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2010年6月21日 (月)

敵前逃亡と18万両  江差にて思うこと

Kaiyou

これぞ、江戸幕府軍艦「開陽」です。江差沖合いに沈んでいたのを引き上げて復元しています。
 徳川慶喜は大阪城で「殿のおんためなら、命は惜しまない」と云う自軍のたけり立った兵士達に囲まれ、陣頭に立つことを約束しています。しかし、実は、長州においては、幕府方が高杉晋作急ごしらえの「奇兵隊」なんかに、もう、3日も続けて負けている、という報を得ています。臆病風にふかれた慶喜は部下を裏切って敵前逃亡。しかも、会津藩首、松平容保と桑名藩主を引きつれて。
 トップを失った兵士達は茫然自失。その日、事実上、幕府軍も新撰組も離散しました。もはや、京、大阪には陸にも海にも旧幕軍の影さえ見えなくなった。・・・・日本の歴史 20 「明治維新」中央公論社 から抜粋
 

 慶喜は大阪城から逃亡する時、警護の兵士に「何者か」と誰何されています。「部署の交代である」と応えたといいますから卑怯なのも念が入ってる。驚く松平容保たちには「余に深謀がある」と言いいました。大阪湾の沖合いに浮かぶ幕府軍艦「開陽」を目指して、馬で一目散に大阪湾へ出たのです。


 漁船に乗って岸を離れた慶喜は、しかし、霧に中の開陽を見つけることができず、アメリカの軍艦に助けられ、翌朝開陽にたどり着いたといいます。逃げ込んだ慶喜は、一路江戸へ逃げ帰りました。

 ここで、登場するのが榎本武揚、城中の金貨約18万両を運び出し、富士山艦にうつし、艦隊を率いて江戸に帰った。のち、奥羽越戦争を戦っている土方歳三らを松島湾で拾い、北海道に「蝦夷共和国」を作ろうと函館、五稜郭を占領しました。選挙で蝦夷島総裁には榎本武陽が選ばれ、約1年間程はもちましたが、大挙して押し寄せた新政府軍に降参。しかし、彼は明治政府の顕官になっています。下は展望台から見た五稜郭

Goryoukak


 開陽は、しかし、不運な船でした。土方歳三が孤軍奮闘しているのを救助に行った時、嵐で座礁、沈没したそうです。ももりも開陽で戦いましたとサ

Kaiyo154_2


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コメント

うつぎ窯様   嬉しいコメント・・・なんて嬉しいコメントでしょう。吉村昭は、私は司馬遼太郎と比べて読みます。作家その人を見るようで、とても面白いです。今「海の史劇」吉村昭を読んでいます。途中から司馬遼太郎の「坂の上の雲」と並走しはじめて、時間がかかっています。日露戦争の海戦を描いていますが、ロシア軍の将軍も立場が違って描かれ興味はつきません。
生麦事件なんかでも、生麦村について、全く二人の設定は違っています。その間の資料については吉村氏のエッセーにあり、もう・・・ダイッスキになりました。残らず読めたら・・・と欲張っています。又、お話を楽しみにしています。

投稿: 山口ももり | 2010年6月25日 (金) 11時48分

最初、5月頃の司馬作品「殉死」の項からはじめて、お邪魔させていただきました。
その頃、私は武士道関係の本で山岡鉄舟や山本周五郎の「よじょう」
森鴎外の「○○左衛門の遺言」だったかな?を読んでいました。そのときの殉死という表現で検索していた時にたまたまお邪魔しました。
そのあと、ももりさんのページにも影響されまして、石川達三の「自分の穴の中で」
や、吉村昭の「破獄」や「ひとり旅」などを渡り歩きました。
今まで歴史小説といえば司馬遼太郎オンリーだったので、「ひとり旅」を読んでからは吉村さんつながりで攻めているところです。

そのあと、今年1月からのページをじっくりと読ませていただきました
そのとき、
四月のシリア・ヨルダンの項を読んでて、びっくり
お風呂の水がチョロチョロしか出なくても、そこは山女・・・・っと
えっ! お・ん・な・
私、司馬遼太郎ファンで政治に関心があって海外事情にも通じておられると言う事で勝手に、妙齢の男性をイメージしておりました。
ああ、勘違い。  失礼しました。
死海でのシーンではなんと、水着姿じゃあーりませんか  わぁ~ぉ  ヒューヒュー
でも、それにしても、政治に関しても、本にしても、映画、宗教の話などかなり深いところを書いておられてじっくりと興味深く読ませていただきました。
これからもいろいろな本の紹介や映画の話、海外のお話など期待しております。
最近の明るい色のひまわりの絵も華やかな雰囲気で好きです。
お邪魔しました。

投稿: うつぎ窯 | 2010年6月23日 (水) 21時19分

あきみず様 榎本武楊の函館共和国は、でも、人民の人気は得られなかったと、私の本にはあります。それに引きかえ高杉晋作の奇兵隊は「田んぼの中へ、農閑期でも入ったらアカンとか、道を歩く時も普通のお百姓とかに失礼のないように、とか、勿論人の家に押し入ったらアカンとか・・・当たり前のことですけど、しっかり念を押しているんですって。

kazuyoo様  こんな写真が好きなんです。だって・・・証拠写真ですから。

玉井人ひろた様  そう・・・後ろから弾が飛んでくる・・・って、第2次世界大戦でもあったそうですね。

山桜様  東京へは、7月10日、お昼頃過ぎから会場にいるつもりです。ま・あ・あ・・・会場から離れられないようですけど・・・お会い出来たらホントうれしいです。

投稿: 山口ももり | 2010年6月23日 (水) 07時15分

五稜郭は美しいですね! 同じ五角形でもアメリカの
ペンタゴンとは大違いです。

大河ドラマ「龍馬伝」の中の慶喜は、いかにも卑怯そうな面相、
最初、誰だか分からなくて井伊大老かと思いました^^;

投稿: 山桜 | 2010年6月22日 (火) 18時28分

これは歴史の噂話ですが・・・
土方歳三は自分の味方、つまり後ろから撃たれて亡くなったという話があります。
降参しようとする人々にとって「死んでいった仲間のため最後まで戦って死ぬ」とする土方は邪魔だったと言うのです。

これが本当なら、土方以外生き残ったと言う事実がそれを物語っている気がしますね

投稿: 玉井人ひろた | 2010年6月21日 (月) 22時36分

大将が逃げ出すなんて言語道断です。部下が再起をと落ちるのを促すなら別ですが。
五稜郭の写真は何度か拝見しています。綺麗な場所も、激動の時期には酷いことだったのですね。
お人形とはいえ、臨場感があります。良いお写真です。

投稿: kazuyoo60 | 2010年6月21日 (月) 12時14分

開陽丸の復元されたのがあるのは、
知りませんでした 函館戦争では
上官は土方だけしか亡くなっていません
政府軍も彼を生かしてはおかなかった
でしょう 函館は歴史につつまれた
ところで 散策には事欠かないでしょう

投稿: あきみず | 2010年6月21日 (月) 10時59分

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