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2010年4月30日 (金)

100分の待ち時間  「長谷川等伯」展

 早く行かなくてはと思いつつグズグズ。等伯は何度か見ていたから。
でも切符はもらってあるし・・・思い切ってでかけました。
 スッゴク待つって聞かされていましたので、9時半開館を目がけて自転車で一目散。博物館の方に向かう群衆を見て・・・「あらぁああ、この人たち、みんな「長谷川等伯」なのかしら???

博物館に着いたのは9時40分くらい???

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 待ち時間は100分ですって。
ここは、もう待つしかない!!!
 そこで、取り出した。どうですか、この古びた本。何度も読みかけて、中途でほっぽりだした本なのです。お日様はポかポカ背に暖かい。ちょっとまぶしいけれど・・・
 なんと、なんと・・・どうしても読みすすめなかったこの本が、今回、実に食い込んでくる。

 「そうか・・・」思い当たったのは、先日行ってきたシリア、ヨルダンの旅。今ならパレスチナとか東地中海の地理が頭にしっかり入っていて、実にスムーズにイメージできます。
 この夏、ギリシャへ行きたいと申し込んである旅に、このロードス島の訪問があります。それまでにはどうしても読んでおかなくっちゃ!!!
 でも、ギリシャは、今、国債が破綻して大変なんだとか・・・政情不安もあるのかしら???まあ、そんな事いってたら旅行なんかできないから・・・心配は旅行社にまかせて、今はセッセと爪に火をともして・・・旅の費用の捻出にまい進しましょう。結局、100分で1/3ほど読みました。スケッチは2002年のトルコの旅から

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旅で、ももりは、夜、ちょこちょこ出かけます。ビールを買いに行くだけですけど。でも、その国の経済状態って、夜にわかるんですよね。路上に寝てる人が多い国は財政不安。日本も・・・心配です。

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2010年4月27日 (火)

母のお漬物

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お漬物のことを書いてらっしゃる方がいらして,なつかしく・・・
母のお漬物は最高でした。と、言ったって、ただ、白菜や大根を大きな桶に糠と塩で漬けただけのものだったでしょう。その白菜が夏を越して、ちょっと酸っぱくなってきたのが・・・・そ・お・お・・・・ももりは、それだけで、丼一杯くらいのご飯を食べて、こんなに大きくなりました。大きくなりすぎ???ですけど。

 結婚して、以来、ももりも何度か白菜漬けやたくあんに挑戦しましたが、どうしても、あの母のお漬物にはなりません。まあ・・・中京の家は、ももりの田舎に比べて冬の温度が高すぎる。それにあんな大きな木の桶もないし、置いておく火の気の無い納屋もない。ももりほど、もりもり食べる家族もいない。
 プラスチックの小さな桶では・・・ねえ・・・ム・リ。ももりが結婚して家を出る時、母が「お漬物を漬ける意欲がなくなるなあ」ってつぶやいたのを覚えています。

 
 でも、スーパーで売ってる沢庵や白菜のお漬物の美味しくないこと。せめて糠漬けくらい・・・ももりはドボ漬けと言いますが・・・自家製で楽しみましょう。今はもっぱら、白菜や大根の切り漬け、塩漬けの水菜や大根・・・くらい。大根の葉っぱも美味しいですよねえ。

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2010年4月23日 (金)

神経質すぎる全自動

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 ももりの洗濯、ちょっと手をかけすぎかもしれないなあ。先日の、シリア・ヨルダンの旅で見た女性達、長いブルカの裾が地面をはっていても平気です。真っ黒ですけど、洗ってるんやろか???

先日の毎日新聞「女の気持ち」の投稿にももりが全く同感!!!
というのは、長い間、愛用していた2槽式洗濯機が、ついに動かなくなった。そこで、憧れの全自動を買ったが、これは実に失敗だった、と云うのです。タラタラと水を出してすすぎ、何が気に入らんのかしれんけど、すぐ文句をいって、仕事を拒否!!!ももりも全く同じです。
 
 ももりの全自動、何時だって不平タラタラ。すぐ「ピーピーピーピイーッ」って文句を言って動こうともしません。
 タラタラと水を出してすすぎ・・・でも、なんだか真っ白くなっていないような気がして、横の水槽に水を一杯張って洗濯物を入れてみたら・・・なんと、まだまだ白い洗剤液がでています。それ以来、どんな寒い冬の日も、ずーっと手で、すすぎなおしてから脱水。
 その脱水が、これ又、憎い!!!ちょっと分厚い上着なんかいれると、もうピイピイピイ。

 投稿の女性とももりが違うのは、その方は、1ヶ月後でも、まだマニュアル本片手に頑張ってらっしゃることくらい。
もうちょっと鈍い機械は無いのかいな!!!使う方は、もう、相当、鈍いんやから・・・

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2010年4月22日 (木)

官と民

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ももりがシリア、ヨルダンから帰国したのは4月3日の夜でした。散乱しているいっぱいの郵便物の中にウスッペライ紙切れが・・・確かにあった・・・?? 
 
 郵便物の不在通知です。とも角、落ち着いてそれらを整理できたのは、もう、翌朝のこと

「あ・れ・れ・・・確かに不在通知があったような???」たしか・・・え・え・え・・・ナンボ、探してもみつかりません。
「まあ、ええやろ、そのうちに、又、来てくれるやろ」と待つこと2日。でも、一向に便りがありません。
心配になって差し出し人に電話しました。

「私に郵便物くれた??」
「あ・あ・あ・・・出しました。パンパンに入れたでっかい封筒です」
「エライコッチャ。届いてないでぇ。何処の業者え???」
「京都中央郵便局です」って言うじゃないの。


 結局、何度も電話のやり取りをして、郵便物は無事に手元にとどきました。

 でぇもぉ・・・宅急便業者なら何度でも運びなおしてくれるやん。
「何度もお手間かけてすんません」って、ももりはいつも謝ってる。これを官と民の格差っていうのかいな???スケッチはヨルダン、ワディ砂漠のベドウインのテント

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2010年4月21日 (水)

学力テストとももりの数独

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 子供達の学力、親達は必死になって勉強させていますが、学力は昔よりよっぽどアップしているのかいな???生活の楽しみ分のお金を熟に費やして、ホントに効果は上がってるのかいな???ももりは、どうも・・・気になって仕方がありません。小さい時の無理強いは、子供を勉強嫌いにさせると思うからです。

 ひるがえって、ももり。数独にハマってから、さ・あ・あ・・・1か月以上になりました・・・行き詰まり・・・デ・ス・・
解き方のページもあるようですが、それは、見たくありません。でも・・・意欲は減退。絶望感にウチヒシガレテいます。そ・お・お・・・・子供達のお勉強だって、むつかしすぎる課題は禁物。子供達に「絶望」をあじわわせるのは、何よりいけません

 毎日新聞が夕刊に、毎日、一問づつ載せている「数独」。それを楽しみにやってたんですけど
「こんな簡単なん、おもしろない!!!」とパソコンから、問題を取り出して上級++ってのに挑戦。最初2問ほどできて「なんや、こんなもんか」って思ったのに、その後は、まるでイケマセン。
 難しすぎる問題にウンザリして、久しぶりに受験勉強をした頃のことを思いだしました。と、言っても、そう・・・もう、50年以上前の事です。


 当時、住んでいたのは、田舎。進学熟なんてありません。第一「女の子がムリして大学行かんかてよい」っていう時代です。受験勉強は、結局、参考書のみの独学です。しかし、結局、難しすぎるところで挫折。勉強をほおり出してフラフラしてしまいました。
 以来、ももりはなんだって独学です。お金をかけたのはスペイン語くらい。英語はもっぱら、本を読みました。上は「大草原の小さな家シリーズ」・・・子供向けの本なら、何とかテコに合うし、なんて美しい!!なんて楽しい。読めたら、それはそれはうれしいい!!
 イギリスのセンントポール寺院で買ってきた聖書とか・・・旅先でちょこちょこ絵本を買ってきて読むようにしています。安上がりだし、自分のペースでいけます。勿論、本職の方の勉強はお金を惜しみませんでしたよ。出せる範囲で、ですけど・・・


 でも、今回の数独。解き方のページもあるようですが、それは、見たくありません。しかし・・・絶望・・・
・・・意欲は減退。そ・お・お・・・・子供達のお勉強だって、むつかしすぎる課題は禁物。子供達に「絶望」をアジあわせてはいけません。今の子供達、常に難しすぎる重荷に辟易してるんじゃないかしら。お勉強をキライにしてるのは、「もっと、もっと」っていう満足をしらない、親の身の程をしらない期待です。出来なかったら自分をふりかえれっつうの。「勉強キライ」にしてしまったら、もう・・・おしまい・・・気長に、じいっと、興味が熟してくるのを待つ・・・これでいきましょう。


 
 

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2010年4月20日 (火)

いいときに帰ってきたなあ

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 アイスランドの火山噴火、ヨーロッパの飛行機が止まっています。火山灰の大小の粉塵がエンジントラブルの原因になる恐れがあるんですって。精密機械ってもろいんですよねえ。
「良い時に帰ってきたなあ」ってみんなから言われることしきり。シリア。ヨルダンから帰って、はや2週間です。

 旅につきもののハプニング。ももりは、結構、間イッパツで、!!ラッキー!!!ってこと多いんです。

 ももり達がスイスから帰って一週間ほど後に、ベルンで大洪水。阪急トラピックスの旅客たちがヘリコプターで救出されました。
 ももりたちが出発する半月前にNYのテロ。何処の空港もガラッガラ。旅行参加を取りやめた客が半分。
台風で、2昼夜、北京空港にカンズメ。帰るときの飛行機は、もうれつにゆれて、無事成田に着いたときは、乗客全員が大拍手。大阪空港でも大拍手でした。モンゴルで迷子になったこともあります。

 相棒は言っています。
「死ぬのは客死か腹上死がええなあ」

 
 旅で死ねたら、本望かも???腹上死???相手は誰がすんのん???ももりはかんにんしてや!!!
スケッチはペトラの夕焼け

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2010年4月16日 (金)

ペトラ遺跡・・・今回の旅の大目玉  ヨルダンの旅

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 今回の旅の大きな目玉は、なんと云っても、ヨルダンのペトラ遺跡です。
切り立った断崖の中の小路を進みますと、断崖の切れ目から、パッと目の前にバラ色の宮殿が広がります。岩をくり貫いて出来上がった「ファラオの宝物館 エルカズネ」です。
 全く自然のすることもドデカイけど、人間のやることもデッカイ。

 131年ごろ、ローマ支配の頃に造営されたもの。高さ30メートル、中央の柱の間に、豊穣の角を持ったエジプトの女神イシスが浮き彫りされています


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 おまけに、この山は他にもいっぱい洞窟があります。王家の墓とか、ローマの円形劇場とか、ナバテア人の墓とか修道院・・・・人間って一体、何ちゅうことするんや!!!岩をくりぬくんですよぉお・・・

 ここでも、ベドウインの子供達が「ワンダラー ワンダラー」って観光客に絵葉書なんかを売りつけています

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 ここ、ペトラは、紀元前後の頃、隊商貿易で栄えたナバテア人の町です。高さ900メートルの岩山に営々と刻み込まれた要害の町です。
 AD106年、ローマ皇帝トラヤヌスに征服されて、ここはローマ帝国のアラビア州になりました。やがて、時とともに貿易の行路が変り、主力はパルミラへ。ここ、パルミラは衰え、盗賊の巣になっていたそうです。
 1812年、旅行家のブルクハルトが、危険をおかしてここを再発見。一度に有名になったんですって。

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2010年4月15日 (木)

マリアが「娘」から「聖処女」に変わった瞬間  シリア、ヨルダンの旅

 マリアが処女懐胎をしてキリストを生んだ・・・これが、ヘブライ人の伝説では、「処女」と云う書き方ではなく、単に「娘」ないしは「女」であったと・・・・・このことを読んだのは???誰やったか???確か山本七平???だったか???
 学者って、マジメな顔して、何て、面白いことを考えて生きてられるんやろって、妙に感動した記憶が確かにありあす。生まれなおしたらこんなこと調べて、一生おマンマ食べたい!!!スケッチ、上はシリア、ダマスカスの聖アナニアス教会。キリスト教です。下はイスラム寺院。周囲はダマスカスの古い城壁ですって。十字軍と戦ったんだそうです

 キリスト教はギリシャ哲学から生まれたとか・・・勿論、粘土板なぞには洪水伝説や戦いの記録はいっぱいあるようですが、最初に本として書かれたのはギリシャ語だったとか・・・だからギリシャ哲学の影響を受けたと確かに読みました。
 「娘」から「聖処女」に代わった時、キリスト教は飛躍の種をつかんだのかもしれないなあ。

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 ビザンチン帝国は言葉もギリシャ語で、実際はギリシャ時代といえるとか、読んだ記憶もあります。西ローマ帝国が滅んで、東ローマ帝国に残ったのがギリシャ正教。その流れでロシア正教やブルガリア正教となったそうです。今のローマ、バチカンのキリスト教やヨーロッパ諸都市のキリスト教会とは、随分違うのが、床や壁のモザイク絵画。シチリアなんかは金ピカで、なんとも、美しく魅力的です。
 

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2010年4月14日 (水)

サムソンがいた頃のシリアも砂漠だったか

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「サムソンとデリラ」映画にもなりましたし有名な話ですから、ご存知の方も多いと思います。
 まあ・・・サムソンは神からつかわされた子をとして生を受け、長じては強力無双。しかし・・・まあ・・・あんまりおつむの方は良さそうにはない。

 ある日、サムソンが妻の家へ行こうと道を歩いていると、ライオンが現れた。サムソンはそのライオンを、なんと二つに裂いてしまった。・・・又、サムソンを気に入らない妻の父親が、よその家の嫁にやってしまったと腹を立てたサムソンは300匹の狐を捕まえ、2匹ずつシッポを縛って火をつけ、刈り入れ前の麦畑に放った・・・・麦畑は、もちろん、丸焼け・・・やられた父親、ペリシテ人は、そらぁ、怒るわなあ・・・
 
 これって、当時はライオンだって、狐だって、このあたりに一杯ウロウロしていたんでしょうか???ももりの空想は砂漠の中のローマ遺跡を見ていても、ふくらんでいきます。勿論、ローマより昔だ、くらいは知っていますけど。スケッチはパルミラ、ローマ時代、ハドリアヌスの凱旋門。下はローマ劇場

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 当時のガザの住人ペリシテ人と、イスラエル人。現代も激しく対立しています。ペリシテはパレスチナのことだとか???

 ペリシテ人の方も、サムソンにやられっぱなしではいられません。素晴らしい美女、デリラを使って、サムソンの怪力の秘密を聞き出そうとします。女の魅力の前に・・・ここいら、やっぱり、サムソンはおつむの方は???イマイチ???何度かはごまかしましたが、やっぱり、女には弱い。デリラにせまられて怪力の秘密を喋ってしまいます。サムソンは、デリラの膝をまくらに寝ているところを、怪力の秘密である7本に編んだ髪の毛をバッサリ・・・やられてしまいました。

 ペリシテ人は銅の鎖で彼を縛り、目をえぐり、ロバの引く石臼をひかせました。愚かなサムソン。
 祭りの日、見世物に出されたサムソン・・・もう、髪の毛が伸びかけていたのをペリシテ人は見過ごしたのでしょうか???サムソンの怪力は復活し、建物は倒壊し、サムソンも多くのペリシテ人も死にました。デリラは???さ・ああ・・・あ???きっとぉ・・・生きてた!!!に、ちがいない
 

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2010年4月13日 (火)

ドーハの悲劇とペルシャ湾  シリアヨルダンの旅

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 カタールは小さな国です。カタールの首都、ドーハは石油が出るまでは、ほんのスッカンピンの小さな漁村だったそうですが、一夜にして近代都市に生まれかわりました。
 
 スケッチは「ドーハの悲劇」のサッカー競技場、アハロマハリ競技場。残り時間、たったの一分で世界選手権への出場資格を失った痛恨の試合でした。 他に、バスで前を通っただけですけれど、オサマ・ビンラディンの肉声を流し続けたアルジャジーラの放送局とか・・・ペルシャ湾も見て、異次元の世界に入り込む感を強めました。
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 長年あこがれてきたペルシャ湾。なんだか石油まみれの濁った海を想像していましたが、静かで甘い翡翠色です。波もなし。下はスーク。自由市場。この国はまだまだ深くチャドルをかぶった女性が多いですが、面白いことがわかりました。

 
 美しい女性同士がお話しています。彼女達は全身、黒のブルカなんですけど、顔は出しています。目も鼻も口も見えています。ところが、あれ・れ?れ??、ひょっと、ももりがアッチ向いてコッチ向いてしてる間に、目だけが出てる状態になっています。どうやら額の部分に下から引っ掛けてくっつける仕掛けがあるらしいです。彼女達、あんなに美しいんですから、もっと見せてほしいなあ。異教徒、ももりは、そう、フラチなことを思いました。

 日本でも、若いお譲さん方は、さかんに、目にマスカラをつけて、まつ毛をそっくりかえらせています。
アラブの女性達、本当にまつ毛がそっくり返って、目の上も下もマスカラなしで、真っ黒です。なんともオリエンタル風でエキゾチック。ももりは一人、考えました。


 「砂漠の砂嵐から目を守るために、あんなにまつ毛が発達したにちがいない。そういえば、北欧の人達の長い鼻、あれは、寒い空気が、直接肺に入るのを防いでいるにちがいない、って納得したこともありました。ベトナムあたり、ほどよい温度で湿気タップリなら、鼻なんて低くて、穴だけ開いてたらいいんやろ

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2010年4月12日 (月)

ソドムとゴモラ  マダバの地図  シリアの旅から

 ももりはここ10年ほどずーっと「ソドムの街」と云うタイトルで展覧会に出品してきました。今回、ソドムの町のすぐ近くまで行けて、頭からバッサリやられた感じ。ロマンチックな絵空事しか知らない自分に一体そんな絵が描けるのかいな???悲惨な戦争の散々な記録を、暖かい掘りごたつで美味しいコーヒーを飲みながら読んでる・・みたいな偽善・・・じゃないのかいな???

 ソドムの街は人間が、あまりにもほしいままにおごり高ぶって、神を忘れたため、ついに、神の怒りをかって一夜にして破壊された町。旧約聖書の一編です。ももりが描きたかったのは、あまりにも人工的な近代都市。人は一杯いるのに、みんな孤独でバラバラ。近くなってきた老いへのおそれ、そんな漠然とした不安感みたいなものを描きたいと、理屈っぽく欲張っていたのですけど・・・・こらぁ・あ・あ・・・ドダイ、ムリってモンなんやろなあ・・・チュン
 下のスケッチはマダバの聖ジョージ教会 

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上は、世界で一番古い世界地図、床一面のモザイクです。赤鉛筆のしるしはソドムの町 下は部分を拡大しました。聖ジョージ教会の床に今もあります。AD6世紀頃のもので、エルサレムの城壁に囲まれた部分が左下。右端がナイル川の河口三角州、真ん中、死海に塩と泥を運ぶ船が2艘、ヨルダン川が左から流れ込んでいます。おやおや、魚があまりに塩っ辛い死海の水に驚いてUターンしていますよ。

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2010年4月11日 (日)

モーゼが死んだネボ山 シリアの旅

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 旧約聖書のモーゼ、あのエジプトで酷使されていたイスラエルの民を、紅海を分けて脱出させたという、建国の英雄モーゼが死んだネボ山に登ってきました。これは結構こたえました。相棒がロバに2度の突き飛ばされて、一回はこっぴどく転倒。まあ、谷側ではなかったから良かった。行かれる方はロバにはご注意!!!

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 スケッチは死海展望台から。対岸にはモーゼの死後、後を継いだヨシュアが攻略に成功したエリコの町が見えています。エルサレムの金のドームでも輝いて見えないかと思ったのですが、これはムリだったみたい。

 モーゼは、ラムセス2世の頃・・・多分・・・。エジプトで人口が増えたイスラエル人に不安を抱いた王の命令で、生まれたヘブライ人の男子は、全部ナイル川に捨てられることになりました。モーゼの母は一計を案じ、葦船に布切れに包んでモーゼを川に流しました。そこへ、水浴びに来たのが王女。余りに可愛い赤ん坊を見て宮廷で育てます。葦舟を見張っていた姉、ミリアムは母を乳母として王女の宮廷にいれることに成功します。  
 成長したモーゼはある日、同朋がムチうたれるのを見て、その監督者を殺してしまいます。やがて・・・モーゼに神の声が下り、「イスラエルの民を連れて、エジプトを出よ。乳と蜜の流れるカナンの地へ行け」・・・
 有名な奇蹟を王の前で見せて脅迫。やがて、過ぎ越しの奇蹟をおこし、イスラエルを脱したのはBC1290年のことですって。海が割れ、イスラエルの民だけは無事に海を渡り、追いかけて来たエジプトの戦車はことごとく海に沈む・・・・有名な映画「十戒」の名場面です。

 シナイ山の麓で野営をして、延々と砂漠を歩いたという、いにしえのヘブライ人・・・・この砂漠を歩いたって云うことだけで凄い。バス移動したって大変な距離です・・・彼らはカナンに近づいた。しかし、当然、乳と蜜の流れる地、カナンには先住の人がいる。ナンボ、神が約束してくれたっていっても、先住民を追い出さなければ入れないんですから。しかし、いい加減苦労に飽き飽きしていたイスラエルの民は。もはや先へ進もうとしなかった。モーゼは怒って、40年間カデシュにとどまります。
 モーゼの命が尽きる時、モーゼは、この、ももり達があえぎながら登ったネボ山に登り、北にはヘルモン山をのぞみ、目の前には死海、対岸にエリコをのぞむ神の約束の地を見ながら息を引き取った・・・と、まあ、ももりの本には書いてあります。でも、ヘルモン山は見えませんでした。「あの山はレバノンです」って、ガイドに言われてしまいました。

 

 

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2010年4月10日 (土)

死海で浮きました ヨルダンの旅

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 死海で浮きました。まったくう・・・泳ぎにくいです。バックで方向を変えるのが精一杯。目にほんの少し海水が入っただけで一大事です。とても長くは浮いていられません。少し塩出しをしてやせたいのに・・・・早々にきれいな水の所へ一目散。おまけに死海の泥でエステまでしました。少しはマシになったかって???さ・あ・あ???

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見苦しい写真で申し訳ない!!!と・ほ・ほ・・・


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 今回の旅、本当にずっしりと重い旅でした。若くてきれいな添乗のおじょうさんが、とても丁寧に、旧約聖書や歴史のお話をしてくれて、一層旅の印象は深くなりました。世界遺産にも目をうばわれましたが、やっぱり、凄いのはなんといっても歴史の古さ。戦いの歴史です。いくつもの部族、民族が戦い、交流した土地。帰国した日本は桜が満開で、その自然の甘やかさが一段ときわだちました。
 
 友人に「どうやった???」って聞かれて
「おもしろかったよぉお」
「ベストテン入り???」
「ううん、ひょっとしてベストワンかも」
どの旅も、それぞれに感動しますが、今回の旅、世界観というか、人間観というか、哲学的というか、どこか深いところにグッと来る旅でした。

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 死海でプカプカ浮いている対岸に死海文書画見つかったクムランの洞窟があります。その左奥、旧約聖書のエリコの城砦があったそうです。

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2010年4月 9日 (金)

今回の旅の諸事情  シリアヨルダン

 何とかパソコンにスケッチを取り込んで、やっとHPにアップしました。ふと、時計を見たら12時前。
「え・え・え・???」「あっ、そうや・・・ヨルダン時間!!!」なのです。今、ヨルダンでは午前5時前。ぐっすり眠り込んでいるはずの時間です。 以前の旅行で時計をなくし、とても大変な思いをしたことがあって、時計は2~3個は持って行くもんですから、まだ、ヨルダン時間のままの時計があったのです。
 ももりは基本的には時差ボケで苦しむってことはありません。寝たい時に眠る、体が要求するようにするだけです

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 どうですか???シリア、ダマスカスのイスラム寺院の日本女性軍団はチャドルを着せられて意気軒昂です。下、スケッチはそのイスラム寺院

 今回の9日間の旅、オイルチャージ、空港使用料をのぞいた旅行代金は20万円でお釣りがホンの少し。オイルチャージ、空港使用料込みで21万4000円くらいだったか???飛行機で15時間半、往復30時間乗って、全部ホテルに泊まって食事も付き。今回、お土産になるようなものも無く、使ったお小遣いも2万円ほど。ビールやワインはここぞとばかり飲んだし、本も2冊買いました。どうしてこんな値段で行けるのか???国内旅行より、よっぽどお安いです。

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 水の無い砂漠へ行ってるんですから、お風呂が、何年も使わなかった水道管から出たような黒っぽく、ぬるいお湯がチョロチョロと出るだけだって、全く、文句を言う気にはなりません。そこは、元、山女。無い無い生活には耐性が鍛えてあります。栓がなかったときは小さな靴下をぬらして、ビニール袋に入れてぎゅっとしぼり、栓にして、気長にチョロチョロ出るお湯を溜め、なんとか半分くらい体がつかるようにして、日本的お風呂に入りました。シャワーではガマンできないんです。一週間に一回、お水の配給が有ると聞くヨルダンで、日本的お風呂事情は求めるのが無理というもの。ももりのこんなお風呂の入り方はこの地ではうぅーんと贅沢なのですから。

 行く前に訴えていた食料事情。
これがぁ・あ・あ・・・・・ももりは大いに気にいりました。写真もスケッチも無くて申し訳ないのですが、オリエント風っていうんでしょうか???フッとゴマのような香りのするペースト状のパテみたいなのや、ヨーグルトベースのペースト、クスクスも時々あって、やっぱりアフリカにも近い。トマトやオリーブは多用していて確かに地中海風でもある。カレーの香りのするシチューもあって、インド風もある。確かに、ここは東西文明の十字路。苦手の羊は、敬遠。一回だけ、日本でいう「いかくん」いかの燻製の割いたの・・・みたいなのはチッとかじっただけで羊とわかって食べませんでした。
 おなかもこわさず、思いっきり食べたわりには体重も増えず   
あ・あ・あ・・・又・・・た・べ・た・い!!!

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2010年4月 8日 (木)

ガソリンより水の方がお高い国々   シリア ヨルダンの旅

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 映画「アラビアのロレンス」の撮影現場となったワディラム砂漠へ4輪駆動に乗って出かけます。大地はカラッカラに乾いて、砂漠というより土漠です。モウモウと砂塵を巻き上げて砂漠の中へ。砂漠のわりには空が青くない。ももりにはどうもピンクがかった甘いブルーの空に見えます。

 しかし、この地の造形は、悠久の年月、水が砂岩をもてあそんだ痕跡に違いありません。
ももりは今まで、できる限り世界を見たいと歩きましたが、地球という球体は、想像以上に乾いています。雑草がすぐにはびこる日本なんて、本当にめずらしい。水は天か~ら もらい水・・・♪♪ 
 なんて贅沢なことでしょう

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 中東に石油がなくなったら???どうなるのでしょう。アメリカはもう既に国内産はほとんど使いつくしたそうで、今は北海油田からとっているとか???
 大体、今頃、鯨保護って叫んでいる先進国とよばれる国々、太平洋で鯨を乱獲して、ランプのオイルなんかに使っていたのです。石油が注目されたのは1850年ころ。1859年、ペンシルバニアで油井の掘削に成功、その後、「黒い宝石」は狂気の興奮を呼び、この中東へと手を伸ばしました。

 
 ヨルダンは石油は出ないというjことですが、中東にはスッカンピンの漁村から一夜にして近代都市に生まれかわった小さな国々があります。今回の旅、飛行機で、乗り継ぎに降りたカタール。小さな国ですが、全く人工的な都市を建設中です。そっりゃあ、大きな空港!!!成田の10倍はあるでしょう。
「ドーハの悲劇」のサッカー場やビン・ラディンの肉声を世界に流し続けたアルジャジーラの放送局とか・・・それは、又後日アップしましょう。

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 ベドウインのテントでお茶を一服。甘くて紅茶のようで美味しかったです。スケッチの余白は、今も水が沸き出ているという洞窟の中に描き込まれた壁画や文字。BC4~6世紀のナバテア文字、古代アラビア語やアラム語、だちょう、らくだ、アイベックスなどなど・・・・いいなあ!!!悠久の歴史の現場です。
やっと、ホームページにアップしました。未だちょっと、解決できない問題ありですけど・・・お時間ありましたらゼヒゼヒ・・・
 

http://www.geocities.jp/wgwxw444/

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2010年4月 7日 (水)

旧約聖書の地  シリア・ヨルダンの旅

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 旧約聖書はBC12世紀ごろからBC2世紀ごろまでの、約1000年間、イスラエルの民が残した記録だそうです。初めは口承で、後には文字に書き記されました。BC12世紀ごろからBC2世紀までのことらしいですが、BC7世紀ごろには経典になりました。最も古い写本はAD10世紀のものだと思われていた(実は、ここは、ももりにはガテンがいかない。又、後日調べます)・・・と、ももりの本には書いてあります。
 ところが、死海文書とよばれる約2000年前の写本がみつかったのは、1947年。
 

 第2次世界大戦が終わったすぐあと、1947年、パレスチナでは、自分達の国を作ろうとするユダヤ人とアラブ人の間で戦争がありました。その最中に、エルサレムの市内にあったアメリカ・オリエント研究所へ古ぼけた皮の巻物といくつかの巻物の断片を持ち込んだ二人の男がいました。

 なめし皮にインクで書き付けたこの紙切れには、聖書、イザヤ書全巻が書かれていました。聞いてみれば、羊飼いの16才の少年が死海西岸、クムランの洞窟で、偶然見つけたという。しかも、ほかにも、もっと多くの紙切れがあるといいます。しかし、戦争は激しさをまし、アメリカの学者達は帰国しました。

 やがて、国連の仲介で、パレエスチナは分割。ユダヤ人のイスラエル共和国とアラブ人のヨルダン王国の分かれました。
 戦後、われ先にと洞窟へやってきた学者達の前に、数千の写本の断簡がありました。その年代は、BC3世紀から、ローマ人が占領したAD68年にまで及んでいました。クムランには修道院の跡があり、禁欲的な厳しい生活の様子がしのばれる教団文書もあったといいます。

 下のスケッチはももりの見たクムランの死海文書。ヨルダンの首都、アンマンの国立考古学博物館。左下が死海文書で、高さは25センチくらい。両端の壷にクルクル巻いて入っていたんだそうです。上はなんと、まあ!!!紀元前6500年の泥人形です。この人型を作った人の懐いとは・・・造形って古いほど魅力的です。その幼さと直裁が強烈にももりに訴えます。何と云ったらいいか???だってぇ・・・8500年も生きているんですよ。


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上はヨルダン、アンマンの考古学博物館のスケッチ。一番上はパンフレットから。ドイツ語で読めないのは残念!!!下のスケッチは死海の対岸のクムランの断崖

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2010年4月 6日 (火)

ワンダラー ワンダラー   シリア・ヨルダンの旅

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日本へ帰って来たら桜は満開。狭い我が家の隙間にすら、雪柳が咲きみだれ、バラも重たいほど一杯咲いています。ニラの花はあふれそうだし、ボケもひっくりかえって主張しています

 あの地では今も幼い子どもたちが観光客にすり寄って「ワンダラー ワンダラー」って絵葉書を売っているのでしょう。ベドウインの子供達は、きっと、学校へも行ってない。面白いことに、最初のうちはテンダラー。段々下げて、ツーダラー。お終いには、ワンダラー。ももりはワンダラーで買いました。
 あの砂漠の、あるとも見えないほどの緑に、終日口をつけて草を食む羊たち。その羊の群れを終日、黙然と番をする羊飼い。太陽は容赦なくジリジリと照りつけ、水もない。ももりなら半日も我慢できない生活です。苛酷で壮大なむき出しの自然の中から、旧約聖書の物語は作られたのでしょう。空想以外に救いはない世界です。 

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 馬に乗って砂漠へ。帰りも3ドルのチケットを持つっていて、しっかり3ドルって交渉して乗ったのに、下りるときには「ワンモアダラー」ですって。勿論キッパりと「ノー」
 古い民族ほどしたたかなんでしょうね。ももりなんかはまだまだ、ホント、アマチャン。値切るのが苦手です。

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2010年4月 5日 (月)

カインの末裔   シリアの旅 1

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 シリア・ヨルダンから帰国しました。今回の旅は、ももりの、どこか奥深い所、いい加減で生はんかな自分の甘っちょろさを、しっかり思い知らされた旅でした。

 上の絵は、イギリスで買った子供向きの聖書の一場面、カインが弟アベルを殺すシーンです。

 そのページには、おおよそ、次のように書かれています。 

人間が地球上に現れたころ、人間は今より長く生きました。アダムは930才、彼の子孫達は800年は生きたと信じられいます。だからアダムとイヴの子孫達がこんなに増えることができたのです。
 イブの息子、上の子はカインと呼ばれました。イヴは後にもう一人の息子アベルを生みます。
カインは、大地を耕し、アベルは羊を育てるようになりました。ニ人に運命の日がやってきます。
神にプレゼントをする日がやってきたのです。

 カインはフルーツと小麦を捧げました。アベルは彼の羊の群れに初めて生まれた子羊を捧げました。神はアベルの贈り物を喜び、カインの贈り物を拒みました。カインは何か悪いことをしたのでしょうか。カインが怒ったのを見た神はカインに言いました
「何故、怒るのか、悪魔がドアのところでお前を待ち構えているというのに」

 カインは怒りにかられて、二人きりの野でいきなりアベルを殺しました。誰も見ていないと思ったからです。しかし、神は知っていました。

「お前の弟はどこにいる」
「そんな事、知るもんか。俺は弟のおもり役じゃない」
「なんということをしたのだ。お前の弟は、その足元の大地で泣いている。その大地はもはや、耕したとて実をなさぬだろう。お前はその罪を背負ってその地をさすらうのだ」
こうして、カインははるか東へさすらい出ました。
 右側がカイン。誰かに罪を見られたのではないかとオドオドと見回しています。私達は、そんなたよりないカインの末裔。それ以来、人間は、ずうーっと、実のりのない大地を耕し、罪を背負ってさまよっているのです。

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 スケッチはシリア、ダマスカスのホテルからバス移動中の窓外、カシオン山。この山が、カインのアベル殺害の地なんだそうです。乾ききった大地に人家が密集しています。
 
 人間は地球に生えたカビみたい。無彩色の民家が密集しています。この地には屋根ってものがほとんどありません。いわゆる陸屋根で、コンクリートのままです。世帯が増えたら上に建てますとか。甘い色がないのです。色彩のない人家が密集して、カビみたい、と思ってしまいました。 

 明日から、少しずつアップして行きたいと思います。お時間あれば、ゼヒゼヒ・・・

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