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2011年7月28日 (木)

異教徒ながら

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 西洋史は好きで、かなりうるさい???かもしれない???ももりですが・・・
きっと子供の日、せっせと読んだ「白雪姫」「シンデレラ」「リヤ王」「ああ 無情」・・・のせいでしょう

 キリスト教に対する興味が、猛然と湧き起こった瞬間は、はっきり記憶にあります。
美術館で見た一枚の絵「ヘロデ王の幼児虐殺」 取りすがる母親を蹴散らして、幼児を次々と殺すローマ兵。「え・え・え・・・キリスト教って、うっとりと、「敵に右ほほを叩かれたら左の頬も出せ」というような、ヤワな宗教やないの???こんな残酷なこと教えてるの???」
 これは、高校1年だったと思います。

 将来王になる者が誕生した、と聞いたヘロデ王は、将来の自分の王位を危うくなることを危惧し、幼児を全部殺すように命じた・・・・という解説を読んで・さ・あ・あ・・・ハマリました。

 ももりは、自分の見た事以外は信じない。
霊感なし、予知能力ゼロ。地獄へ墜ちるなんて脅迫する宗教は大キライ!!!
 勿論未知なる部分があることは大いに、大いに信じますし、未知なることが多すぎると思う故に、安易にわかったように霊感とかを口に出すことを嫌っています。

 旅をして、長くその余韻から抜け出せない旅とは、どこか、哲学的???というか、人間存在の根本に深く訴える旅が多いようです。そして、その上に未知なる世界が広がっている・・・今回の旅は中世。キリスト教にすっかり押さえられていた民衆。しかも、最後の審判を酷く怖れた、キリスト教の恐怖時代????
 それにしても・・・・人間てのは凄い。この石の天井がナンで落ちてこないの???写真撮影は相棒

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2011年7月27日 (水)

スペイン この魅力的な国

 帰国して、もう3週間も過ぎたのに、まだ夢心地です。旅から帰って、夢醒めるのが早い旅と、ウーットリと夢が続く旅とがあります。今回、相当重症です。

 我が家、地デジの日からTVがつかなくなって・・・暮れにTVも買い換えて、アンテナも替えてもらったのに・・・???なんで・え・え・???
 夕飯のお茶碗を洗ってたら「あれ???音がせえへん」
 TVには、ナニやらややこしい文字が出てるだけ

 業者さんにきてもらって、自分のアホさにあきれました。結局、たまたま、アンテナと接続するコンセントが抜けてただけ・・・なんてヒドい、偶然のタイミング!!!
 我が家のイタズラ妖精「ゴルドン」の仕業です。でも、「江」と、「お日さま」と「徹子の部屋」と「天気予報」以外は、ほとんどTVを見ていないことにあらためて気がつきました。TVが無い夜は静かなんですよお・・・業者さん、すみませんでした。


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 スケッチはスペインあちこち

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2011年7月24日 (日)

スペインとゴヤ

 ゴヤを知らない人はいないでしょう。ピカソやミロ・・・彼等以上に最もスペインそのもの???な絵描きだと、ももりは思います。

ゴヤ、1746年に片田舎で生まれました。両親は遠くバスク人の血を引いていたといいます。

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  ゴヤ、40才でカルロス3世付きの絵描きになります。王家のお気に入り、絶頂期にありました。
1789年といえば、隣国フランスでは革命。同じ年、スペインでは、カルロス3世が死に、カルロス4世が即位しました。しかしこの国王はとんでもないウスノロ。しかし、ゴヤは、相変わらずウスノロ王家のお気に入りです。

  

 上はカルロス4世一家。どうですか???この気位の高そうな一家。しかし、国王はウスノロ。王妃マリア・ルイサは15才も年下のゴドイをオトコ妾にして1男1女の子までもうけ、お目出度いウスノロ王カルロス4世はチーットモ知らなかったというんですから。今やゴドイは王妃の権威をカサに来て独裁権力を握っています。
 革命思想に触れたゴヤは、一時は名誉から逃れますが、宮廷に復帰。しかし、王家の実態を知り尽くして、憎んでいるとしか思えない描きぶりです。この絵はゴヤ54才


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 ご存じ「裸のマハ」は、ゴヤ52才の作品。このなんでもないヌードは、しかし、無能のカルロス4世の次に王位につくフェルナンド7世による反動政治・・・革命に同調した人間への弾圧・・・で時代錯誤の異端審問に掛けられることになる問題作です。


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 フランス革命は4年後には国王、王妃ともにギロチンの露と消し、その後の革命政府の手のつけられない暴力と無能。そこへ抜け目のない外国の侵略・・・ナポレオンが鮮やかに登場するのはこのフランス危急の時です。スペインへも革命思想は伝染し、アランフェスで反乱。カルロス4世は王位を息子フェルナンドに譲り、フランスへ逃れます。
 やがて・・・ピレネーを越えてフランス軍がスペインへ。あっという間に北、中部は制圧、マドリッドへ迫りました。


上は、1808年5月3日、マドリッド陥落・・・銃を撃っているのはナポレオンの軍隊です。マドリッドで、立ち上がったスペイン人民の蜂起はたった数時間でナポレオン軍に制圧されてしまいました。


 フェルナンド7世はナポレオンと談判するにあたり、ウスノロカルロス4世とマリア・ルイサと同座しました。なんとなんと・・・ウスノロ、カルロス4世は王の諸権利をナポレオンに譲ってしまったのです

 その時の王妃の言葉がイヤハヤ・・・
「お黙り。このテテなし子め、お前なんぞギロチンに掛けられてくたばってしまえ」ですって。
 しかし、スペイン王はナポレオンの兄ホセ1世と云うことになってしまいました。ホセ1世「酔いどれペペ」と言われた5年足らずの王でした。

 ナポレオンはやがて破れ、フェルナンド7世がスペインに帰ってきました。
しかし、スペインにも自由主義革命が起こります。フランスに逃げたフェルナンドは、フランス軍を引き連れてピレネーを越えて帰ってきました。激しい自由主義者の弾圧が横行し、73歳のゴヤは「聾の家」と呼ばれる家を購入、引きこもります。
 その壁に描いた真っ黒い絵が、苦しむゴヤの心の叫びをあらわして有名です。厳しいカトリックへの回帰と王政復古が行なわれ、「裸のマハ」は異端審問にかかりました。

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 どうにもならない運命が人々を苦しめます。ゴヤ、悲劇の時代のスペイン人の運命感はこんなものではなかったのでしょうか

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2011年7月21日 (木)

先史時代から中世、そして今・・・

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 写真は相棒撮影のサンティリャーナ・デル・マールの村祭りから

 この村にアルタミラの洞窟が発見された・・・先史時代、さ・あ・あ・・・本によりますと後期旧石器時代・・・4万年前から1万年前???のこの地に、あの壮大な絵を描いた人達が住んでいた。

 そして、そして・・・ここ、カンタブリア海にさすらうホモサピエンス・ももり・・・とくれば・・・こっりゃああ・・・感動しますわなあ。

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2011年7月20日 (水)

絵の具を広げて・・・サンチアゴ・デ・コンポステラ  

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 今回、初めてのしゃがみこんでのスケッチ。サンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂。絵の具持参でゆっくりスケッチできました。

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 中央、聖ヤコブの像。実際の大きさって???どんなもんなんやろ???
 

 サンティアゴ・デ・コンポステラとは・・・キリストの12使徒の一人、聖ヤコブの遺骨が9世紀に発見され、そこに教会と修道院が建てられました。現在の教会は後の手が大いに入っているようですが。
 
 このスペイン最北西端ともいえるところまで、中世、巡礼者が続々と歩いてやってきたのです。パリから、マルセイユから、クリュニューから・・・12世紀が最盛期だったとか。人類が時に発揮するとてつもないエネルギーの沸騰・・・でしょう。十字軍に先立つ沸騰です。
 中世の人々は、黙々と歩き続けてこの道を・・・この黙々の行為が求道的なのよねえ。私達みたいに4つ☆ホテルに泊まり、冷房バスで快適に・・・やっぱり異教徒やなあ


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異教徒ももりが、ここ、キリスト教の聖地へ2度も来た。何が彼女をそうさせたか???
スケッチは旧市街の市場と広場

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2011年7月19日 (火)

中世の芸術  ロマネスク

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 上の写真は12C,中世ロマネスク、レオンのサン・イシードロ教会の壁画です。農民の1年の仕事を月ごとに描いています。麦刈りと葡萄の収穫。2枚目は???さ・あ・あ・・・??なんて楽しい!!!なんて素朴!!!絵を習う前の子供の絵と同じです。ゴシック教会が天にも届けと、一斉に高くそびえるようになる以前、2階建て???地下室くらいだけをそなえた素朴なロマネスク教会が各地に残っています。 


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 上はオビエドのサンタマリア・デル・ナランコ教会。ロマネスクより2世紀早いプレロマネスク様式ですって。今回の旅、添乗のお嬢さんが素晴らしく博学で、解説がとても充実していたのが嬉しかったです。


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 ゴシックになると天井が高くなりすぎて柱頭の彫刻は見えませんが、ロマネスクは柱頭の飾りがなんとも楽しい。素朴でユーモラスで・・・ネ

 ももりが断片的に読みかじったところでは、ロマネスクと呼ばれる様式は、AD10世紀後半から13世紀終わり頃まで。当時、各地に続々教会が建てられた。近くに産する素朴な石を使い、壁には名も知られぬ芸術家が素朴な絵をびっしり描いた。柱頭には愛嬌タップリの聖人や悪魔などを掘り込み、文字を知らぬ民衆にキリスト教の教えをわかりやすく説いた。ゴチック以前・・・・
 中世とは西ローマが滅んで、新しいルネサンス辺りまでをいうらしいけど、勿論、歴史はすっきり区切るなんてコトはムリなんです。

 476(死なむ)の年に、西ローマ帝国がほろび、西から押し寄せたフン族(ハンガリーか・・・??)に押し出されるように、ヨーロッパ各地に渦を巻いて暴れまわったゲルマン人。当時、ゲルマンと総称される人々は文字を持たず、シーザーのガリア(フランス)戦記やタキトゥスの「ゲルマニア」くらいから、文字で知る情報は途切れるようです。

 800年には、カール大帝がローマ教皇から王位を譲りうけ、キリスト教が、特にフランスがヨーロッパの中心に座った時代。
 その後、12世紀頃になると聖遺物崇拝が流行し、各地に素朴な教会がいっぱい建ち、巡礼が動き回った、と、いいます。聖遺物と言ったって「キリストの涙が3滴」とかが、水晶やキンキラの容器に入って、それを民衆は必死で拝んだんです。まああ・・・可愛いというべき・・・でしょうね。

 ローマ帝国が滅びて、ローマの文化も本当に破壊されたとか。なにしろ、ローマの建造物の大理石を自分達の建物にシッケイしちゃったっていうんですから。だぁかぁらぁ・・・ローマの臭いがちっともしない新しい文化が生まれた・・・んじゃない???

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2011年7月15日 (金)

中世と云う不思議な時代

 昔々・・・ヨーロッパ内陸部は、昼なお暗い森におおわれていて、森には狼や狐や熊がいた。村の真ん中には教会があり、農民は領主のために、暗い内から働き、夜はろうそくを惜しんで暗くなると早々と寝た。黙々とはたらき、錬金術師や魔法使いがいて、人々は教会の鐘とともに生活をしていた。赤ずきんちゃんやロビンフッド、白雪姫、眠り姫???ももりのイメージは小供の日々に戻ります。

 でも、実際、町では、ブタやニワトリも一緒に棲み、下水設備なんか勿論なく、窓から汚物を捨てる・・・極めて非衛生的。隣国とのいざこざが常にあり、いったんコトあれば城塞の中に逃げ込んで、城壁の上から、襲いかかる敵の頭上へと石や弓、煮えたぎった油や人糞をまいた・・・特に、この黄色い生物兵器はイヤがられたらしい。臭いし、取れにくい・・・時にはコレラも大発生。魔女裁判だってあったんですから。
 中世の現実は???甘いロマンティックな空想とはかけ離れていたことでしょう。

 ところが、ところが・・・この時代のアート・・・ロマネスクがももりは大好きです。ロマネスクのアートについては後ほどにゆずるとして、城塞の中、中世のままみたいな村や町が、アチコチに残っているのがうれしい。スケッチしたいとこばかり・・・


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 フランス、サンジャンピエ・ド・ポーの町。スケッチ上は城塞、中は城主の館。


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 中世の騎士さんとご一緒!!!

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2011年7月14日 (木)

ヨーロッパのワインとビール

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 プエンテ・ラ・レイナを出て、ブルゴスへ。途中、ワインの試飲自由なプエンテ・デ・ヴィーノにバスは立ち寄ってくれました。小さな蛇口が二つ。左からは赤ワイン。右からは水がでます。番人もいませんし、飲み放題ではありますが、流石に・・・ガブガブとはねえ・・・ホタテ貝で一杯頂きました。 

 前回のドイツの旅で白ワインに目覚めました。食前酒にキリッと冷えた白ワイン。それ以来病み付きです。今回のスペインは赤が主眼。「太るとかいらんこと考えんと、しこたま飲んでやるっ」と勇んでやってきたのです。

 あらためて、ビールもワインも奥が深い。ビールは、それぞれ、地ビールで微妙に味が違います。ワインは勿論。ほとんど毎食(朝以外)食前酒に白ワイン、途中から赤・・・おいしかったなあ!!!

 不思議なことに、日本へ帰ってしまいますと、余りワインの栓を抜きましょうって言う気にはならないのです。マッ、旅行中だけの贅沢ということでいきましょう。

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 ブルゴスのレストランの民族衣装のお嬢さんたち。食べたのは、血のソーセージとチョリーソ(これもソーセージ)羊の腸に肉と血もつめこんだもの。真っ黒でしたけどおいしかったなあ!!!こんなワイルドなのがワインにもビールにもよっく合うのよねえ。

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アルタミラ 先史時代の絵画

やっと、ホームページに今回の旅の記録をアップしました。お時間あればゼヒゼヒ
 左のお気に入り「山口ももりのホームページ」からどうぞ

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 アルタミラの洞窟といえば・・・  

 先日アップしたサンティリャーナ・デル・マールの村祭り、その村で洞窟壁画が発見されたのが1879年。アマチュア考古学者、ドン・マルセリーノ・デ・サトゥラの発表は、頑迷卑怯な権威主義学者によって誹謗され、彼は失意のうちに死にました。

 彼が幼い娘とピクニックに来ていたときのこと。洞窟の中で娘の「パパ・・・牛よ、牛よ」と言う叫び声に驚いて洞窟に入った彼の目にうつった牛の群れ。

 私達も洞窟の入口からほんの少しのぞきました。目が暗闇になれても、どうやら道は続いてるなあ、くらいの感じで、それらしい物は何も見えません。近くの博物館にレプリカが作られています。


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 洞窟の入口とドン・マルセリーノ・デ・サトゥラの肖像


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人類がアフリカで生まれ、イベリア半島にたどりついたのは250~150万年前(別の説もあるそうですが)、ネアンデルタール人が・・・クロマニヨン人が・・・・???
 後期旧石器時代、ここ、カンタブリア地方にはマドレーヌ文化が栄えていた・・・といいます。紀元前1万5000年から2万年前のものというから凄い。フランスのラスコーの洞窟も、やはり、見事に洞窟が復元されていたことを思い出します。同じ頃の洞窟絵画は、なんと111ヶ所も残っているんですって。ともかく・・・凄い!!!日本人が日本列島に住んでいるのが確実なのは紀元前6000年といいますから・・・・古さでは太刀打ちできません。人間が絵を描くっていう行為は、生の根源的な喜びに違いありません

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2011年7月12日 (火)

大脳のしくみって

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 カスティーッジャの風景。360度地平線が見える景色が延々と続くってのは日本とは大分違います。以前、「どうして農地にしないのか」ってスペイン人に聞きましたら、岩盤で土がないから、と云う答えでした。後方はピレネー山脈

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 ももりはカンカンになってスペイン語を勉強した時期があります。スペインで個展をしてあまりに楽しかったので、「又1年半ごとにやりましょう」って言われて、それはそれは、頑張りました。後にも先にも、アンナに根をつめて勉強したことはありません。

 調子にのって・・・ももりはすぐに調子にのります・・・東京まででかけて弁論大会にも出ました。そのことで大きく新聞に載ったこともあります。「五十を過ぎてスペイン語 メキメキ上達」とか書かれてね。

 でもぉおお・・・もう、すっかり忘れてしまって悲しい思いをしていました。
時々、周囲にスペイン語が聞こえると「貴女はスペイン語で話してますね」と声をかけます。スペイン語圏の人々は本当に人なつっこく、すぐに相手になってくれます。でもぉ・・・ボキャブラリ-が・・・消えてしまって・・・悲しい!!!あんなにしゃべってたのにぃ・・・

 でも、自分でも全く不思議な思いでしたが、スペイン語圏に入り込んでしまうと、案外、日常会話くらいはできるのです。自分は単語が思い出せなくっても「ええっと・・・なんてったっけ???」てな調子で、相手から引きだします。なんといっても、相手の言うことが結構わかる・・・大脳の奥の奥から、ヒョイと単語が口をついて出てくるんですから・・・「兎と聞いて「コネホ」とか、栗と聞いて「カスターニョ」とか・・・
 大脳ってどういうもんなんやろ???

 

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2011年7月11日 (月)

バスク地方とピレネー越え

 スペインの旅、先ずはお祭り3題を報告しましたが、今日はピレネー越えを・・・
このブログは全く順不動ですが、間もなくHPには、旅の旅程通りにアップするつもりです。

 スイスアルプスの峠越えをイメージしていった私達は、バスでスイスイと1057メートルのイバニエス峠へ着きました。なだらかな草つきに「ローランの詩」の碑が一つあるだけ。拍子抜けです。

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 でも・・・ピレネーの峠に「ローランの歌」の記念碑とくれば・・・・

 8世紀、778年、フランク王国の3代目、カール大帝は、ピレネー山脈を越えて、フランク王国を侵略するサラセン帝国と激しく戦っていました。サラセン帝国とはイスラム教徒のアラブ人が、当時、スペインのコルドバに建てていた国です。サラセン人を追ってサラゴサに攻め込んだフランク族は大敗。退却途中のフランク軍に猛然と襲い掛かったのが勇猛なバスク人。ピレネーのシーズ峠で奮戦して死んだ民族の英雄「ローラン」を歌った中世の叙事詩が「ローランの詩」です。
 どうですか・・・ピレネー、バスク、ナバラ・・・・ももりはこんな言葉には、もう、うっとりです。
 

 バスク人はピレネー山脈の両方にすんでいます。元々、ピレネー山脈で国を分ける前からバスク人はこの地に生活していたんですから。同じく、後、フランスで一番人気のあるアンリ4世もこの近く、ナバラの出身です。ナバラ地方だってスペインにあるんですから。アンリ4世については、後ほど・・・

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でも、昔、パリやトゥールーズやリオンから歩いてやってきる巡礼者には、大変な峠だったに違いありません。その人たちのための救護所がありました。

 

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2011年7月 9日 (土)

ホモ、ゲイのお祭り  マドリッド  

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 これは、まあ・・・お祭りと云うよりデモンストレーションです。「ゲイの誇り」と云うんですって???。
マドリッドの大通り、なんだか警官が多く出て人だかりがしています。経済が悪く失業者が多いと聞いているスペインで「さてはデモか??」
 

 デモなら近寄るべからず。デモ警官に「怖いか??」と聞きますと「ノッ」と言います。ガンガン騒いでいますけど、人だかりで見えません。こちらの人はなんてったって大きいんですから。
 それに、バッグも心配です。何しろ、20年ほど前、友人と二人で歩いていて、友人がスッパリバッグをひったくられたもんですから、人混みが怖い。

 驚きました。真っ黒な大きな男性が女装しています。大きな黒いひげのままの女装の黒人もいて、なんだか超ド迫力。スケッチ、左だけ

 私達は地図を見ながら日本食レストランを探しにきたんですけど、大通りを横切ることすらできません。バッグを押さえ、ナントカ大通りを突っ切りました。やっと、探し当てたレストランは、夜、8時半からしか開かないっていうじゃないの。半時間も待つなんて・・・結局やめてタクシーでホテルへ。そしたらデモの交通規制で散々の大回り。タクシーでマドリッド見学とはなりました。

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2011年7月 8日 (金)

パンプローナの牛追い祭り  スペイン便りから

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 なんというタイミングでしょう。パンプローナの牛祭りは今日からで、TVでも盛んに見られるでしょう。ももり達はその祭り前にいたということでしょうか。

 行列が教界から出てきました。人が凄くて近寄れませんが行列の最初の男性は牛の格好です。キリストの十字架を持った行列の後は楽隊です。乱打される境界の鐘・・・いいなあ!!!


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上は相棒撮影。下スケッチ。やっぱりこんなのは写真には太刀打ちできないなあ


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 おやおや???・・・マタマタァアー・・ 

牛が走りすぎるコースと云うのを案内してもらいました。スケッチの市役所は、今、人がすき間なく群がっているでしょう。

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ついつい買っちゃった!!!??誰がこんなマッカッカを着るの???
エ・エ・・・イ!!!今日のお出かけはこの赤シャツで!!!Go
!!!マグカップは相棒が買いました。

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2011年7月 7日 (木)

サンティリャーナ・デル・マールの村祭り   スペイン便りから

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 お隣はすぐスペイン、というフランス西端、キリスト教の聖地ルルドからピレネーを越えてサンチアゴ・デ・コンポステラへという旅から帰りました。

 こんな大災害の後、国内でお金を使うべきところ外国へなんて・・・・と、お叱りは覚悟の上で・・・
”スバラシイ旅”でした

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 今回のスペインは6回目です。マドリッドで個展をしたこともあり、2000年には歩いて巡礼道を5日間・・・他にもバレンシアの火祭りやマジョルカ島にも行きました。
 おまけに・・・ももりはカンカンになってスペイン語を5年間やりました。厚かましくも弁論大会に出場という快挙???もやったものでした。今ではすっかり忘れてしまっていますけど、思いっきりスペイン語を使ってみたいという、それはそれは欲張った期待を持って出かけたのです。

 今回の旅、スケッチはウントコサしましたし、ビールもワインもしこたま呑み、大好きなロマネスク美術にふれました。それにぃい・・・大きなおまけが3つ。3つのお祭りに出会ったのです。


 その一つが、カンタブリアの小さな村、サンティリャーナ・デル・マールの素朴な村祭りでした。カスタネットを持った若い男性と、タンバリンを持った若い女性、セニョリ-タの踊りです。リズムも歌声もほんに素朴。なんてうれしい!!!


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  も・お・お・・・・描きたいところばっかりです!!!雨にぬれた石畳が滑るぅ・・・


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 マタマタぁ・・・下線がぁあ・・・スミマセン。


 

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