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2010年11月30日 (火)

にぎりめし2つ

Tabimkani01


 昨日、相棒と一緒に山陰へ、かに食べのパックツアーに言ってきました。
 初めてですけど・・・でもねえ・・・

 ももりはにぎり飯2つ持って、フラフラ歩き回る方がいいなあ。かになんかを前にして、1時間もクチュクチュかにの身をつつきだすなんてのは・・・・イマイチ・・・シンキクサイ

 でも、山陰の初秋、「べんとう忘れても傘忘れるな」っていう初冬の空はデリケートで実に美しかったです。
 下は舞鶴「籠神社(このじんじゃ)」・・・伊勢に入る前に、天照おおみかみがこの地で籠ったんですって。

Tabikani


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2010年11月26日 (金)

駿河の国から

 ちっとも コメントにお返事も書けなくて・・・スミマセン・・・


 まあ・・・遊び狂っています・・

 にわか歴女のももり。相棒は歴史が好きで、一緒にいると解説付きの旅になります。でもねえ・・・あの「廃藩置県」ってのは、ももりには恨みですねえ。もし、今も「越後県」とか「薩摩県」とか、「加賀県」とか「駿河県」とか旧幕藩体制下の名前で呼んでくれたら、歴史は、もっとリアルでわかりのにやすいなあ。


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スケッチは「駿河県」で見た富士。ともかく、新政府は旧幕藩体制を思い出させないために静岡県とか新潟県とか、鹿児島県とか・・・福井県とか・・・呼ぶようにしたんでしょう???昔の名前っていい響きなのになあ!!!

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 スケッチ下は富士川と富士。富士山が見えると、もう、うれしくって!!!ウーーーンと得した気分になります。


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 上は箱根の関所です

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2010年11月19日 (金)

フランス人の愛国心  藤村から

Rimoojyu


島崎藤村「新生」から読み捨てには出来ないと思うテーマが続いています。


 姪との許されざる関係から、とも角、逃れたい・・・一心で、尻に帆をかけて出てきたフランス。滞在、約1年にして第1次世界大戦が勃発します。 

 サラエボでオーストリアの皇太子夫妻がセルビア人に暗殺され、準備も何もなくこぶしを振り上げたオーストリアはセルビアに宣戦布告。同盟関係にあった大国が次々と参戦をして、第1次世界大戦が始まったのは周知のとおりです。

 フランスもオーストリアに肩入れして、急に戦争に巻き込まれました。


 ・・・フランスでは18才から47才までの男子は、みなこの戦争に参加するということで、それらの人たちを根こそぎ持って行こうとするやうな大きな潮が流れ去ろうとしてういた・・・(島崎藤村「新生」より原文のまま) あっという間に、沸騰する愛国心・・・日本人ならどうする??今の日本も、そうとう怖い!!

Rimojyu


パリも爆撃下に入るということで避難民のごったがえす中、藤村は下宿の女主人の田舎、リモージュへ避難します。
 この、リモージュ・・・ももりも、たった一晩ですけど泊まりました。昼食時には蠅が飛び回ってるっていう田舎でしたけれど、静かな田舎町でした。7年前の10月の終わりでした。

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2010年11月18日 (木)

デヴューは「初恋」

 Hatukoi


   まだ上げそめし 前髪の りんごのもとに 見えしとき
   前にさしたる 花くしの  花ある君と おもいけり・・・中略

   わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき
   たのしき恋の盃を  君が情けに酌みしかな
 

   林檎畑の木の下に  おのずからなる細道は  
   誰が踏みそめしかたみぞと  問いたまふこそこひしけれ


 この歌は、ほかの本によりますと、藤村5才くらいの時の、お隣の少女に寄せた初恋と解説していましたが・・・ももりの目には、そうはうつらないなあ。もっと、大人の恋です。肉感的ですもの。 

 上の写真は、藤村が恋した教え子。彼女には婚約者がいることを知りますが、あきらめられず悶々としています。彼女のほうも、どうやら・・・悩みになやんで、冬の東北へ旅・・・
 明治と云う時代、今なら、ちゃっかりつまみ食い???平成では、こんな詩は生まれないなあ


Nanatte


 上は藤村、54才で再婚した女性。功なり名とげた晩年、「夜明け前」に没頭すべく結婚。女性の解放を詠いあげた雑誌「処女地」を藤村が立ち上げたとき、同人だった女性です。

 藤村、手に入る限りは読みました。明治、この重い、貧しい時代。医療もない。そんな中、一族は助け合い、金持ちは貧しい若者を育て、人間同士がなつかしく、もたれあって生きています。子供達は好き放題ほたえまわっています。平成の時代が失ってしまったものがここにはいろいろあります。 

 それに・・・藤村の3人の息子のうち二人が絵描きになったんですって。

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2010年11月11日 (木)

藤村を育てた女性達・・許されない恋

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二人目の女性は、5才と3才の頑是無い子供を育てるべく藤村の身辺の世話にきていた、兄の娘、こま子です。写真左
 藤村の子を密かに出産。産婆の所で一人でうみ、子供は何もかも秘密に、と言う条件で、よそにもらわれます。もっとも、年譜によると中絶・・・とありますが・・・小説「新生」には、どこかで生きているような書き方で、そうあって欲しいと、ももりは強く思いました。
 何より一家の中から、晴れやかな成功者を出したことを誇りにしたい兄、こま子の父は「このことは、もう、忘れてしまえ」と藤村にいいます。実際、兄一家の経済的な負担も、藤村の肩にかかっています。
 そんな中、彼女は藤村一人をたよりにし、慕います。誰にも言わず、一人、苦しみ、うらみ、慕います。たとえ、藤村が、もう、逃げだしたくてうっとおしがっていても・・


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 写真、2列目右、こま子。生前の妻冬子は前列右から2人目。それにしても、一族のつながり、助け合いの強さや、子供達の伸びやかな腕白ぶりなぞ、今の世の中からはすっかり消えてしまったようで、つらいです。 


あと二人・・・は、のちほど・・・


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 スケッチは妻籠本陣  藤村の母はこの家から馬籠の本陣へ嫁入りしていす

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2010年11月10日 (水)

藤村を育てた女性達

 馬籠の藤村記念館で、念願の本をゲット。藤村の写真が沢山掲載されています。以下は藤村記念館出版による図録から

 藤村は女性を描いて大成したとは誰も言いませんが、ももりは、藤村は意図せず女性を描いて成功したと思います。
 デビューは「若菜集」で、「初恋」を詠いました。25才。

  
 捨て石ともなった第2、第三の2人の悲劇的な女性。功なり名とげた晩年の藤村に寄り添う、高価な毛皮の第4の女性・・
 


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 一番切ないのは、なんといっても最初の妻、冬子です。21才で、6才年上の藤村と結婚。11年間の結婚生活は7番目の女児を生むときの出血多量の死で終わりました。
 25才「若菜集」で花々しくデビューした藤村と結婚した冬子ですが、彼女には、幼馴染みのいいなずけがありました。その二人の間のふとしたやり取り、手紙を見てしまった藤村は深い嫉妬に苦しみます。
 5人も6人も藤村の子を生んでなお「お父さん、私を信じて・・・」とすがりついた彼女は、貧しさの中、鳥目を病んだといいます。そして、3人の子をなくし、7人目を生むときに死にました。なんとも哀れ・・・藤村一番苦しいときの捨て石です。写真、上は年齢から行ってまだ結婚前後の冬子、左


 下は、三人の女児と冬子。この三人の女児は相次いで亡くなりました。驚くべきことに、その間に労作「破戒」は書かれ、しかも、書くことに集中する生活苦の中、「破戒」は、この妻の父の資金援助によって自費出版され、その後の藤村の作家としての生きる道を確約したのです。

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 スケッチは宿場町妻籠。
もう一人、三番目の、つらい女性、こま子は明日アップしましょう。
4番目に、現れる高価そうな毛皮をまとった再婚の女性にくらべて、なんとも切ない冬子です。


 

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2010年11月 9日 (火)

馬籠から妻籠へ・・・藤村をたずねて

Magome2

馬籠から妻籠へ・・・旧中山道を歩いてきました。朝イチの新幹線で名古屋。中央線で中津川へ。そこからバスで、馬籠へ着いたのは、10時頃でしたろうか。スケッチは馬籠本陣跡、藤村記念館


Magome


 ゆっくり藤村記念館を見ました。
藤村記念館は島崎藤村の生まれた家です。島崎家は300年続いた土豪で、木曾街道の本陣、庄屋、問屋をかねていましたが、ご維新で没落。その後、馬籠の大火で家屋は焼け落ち、わずかに隠居所を残すだけになりました。今では藤村記念館になっています。ゆっくり見学して、あと、妻籠へ行きましょう。
 スケッチは藤村記念館。2階建ては焼け残った隠居所で、幼い藤村が父から「論語」「詩経」などを習った部屋

 馬籠から妻籠まで、7キロの山道です。70才を過ぎた相棒と、膝に問題ありの、ももりたちの珍道中は、ヨタヨタ、のろのろ・・・熊注意の鐘を打ち鳴らしつつ、それでも大声で「クウウーマッ」と叫びながら進みます。だって、ほとんど人にも会いませんし、今にも熊が現れそうな山道なんですもの。Magome3


 スケッチ、右はしは妻籠への旧中山道。藤村がくりかえし語ったように恵那山が目の前に、美濃の平野が遠くきらめいて、まことに雄大な景観です。

 「ほんまに、こんな細い道、和宮さんも通らはったんやろか」
紅葉もかなり進んで美しい。
 そういえば、和宮の行列がこの街道を越えた時は、乗り物酔い、つまり、籠酔いで、ふらふらだった女官がいたって「夜明け前」にありました。3時間ほどで妻籠につきました。

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2010年11月 5日 (金)

今日は・・・天下分け目の関が原

Sekigahara


きのう また かくてありけり
 きょうも また かくてありなむ

 啄木先生には申し訳ないけれど・・・こんなにすがすがと気持ちの良い日にどうして家になんかいられましょう

 というわけで、一度ゆっくり行きたかった伊吹山へ行こうと、関が原へ出かけたのですが・・

 なんと、乗り合いバスは7月いっぱいなんですって。
若い頃、たしか関が原から歩いたよなあ・・・なんてブラッと行ったもんですから
 


 それなら、と・・・関が原の古戦場を、ゆっくりほっつき歩きました。


 上、島左近の陣、左端は蒲生郷令の陣、木の葉の間から見えるのが石田光成の陣です。
「三成に 過ぎたるものが二つある。島の左近と沢山の城」とか。島左近といえば、三成の、一の軍師だったよねえ。

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 上は家康が首実見をする時、泥や血を洗い流したという井戸。左、首塚。

 時間がゆっくりあるもんですから、歴史資料館のビデオもじっくり。関が原の戦の東西両軍の布陣や、その後の展開などもよくわかりました。


Ibuki

 何しろ、関が原っていうところは田舎でした。コンビには開いてない。駅の売店には、にぎりめしもない。うどん屋もない。パンを二つ買って、モグモグやりながら歩きはじめました。でも・・・気持ちの良い山間の村をのんびり歩くのは最高です。
 村の真ん中を走るのが中山道。今読んでいる藤村の馬籠への街道です。美濃への道も、北国街道もここから分かれます。しかし、今の中山道はトラックがゴーゴーと通り過ぎ、彼方には新幹線も轟音とともに走りぬけます。
 

帰りのJRの窓から見た伊吹山。あ・あ・あ・・ゆっくり、1日、あそこで過してるはずやったのになあ!!!

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2010年11月 4日 (木)

あ・あ・あ・・・至福 至福

 こう、お天気が、すがすがと気持ちよければ、どうして家になんかいられましょう。


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 一度行ってみたかった柳生の里へ行こうと出かけました。パソコンで見ると奈良からバスに乗るとか・・・・ではでは、奈良へ。
 なんと、奈良から柳生行きのバスは9時40分の次は12時28分っていうじゃありませんか・・・それなら・・・なんだか気になっていた「般若寺」へ・・・スケッチはコスモス咲き乱れる般若寺


Nara001


Nara


 のんのん・・・のおんびりぃいい・・・普段は拝めない、白鳳の秘仏が公開されていました。十三重の石塔の中から出てきたという小さなお像です。そして、その小さな胎内から出た、うんと小っちゃな小ちゃなお地蔵様と十一面観音様と大日如来様・・・本当にペンダントになりそうな小さい胎内仏様をおがみました。
なんとも可愛いらしいお顔です。聖武天皇がおさめられといいます。
 石の十三重の塔の中にいらしたから2度の大火から逃れたんですって。

  

 下スケッチは国宝、楼門、鎌倉時代ですって。何度も行きたくなるお寺です。ちょっと荒びたところがいいなあ。


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2010年11月 2日 (火)

藤村「家」上下・・・読了  「新生」へ

Touson 


島崎藤村、「家」上下読み終えました。ずっしりとしんどいですが圧倒的な強さを持ってせまります。続編ともいえる「新生」を、今、読んでいます。

 4人目の女児の出産にさいし、妻は出血多量で死にました。7人目の出産です。三人のがんぜない男児と乳飲み子の女児が藤村に残されます。乳飲み子の女児は人の手に、三男は姉のもとに・・手元に残ったのは5才と3才の男の子です。家には世話をする雇いの婆さんと兄の娘が二人。姉のほうは嫁にいきました。残った妹との不倫。叔父と姪・・・

 やがて、姪は妊娠。法律的にも許されない関係ですが、姪は藤村一人を頼りにし、憎み、慕い、やつれていきます。憐憫と責任と後悔・・・藤村は、しかし、現実の結婚からもたらされた重圧から、もう、逃避したい一心です。そんな時、隅田川に若い女性の死体が浮かびました。おなかには子供が・・・藤村は姪が自殺するのではないかとの恐怖にとらわれます。


 世間からなんとしても隠したい・・・初めての土地に転居します。藤村、40才。そんな中、先の「家」は上梓されました。25才で「若菜集」34才で「破戒」を世に問うて、彼の作家としての地位は早くも確立している時にあたります。40才の藤村に、17代続いた古い名家の崩壊と、一族の漂泊。それらの経済的な重みが全てかかっています
 

 当時の人は、藤村の男としてのあり方を非難したようですが、ももりは同情します。男40才ですもの・・・自らをさらし、生き恥をさらし、経済的にも追いつめられて書き続けます。・・・さああ・・・先を急ぎましょう。

Touso01


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