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2009年3月31日 (火)

自分の穴の中で

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 日本水彩展に出品し始めて2回目、出しぬけに、大きな賞を貰ってからずーっと今まで奮いませんでした。どうやら、自分の穴に入り込んでいたような・・・何にも見えなくなっていたような・・・それが、今回、ちょっと抜け出せた??かも・・・???
 人工的な都会・・人は、皆、孤独で・・・索漠とした人工的な都会のイメージを描きたい・・・あまりにも神を恐れぬ文明に、何時の日か神の怒りの火が・・・なんて「ソドムの街」にこだわってきたのです。でも、これは、実に大それた願いでした。
 「こら アカン!!このテーマは自分の才能では足らん!!!」って気が付いたのは、ほんの2ヶ月ほど前です。TVで手塚治の特集を見た瞬間でした。彼は、もう、ずーっと昔に、現代の都会を描いてる。ももりなんかよりはるかに鋭く・・・こら、あかん!!!原点に戻ろう・・・作家は処女作に戻るっていうじゃない・・・なあんてわけで・・・遊びました。
 というわけで、次回の東京展出品作は至って早くできました。もう、98パーセントくらいは多分できあがり・・・・これで、飛行機が墜ちても???大丈夫???

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2009年3月30日 (月)

司馬遼太郎と吉村昭の生麦村

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 生麦事件は、あまり取りあげられていないテーマのようですが、司馬遼太郎「龍馬がいく」風雲編・・”生麦事件”には出てきます。司馬遼太郎は、当時の生麦村は、ほんの、寒村。うら寂れた漁村と書いています。
 一方、吉村昭は徹底した調査を身上とする作家で、事件を調べている間に、当時の生麦村の家並図に出会います。その家並図を見ると、あらゆる種類の商いをする店が並び、所々に茶屋もある。質屋も多く、医師の家もある・・・寒村ではない!!!ことに気付きます。

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 疑問を抱いた彼は、更に当時の事件の資料を捜します。彼の得た推論は・・・司馬遼太郎が描いた生麦村は、F・ベアトが遺した「生麦事件の現場」の写真によっている。・・・が、しかし、そこは、実は行列の中で不幸なイギリス人、リチャードソンが切られた現場ではない。切られた現場から一丁ほど馬で逃げて、落馬、追いかけて来た薩摩藩士に止めを刺された村はずれであったことに気づきます。
 薩摩藩主、島津久光の行列に、騎乗したまま乗り入れてしまったリチャードソンは薩摩示現流にて、二太刀切られ、瀕死の重傷を負って一丁ばかり騎乗のまま逃げて、・・・「一人落馬致し、並木縁り倒れ」・・・目撃した百姓甚五郎の女房ふじとよしが奉行役所に語っています。・・・松の木の下、激しい苦悶の様子が記され、さらに行列の方から薩摩藩士が6人駆けつけ「右異人の手を取り 畑中江引込み候内 一人の士 剣を抜候付・・・」。薩摩藩は百姓家の古よしずを遺体に掛け、行列は行ってしまいました。
 どうですか・・・作家って凄い!!!写真は3月26日アップした「史実を歩く」吉村昭 文春文庫より転載しました。こうなると、生麦村へも行ってみたい!!!東海道だって歩きたいのよねえ!!!

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2009年3月27日 (金)

ミサイルは飛んでくる

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 ミサイルは4日に飛んでくるらしい。雨天順延とか???迎撃するとか???実は、このももりメ、その頃にアメリカに行く予定です。お安いパック旅行ですけど・・・さ・あ・あ・・・???自分の乗る飛行機にミサイルが当たるなんて心配はしないけど、でも、空港とか、太平洋とか、日本海とか???どうなるんやろ???
 以前、NYのテロ事件の、その、ほんの2週間ほど後に、シチリア島へ行った時、空港はガラガラ、観光地もガラガラで、サービスもメッチャ良かったこともあったなあ。
 お国の防衛を心配するより、自分の旅行の心配をするなんて、ケ・シ・カ・ラ・ン!!!!スケッチはNO天気なももりメの鹿児島

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2009年3月26日 (木)

「生麦事件」 吉村昭

Namamugi
 やっと読了しました。作家はあとがきで、「2年余にわたる長い執筆の旅で、筆を擱いたときには甚だしい疲労を憶えた・・・」と書いています。読了するのも、中々に疲れました。
 幕末の生麦村で起きたイギリス人殺傷事件。島津久光の大名行列の行く手に現れた異人。馬に乗ったままで、しかも、馬がいう事を聞かず、行列に割り込んでしまいます。当時の慣例では、大名行列の邪魔をしたら切捨てご免。それは、すぐに、イギリス海軍の薩摩藩攻撃へと発展します。

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 生麦村の庄屋が、当時の丹念な日記を残していたことに作家は驚き、克明に辿っていきます。結局、ももりの見るところ、江戸幕府は薩摩藩に乗っ取られた・・・と思うのですが、幕府が滅び、明治維新がなり、徳川家が続く事を許されて、5才の田安亀之助が駿府へ城かえするべく、生麦村を通るところでこの労作は終わります。
  ・・・百人ほどの質素な行列の乗り物が近づいてきた。両側のすだれは巻き上げられていて、幼い亀之助は、沿道の風景が珍しいらしく、目を輝かせてしばしば乗り物の外に首を伸ばす。亀之助は中央を剃ったお河童頭で、筆の軸のような小さなマゲが結われていた・・・概略・・・
 前方から赤い髪の被り物をつけ、錦の御旗を手にした兵の一団が近づいてきた。彼らは亀之助の行列とは知らず笑っている者もいたが、松に止まる烏に一人の兵が発砲した。亀之助は驚き、乗り物から顔を出して銃をかついで歩く兵たちに興味深げな目を向けた・・・
 たしか、JRも、12000円で乗り放題の切符を出すとか云ってたなあ。さあ・・・もう一度、薩摩、鹿児島へ行きたい!!!スケッチは島津斉彬と久光が武器の研究製造した、尚古集成館、後ろは桜島

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2009年3月25日 (水)

思い出 お水送り

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 上は今回の若狭路、明通寺。下は、なんと1994年・・・もう15年も前ですかぁ・・・3月2日の同じ明通寺・・・寒かったぁ・・でも、友人たちみんなで賑やかでした。お世話になった友人も、今はご主人様がお悪くて・・・いつの間にか思い出だけが通り過ぎて・・・ Wakasa_003

 更に下は、同じ日の夜・・・お水送り・・・此方は昨日書きました神宮寺です。

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2009年3月24日 (火)

若狭 神宮寺のお水送り

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 このお寺で行なわれる「お水送り」の行事は、奈良のお水取りの先立つ3月2日に行なわれます。もう、ずうっと前ですけれど、このお水送りの行事には強い感銘を受けました。
 夜、神宮寺の境内に大松明が焚かれ、神職姿の僧たちが読経する中、参詣者は小さな松明に火を移してもらい、お寺から出て小1時間、真っ暗な田んぼの中の道を歩きます。前も後もチロチロと続く小松明のあかりは、あたかも冥界への道のような・・・やがて、ごうごうと轟く遠敷川(おにゅうがわ)の川岸の大松明に着くと、各自のおたいまつを燃やしてもらい、厄落としを終わります。真っ暗闇って、どこか土俗的で、宗教的。奈良のお水取りは、振り返るとネオンがキラキラ輝いて、どこかショー的・・・なぁんて云ったら怒られるか???湖北、近江今津から、バスで雪の山を越え、小浜にたどり着いた夕べは、それはそれは冷たく寒かったものです。
 このお寺は、和銅年間に創建。桓武、白川の帝により伽藍が再建され、鎌倉の将軍から朝倉義景まで、時の為政者により、保護され絶大な権威を持っていたといいます。下は、現在、畑の中に残る山門、重要文化財。このお寺は神仏混交で、しめ縄が張られています。そういえば、お水送りの僧たちの白装束は神式だったのかしら。

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2009年3月21日 (土)

宮津 聖ヨハネ天主堂

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 ももりが大学でインテリアを選択した時は、「インテリアってインテリか???」って聞かれる時代。4才から園部の田舎育ち。デザイナーはムリだしウソがありました。デザイナーになりたいと思ったら小さな頃から、洗練された贅沢な暮らしの中で育つべきでした。そこいくと、絵は勝手気ままな世界です。それに、どれだけ物がなくて生活できるかと云う方なら興味があるタイプ。今あるものを捨てて新しいものに替えるなんて???そんなの必要ない!!!・・・山女はどれだけ物を少なく必需品だけ持って山行できるかに、知恵を絞ります。

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 宮津の聖ヨハネ天主堂。1888年から1896年、日本の船大工の手によって建てられたといいます。今も現役のカトリック教会です。内部は畳敷き。ステンドグラスや外観も、とてもしゃれています。

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2009年3月19日 (木)

若狭路 インテリア・ウオッチング

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 「インテリア・ウオッチング and ウオーク」はももりの畏友、高橋功氏が主催する催しです。なんと、10周年、120回記念・・と云うから凄い。高橋氏とは、同じ大学、彼は大分後輩です。大手百貨店で活躍され、今では大学で教鞭をとっておられます。先ずは宮津へ。天の橋立へ、知恩寺見学、そして、三上家住宅へ。
 昨日、一昨日、すっかり春めいて暖かい若狭でしたが、黄砂だけはついてきました。

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 上は、宮津の豪商、三上家住宅、下はその内部。三上家は、造り酒屋で、回船業、糸などを手広く商ったといいます。酒蔵が印象的でした。ももりの母の里方の本家、ややこしいなあ・・も、園部の造り酒屋で、まだももりが子供の頃、近所の寄り合いなんかがあると、父が「小桜、買うてこい」って云っていたことを覚えています。良いお酒だったそうですが、惜しい事に、今では、もう廃業してしまっています。水が悪くなっからだとか・・・
 お殿様が来られる表門と式台・・・お茶室も拝見。文化って、よっぽど金も、お腹も据えてかからないと、はかなく消えてしまうものです。ウラウラと春本番。日本海を見ながらの一泊ツアーは、本当にのぉんびりと、うれしかったです。

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2009年3月16日 (月)

「京都水彩」展 終了

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 きのう、無事終了。皆様、ご来場有難うございました。ももりのブログのお友達、あきみずさんも来てくださいました。いつも、ブログでお話していますので、何だか古いお付き合いの友人みたいな気分でおしゃべりしました。丁度、同時期に、毎年「山の写真展」と云うのも開催されていて、その会は、皇太子殿下の写真も出品されていまして、年々、凄い勢いで発展しています。
 ふつう、公募展で力を付けてから個展へと発展される方が多いのですけれど、ももりは、個展の方から始めました。書道界にありながらを絵を発表してきたのです。バブルの時期は、まさしく絶頂期。若かったし、面白い時でした。今、公募展にお世話になっています。1年に何度か、公の会場に陳列してもらえるてのは本当に楽。個人で会場を獲得して、案内状を出し、お客様を呼ぶという作業って、そりゃあ大変なのです。ももりも、絵を描ける限り、ずーっとこの会で生きて生きたいと思っています。本当に「京都水彩」の会って楽しいんです。会場風景。一番左、ももりの絵「宇宙たち」 
 

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2009年3月13日 (金)

映画「チェンジリング」見てきました。

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 久しぶり・・・「映画を見た!!!」って云う充実感をもらった映画でした。ゼヒゼヒ・・・
最近、気に入らない映画を見続けて、もう、ウンザリ。映画館からも遠ざかっていましたが、何人かの映画好きから「ええよーーー」っていわれて、腰を上げました。映画は1928年の実話に基づいて作られています。
 「CHEBGERING」は、「妖精が子供をさらって、代わりに置いていく醜い子」って言う意味があるそうです。子供の成長が生き甲斐のシングルマザー。アンジェリーナ・ジョリーが、誘拐された子供の母親を演じて、迫真の演技を見せます。当時、ロスアンジェルス警察は政治家と結び、腐敗しきっていました。非道な警察のあり方を告発し、戦った母親の話です。 
 アンジェリーナ・ジョリーといえば、ご存知、ブラッド・ピットとの間に双子の赤ちゃんを生んだ・・・とか、その肖像権???だったか・・撮影権がいくらとか??フランスのお城を買ったとか・・・TVで聞いていましたけれど、始めて、この映画で彼女を見て・・・もう、もう、惚れ込みました。蚊トンボみたいなスキニーな体から、あふれ出るエネルギー・・・素晴らしい!!!。女優としてだけでなく国連難民救済の親善大使、難民の子供も引き取って育てているそうです。それにぃ・・・服装が、又・・・クラシックでとても良いのよ・・・まだ、男性優位の社会の時代、つつましく品があります。今みたいにハスッパじゃあない

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2009年3月12日 (木)

描きまくった日々

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 とも角描く、何だって描く。描きまくる・・・このマ・ク・ル・・って部分だけがももりの良いところなんて嘯いてた日もありました。今・・・チュン・・・・描かない・・・描けない・・・
 大体、有名な絵描きを見ても、最盛期っていえる期間は案外短い。売れっ子になって描き続けた作家だって、世に出る頃の勢いは無くなるのが普通ですよねえ。ピカソだって、モネだって、ユトリロだって・・・なあんて自分に言い訳して・・・描かない・・・枯れたひまわり・・・でも、まだチロチロと命は燃えて・・・う・うーーー

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2009年3月11日 (水)

人生に色がつけられたら

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 絵を描き続けてきて、本当に良かったと思うことは、やっぱり、絵は、我が人生を多少なりとも華やかに着色してくれたことでしょう。それに、自分の心境が変わっていくことを、絵は、教えてくれます。もう、ももりは老境???激しい、攻撃的な面は消えました。自分の世界に籠りがちになっています。
 絵を描いたり、本を読んだり・・・まあ、やっぱり子供の頃から、一人が好き。自分の世界に閉じ籠りがちな傾向に、生まれついたようです。本も絵も、書だって、うっとりと自分の部屋で夢見てる・・・激しい戦争の場面を、ぬくぬくとコタツでねころんで、読んでいる・・・これって、自分の限界です。激しい苦労も無かった・・・みたい・・・??そんな事では絵は、やっぱり甘い???ひまわりは、やっぱり、甘いか???

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2009年3月10日 (火)

うまい絵、へたな絵

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  絵は旧作「ひまわり」 ひまわりは折に触れ描いている大好きなテーマです。昨今描くのは、老境のひまわり。枯れたひまわりです。若い頃は、手を触れたらジュン!!と音の出そうなアッツアツのひまわりを描いていました。歯をむいて闘争的なひまわりでした。でも、今は、枯れた渋い、鈍いひまわりを描きたい。種を一杯身につけてそっくり返っているひまわり。萎れてしまったひまわり、太い軸ばかりが「まだまだ」と生を主張しています。まるで骨ばった頑固じじい!!!展覧会は抽象で出品していますが、ももりはどんな絵でも描きます。上手、下手、そんなの関係ネエ!!
 「京都水彩展」は非常に入場者の多い展覧会です。水彩って小学生以来っていう人にも手軽に描けて、実は非常に幅広く深いです。ももり自身はテンペラで、古典的が画材ですが、絵を、もう一度描いて見たいという方、ぜひぜひ・・・そして、あなたも絵が描けたら、人生の白いキャンバスに色がつきますよ。上手な絵って云う事は面白くない絵って云う場合も多いんです。下手こそ個性・・・って思えませんか??

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2009年3月 9日 (月)

京都水彩展 明日から  京都市美術館

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 いよいよ明日から「京都水彩展」  今から、会場作りに行ってきます。
「京都水彩展」に出品するようになって何回目???かな???12回??いや、13回???この展覧会が気に入っています。隅っこのどこかで、お手伝いできたら・・・し・あ・わ・せ・・・出品作は2月23日「へ理屈をこねる絵」にアップしました。

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2009年3月 7日 (土)

「遠い日の戦争」 吉村昭

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 「遠い日の戦争」 吉村昭(新潮社)を読みました。日本が敗戦の年、作家吉村昭は18才。身をよじるような屈辱の思いで敗戦を受け止めた作家が書いた力作です。
 主人公、清原琢也は終戦時、福岡に置かれた大本営西部司令室主任として勤務しています。半地下のコンクリートの部屋で、敵機の気影を数え、空襲警報を発令する立場です
 8月15日正午、天皇の終戦の詔を、彼は司令室の明瞭な音質で聞き取ります。しかし、その前日にも、500機にものぼる爆撃機、艦載機による、関東、九州、新潟への銃爆撃が行なわれたことを確認している彼の憎しみは、アメリカ兵捕虜に向かいました。迎撃されてパラシュートで降下したアメリカ兵捕虜。女性のヌード雑誌を見ながら爆弾を投下していた、まだ、あっけないほど若い兵士達。乏しい食料を無駄に食わせている・・・捕虜を処刑・・・
 戦後、一転して、アメリカに媚を売るようになった日本人たち。彼は戦犯として厳しく追及されますが辛くも逃亡します。アメリカの戦時裁判の行方に神経をすり減らしながら、人目を避け、おびえて生きる琢哉。始めの頃はアメリカ人捕虜を殴打しただけでも、絞首刑・・・それは私刑・・・と作家は言っています。やがて・・・アジアの戦略上、日本が大切と考えたアメリカの姿勢の変化で、除々に刑は軽減されていきます。今、プリンシパルが欠けているとか・・・改めて日本人の奇妙な従順さに思いを致す時がきているのでしょうか。

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2009年3月 6日 (金)

オ・ザ・ワとオ・バ・マ・・・

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 とうとう、引っかかっちゃった。オザワ党首。この酷い自民党の有様をチャンスにして政権をモノに出来ないなんて、民主党もだらしがなさすぎる!!!スケッチは昨日の続き、長楽館。明治の元勲達も、結構、政治で稼いだというのは真実らしいけど・・・今は、そんなウマミも無いみたい。だぁかぁらぁ・・・人材が集まらないとしたら???若い方!!!オ・バ・マみたいに論陣を張ってくださいよ!!!

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2009年3月 5日 (木)

京都 長楽館の建物と家具・・・公開中

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 京都に残る、古い洋館「長楽館」が公開されていると云う新聞記事を見て、早速行ってきました。明治時代、煙草王と呼ばれた実業家、村井吉兵衛が建てた京都市指定文化財です。祇園さんのすぐお隣。
 ここには、英国のウエールズ皇子やロックフェラー、西園寺公望、伊藤博文、山形有朋、大隈重信らが訪れたそうで、京都の迎賓館でもあったそうです。現在もレストランですが、普段のももりにはちょっとお高い。でも、今日は1000円で館内が見られ、200円分のお茶券も付いていました。

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 窓外は京都を一望する素晴らしい景観です。ゆっくりお昼を戴きました。ピカタにスープとサラダがついて1300円。これならももりもOK。とても美味しかったです。
 同時開催として奈良女子大学所蔵の正倉院御物の克明なレプリカが出品されていました。3月8日まで。ちょっと急いでください。

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2009年3月 4日 (水)

万葉の世界

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 万葉集は難解です。でも、アホの一つ覚えで、何度も描いたり読んだりしているうちに、その良さがじんわり身にしみこむような気がします。

 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかないぬ 今は こぎいでな・・・額田女王 

井上靖「額田女王」は、額田を創作しています。大海人皇子のおもいもの、額田は神につかえる女性として、身はまかせても、心は独立。のち、中大兄皇子に所望されますが、やはり、心はまかせません。時の権力者、どちらも、専制政治をやりぬく激しい兄、弟のあいだで、妃でもない、しかし、神に仕え、歌を皇子になりかわって読む・・・神がかり・・・的な、誰にも支配されない女性に描いています。
 熟田津は、四国。白村江の戦いに備えて九州へと旅立つ船旅の出帆を読んでいます。中大兄皇子に憑依して???読んだらしい。大らかで、たくましい、響きの美しいお歌です。こんな絵を描いていた頃もありました。

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2009年3月 3日 (火)

あしびきの 山のしずくに

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 あしびきの 山のしずくに 妹待つと われ立ちぬれぬ 山のしずくに・・大津皇子が石川郎女に贈った歌 
 吾を待つと 君がぬれけむ あしびきの 山のしずくに ならましものを・・・石川郎女が応えた歌
 どうですか・・・万葉集。大津皇子は天武天皇の子ですが、母親の身分は低い。持統女帝の皇子、草壁皇子の皇位継承のライバルです。石川郎女は、皇太子草壁皇子の恋人・・・危険な石川郎女の恋の火遊びは・・・大津皇子の死・・・そして・・・やがて草壁も・・・万葉集はいろんな人の解釈で限りなくふくらんでいくようです。
 ももりも、あしびきの山のしずくにぐっしょり濡れて、飛鳥を感じてきました。春になると、いるかの首塚の辺り一面は蓮華の花におおわれるんですって。春になったら、又行きましょう。

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2009年3月 2日 (月)

飛鳥大仏は1400才

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 この仏様は今1400才ですって。1400年前といえば推古女帝の4年。鞍作部鳥が当時、法興寺と呼んだこの飛鳥寺に、この仏様を安置したんだそうです。衣冠を正したきらびやかな百官が居並ぶ中、荘厳な完成式が行なわれたことでしょう。優雅な音曲が鳴り響き、五色の雲が立ち上った様が目にうかびます。お顔のケロイドはその後の時代が、決して安逸なものではなかったと語っています。
 ここ、法興寺での蹴鞠の会で、中兄大王子が靴を鞠と一緒に蹴り上げてしまった。それを受け取った中臣鎌足がこの王子に近づいたとか・・・・日本を律令制度で統御しようとした大化の改新は、多くの痛みを庶民に押し付けた専制政治だったようです。

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 スケッチは近くの橘寺。橿原神宮駅から歩いて1時間10分。どうやら、ももりは大きく遠回りをしてしまったようです。雨の中、しゃがみこんで、帰りのバスを待っていましたら、土地の方が「バスは、来るかなあ」って時刻表を確かめてくれました。「あっちの停留所から乗らな、凄い大回りやでえ」ですって。どうやら、その大回りの道の方から来たらしい。でも、そのおかげで、大体、明日香村の見所の土地勘はつかめました。明日香村は、1400年前の駘蕩とした春でした。

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2009年3月 1日 (日)

飛鳥迷子

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 先日、霧雨の中、飛鳥の都をトボトボ・・・歩いてきました。もう、アチコチのブログで刺激され、古い本を引っ張り出して井上靖「額田女王」を読みましたら、も・お・お・・・うっとり。朝、雨でしたけど、とも角・・・耳成山、畝傍山、香具山、三輪山、二上山・・・・って文字がチラチラして、とりあえず近鉄に乗りました。飛鳥寺に行こう!!!
 八木西駅で耳成山をゲット。畝傍駅で畝傍山をゲット。香具山は・・・・おお・お・お  心なく、雲のかくそうべしや!!!橿原神宮下車。パンフによると、飛鳥寺まで、バス30分とありますし、そのバスが発車するまで30分以上ある。レンタサイクルをのぞいたら、1日900円。もうお昼も回ってるし・・・「ええい・・・歩け」膝の調子が悪いことも忘れて歩き始めました。橿原神宮駅の近く、にぎりめしとピザまんをかじりながら、トボトボ歩いていた着膨れたおばさんがいたら・・・それって、きっとももりでしたよ。

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 どうも、地図はイラストで正確ではないらしい。レンタサイクル屋のおじさんは飛鳥寺まで30分と云ったけど・・・霧雨の中、タクシーなんて走ってないし、バスも来そうにない。こうなったら、もう、目的地に辿りつくほかない。結局、1時間10分ほどかかって、飛鳥寺に辿りつきました。でも、道中の飛鳥、とてもおだやかで美しい。梅がいたるところに咲いてる。額田女王も、中大兄皇子や藤原鎌足も、大海人皇子だって、この道を歩いてたって思いながら、ホント、うっとり迷子を楽しみました。

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