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2009年4月30日 (木)

一人ふらふら

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 朝、お日様キラキラ輝いています。あ・あ・あ・・・どっか行きたい!!!目的地も決めず、自転車で駅へ・・・「奈良にしようか??琵琶湖にしようか???」
 結局、草津へ。「比良山が一番綺麗に見えるトコ、どこ??」って、滋賀県の友人に何時だったか聞いたら「草津」って、確か、答えてくれたようなオボロゲな記憶あり。比良山は若い頃、何度となく登った山です。一人でも歩きました。子供達を連れても・・・そうそう、蓬莱山のテッペンで道に迷った事は3回も・・・当時はまだ、道標なんかもなかったんでしょうか???蓬莱山の頂上は全部熊笹に覆われて何にもなかったから。
 あまり身体も丈夫でなかったももりが、今みたいに頑丈で丈夫でガメツクなれたのは、あの山歩きのおかげでしょう。大学のワンゲルから全ては始まったのでした。
 草津で、観光案内地図をゲット。琵琶湖博物館へ。ここは素晴らしかった。

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 スケッチはマンモスがないている大昔の琵琶湖岸。こういうの、ハリボテだって大好き。朝日が昇り、夕焼けて稲妻まで光りました。メタセコイヤの大木が茂る琵琶湖の岸にも象がいた・・・アケボノ象とか・・・云うらしい。

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2009年4月28日 (火)

粗熱の取れた絵

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 タンスのテッペンを掃除していたら、何だか大きな巻物が出てきました。それは、若い頃に描いたキャンバスでした。何とも、お粗末。ザラザラと剥落する絵の具の間から、熱帯みたいな熱苦しい花々が咲き乱れています。若い、有り余るエネルギーを持て余したような、キャンバスに粗い熱をこすりつけたような・・・未熟ですけど。  
 ももりの若い頃、NYの抽象絵画が全盛でした。結構、「写実なら負けないわよ」なんて意気盛んな小娘でしたのに、しばらくもがいていて、結局、絵そのもの意欲を失ってしまいました。抽象って、一体、誰がこしらえた言葉でしょうか???ももりは「宙(そら)なる象(かたち)」・・つまり、現実には無いものを写す、と、受け取りました。今でも抽象の意味はよくわからないのです。でも、最近、展覧会に出品するのは抽象で、「ももりさんは抽象よね」って感じです。抽象絵画の洗礼を受けたももりにとって、写真のような写実は、見ていて退屈で、楽しみが、どこか少ないような気がして物足りない。心の中、とか、空気とか、音とか・・・不安とか、喜びとか・・・・描いてみたいなあ!!!描けるものなら???ネ。上の冊子の挿絵は、ももり。やっぱり、具象もいいっか???
 

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2009年4月23日 (木)

NYでコッテリ参ったこと

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 ももりは、日本がバブルで景気の良い時に絵を発表していまして、たまたま、幸運にまきこまれました。NYで個展をしたのです。その時のたった一人のNYの印象は、もう、サイッテイ!!!
 もう、20年も前になるんですよね。安ホテルに一人泊まっていました。セントラルパークのすぐ近くでした。当時、NYの治安の悪さはつとに有名で、「アフターファイヴは外に出るな」「舗道は中央寄りに歩け。物陰から引っ張り込まれるから」「セントラルパークには入るな」とか・・・散々脅かされて行ったものです。
 たった一人のNYの生活。食べに入る店だって、酷いハズレ。一杯素晴らしいエンターテイメントがあるのにエスコートしてくれる男性がいない。一人では、夜出歩けない。時差の関係でビールを飲んでぐっすり2時間ほど眠ったら、あと、目はランランさえて・・・いやはや・・・もう・・・
 5番街だって、どこもかしこも「FOR LENT]「SALE]でした。背広の上品な紳士が空き缶をふって物乞い。赤ん坊連れの黒人の乞食は、物凄い形相で物乞い。いやはや・・・今ではそんな事はゼーンゼンないそうですけど・・・何をするでもなく、ジーッと刺すような視線で通行人を見ている黒人達。突然「ピーッ」と鋭い口笛!!!。周囲を歩く人々がゴッツイのも嫌でした。大きな人間に取り囲まれるって云うのは恐ろしいものです。
 だから・・・もう2度目のお誘いは・・・おことわり・・・。有名にもならなかったし、お金持ちにもならなかった・・・思い出だけが残りました。
 今回の旅は大自然。やっぱり都会より田舎が好きです。

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2009年4月21日 (火)

こうなると思ってた!!!

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 アメリカから帰って郵便物を整理していましたら、相棒へは還付金の封筒が来ています。「エ???私のないっ!!!」って叫びましたら、相棒がニヤニヤして「これこれ・・・・どうするっかなあ」なんて云ってます。
 大体、亭主宛に夫婦ひとくくりで通知するなんて、けしからん!!!けんか別れしてる夫婦はどうするの???
 我が家は、まあ無事ですけど・・・ごくごくお近い奥さんはいつもダンナの悪口ばかり。それがおかしい。お互いにダンナに来た手紙を奥さんが開封し、その逆もありなんですって???
 ちょっとの手間を惜しんだばっかりに、これはモメますよぉ・・・マタマタ税金使って処理するんやろなあ???スケッチはアメリカ。砂漠の中に忽然と出現するカジノ。そんなのがいくつもある

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2009年4月19日 (日)

西部開拓とインディアン

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 「いい年こいて!!!」って云われるのを覚悟でアップ。ももりの若い頃は西部劇の全盛時代。「シェーン」「騎兵隊」「黄色いリボン」「荒野の決闘」・・・ジョン・フォード・・・その後、マカロニウエスタンになって残酷シーンを売り物にするようになって映画から遠ざかりました。Amerikanisi046_2
 その後、のめり込んだのが「大草原の小さな家」
 「あ、それTV で見たわ ]って云われるたびにももりの胸はキュッと苦しいです。原作は9冊。ローラ・インガルス・ワイルダーが、自らの子供時代から書き起こし、結婚、出産。7年間の記録的な旱魃を乗り越えてオーザークの高原で、農場経営に成功するまでの営々とした苦しい営みが描かれています。とても、TVの、あの、まだるっこい偽善的な出来合いとはちがいます。その後を、6冊、娘のローズが書いています。両親とのオーザークでの生活。ゼロからのスタート。その後、ローラもローズも有名になってサンフランシスコへ行ったときの手紙集など、手に入る限り読みあさりました。初めて自動車が登場するあたりも、かくありなん!!って感じです。
 あのシリーズにはインディアンの居留地に住み着いてしまって、軋轢ののち、撤退する場面も描かれています。農地法が出来、未開拓地に5年間定住すると自分の農地になる、という法律が出来たころの西部開拓の激しい先陣争い。鉄道建設現場での荒らくれ相手の売店管理など、ごくごく平易な言葉で語っていて、リアリティーあふれる開拓時代を描いています。どなたか・・・。本を読まれた方、お話したいなあ!!!。TVじゃなく・・・

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2009年4月18日 (土)

ザイオン国立公園

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 人々はこんな激しい谷間へも入って行った。インディアンたちにとっても、ここは聖地であったとか。
高度約2000メートルのコロラド高原。コロラド川支流のヴァージン川が侵食したもの。渓谷は約13キロにわたり、深さは1000メートル・・・ですって。ザイオンはエルサレムのダビデの神殿シオンから取ったといわれているそうです。
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 奥の滝まで行きましたけど・・・もっともっと先がある・・・行きたいなあ!!!このももりだって・・・先へ行きたい!!!

Amerika012下スケッチの右の縦の黒い線は滝・・・のつ・も・り・・・クシュン

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2009年4月17日 (金)

神々が声高らかに歌う「第九」 ブライスキャニオン国立公園

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この西部の地層は、大昔、地球のマグマが噴出し、固まって、一番下の固い地層を形成し、その後、地盤が沈下して、カルフォルニア一帯は海の底になったんだそうです。海の底で沈殿物をため、その後、隆起。又、沈下して堆積物をため、隆起。これを7回繰り返したんですって。その後、隆起して、今のコロラド高原が出来、セヴィア川が浸食したといいます。地球って激しくのたうって、もだえてるのよねえ。バーミリオン層と呼ぶ地層だそうで、これが夕陽や朝日に真っ赤に燃え上がる・・・絵には、とても、とても・・・

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2009年4月16日 (木)

先住民インディアンの遺した岩窟壁画 モニュメントヴァレイ

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 モニュメントヴァレーにて。アナサジインディアンが遺したといわれる壁画。コロラド川は気まぐれに氾濫し、水位は4メートルも上がるそうです。ここを案内してくれたガイドのインディアン氏は洞窟の前で笛を吹き、歌ってくれました。静かなメロディーが洞窟にこだましました。1200年ごろ、大旱魃があり、この地を捨てた人たちがいたそうな。彼らの悲しみのメロディーのようでした。
 コロラドはこの洞窟の中の生活を全て押し流してしまったのでしょうか・・・
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 ももりは、マドリッドの国立民俗学博物館の中庭につくられたアルタミラの洞窟の壁画を見たことがあります。ラスコーの洞窟の再現されたのも、フランスで見ました。人間って、こんなに絵を描きたいのよねえ!!!ホント、素朴で可愛らしい!!!うれしいなあ!!!
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2009年4月15日 (水)

グランドキャニオンのご来光

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 若い頃、山登りをしたももりはガチガチ歯を鳴らしながらご来光を待った記憶があり、バッチリ冬支度でしたが、これは正解でした。マイナス5度ですって。
 ヨーロッパの人々がアメリカ大陸へやってきて、西へ西へと幌馬車や馬で進んできて、この谷の崖っぷちに出たときの驚きって???ももりと同じでしょうね。向こう岸まで渡れない。グランドキャニオンの崖の間隔は6~29メートル。下へ降りるには、道が確保されている今でも、ロバで3時間だそうです。それでも、行った人間がいるってのも凄い。

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此方のブログは順不同。行き当たりばったりにアップしていきます。ホームページには順序を追ってアップしました。ホームページへは
   www.geocities.jp/wgwxw444
このアドレスはリンクしても立ち上がらないらしいみたい???山口ももりのホームページで検索してくださいませ。そして、旅のスケッチ「海外編:」へどうぞ。ぜひぜひ・・・

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2009年4月14日 (火)

絵には出来ない自然 アンテロープキャニオン

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ここはアンテロープ国立公園。アンテロープはインディアンの居留地で、今はナバホインディアンが住んでいるという。アンテロープへは、アンテロープタウンのバスで入る。すぐ近く、夕べ泊まったホテルはアメリカ政府が作った町、ペイジで、アメリカの先住民対策が伺われる。

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上と中の写真は洞窟の中、小さな空から太陽光線が差し込む。下が、その洞窟の入り口の前 Amerikanisi127

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2009年4月13日 (月)

アメリカ大西部の旅から帰りました

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 「コロラドの月の夜 ささやく森の精
 きらめく小金の波 ♪ ♪ ♪ ♪・・・もう歌詞は忘れてしまったけれど・・・・
イメージの中のコロラド川は、本当にうっとりと穏やかでしたが、この川が刻んだ形は、まさに、悠久の時とコロラドの水の戯れの手すさび・・・想像を絶する激しさでした。絵には、とても・・・描けないなあ。恥ずかしながらスケッチは日没のグランドキャニオン

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 「もう ちょっと バック」ですって???キャ・ア・ア・・・もう、崖っぷちですってば・・・
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 下にはるかに光っているのはコロラド川。台地面から川までの落差は1500メートル。ロバで3時間ですって。

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2009年4月 3日 (金)

おバカキャラ

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お馬鹿キャラって大嫌いのつもりですけど・・・バカを売り物にするなんて。でも、自分のアホらしさ加減に本当に笑ってしまいました。先日のウラウラ春日に、一人歩きに出かけました。お正月に戊辰戦争の跡地を見たいと、淀に出かけた時、背後の淀城跡も見たいと思ったのですが、相棒は「なんにもないっ」と、取り合ってくれません。それに、この川沿いを、もっと、ずーっとさかのぼって歩いてみたいって思ったのです。

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 3月終わりと云うのいつまでも寒い。でも、その日は本当に良い天気。「もう、さくらもいいかなあ」と、京阪淀駅下車。淀城跡へ・・・見事に何にもない!!!でも、ルンルンと川岸を歩き始めました。ずーっと、さかのぼったったら、中書島、伏見・・・へと行ける???んじゃない???って思っていたのです。名も知らぬ小鳥の声、ウグイスは勿論・・・ふと、立看板をみますと「桂川」って書いてあるじゃないの????「え・え・え・??? このまま行ったら、嵐山へ出るの???え・え・え・・・鴨川はどこへ行ったの???」どうやら、このままこの道を歩いていては、伏見の方には行けそうもないらしい!!!
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自転車で通りかかった親子に、「ここから、公共の乗り物に乗るにはどうしたらいいんですか???」って聞きますと「淀駅へ行け」ですって。「でも、わたし、淀から歩いてきたんです。中書島に行きたいんですけど」「え・ええ??こんなとこ歩いてたら遠ざかるばっかりや。ずーっと右へ行って国道へ出なきゃ」ですって・・・延々と歩いて、やっと、1時間に一本のバスをゲット。10ほどのバス停を通過して、伏見到着。寺田屋は月曜日休館・・・でも、月桂冠の工場見学、300円。ここできき酒・・・おいしかったなあ。小さなカップのお酒のお土産つき。
 帰宅して相棒にいいますと、全くバカにした顔をしています。「だって、伏見も中書島も川が流れてるやん」
「あれは、疎水やでえ」ですって。あ・あ・あ・・・あの辺り・・・むつかしい・・・
  ももりはしばらくブログをお休みします。

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2009年4月 1日 (水)

イタリア美術とナポレオン  京都文化博物館

Nihonnsuisai

 「イタリア美術とナポレオン」展、見て来ました。ナポレオンが生まれたコルシカ島のかつての首都、アジャクシオ。アジャクシオにあるフェッシュ美術館の収蔵品が展示されています。フェッシュはナポレオンの叔父で、母、レティツィアの兄弟です。ナポレオンが世に出て、フェッシュも力を持ち、金にあかせて収集した膨大なコレクションの一部です。
 ナポレオンについては、子供向きの本を2~3冊読んだ程度ですけれど、ももりが俄然興味を持ったのはナポレオンの母、レティツィアです。
 ナポレオンの母、レティツィアは、12人の子供を生み、成人したのは5男3女。ナポレオンは2番目の男の子でした。当時、コルシカ島はジェノヴァの支配下にあり、しかもジェノヴァは島をフランスに売却してしまった・・・という状態。やってきたフランスの大軍に対し、コルシカ人は独立を戦っていました。弁護士であったナポレオンの父と貴族の娘、レティツィアは山中で果敢に戦っていましたが、頼みにするイギリス軍は来ず撤退。その半年後に生まれたのが、荒野の獅子、ナポレオンです。
 父は、彼が16才のときに死に、レティツィアは貧しい中、遺児を立派に育てあげました。ナポレオンはパリの陸軍幼年学校にいたのですが、母の手紙で島に帰った時、余りの貧しさにショックを受け、島に滞在することを決意しますが・・・

 ナポレオンが大統領になったのは30才。皇帝になったのは35歳です。レティツィアは、ナポレオンが権力を一手に握ったあとも、質素な生活を続け、彼が没落した時の生活費は、母のたくわえでまかなわれました。エルバ島のナポレオンの生活は王様のようだったといいます。
 フェッシュはナポレオンの軍隊にいたこともありますが、彼とは上手くいかず、母、レティツィアと一緒に生活していたそうです。ナポレオンは52才で死に、その時、母、レティツィアは80才。その後、85才まで、ローマにひっそりと暮らしました。
 写真はボッティチェルリの「聖母子と天使」本邦初公開ですって。行きたいなあ!!!コルシカ島!!!

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