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2009年10月24日 (土)

スケッチ大好き

Sibaraku

しばらくブログお休みします。どうも・・・最近、絵を楽しく描けない・・・スケッチは大好きですけど。いっぱいスケッチしてきます。
 昨日長門裕之さんのこと書きましたら、いろんなご意見頂きました。お返事書けなくてすみません。私なら・・・・いい加減のところで人前からは消えたい。でも、絵は???描き続けるか・・・旅は・・・これは一番止めたくない・・・「客死」って・・・これがいい!!!これでいきたいです。

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2009年10月22日 (木)

ダイ ダイッキライ!!長門裕之

Minamida

あ・あ・あ・・・・イヤッ!!!長門裕之。顔も見たくないのにTVで、みじめったらしいクソ芝居。南田洋子さんが可哀そう!!。ももりなら、こんなのより大原玲子さんの孤独死を選びます。
 ももりもそろそろ人前に出たくない年です。エッ??誰ですか???よう、出てるわなあ・・ですって???
かのエリザベス・テーラーも、もう、かつての3倍ほどに太ってるんだそうです。花のかんばせはみる間に衰えるはかないもの。せめて、みんなの思い出の中では、美しく若々しくありたいものです。それを・・・何よっ!!!せんど、苦労をかけたくせに。今頃何言うてんねん!!!

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2009年10月21日 (水)

星座は再び

Seiza
 今日は久しぶりにちょっとのーんびり・・・どうも、気になっていた絵日記の星座を息子たちの本で調べてみましたら・・・どうやら、ももりは、オリオン、ベテルギウス、リゲル、アルデバラン、カペラを見ていたらしいのです。

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 上は、先日、10月12日、大山へ一泊旅行をして、皆生温泉に泊まった夜の明け方、目が覚めたら、あまりに星がきれいでしたので、書き留めておいたものです。 
 「あの夜の、十字は一体、何座の星???オリオンはまちがいないでしょうけど・・・」本棚から息子達の子供の頃の本をひっぱりだしました。もう、ボロボロで落書きもしてあります。
 その本によると、春夏秋冬の星座を書いているのですが、時間の経過とともに、夏、秋、冬の星座が現れるって書いてあるじゃありませんか。明け方の星が冬の星座だったとすると・・・・オリオン座のペテルギウスとリゲル、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のブロキオン、おうし座のアルデバラン、ぎょしゃ座のカペラ・・・ですって。も・お・お・・・サイッコウ!!!冬の星座は空全体で20個ある一等星のうち、8個までが集まっているんですってよ。

Seiza00

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2009年10月20日 (火)

オリオン座から流星が流れだす

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オリオン座から流星が流れだすって聞きましたので、昨晩、何度も起きだしては外へ出て見ましたが、流星どころかオリオン座すら見えませんでした。中京ではムリなんでしょうね。
 星座が覚えられたらなあ・・・・こういうのは、きっと子供の頃に覚えないと、もう・・・ももりの年ではダメなのでしょうね。ギリシャ神話だって、覚えてみたいけど・・・
 ももりが、大学卒業を前にして、毎晩のように、深夜12時頃、バスを降り立った2月、厳寒の丹波、園部の夜空は壮観でした。凍てついた鋼板のような漆黒の夜空に散りばめられた無数の星。天の川が大きく天空を横切っています。カシオペア、オリオン、北斗七星くらいしか知らなかったんですけど。
 いつも、バス停には母が迎えに来てくれていました。今にして思ったら母だってその頃はまだ52才くらいのはず。迎えに来る田んぼの中の夜道は、怖かったし、じっと待ってるってのは、本当に寒かったはずです。夜空を見ると母を思い出します。

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2009年10月17日 (土)

不毛地帯・・・ももりの旅

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Ussr3

 上はももりがイルクーツクから、子供に出した絵ハガキ。長いことアルバムにへばりついていたのをはがしていますので、少々見苦しいですけど。

 今、ロシア、当時はソ連・・・に旅をしたのは1986年。そりゃあ、いろんなことがありました。イルクーツクからウランバートルまで、国境を越えるべくシベリア鉄道に乗ったときのこと。モンゴルとの国境で、銃で武装した兵士に囲まれて下車。取調べ室???待合室で3時間。「おしっこ」と言った人もいたけど、首を振ってダメ。駆け出したらいきなり、後からポンと撃たれそうな・・・そんな場面もありました。

そのことはHP  旅大好き 海外編に書いています。お時間、興味有ればぜひぜひ・・・

http://www.geocities.jp/wgwxw444/118sib.html

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2009年10月16日 (金)

TV 「不毛地帯」 始まりました

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 山崎豊子「不毛地帯」いよいよ昨夜第1回・・・見ました。原作からは随分はしょっていますけれど、それに、やたら戦争責任って言う主人公の自省の言葉がチラつきますけれど、おおよそ、原作に忠実かと思います。
 主人公、壱岐正にはモデルがあると言われていて、瀬島龍三、元、伊藤忠の社長だったとか・・・聞いていますが、もう少し知ってみたいです。もし、わかりやすいブログなり、ページがあればお教え願いたいです。

 もう一度改めて読み直してみましょう。それにしても、山崎豊子、あえて、女性だということは言わないでも・・・凄い筆力、構築力、資料の分厚さ・・・。東京裁判についても、ももりは「二つの祖国」やこの「不毛地帯」で教わりました。彼女は毎日新聞の記者として井上靖に育てられた、と、どこかで読みました。
 井上靖・・・ももりは「日本人作家で誰が一番好きか」ってきかれたら、やっぱり井上靖です。彼の創作した人物がいとおしい!!!緻密に検証した歴史の中にうごめく一粒の人間。その存在の小ささ、悲しさ。一途な純情、しかも報われることのない・・・山崎豊子さんも大好きです。

 10月24日から「沈まぬ太陽」封切のはずです。この日程は間違いない。だって、息子のお誕生日なんですから。

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2009年10月15日 (木)

思い出の中の くろさき よしすけ

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 左の絵は足立美術館で求めた「くろさきよしすけ」の絵葉書です。

 黒崎義介の名を見つけたときは、本当に驚きました。ももりの中では「くろさきよしすけ」です。
あれは・・・・たしか、幼稚園・・・・「ぎんのすず」って言うきれいな絵本をもらいました。その時の、その絵本の美しさ!!生まれて初めて絵に感動した瞬間でした。毎月、どれほど待ち焦がれてその絵本を楽しんだことでしょう。その中の挿絵作家が「くろさきよしすけ」でした。ももりが始めて覚えた絵描きの名前です。

 画面いっぱい、見事に紅葉した秋の山の木々が、赤や黄色や緑やその間の色に描き分けられていました。「なあんて きれい!!」息をつめて見入ったのを、はっきり覚えています。
 きっと、戦後初めての子供向きの絵本だったのでしょう。それまでは、兄達の「赤とんぼ」や「動く実験室」っていう本くらいしか、身の周りに子供向きの本はありませんでしたから。

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 子供の時から、ヨッポド絵は好きだったらしく、しょっちゅうクレヨンを買ってもらっていた記憶があります。日なたの縁側に置き忘れたら、溶けてくっついてしまうような粗悪品でしたけど、絵は大好きな遊びでした。色は確か8色か9色しかなかったなあ。
 絵の具だって、小学3年くらいから使い始めて、最初は9色???その内にだんだん色数が増えて、6年生の時に、何とか言う京都市の展覧会で、大きな賞をもらって初めて手にした絵の具の色数が、さ・あ・あ・・???20色くらい???うれしかったぁ!!!だから、長いことどんな色だって混色で作れると信じていました。今では200色くらいの絵の具セットだってあります。
「ぎんのすず」の絵は、絵葉書の「くろさきよしすけ」より、もおっと、もっときれいだったのよぉ!!!

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2009年10月14日 (水)

ミシュランガイドなんて  止めてよ、足立美術館 

Adati
 
 先日訪れた足立美術館、「ミシュラン グリーンガイド ジャポン」にて唯一三ツ星ですって???こんな紹介には、目を剥きました。
 足立美術館の庭園・・・ももりは余り好きではないなあ。周囲の景観を見えないようにと配慮されて、と言うことは理解できますが、植木をいじりすぎています。ももりは、雑草だってきらいじゃない。全く不自然なほど真っ白な砂、まん丸く、無機的とも思える形に刈りこまれたさつきは、もう、痛々しい・・・人にほほえみみかける優しさを感じません。
 ももりは京都に生まれ、京都以外に住んだことがありません。自慢じゃないけど、京都のお寺のお庭は、ほとんど、もう、見た???言いすぎかもしれないけど・・・・

 常寂光寺や厭離庵・・・滝口寺・・・有名でなくても、大きくなくても、なんとも、心なごむ、穏やかで美しく華やかで奥の深いお庭に比べて・・・コリャ ナンジャ・・・
 ミシュラン三ツ星ってうたってなかったら、もっと素直に見られたかもしれないなあ・・・・大体、ヴェルサイユ宮殿のお庭なんて、全く人工的でちっとも魅力なんかないやんか!!!フランス人に日本庭園を評価してもらって喜ぶなんて・・・ナァ・サァ・ケェ・ナァーーーイ!!!!

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2009年10月 9日 (金)

映画 「火天の城」 そしてわが安土城

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 「火天の城」見てきました。信長の命で、建立された安土城。その築城を受け持った大工の棟梁が西田敏行。あのアツッグルジイィ!!!顔の、ドアップが多すぎること以外はなかなか面白く見ました。まああ・・・大分ウソがあるよなあって・・・でも、フィクションなんですから、理屈を言わずに楽しみましょう。
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 3人の息子達が、皆、小学生だった夏休み、琵琶湖をレンタサイクルで1周した事があります。3日間。能登川レンタサイクルっていう自転車屋さんで、自転車を借りてスタート。1日目、余呉湖泊まり、2日目、近江舞子泊まり、3日目、琵琶湖大橋を越えて能登川へ戻る・・・というコースでした。
 長男が確か???6年生???とすると、末っ子は1年生???子供達が思ってた以上にしっかりしていることを確信した旅でした。その、終点、能登川レンタサイクルから、タクシーで安土城址へ行ったものです。今では、色々整備復元されているそうですが、当時は、本当にむき出しの土の塊りだけでした。もう、一度行きなおしてみようかなあ・・今は、アラフォーの息子達・・・もう、誰もついてはこない・・・こんなに可愛いかったんやなあ!!!

Saikurinngu

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2009年10月 8日 (木)

ジャンヌ・ダルク  その3

皆様・・・台風は???お見舞いもうしあげます。我が家は無事、見過ごして去ってくれました。さて、昨日のつづき・・・ジャンヌ・ダルクを・・・

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 ジャンヌ・ダルクはランスで、国王を戴冠させて、そのまま、ドンレミイの村に帰った方がよかった・・・でも・・・ジャンヌは貴族に列せられました。ジャンヌの兄達も貴族になり、王家のユリの紋を使うことを許されました。
 一方、シャルル7世は王位についたものの、国内にはイギリス側につくブルゴーニュ公爵もおり、イギリス軍も新たに軍隊を送り込んで、シャルルがパリへ入ることはできません。ジャンヌは、9月、パリを攻撃、11月ロワール河畔の町を攻撃。しかし、もう、神はジャンヌを見放していました。
 

 1430年、5月23日、コンピエーヌにて、ジャンヌは敵の捕虜になります。「魔女だ!!!オルレアンの魔女を捕まえたぞ!!!」
ジャンヌのために散々苦しめられた敵方の憎しみはいかほどのものであったか???
牢獄に入れられたジャンヌは、一万リーブルでイギリスに売られてしまいました。イギリス領になっていたルーアンへ送られたジャンヌは、異端審問の宗教裁判を受け、先日、アップしたルーアンの市場の広場で磔刑、火あぶりになりました。19才。
 シャルル7世がパリを奪い返したのは4年後。ブルゴーニュ公爵と手を握り「フランスはフランス人の手に!!!」ジャンヌが叫んでいたとおりになりました。彼女は、いま、聖人に列せられています。スケッチ、下はルーアンからパリへの道。上はパリの西北、パンティン港

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2009年10月 7日 (水)

ジャンヌ・ダルク  その2

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  ジャンヌは6人の男に守られて、ロワール河沿いにシノンに向かって進みました。シノンに王太子シャルルがいるのです。グズグズと優柔不断のシャルルもジャンヌに会い、いくつかの奇蹟を見て、ジャンヌを信じます。審問会議も通過しました。ジャンヌは王太子にランスへ進軍し、戴冠式をするようにすすめます。王太子は、ブロアで軍を集めました。「神のお使い」ジャンヌのうわさを聞いて、1万人近い兵隊や人夫が集まり、武器や食料も届きました。いよいよ、オルレアン救援に向かうのです。道中は、イギリス軍にくみするブルゴーニュ公爵の領地です。

 オルレアンがイギリス軍の手に墜ちれば、もうブールジュのイギリス軍まで、遮るものはないのですから、王太子の本拠は絶望です。(ブロアの事は、8月23日、25日、26日、28日にアップしていますので、お時間あれば・・・・どうぞ。ほら、例の天才女詐欺師、ヴァロア・ド・ラモットの記事です)

 オルレアンを囲むイギリス軍との激突はくりかえされ、その都度怯みがちなフランス軍は、ジャンヌの叱咤激励のおかげでイギリス軍を破ります。どちらの兵士も長い戦いに倦み、食料不足に苦しんでいます。「魔女が来た!!!」おびえるイギリス兵。「進め、進め、神はフランス味方です!!!」一度も勝てたことの無かったフランス軍は勝利しました。1429年5月8日、イギリス軍はオルレアン包囲の全てを棄てて退却、ジャンヌはオルレアンに入り、神のお告げは成ったのです。

 オルレアンが墜ちて、ランスへの道は400キロ。しかも、周囲は敵ばかり。おびえるシャルルや貴族を説き伏せ1429年7月17日、ランス入城。翌日、シャルルは戴冠式を経て国王となりました。
「あなたさまこそ、フランス王、神の望まれた王!!!フランスはあなたさまのものでございます」  つづく スケッチはブロア城


 

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2009年10月 6日 (火)

お・お・お・・・・ジャンヌ・ダルク!!!

Kaoru 
 お・お・お・・・・kazuyooさんのコメント「なぜ、ジャンヌが処刑されたか」ですって!!!
こういうの、ももりのダイッ好きな話題です。今でもイギリスとフランスは常に張り合っていて、決して仲が良いとは言えないでしょう。何故なら・・・100年も戦争をした歴史があるからです。それに・・・ももりはいつも言ってるんですけど、「フランスなんて戦争して勝ったことない」って、ハナハダ、感情的な言いぐさですけれども、この100年戦争に、その根拠があるんです。今、本当に、フランスはエバッテますけど、実は歴史的には負けてばっかり。全く弱い!!!ナポレオン以外はね。第2次世界大戦だって、さっさとドイツに占領されてたんですから。今では、国連の戦勝国ですけど、実は、連合軍に解放してもらったんです。
 

 そもそも、その100年戦争・・・
ジャンヌ・ダルクが生まれる65年前、イギリスがフランスに攻めて来ました。100年戦争の始まりです。そもそも、イギリスの王はフランスの貴族出身です。フランス国内に広大な領土を持っていました。1328年、フランス、カペー王朝は断絶。男子が生まれなかったからです。そこへ乗り込んだのがイギリス王エドワード3C。フランスの王位継承権を主張しました。一方、攻め込まれながらも、フランスの王位を田舎で継いだのがヴァロア王家のフィリップ6世でしたが、連戦連敗。全く、フランス軍は弱い!!!
 しかも、当時の兵隊は傭兵で、戦争が無いときには、兵士は強盗に早変わり。さしも、豊かさを誇ったフランスの農村は、荒廃のきわみになりました。
 フランス王位もイギリスの王位も何代か代わり、フランス王位は、精神を病むシャッルル6世のあとを継いだ王太子シャルル。パリから逃れ、ブールジュへ。みすぼらしい有様でした。一方パリでは、1才のヘンリー6世が、イギリスとフランス、両方の王位を主張しています。フランス貴族の中にも、ヘンリー6Cをかつぐ貴族もおり、フランス国内はまぷっぷたつに分かれました。

 1428年に成ると、オルレアンが戦場になりました。ブールジュとパリの真ん中だからです。オルレアンの民衆はよく戦って、イギリス軍の包囲に耐えていました。毎日のように大砲の弾が打ち込まれ、食料も尽きようとしています。しかし、頼りにする、シャルル王太子の援軍はやってきません。ジャンヌ・ダルクが神の声を聞いたのはそんな時でした。本当に、あの時、ジャンヌが現れなかったら、イギリスがフランスを乗っ取っていたかもしれない!!!スケッチは上、カオール。下、リモーッジュ・・・フランスの田舎って本当にのーんびりしていて大好きです。・・・(つづく)
Rimojyu


 

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2009年10月 5日 (月)

ラウル・デュフィ展は終わりました

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 昨日でラウル・デュフィ展は終わってしまいました。もっと早くにアップしようと思いながら・・・ついつい・・・今頃ですみません。 
 上は、ももりが2004年10月、フランスのルーアンの美術館の中庭で撮った写真です。大きな壁面に描かれたのはデュフィの絵だったと記憶しています。気楽な軽い画風ですので、絵の前で、ゆっくりお茶しました。写真がイマイチ鮮明でないのが申し訳ない。何しろバカチョンなんです。
 ヨーロッパへ行くといたるところに絵が描かれています。レストランやホテルの壁、公共の建物の中に、リアルタイムの絵描きの絵が見かけられます。日本では、どうも、もう、名の知れわたった絵描きのリトグラフや、複製すらある・・・・オッソロシくお高いそんな絵なんか買わなくったって、そこいら中に、日本人の絵描きは、はいて棄てるほどいますのに・・・

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 ルーアンは、かのジャンヌ・ダルクが処刑された土地です。上のスケッチはその広場。ルーアン大聖堂のガラス窓は、パリとアーミアン、それとここが3大バラ窓だったと記憶していましたので、行ってきました。国鉄で1時間ちょっと。

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 右はルーアンのノートルダム大聖堂・・・ここを、モネが盛んに連作していて有名です。此のももりのスケッチをみると・・・ト・ホ・ホ・・・これじゃあ、やっぱり、ももりじゃなく、たとえ、複製だってモネの絵をかけたくなるわなあ・・・

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2009年10月 2日 (金)

映画 「セントアンナの奇蹟」

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 ナンヤカヤと忙しく、アップできなかった映画がいくつか・・・忘れられない作品もありますから・・・今日は、その中から「セントアンナの奇蹟」を・・・

 第2次世界大戦中、1944年、イタリアのトスカーナに進駐した黒人だけで編成されたバッファローソルジャーの部隊。やっぱり、あった白人と黒人の差別、特に、この部隊はナチスに囲まれた危険な地域に送り込まれました。その中を、偵察に出された4人の兵士。
 人気のない山中を、おびえながら進む4人。そこで、脳のちょっと弱いトレインは一人の少年を助けます。仲間からの反対を押し切って助けた不思議な少年の名は、アンジェロ、天使です。実は、この少年はナチスによる村人の大虐殺を見てしまっていたのですが、記憶を失っています。
 ちょっとした、無線の不具合が直ったり、電燈がともったり、緊張の極にある4人に起こった不思議なことは、ちょっと脳が弱いトレインに、少年が神秘の力を持つと確信させてしまいます。
村へ入り込んで、英語が話せる唯一の女性、レナータと男達との恋。そこへ、レナータの兄のパルチザンの兵士が山から降りてきます。彼らはナチスの兵士を捕虜にしていて・・・・

 村人と、心を通わせるようになった4人に起こった悲劇。殺されてしまった仲間たち。戦後、郵便局員として平々凡々と生活していた生き残りの兵士が、偶然、切手を買いにきた裏切り者を殺した。戦後何年もたってなされた報復。その兵士の取調べの段階で発見されたセントアンナの石像の頭部。それは、トレインがいつも腰にぶら下げていた戦利品だったのです。 
 映画は難解です。ももりも、パンフレットを読んで初めて展開がおぼろげに理解できました。映画の中では、いきなり、此の少年が大人になって大金持ちになり、その殺人をおかしたかつての命の恩人を警察から出す、と云うところから始まっていますから。
 それにしても、この少年のなんとも清らかな姿と顔・・・ホントに誰だって、神と信じこんでしまうでしょう。イタリア、トスカーナの鄙びた村の映像の美しさ、しかも、この話は実話なんだそうです。

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2009年10月 1日 (木)

あはれ ことしの秋もいぬめり・・・

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 9月、バタバタと忙しく過ぎて・・・もう今日は10月。いろんなことを思い、いろんなことを考えた3人展でした。

その中で感動した一つのできごと

 あれは、会期の3日目だったか・・・「SUN・BAABA」展の会場で、きれいな若い男の子が二人、熱心に見ています。特にサユリさんの作品に熱心で、携帯で写真も撮っています。
「さゆりさんの生徒さん???」って聞きますと、こっくり頷いてくれました。さゆりさんは小学校の教員から養護学級の先生を務めて、今は退職されています。
「そうなんです。もう、10年以上も前の子供なんですよ」とさゆりさん。
「さゆりセンセの絵、ステキでしょう」って聞きますと、こっくりうなづいて、
「ぼく、さゆりセンセが今までのセンセの中で一番好き」って言ってくれるじゃありませんか。もう二十才に、手の届くような、こんな男の子が・・・・なんて、うれしい!!!思わずホロリときました。
 
 二人が帰って、「先生名利につきるわなあ」って話していますと、20分くらいして、二人が戻ってきたのです。
「あらら・・・どうしたの???」
「ぼく、センセの絵葉書買うて、お母さんに見せる」って言うんです。そして、さゆりセンセの絵葉書ばっかりを選んで、取り出したのはまっさら1万円札。
 「ええの???そんな大事なお金使うて???」
授産施設で働いているという二人のお給金は知れたものでしょう・・・ももりは、もう、嬉しくて、思いっきりおまけしてあげました。

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