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2011年12月31日 (土)

あけましておめでとうございます。

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 皆様、あけましておめでとうございます。本年が良い年でありますように祈ります。
あ・あ・あ・・あ・・・天は高すぎるけど・・・のぼり続ける努力はいたしましょう。

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2011年12月22日 (木)

溶けたクレヨン

 今朝の朝ドラ「カーネーション」・・・


「生まれたときから戦争で、きれいなもんやら楽しいもんを ちいーっとも知らん子なんやもんなあ」主人公、糸子のセリフです。なんて名前だったか???

 

 ももりは1941年1月生まれ。その年の12月に戦争は始まりましたので戦前生まれです。糸子が、絵が好きな娘に買い与えた、当時は貴重なお絵描き帳と色えんぴつに・・・思わず、胸キュン!!!ホーラ、こんないにきれいな色いっぱい!!!


 ももりも小さい時から絵が好きで、よくクレヨンを買ってもらっていたことを思い出します。しまい忘れて縁側におきっぱなしにしたら、クレヨンは日に溶けて、一体になってしまっていた・・・貴重なクレヨン。そんな粗悪品???色も、たしか、9色だったか8色だったか???大きくなっても、8色あればどんな色も出せるんだと思い込んでいました。


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 今、こうして、絵を楽しんで、自由に描けるってどんなに贅沢でうれしいことか・・・
そして、今はなき両親に・・・そして、相棒にも・・ひたすら感謝・・・です。

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2011年12月21日 (水)

もう、悪口は言わないピカソ

 あれは・・・1992年か???マドリッドで個展をする打ち合わせのための旅・・・ルカの事件が起きた旅でした。道を尋ねながら行ったピカソ美術館。その日は休館で、なんのへんてつもない粗末な扉が、ガンと閉っていてガッカリ。でも・・・やっぱり、ピカソ一家は貧しかったんやって、納得したものでしたが・・・


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 今回、中に入って、その充実ぶりにあらためて驚き、「ピカソ・・・す・ば・ら・し・い・・・!!」って叫びました。ピカソ一家がバルセロナにやってきたのはピカソが14才の年。ももりの読んだ本には14才でピカソは売春宿に入りびたっていたとありました。上、スケッチは美術館の中庭から


 ももりはどちらかと云うとピカソは嫌いでした。と、言うより・・・今も好きではない。女性の敵ですから。ピカソの性欲の対象としての女性の中で不幸にならなかったのは、二人の子を生んで上手くピカソから逃げおおせたジャックリーヌだけ。ジャックリーヌは、後に再婚して健康な生涯を送っています。

 しかし、少なくとも、6人、公けに恋人といわれながら、ピカソの身勝手さのために泣いた女性がいます。ちょっかいを出した女性は数え切れない 


ピカソは19才でパリに出て極貧生活。しかし、その間の「青の時代」の絵には画商が付いて、すぐに金には不自由の無い生活になります。
 「薔薇色の時代」を経てキュビスム・・・若い画檀の超売れっ子です。第一人者となった得意の時代のピカソの作品にプンプンとにおいたつ、あつかましさ、傲慢・・・人もなげな投げやり・・・


 悲しみ、ためらい・・・自己の中へと回帰する内省的な悲しみや、それに耐える鬱が全く無い。描きっぱなしです。画商が隣の部屋に待っていて、なんだって喜んで、お世辞を言って、争って持って帰る・・・ももりごときが嫌うのは、ヘでもないけどねえ。


 しかし、今回バルセロナで見たのは、もっと若い時代の作品。父親が絵描きで美術教師でもあったピカソはいくつかの模写や身近な人物を残しています。
 そこに描きだされた人物の呵責のない性格描写。とても14才の少年とは思えません。
下は20年前。この時は閉館でした。時間が出来たらピカソのこと書きたいです。だって、分厚い英語の本を辞書引きながらよんだのですから・・・/strong>

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2011年12月17日 (土)

バレンシアの火祭り

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 この写真は、1998年、ここバレンシアのサン・バレンチンの春祭りの映像です。この日は、女の子はみんなキリストの花嫁になるんですって。
 我が家に1週間ほど滞在したアーティストのパメンさんが案内してくれました。この日、家庭料理をご馳走になり夜は闘牛を見ましたねえ。

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 町中に、大きな人形が飾られています。その数、なんと、200体とか・・・。それを、このサン・バレンチンの祭りの夜、火をつけて燃やす祭り「ファジャ」と呼ばれるスペイン三大祭りの一つです。
 人形はとても大きいもので木造家屋が密集する日本では考えられない、石造りの町ならではの行事です。でも、さすがに防水布が大きく掛けられてはいます。私達が陣度ったのは2番目に大きな人形の前、確か???市役所広場だったような???

 夜、12時頃でしょうか。みっちり詰まった群集の真ん中に私は埋もれています。何しろ こちらの人たちは体が大きい。ももりも日本人にしては大きなほうでしょうけど、まったく、ぎゅうぎゅう詰めで身動きすらなりません。消防車がやってきて建物に水をかけ、冗談じゃない!!!群集にも水をかけます。後ずさりする群集の中で、もう、息も絶えだえ・・・・「アッ・・・肩が抜けた。イタタタッ」


 人形が燃え落ち、サッと人なみがウソのように消えうせ、気がついたら肩は無事でした。
そこここに燃え残りがくすぶる深夜の町をホテルに帰りついたのは、2時を回っていましたっけ。翌朝の飛行機は朝早く、5時にはホテルを出るという・・・マジョルカ島へ。楽しいばっかりの旅でした。旅ってつくづく楽しい!!!


 あの広場は何処やったんやろ???
マア・・・スケッチなんて、ホント 無力です。


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2011年12月16日 (金)

シエラネバダ山 見えた!!!

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 シエラネバダ・・・・スペイン語では「ラ」をきつく巻き舌でいいます。この山にはあこがれていましたねえ。なってたってひびきがいい!!!

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ローマ世界の頃のグラナダは、やはりローマ人の町でしたが、7世紀ごろ、アラブ人がやってきて定着し、1013年にはここを首都としました。アンダルシアは部族闘争に明け暮れ、セビリアやコルドバも首都でした。この頃のイスラム文化は華やかに燦然と輝いていて、しかも、当時のイスラム文化は今のイメージとは大きく違っていたようです。他の宗教にも民族にも寛容だったといいます。アルコールとかアルジブラとか・・・アルで始まる単語はイスラムに起源をもつそうです。 


 下スケッチはアルハンブラ宮殿とアルバイシンの丘。この丘の洞窟にはジプシーが住み、洞窟のフラメンコは有名ですが、私達が見たのは、町中のフラメンコでした。
 フラメンコは抑圧された民族の魂の踊り。以前、スペイン語を習っていた時、教室で、古いフラメンコの白黒映画を見たのですが、そこには、争い、殺され、怒っては踊り、死んでは踊り、泣いては踊り、喜んでは踊る・・・ジプシーたちははだしで、土煙を上げて踊っていました。エクスタシーっていうんでしょうか。


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2011年12月15日 (木)

グラナダのアルハンブラ宮殿

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 人間が進歩する???そんなことホンマかいな???。ここの古い文化は本当に凄い!!!これは、もう、魔術の領域です。木彫やタイル、、はるかに高い天井にどうして???下は相棒撮影。高い天井の木彫


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 グラナダ陥落は1492年。11年間の長い戦いでした。イサベル女王は「敵の都を落とすまでは下着を替えない」と宣言したそうで、フランスのカフェ・オ・レの薄茶色を「イサベル色」っていうそうですよ。

 イスラム教のグラナダの若き王、ボアブディル。ライオンの心を持つと言われた王の猛母、アイーサ。二人は跡目争いで長くアルハンブラ宮殿のコマレスの塔に幽閉されていたが、逃亡に成功。アイーサは気弱な息子をはげまして戦っていましたが結局敗れます。
 城の鍵がイサベル、フェルナンド両王に渡される日、両方の王達は着飾って式にのぞんだそうで、当日の絵が残っています。

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 「涙の丘」と、今も呼ばれる小高い丘があるそうで、敗者としてアフリカに渡るボアブディルに、猛母アイーサは言ったそうです。「お前は男らしく守れなかったことを女のように泣くがいい」・・・怖いおっかあやなあ。
    
 


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2011年12月14日 (水)

真っ白な町 ミハス

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 相棒はジブラルタル海峡を見たいと言っています。でもねえ・・・ジブラルタル海峡はイギリス領なんですって。やっぱり大英帝国はまだここでは頑張ってるんですねえ。
 ここミハスは、まあ・・・ジブラルタル海峡よりは少し東ですけど・・・コートダジュール(蒼い海岸)の村です。スケッチはサン・セバスチャン教会。ここはビールを頼んでゆっくりスケッチできました。


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 スケッチはよく写真集に登場する白い階段とコートダジュール


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2011年12月13日 (火)

異端審問所とスペインの暗部

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 グアダルキビル川は大西洋から内陸へと物品を運び、ここセビージャを交易の拠点として発展させました。スケッチはグアダルキビル川と以前は黄金が張られていたという黄金の塔

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 スケッチは買い物の為に立ち寄ったお店の前から見るヒラルダの塔。買い物よりも早くあそこに行きたい!!!

 大聖堂とヒラルダの塔はスケッチする時間なし。この塔のてっぺんまでの傾斜を100メートル登りました。そっりゃあ!!!展望のすばらしかったこと!!!

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  あ・あ・あ・・・・登ってきた以上は降りなあかん・・・膝には下りがつらいのよねえ。 

1480年にセビリアに異端審問所が作られて、1516年までに6000人から7000人が火刑にあい、1492年のユダヤ人追放令では約25万人のユダヤ人がスペインを離れたといいます。その大半は現在のイラン、イラクへいったとか。一部はベルギー、ギリシャへ。このユダヤ人追放が経済を失墜させる原因となります。
 スペインがヨーロッパでも最も激しかったというこの異端審問。魔女ときめつけられて何人が火あぶりにされた???魔女なんて・・・そんんなのいるか・あ・・・・サンチアゴ巡礼道のホントに鄙びた小さな村でも、村の中心には柱があって、そこを通る時、いつも「ア・ア・ア・・・ここで火あぶりされた女の人がいたんやろなあ」って思ったものでした。今なら・・・さしずめ???ももりも・・・マジョ???結局、憎むべきは、それを許したバチカンです。


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 スケッチは万博のために造られたスペイン広場で、これはまだ新しい

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2011年12月12日 (月)

コルドバにて

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 曲がりくねった細い道、真っ白な壁に一杯お花をかざったユダヤ人街は今はおみやげ屋さんでにぎわっています。前は、もっと家の中庭までのぞけたような記憶があるけど・・・


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 まったく・・・ローマ人てのは土木工事技術の天才!!!。今でも大型トラックが通っているローマ橋とグワダルキビル川

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2011年12月11日 (日)

コルドバのメスキータ

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 ここは以前にも来ていますが、なんとしても描けないこの美しさ。アラブ人の作った教会。メスキータとはモスクのことです。
 「ひと夜 明ければ 国が 見え」・・・1492年、レコンキスタ、つまりぃ、Re conquesut 再征服・・・がなりました。イサベルとフェルナンド両王がスペインからイスラム教徒を追い出してキリスト教国に統一したのです。
 でも、当時のイスラム教は今日とイメージが全然違っていたようで、他の宗教にも寛容であり、学問、文化ははるかにキリスト教世界より進んでいたそうです。
 どうですか・・・・この甘い色彩と美しい列柱・・・素晴らしい木彫、色タイル・・・


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  モスクの上に造られたキリスト教の礼拝所。ここはキンキラです。


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 上はメスキータの入口を入った所。オレンジが街路樹としても庭木としてもたわわに実のっています。

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2011年12月10日 (土)

霧の中の風車・・・コンスエグラ

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 ここ、ラ・マンチャ地方・・・以前、TVで見たのですが、サフランで有名な土地です。地面にへばりついて咲く小さな白い花。その花のほんの3~4本のめしべ??おしべかも??を乾燥させたのが高価なサフランです。ブイヤベースやパエージャとかの黄色はこのサフランです。
 一年に一度の収穫時期には、家族全員がテーブルに山と盛り上げたサフランの花から、小さなしべをとる作業にあたります。花が咲いた間、しかも、その花は1日で枯れるんですから、その日の内に作業しなくてはいけない。1日中、中腰で花を取るのもつらい仕事ですし、この花のしべ取りも大変な仕事でしょう。乾燥した大地に生えるたった一つの産物。
 この地がこんなに深い朝霧に覆われるってのは、イメージと凄くちがいまいた。


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 上は、一服した小さなお土産屋さん。この土地の土は赤味がかっています。鉄分が強いのでしょうか。そのせいでしょう。屋根も壁の色もなんともいえない甘いピンクです。こたえられないなあ!!!


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 上は霧の中の小さな村

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2011年12月 9日 (金)

夕焼けと朝やけ・・・トレド

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 ここ、カスティージャの高地、トレドは、海抜500メートルを越えます。さすが・・・夕陽も朝焼けも素晴らしい!!!
 トレドのお宿はパラドール。パラドールとは昔のお城や教会などを、今、国営宿舎にして一般人を泊まらせるというすぐれもので、なかなか予約が取れないと聞いています。サンチアゴの巡礼道ではレオンとか、サンチアゴ・デ・コンポステラとか、素晴らしいパラドールに泊まったものでした。
 ここ、トレドのパラドールは、ちょっと山小屋て感じで素朴です。仰々しい感じはありません。スケッチはパラドールの朝。霧が深い朝です。


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 上スケッチは朝もやの中のタホ川とめがね橋

 トレドはBC2世紀にはローマ人の町であったそうですが、イスラムの支配下に入り、レコンキスタで再びキリスト教世界にもどりました。572年には西ゴートの首都でした。大体マドリッドが首都となったのは新しく、4つの国に別れていたりもして、セビリアもコルドバも首都であった古い都です。それに、スペインは第二次世界大戦も第一次世界大戦も不参加で、ゲルニカは別として大規模な爆撃から逃れて、いたるところに中世が息づいています。そこが、なんともいえないスペインの魅力だと確信します。

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2011年12月 8日 (木)

マドリッドの引ったくり

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 上、スケッチはスペイン広場。ここで、以前、友人がみごとにかばんを引ったくられた!!!

 あれは、個展の下調べに行った旅でした。今回とよく似たコースで、マドリッドに3泊するというツアーに参加した時です。
 友人と朝早く、スペイン広場へ行こうとして、友人がバッグをひったくられました。それはもう・・・見事というほかない腕前で・・・友人が「ギャッ」と叫んで走り出した時、私には何が起こったかまるでわからず、ブッタマゲただけ。ヒラヒラと何かが散りました。

 前から楽しげな身振りでおしゃべりしてきていた若者二人が走っていくのが見えたのは一瞬のこと。二人は階段を上がって、あっという間もなく消えました。私も友人を追っかけて階段を上がったら、友人はしゃがみこんでいました。パスポートも現金も、トランクの鍵すらスックリ引ったくられたのです。ヒラヒラと落ちたのはバッグの紐。3重になって付いていた紐でした。友人の腕にはひどいかすり傷が・・・血がにじんでいます。

 この話は、ももりのホームページ「マドリッドのルカ」に書いています。お時間ありましたらゼヒゼヒ。
左端「山口ももりのホームページ」からお入りください。下の方ですけど。書いたことは全て事実です。

 それ以来、マドリッドは怖い。でも・・・3週間も下宿して地下鉄で個展会場に通っていたんですから。若かったんやなあ。おばさんの勇敢なのは・・・ホント・・・やることが怖い。

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 いよいよ個展をするためにやって来た時、一体どこでやられたんやろ、と、ここへ来ました。そしたら、なんと、なんと、あんな地下道を横切らなくても見事な道が王宮へと続いているのです。
 あ・あ・あ・・・「道を聞いたヤツもグルやったんや」と納得・・・う・う・・・ん。怖い!!!おのおのがた、くれぐれも ご油断めさるな!!!

 結局、その時も、スペイン広場へ行く勇気はなく、王宮を見学して終わり。今回始めてセルバンテスの像と、ドンキホーテとサンチョ・パンサに会えました。やれやれ・・・

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2011年12月 7日 (水)

優秀なる記憶忘却装置

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マドリッドはあまり大きな街でもないし、以前、セッセと歩き回ったクセに、なんと、なんと、始めて歩くように新鮮です。忘れるって、ええことやんか!!

 プラド美術館・・・これがやっぱり凄かった。最近横着になって余り美術館を訪れないももりですが、あらためて圧倒されました。
 特に、行く前に読んでいた、小西章子「スペイン女王イサベル」の登場人物たちとのご対面が、ひたすらうれしかった。一途に国のために働いたカステージャの女王イサベル。結婚のお相手のアラゴンの王子、フェルナンド・・・狂ってしまった次女ファーナ・・・誰にも相手にされなかったコロンブスの航海の資金援助を決断したのがこのイサベル女王です。

この二人の王が、レコンキスタとよばれる国内統一をなしとげました。長年、4つの国に分かれ争っていたスペインを統一、コロンブスの新大陸発見の後の富・・・世界帝国にのぼりつめるはじめでした。


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  写真は美男王フィリップの女性関係に狂い、その死後、棺おけをかついで国中をさすらったという女王、ファーナ。しかし彼女の孫カルロスが神聖ローマ帝国皇帝となり???たしか・・・記憶忘却装置が働いてたらお許しを??後ほど、ゆっくり調べなおしてご報告しましょう 


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 上スケッチはサン・フェロニモス教会。スペイン王家は近親結婚による悪影響が強く出て、フェリーペ3世、4世、そしてカルロス2世と精神的にも肉体的にも虚弱な王が続いたそうで、その頼りなげ狂った王達にも対面してきました。栄光と悲劇って常に同居してるのよねえ。
 ここ、マドリッドはフェリーペ2世によって、首都とされた、とあります。

 少し前、7月24日です。ゴヤのことを取りあげたカルロス4世の家族、あの強欲なイサベルにも会ってきましたし、アホのカルロス4世も見てきました。同じくゴヤのナポレオンの侵略で虐殺される民衆の絵も見ました。 案内してくれたガイド氏は、もっぱらエル・グレコ・・・でした。 

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2011年12月 6日 (火)

チリモヤとスペイン

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 上、スケッチはチリモヤ。ももりはマドリッドで個展をしたことがあり、その時、3週間ほど下宿をしました。生涯、サイッコーの思い出ですが、その時食べたのがチリモヤ。今回、又、見つけて食べました。ちょっとヨーグルトみたいなお味。黒い1センチほどの種がいくつもあります。日本ではあまり見ないなあ。

 スペインは、7回目???8回目かも???友人の企画したマルセイユでのジャパンウイークの旅は、バルセロナからコートダジュールをフランスへ。ももりのマドリッドの個展の下調べには今回とほぼ同じコースのツアーに参加しました。でも、相棒はこのコースは始めてです。
 マヨルカ島とバレンシアの火祭りにも行ったし、2000年にはキリスト生誕記念とて5日間巡礼道を歩きました。今年7月にもピレネーを越えてサンチアゴへ、バスで旅しています。

 スペイン・・・何度行っても素晴らしい国!!!重い歴史、そのわりに人なつっこく、陽気なスペイン人。経済不安なんぞ何処にあるかって感じのクリスマスイルミネーションも見てきました。あ・あ・あ・・・もっといたいけど・・・

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 スペイン広場。手前はドン・キホーテとサンチョ・パンサの像。後セルバンテス。この近くで、20年前、友人がバッグをスッパリと引ったくられました。そのことは、又、後ほど・・・後ほど・・

 チリモヤについて、kazuyoo様から、ページの紹介を頂きました。興味があるお方はゼヒゼヒ
    http://www.botanic.jp/class/banrei.htm

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