の底にこびりついていた小麦粉・・・


 ウンチをしたら、体がっぺっしゃんこになって死んでしまうと心配するマルカ。食べられるものは何でも食べ、野生動物の嗅覚をもってドイツ人の魔手から逃れ、独りで生きていきますが、やがてチフスに・・


 しかし、マルカは生きのびました。


 ユダヤ人であることを否定し、医師として誇り高く生きようとしたハンナでした。しかし、マルカの行方がわからなくなった時、全てが母であることに集中します。マルカを探しに危険をかえりみず出て行くハンナ。しかし・・・・マルカは・・・

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2012年2月 2日 (木)

ナポレオン2世

Hapusu_552
 


 上は、2009年4月1日にアップした当ブログの写真からコピーしたもの。
ナポレオンはご存知コルシカ島の出身です。アジャクシオは、コルシカ島の州都でした。ナポレオンの得意の絶頂期に、叔父フェッシュと母、レティツィアが金にあかせて収集した美術品が今、アジャクシオ美術館となっています。上の絵はボッティチェルリ「聖母子と天使」

 ナポレオンの母、レティツィアは立派な女丈夫でした。ナポレオンの父、カルロとは、コルシカ独立のために戦った同志でした。当時、コルシカ島はジェノヴァの統治下にあり、ジェノヴァが島をフランスに売り渡したといいます。

 教会で産気づいたレティツィアは、自宅に帰り、入り口から3階の寝室へ行く途中で男の子を生みました。元気な赤ん坊で、自分から飛び出したといいます。ナポレオンは荒野のライオン。父カルロが命名しました。

 
 ナポレオンは35才でフランス皇帝になり、妻ジョセフィーヌも思いがけなく皇后ということになりました。
ところが、レティツィアは、このお気楽嫁が気にいらなかったのです。よく言われるように、ジョセフィーヌには先夫との間に2人の娘があり、浮気もするというお気楽な女性でしたから、レティツィアは戴冠式にも出席しなかったそうです。有名なダヴィッドが描いた戴冠式の絵に描かれているのはウソなんですって。


 さてナポレオンはエルバ島に流されますが、エルバ島でのナポレオンの生活は決して不快なものではなかったようです。母レティツィアが蓄えていた財力で宮殿に住み家来も多く、料理人もいました。

 しかし、ナポレオンは100日天下の後、今度は絶海の孤島セント・ヘレナ島に流され、結局は胃がん???で52才で死にました。母レティツィアはローマに移って84才まで長生きしたそうです。    

 ところで、ナポレオンの息子「ライヒシュタット公」はナポレオン退位の直後、6月22日から7月7日までは、ナポレオン2世だったんですって。ナポレオン失脚を受けて、弟、ブロケッシュが議会にかけ、採択されたといいます。勿論、彼はフランスにはいないわけだし彼は10才、名目だけです。
 フランスはナポレオンの死後3年で、ルイの弟を再び王にいただくこととなる。しかし・・・それは、おそるべき反動・・粛清の始まり・・・やっぱり、歴史って面白い。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »