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2009年8月28日 (金)

稀代の詐欺女 ヴァロア・ド・ラモット

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前回の続きです。シュテファン・ツワイク「マリー・アントワネット」によれば・・・以下、要点のみ 

あるユダヤ人宝石商が、パリ警視庁に出頭して、「レトー・ド・ヴィレットとか言うものが、稀有なダイヤを法外な価格で売りに来たが、これは盗難品に違いない」と、申し出てきた。警視庁はレトーに出頭を命じ、くだんのダイヤが、王の血族に当たるヴァロア・ド・モット夫人より出たとの確証をつかむ。一つずつほぐされた王冠は、これ以上パリで投げ売りすると、こっちの首の骨が危ないと気づいた婦人は、さっさと元気な夫のポケットに一杯詰め込んで、ロンドンへ送る。

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 「バンザーーーイ!!!一挙に大金が転がり込んできた!!!」
 そこで、このヴァロア王家の血を引く、稀代の詐欺女の取った行動が面白い。彼女は、イギリス産の4頭の馬が引く灰色のニスを塗った馬車、豪奢な制服を着た従者、頭のてっぺんから爪先まで、銀モールづくめの黒人下男、絨毯、ゴブラン織り、青銅器、羽毛飾りの帽子、真紅のビロード張りのベッド、42台の馬車に積み込めなかったほどの豪華な家財を運び込んた。
 王家の紋章「わが血、わが名、我が百合花紋、そを我はわが祖なる王より受けぬ」という銘を入れた紋章が刺繍してある白布が張りめぐらされ、村人のどぎもを抜いた。
 かつての憲兵士官、夫、ラモットも大変なおめかし、10本の指には全て指輪をはめ、靴の留め金はダイヤモンド、胸には3つか4つの時計の金鎖が輝き、衣装箱には、後の裁判記録によれば、18着にくだらない当時最高の洋服が詰まっていたそうな。
 近隣の貴族達が評判を聞いておしかけ、時ならぬ、贅を尽くした饗宴は、本家の王家とも比べられるほど・・・速く自分がさっさとトンズラしようと考えなかった所が、ももりが好きな部分で、「そんなもん、あのローアンのアホが払いよる」って大阪弁ではなかったやろうけど、タカをくくって考えた。スケッチは冬のパリ  つづく

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2009年8月26日 (水)

マリー・アントワネットより、よっぽど面白いヴァロア・ド・ラモット

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女の子が一番最初に興味を持つ対象って、そりゃあ、フランス革命でしょう。・・・いえいえ・・・ももりはそうでした。そこで出てくる、ヴァロア・ド・ラモット。彼女はマリー・アントワネットなんかよりはるかに面白いのです。
 シュテファン・ツワイク「マリー・アントワネット」によれば・・・以下、要点のみ
 

 ジャック・ド・サン・レミーは密漁、大酒飲み、百姓をゆするといった札付き者ではあるが、ブルボン家においては由緒あるヴァロア家の直径の子孫である。その、破産した貴族と、たぶらかされた女中の間に生まれた娘、ジャンヌ、いつも裸足で畑から馬鈴薯を盗み、一片のパンの代わりに牛の番をしていた。

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 汚い見捨てられた浮浪児は、7才のとき路上で叫んでいた「ヴァロア家の血を受けましたこの孤児にお恵みを・・・」
たまたまプランブリエ公爵夫人が「敬虔なルイの血を???虱だらけの腹ペコの乞食娘が」と、とも角馬車を止めさせ、妹とともに拾い上げた。女子修道院に入れ、14才から働くが、22才で出奔。パリは、ふところは寂しく、しかし、頭は野心まんまんの若い娘にとって、これほど面白い所はなかった。美しい小娘、ジャンヌは、貴族の片割れ、ニコラス・ド・ラ・モットと云う憲兵士官をキャッチ。結婚1ヵ月後には、早くも双子をもうけるが、勿論、それで収まるような玉ではなかった。スケッチは冬のパリ  つづく

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2009年8月25日 (火)

ヴァロワ・ド・ラ・モット・・・と言えば

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 自分でも多少うっとりとしてこの話を書いていますから、お付き合いくださる方は、さぞ、ウンザリでしょうね。こんな意気揚々とした日もあったももりですが、今は、好々??婆です。

 当時のももり、 「ラ・モット」さんと云う名前を聞いた途端、ひらめくものがありました。ヴァロア・ド・ラモット・・・お聞き覚えがありませんか????
 フランス革命の引き金になったマリー・アントワネットの首飾り事件。とても面白い、小説以上の史実ですので、書いてみましょう。

 ローアン大司教はマリー・アントワネットがまだウイーンのお城にいたころ、ウイーンにおり、母の女帝マリア・テレジアは酷く彼を嫌っていました。女性にだらしなかったのです。謹厳なクリスチャンの母帝には、許しがたい人間性でした。アントワネットが、14才でフランスへお嫁入りし、先帝が死にます。いよいよ、ルイ16世がフランス王に、アントワネットは王妃になりました。アントワネットの絶頂期です。
 ひきもきらぬ取巻きのご追従。しかし、アントワネットはローアン大司教を無視、シカトし続けます。「なんで???」何とか取り入りたい!!鬱屈したローアン大司教の耳元に、ひっそりとささやいた者がありました。

「ルイ15世様が、愛人のために作らせた、とても高価な首飾りが、今、買い手を失っていますのよ。アントワネット様は、本当は買いたいのですが、最近、民衆が、もう、うるさくて・・・」王妃の浪費が国家予算を危機に陥れていると、当時盛んになっていた、パリの新聞は書き立てていました。

「ですから・・・ローアン様が、お買いあそばして、それを、後からこっそり、4回に分けて、アントワネット様がお払いになるというのはいかがかしら???」
こう、ローアン大司教に耳打ちしたのが他ならぬ、バロア・ド・ラモット。
 鬱屈しているローアン大司教は、コロリと乗せられました。首飾りがローアン大司教の手に入り、それを、
「アントワネット様に、しかとお渡しいたしますわよ」と、持ち去って、そのまま、ヴァロワ・ド・ラモットはロンドンへ、王冠ごとドロン!!!何も知らぬアントワネットの元に、第一回目の請求書が届きました。さ・あ・あ・・・・騙された、と気が付いたのは気の毒なローアン大司教でしたが、世論は別の方向に動きました。
「アントワネットは、実は本当に首飾りを買うつもりだったんだ」と、世間は騒ぎたて、王妃への反感は高まり、革命への坂を転がり落ちていったのです。
ヴァロア・ド・ラモット・・・ラモットのヴァロア・・・ヴァロア王家は、もっと古い王朝です。さ・あ・あ・・・・
「あの、ラモット家???」ももりは、この瞬間、ブロアの展覧会に参加をきめたのでした。つづく
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2009年8月23日 (日)

1993年 フランスで生きているももりの絵

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 スケッチはラ・モット氏の館。前の続きです。


「ももりさあん」誰かが呼んでいる。
「早く、早く・・・一体、何してたのよ。お客様よ。あなたの絵を買いたいって言ってる」
お客はどこかジャン・マレーに似た男性と、端正な容貌の奥方が、ダリアや菊を盛り込んだ絵を指差している。
「あなたは、この絵を売るか???」
「ウイ ウイ・・・メルシ ボークー」通訳嬢より早く私は返事をした。
「いくらで売るか」
「あなたはいくら出せるか」
「1000フラン」約2万円。安い。日本なら15万くらいで売っている。ええい!!!ここは、フランス。大安売りだ。フランスで売るなんてカッコイイ!!!持ってきたものを全部持って帰るなんて屈辱だ!!フランスに住み、絵を生業にしている日本人絵描きたちだって、いつもこぼしてる。「フランス人は絵なんて買わない。彼らの家には昔からの絵がいっぱいあるんだ。それにヤツらはケチで・・・・」そのフランス人がももりの絵を買うんだぞ!!!
「ウイ ウイ  メルシー ボークー」商談成立。
「私はこれを買ってもらってとてもうれしい」
「どうして 売れてうれしいのか」
「絵は私にとって息子のようなものである。私には3人の息子がある。息子を育てるように、私は絵を育ててきた。今、息子がここ、ブロワの地で人に愛されて生きていくと思うととてもうれしい」
「とても 詩的な表現です」 横から奥方が言った。
「主人はこの絵が好き。でも私はこれが好き。これを私のために買いたい」荒いタッチのひまわりの絵である。
「2点で安くできるか」私は激しく首を振った。彼はやさしく肩を抱いて、気にするな、というジェスチャーをして、すぐ小切手を切ってくれた。ポーラリオン・ピエール氏と奥様のアンリエッタさんである。
 差し出されたポーラリオン氏の腕に自分の腕をからませて、私は意気揚々とディナーのホールへ入っていった。 つづく

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2009年8月21日 (金)

1993年6月のことーⅠ

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1993年、フランスのブロアで土地の貴族、ラ・モット氏の館で日本文化を紹介するという催しがありました。 2日間の催しで、初日は、パフォーマンス。ももりは和紙繊維の入ったアクリル和紙の大きなパネルに字を書きました。表具の必要が無く、そのまま展示できるからです。お茶、生け花、琴、太鼓、仕舞、日本人形・・・・鎌倉掘りまでありました。全員着物を着てくれってお話で、此方も多勢ですが、フランス側も200人のお客と云うことでした。建物はお城と云うよりは館です。
 展示会場は、きっと昔は厩舎だったか???馬のまま乗り入れられそうで、馬車なんかも何台も置かれていたと思われる広さです。高い天井と漆喰の大部屋でした。


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 2日目は自由にお楽しみください、と、いうことで、もおぉお!!!着物なんか暑っ苦しい!!!
 パーティーから一人抜け出してお庭を行き着くところまで・・・金網沿いに歩きました。想像以上に広大な敷地です。3本も大きな川が流れ、ボートが人待ち顔をしています。さああ・・・10キロ以上、縦横あるか???高い木々が茂る森の中は、案外明るく、小路が続いています。バルビゾン派が描く風景そのものです。
 突然「エ・エ・エ・エ・エ・・」と子山羊がヨタヨタと現れ、親山羊が気難しい顔でとがめるように私を見つめています。ピッチャーッと、クモの巣が顔にかかり、飛び上がったり・・・朝露がキラキラ輝いて、森には人影もありません。ひょっと、木陰から、ジャン・コクトー描く獣人や、バンと呼ばれる牧羊神が角笛を片手に現れそう・・・・チャッタレー夫人の映画の森番があらわれたり・・・夢見心地と恐怖心がももりをしびれさせます。

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2009年8月20日 (木)

「ココ・シャネル」 フランスの貧富の差

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映画「ココ・シャネル」立ち見で見て来ました。ももりは、いつも時間ギリギリに映画館に入るのですが、今回、満員で、立ち見でした。
 「♪♪・・・貧しいお針子 小さなその手でお針を運んで、一日 他人の着物を縫っている♪、♪
小唄くちずさんで、甘い涙流し恋の夢を見ているマドモワゼル・ド・パリ♪♪・・
孤児院で育った貧しいお針子が世界のシャネル・ココになるまで・・・やっぱり重要なのは、お金持ちの男達との出会いでしたよねえ。尤も、そんな男達に出会って、モノにしていくってんだから、それこそが彼女の凄さ、実力です。
 フランスには、事実、今も貴族がいて、広大な領地を所有しています。もう、20年くらい前、フランスのブロワでグループ展に参加したことがありました。「ラ・モット」さんの家で、東京に留学中のイレーヌ嬢の21才のお誕生日に、日本文化を紹介するという展覧会の企画があったのです。丁度ももりが東京で個展をした時に誘われたのです。世の中はバブル、ももりのお財布にも、今よりは余裕がありました。その時の貴族の宴のお話なんぞ・・・次に・・・・上は会場風景、下、エッフェル塔が首をかしげています。ももりもまだ若かった???

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2009年8月19日 (水)

真夏の夜の饗宴

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映像はもう、相当食べてしまってますが・・・・お許しください。
 我が家の釣りキチ、お盆と云うのに若狭の釣り船で大きなヒラメやアジ、イカなんかを釣ってきて一杯お料理してくれました。釣りキチは、ももりよりはるかにお料理は上手です。なんといっても、その融通むげの調味料の使い方が、目新しくて工夫が楽しいです。おいしいのよねえ。コチュジャンやナンプラー、トーバンジャン・・・アンチョビ・・・ももりなんか、狭い昔ながらのミソ、醤油なんですから。
 この日は、勿論、お刺身は一杯ありましたが、ビビンバを作ってくれました。おいしいかったのよねえ。
アジの干物は冷蔵庫に一杯あるし・・・なんてうれしい!!!

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 昨日、ももりも見習って、オリーブオイルにニンニクと鷹の爪とバジルを入れて、白ワインで仕上げ、アジの地中海風といきました。モッチロン、美味しかったのよぉお。お盆に殺生???普段、あんなに激しく働いてるんだから、許してやってください

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2009年8月18日 (火)

これで信じろって???

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 昨日、ご近所のスーパーへ。共産党の候補者ののぼりを立てた男性がマイクでガナッています。
 「今、子供一人当たりの教育費は1000万円。こんな酷い国は世界中で日本だけです」
「え・え・え・???日本は世界中で一番酷い???」あとは、もう聞くのも不愉快になってそっぽを向いて通過しました。ももりなんか、「世界中でこんなに、国民を甘ったれにしてしまった国はあるやろか??」って心配してるちゅうのに・・・・地球上には学校へ行けない子が一杯いるというのに・・・何時まででもお題目みたいに、大企業は横暴で・・・って言ってるけど、大企業が世界へ出て行って仕事ムシリ取ってこなかったら、中小企業なんて、仕事のうなるでぇえ。金持ち無くしたかて、貧乏人が金持ちにはならへん、ってサッチャーも言ってました。スケッチは息抜き、SUN・BAABA(3婆)展の準備です。

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2009年8月17日 (月)

曽野綾子「哀歌」と2つの映画

 曽野綾子著「哀歌」は毎日新聞に連載されていた作品です。読み直しました。
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1994年、ルワンダで起きた激しい民族対立。個人的には何の恨みもない人間同志に、ある日襲い掛かる集団の狂気。フツ族とツチ族の対立です。虐殺のさ中に、一人の年若い日本人修道女がいました。狂気の日、庭師にレイプされます。25万人以上が虐殺されたといわれるルワンダの狂気の日、国連軍は無力でした。彼女は救出されて日本へ、妊娠を知ります。彼女は生むことを決意。憎しみの中から生まれでた命を愛せるか???曽野綾子氏は答えは出しません。 ルワンダ虐殺事件をとりあげた映画「ルワンダの涙」はまるで、「哀歌」の映像版です。Sonoayako001_3


 もう一つの映画「サラエボの花」は、1990年、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで起きた内戦。民族浄化の目的とて、男達は殺され、若い女性は集団レイプされた。レイプされた女性は2万人ともいわれる。映画は、敵兵による集団レイプの結果、妊娠、出産。極限の憎しみの結果、産み落とした赤ん坊を母は愛せるか???曽野綾子が出さなかった結論をこの映画が救ってくれます。赤ん坊は、汚れなく、どうしようもなく可愛く、お乳はあふれ・・・人間って、これほど酷く残酷な生き物か???そして、母性とはこれほど崇高な愛か???どちらもまだ記憶に生々しい現実です。
 

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2009年8月16日 (日)

厳しさのない優しさ

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 曽野綾子はキリスト者として有名です。ももりは、少し前まで、まだ、「キリスト教に改宗したい」って口走るほど、旧約聖書にゾッコンでした。人間が生きていく上で犯してしまう様々な罪を、これほど、ドラマチックにしつこく描いた文学・・・あえて、文学と言っています・・・が、他にあろうとは思えなかったからです。
 ももりのトロさ、ズルさは、教会へは行かず小説を読むことで近づこうとした事です。キリスト教が行なってきた様々な悪業も多少は知っていたし、捕らえられるのもイヤだったから。
 三浦綾子の描く神は・・・甘い。キリスト教の宣伝みたい。遠藤周作「そうやろうなあ・・・神が本当に人を救うなんてことは無いやろなあ」と納得。しかし、曽野綾子・・・彼女は厳しい。率直です。俗物のももりと同じような理性と現代人の知性を持って、まやかしはまやかしと糾弾します。しかし、その上で、キリスト者とし、意志的に神をいただくという立場です。
 彼女は新聞なぞで、よく書いています。たとえば、オーストラリアで殺された若い娘・・・若い娘が人に誘われたからといって、夜に一人で歩くってぃ言うのが、そもそも間違っている。そもそも娘が一人、外国へ行くからには・・・・って言う調子です。殺された娘に、あえて苦言を呈するという立場です。実は、ももりはこの厳しさに共感するものです。特に教育、最近の子供達に対する教育には厳しさが欠けています。ももりの息子なんて、ある時、こう言いました。もう、アラフォーの息子達ですが・・・・
「母さんなんか、ケツ(お尻)はたたく為にある、言うてたやん」ですって。ビシビシいったと思います。「働かざるもの食うべからず」ってお手伝いをさせた。机の前のお勉強なんか・・・すぐにメッキがはがれるんやから。
日本人から何時、厳しさが抜け落ちてしまったのでしょう????スケッチは関係ない・・・SUN・BAABA展の息抜き・・・9月にSUN・BAABA展ってのをやります。3婆???フン、フン。その内にアップしましょう。



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2009年8月14日 (金)

友人の個展

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間もなく、友人が個展をします。おついでがあればぜひぜひ・・・・お部屋でコツコツ描いているのも、そりゃあ、楽しいけど、やっぱり発表しないといけません。彼女は初めての個展、うっとりと楽しい、彼女独自の世界を展開してくれるでしょう

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2009年8月13日 (木)

あんたのお金で・・・・って念を押して

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 「あれします。これします」って、マニフェストだとかなんだとか・・・・言ってるけど、しっかり、その後に「あなたが治めた税金を使って」って付け加えてほしい。
 まだ記憶に新しい大雪山の遭難事件。ももりは思います。
最初の落伍者を見捨てて、歩けるものは歩き続けていたら、その後続いた犠牲者は、出ないまでも、もっと少なかったんじゃないか??酷いことを言っていることはわかった上で、言っています。初めの人が動けなくなった1時間半、全員寒い中で待った、と言います。それが決定的にみんなの体力を奪ったんではないか???優しさは共倒れの危険を伴う・・・・日本の今は???心配です。
 とも角、国債を増やさない。働けるものは働く・・・・目先ばかりを追いかけないで・・・正直者がバカをみない政治がしてほしい・・・・どこかウソ臭い最近の日本人の優しさ・・・・あ・あ・あ・・・心配です。

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2009年8月12日 (水)

台風、地震、水害 お見舞い申し上げます

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 台風、地震、水害と続きましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。 お見舞い申し上げます。各地で深刻な被害が出ているようで、心配しております。
 ももりの棲まいする京都でも揺れました。うつらうつらしていた明け方、「地震や」って飛び起きました。でも、幸い被害は無かったと聞いています。
 ももり個人としては、9月、又、3つの展覧会に出品する事になりました。8月には身近な友人の個展もあり、順次、ご案内したいと思います。
 まあ・・・展覧会の出品・・・会場に収まった次点では、もう、半分以上は完了です。実は出品作を作り出すのが一番大変なんです。描きまくる・・・この「まくる」って言う部分だけが自慢のももりでしたが、さすが・・・よる年波には勝てず???創作意欲が衰えました。埋み火を掻きたてて????さ・あ・あ・・暑い時期でもあるし・・・まあ・・・家にこもってひたすら描くとしましょうか。

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2009年8月10日 (月)

長いアプローチ  屋久島

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 屋久島へ行かれる方の参考になれば・・ 
先ずアプローチが長い。ももりたちの場合、朝、5時に家を出て、伊丹空港へ。伊丹から鹿児島へは、飛行機で1時間45分。そこから鹿児島市内へバス移動、約1時間。1200円。バスを降りて港へと歩くのが結構しんどくて、30分。やっとフェリーに乗り込んで屋久島へ、1時間30分。そこからホテルへ。旅行社で手配はしてもらったんですけれど、炎天下、荷物を引きずっての移動はけっこうハードです。
 翌日、ホテルから、縄文杉への登山口へ。朝、4時に朝食と昼食の弁当を受け取り、朝食をすませ、5時にホテルの前へバスが迎えに来ます。バスは島のそこかしこの民宿やホテルから、お客を、2人、1人、と拾い、荒川の登山口に着いたのが6寺45分。どうやらバスごとにガイドが割り当てられているようで、ももり達は8人のパーティーでした。ちょっと体操をして歩き始めます。延々と続くトロッコ道を8,1キロ歩いて、いよいよ地道を登り始めます。
 地道はなかなか急峻で、雨でも降ればぬかるんで滑るでしょう。時々急な階段が有りますが、これはかえって怖い。狭いから、下りとすれ違う時にリュックなんかが触れると転落しかねません。翁杉、ウイルソン株・・・を過ぎ、間もなく、大王杉、夫婦杉・・・その手前で、ももり達の、この旅は挫折したのでした。

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 3日目はレンタカーで滝を見ました。1ヶ月に40日雨が降るといわれる屋久島の滝は、水量も多く、落差も大きく、ダイナミックで魅力的。でもぉ・・杉や滝って・・・・絵にはなりにくいのよねえ。
 総じて、屋久島は花が少なく、深い森です。本州のアルプスの様な華やかさには欠けますが、そこは好きずきでしょう。森の中なので展望はありません。尤も、頂上に到達していたら言うことは変わったかもしれませんね・・・????

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2009年8月 9日 (日)

喜界島のミス

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 え・え・え・・・えらいこっちゃ!!!エエカゲンなこと書いてました。この前のブログ、喜界島は屋久島より、まだ、はるか南の島でした。皆様お許しください。帰りの船の中で聞いたアナウンスが、俊寛が流された話をしていましたので、丁度その時見えていた竹島と間違えて解釈してしまいました。ご指摘、本当に有難うございました。は・ん・せ・い!!!シュン・・・
 上の赤いしるしまでももり達は行ったのです。右端から歩き始めて。あ・あ・あ・・・・あと少し・・・

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「このまま動けへんようになったらどうするの???」って、ガイド氏に聞きましたら
「一回は警察のヘリコプターが捜索に出てきます。それはタダ。それで収容できなかったら次回からは250万円。捜索隊が出たら1人、日当ン万円・・・すぐ・・・3000万円って話になりますよ」
「こんな所で、枝が茂ってるのにどうするの???」
「ロープで引き上げますよ」
「エ・エ・エ???病人だけでしょう??付き添いは歩いて下りるんですか」
「付き添いも引っ張り上げてもらうでしょう」・・・・ウ・ウーン
ヘリコプターには乗ってみたい気がせんでもないけど・・・・なあ・・・マタマタ、エエカゲンなことを・・・は・ん・せ・い・・・

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 ウイルソンの切り株の中に入ると、さ・あ・あ・4畳半くらいはあるでしょうか。そこから見える空がハート型!!!!


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2009年8月 7日 (金)

哲学的思考の屋久島

Takesimaiousima

Tanegasima

今回の屋久島ツアー・・・ももりは冗談に「介護登山やねん」って言ってたんですけれど、今回は本当にそうなりました。急峻な上り坂で70才の相棒の心臓は悲鳴を上げたのです。行く前、ももり自身の膝や足を心配していたのですけれど、相棒がヘタった途端、ももりの体には、アドレナリンが噴出し、キュッと引き締まって若返るのを実感しました。
 あと10分ほどで大王杉まで・・・相棒は「あんただけ行ってきたら???」って言いましたし、ももりも、そうしようか??とも思ったのですが、ひき返したら死んでた、ナンテことになったらいやだから、じっくり介護に専念して、ゆっくりゆっくり下りました。荷物も、全部ももりが持ったのですけれど、膝も足首もなんともなし・・・火事場の馬鹿力ってこういうのを言うんでしょうか。
 幸い、帰京して、お医者様に見てもらいましたら「前より、心電図は良い」んだそうで、「来年、もう一回行く」って言い張る相棒に辟易・・・だって、ももりは、哲学的思考よりは、綺麗な絵が描ける明るいロマンチックな所に行きたいんですもの。

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 鹿児島港から船で2時間。開聞岳を見て、本州最南端の佐多岬を過ぎる・・・間もなく竹島、硫黄島・・・この硫黄島は、先ごろ映画になった硫黄島とは別・・・低く種子島が見えたら、素晴らしく綺麗だった空が曇り、屋久島へ・・・重っ苦しい暗雲に覆われた屋久島着。

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