岩倉具視・・・この稀代の策士
岩倉具視隠棲の跡です。1867年、明治維新なるまでの5年間を隠れ住んだ住まいです。岩倉実相院の雑踏からほんの2分ですが、ここは人影まばらでひっそり閑。もったいないなあ。お庭の紅葉も素晴らしいし、こちらをこそ見てほしいです。夜陰にまぎれて、西郷や大久保利通、坂本龍馬も、ほとほとと、しおり戸をたたいて密議を凝らした・・・そんな雰囲気が、今も濃厚に残っています。
邸内の資料館で、静閑院和宮が岩倉に宛てた手紙を見ました。慶応4年、徳川慶喜が謹慎している様子を伝え、官軍の江戸進軍の停止を東山道先鋒総督、岩倉具視に切願した手紙です。強いかな文字の手紙の、あまりにも率直な内容に、改めて、和の宮と言う人は強い人だったに違いないと確信しました。
以下の抜粋は、ももりが自信はないながら要約をヨーヤクしたものです。
委細承わりり候ところ 実に実におそれ入り候ことどもにそうろう。慶喜こと悔悟に伏し 東叡山に謹慎まかりありそうろう。官軍お進みあいなりそうらえども、不敬の義、これなきよう厳しく申し付けござそうらへども 何分四方の土民 しつそう???の土地にそうらえば 多人数のうちには心得違いのものもそうろう・・・(しつそう・・・の部分はももりの腕では作れなかった文字で、読み方もイマイチ自信はありませんので、あしからず・・・)
岩倉と大久保利通が錦の御旗をこの屋敷で考えだし、西陣織りにただちに作らせた。その錦の御旗一つで慶喜は戦意を失ってヘナヘナと腰砕けになり、大阪城から、大阪港へ、ほんの4,5人で逃げだしたと言うんだから・・・しかも、会津藩主松平容保をも連れ去ったってんだから・・・これは家来にとっちゃたまったものじゃない。可哀そうに。会津藩士のお墓は、京都東山金界光明寺に多くあります。TVでも、先日、篤姫はキッツク慶喜を責めていました。
| 固定リンク




コメント
だいぶ違った感じでしたでしょうか?失礼しました
大野さんが出している本の絵を見て思ったものですから似た雰囲気のはホームページには無いことは確かです。
投稿: 玉井人 | 2008年12月 6日 (土) 08時56分
和宮さんが強い人と知って少し安心!
だって、無理やり将軍家に輿入れさせられて、お気の毒ってずっと思っていました。
まあ あのような大奥に入って生きていくには強くなければねぇ
投稿: nyar-nyar | 2008年11月20日 (木) 21時02分
おはようございます。
京都の魅力・・維新の京都もまた、魅力的ですね。
しかし、最近、本当に維新は必要だったのか、官僚制度が良かったのか、少し疑問が残ります。・・・とは言えど歴史が変わるわけはないのですが、島津斉彬や水戸斉彬などの幕政改革を見てみみると・・明治政府より進んでいたのではないかとも思います。
岩倉使節団が海外に行っている間、日本を預かった西郷政権は、一番の安定した政治をしていました。あの厳しい状況での安定は、相当苦労したのではないでしょうか、岩倉使節団が帰り、征韓論で西郷が下野しますが、結果は西郷の考える方向に、もし、あの時、西郷の提案のまま進んでいれば、韓国とも付き合い方が変わっていたし、西郷下野は、政権争いの始まりでもあります。
官僚政治=戦前戦後も縦型社会=日本は共産主義に近いように思います。・・・岩倉亭でもっとしっかり議論していれば・・・違った政治の方向が見えたのではないかと思います。
今週末に、東京に行き、27日に出発します。
今しばらく、ブログ訪問します。
投稿: kju96 | 2008年11月20日 (木) 11時35分
いいことを聞きました。秋の京都は掃いて捨てられるならすててしましたいほど(あくまでも「ほど」です)の人で、かみの大原も、しもの東山も とんでもないことになっていると思いますが、岩倉は無事だったのですね。実はまだ行ったことがないんです。
小学生高学年の頃、岩倉具視の肖像が入ったお札がひと月のお小遣いでした。
投稿: 朝霧 圭太 | 2008年11月20日 (木) 09時54分
kazuyoo様 文字の線と形の強さがとても女性とは思えません。和宮のTVドラマもやって欲しいなあ。やがて官軍の先頭になって攻め上ってくるのは、かつての恋人ってんだからなぁああ
がんさん@大和の国様 悪い事もしてないつもりなのに、何故か人ごみから離れたがるんです。ひっそりとうっとりしたいんですもの。
玉井人様 今、大野勝彦氏のページ見てきました。似てるですって???さ・あ・あ・、きっと、相当ちがいますよ。
もうぞう様 歴史って私も特に日本史はごく最近になってから興味を持ったのです。でも、歴史はジグソーパズルみたいに、知れば知るほど面白くなるみたい。それに、旅をすると歴史を知っていると一段とおもしろいんです。
ikomanokaze様 改めて手紙を読んで、和宮にとって慶喜は臣下なんだと確信しました。だって、慶喜に謹慎させているとしっかり書いているんですもの。
あきみず様 手紙は勿論、横の読み下し文を見て読みました。でも、読み下しの読み下しをしないと読めない、読み下し文???だったのですよ・戦艦武蔵・・・目下本棚で沈没。その内に引き上げなくっちゃとは思いつつ、今は高峰秀子・・・これが、もう、すっごく、面白くって、今朝は泣いちゃいました。
投稿: 山口ももり | 2008年11月20日 (木) 09時52分
岩倉具視隠棲旧宅はまだ訪れてませんが
興味がわきます 特に和宮さんの手紙は
貴重です実物を読まれたのですね それも
すごいです 私は下に訳があってはじめて
解ります
吉村さんの戦艦武蔵読みました民間の造船所
での機密保持をしながらの製作よかったです
投稿: あきみず | 2008年11月19日 (水) 21時14分
ももりさんが ちょっとまえの記事で 自分の絵が売れてうれて・・・てなこと書いておられましたが
このごろ判るような気がしています。
「絵がうまい」かどうかを判断することはできませんが 魅力がある絵だと思います。花がある絵だと思います。
「岩倉具視隠棲の紅葉」いいですねぇ!
「そっりゃあ・・・美しかったです。」とももりさんが書かれた文字と重なります。
和宮さん篤姫さんも覚悟を決めていたのでしょう。
腹がすわっていたのでしょう。
投稿: ikomanokaze | 2008年11月19日 (水) 20時49分
ももりさまが地理が苦手と言われるように、私は歴史が大の苦手なんですよ。
失礼しました。
投稿: もうぞう | 2008年11月19日 (水) 19時48分
私は以前から山口ももりさんの絵のタッチをどこかで見ていた気がしていたのですが、最近分気が付きました。
「大野勝彦氏」をご存知でしょうか?
http://www2.infobears.ne.jp/oonokatuhiko/
「義手の詩画集家」などと言われている人です
その人の、優しい画集に雰囲気が似ているんですよね。
山口ももりさんも大野勝彦氏のような人間性をもった方なのかなあ、と想像させてもらっています。
ちょいと本文とは違いましたが、失礼をお詫びします
投稿: 玉井人 | 2008年11月19日 (水) 14時26分
奈良にもガイドブックに載っていない、観光客が来ない良い所があります。
地元にいるから分かる場所。
観光コースより全然良かったりします。
いつまでも秘密にしておきたい気がします。
投稿: がんさん@大和の国 | 2008年11月19日 (水) 12時36分
和宮さんの直筆のお手紙、さぞ、感動なさったでしょう。
岩倉具視さんの印象は私にはよくないです。というより、実像紹介からは、老獪の印象をぬぐえないからです。
大将が家臣を置き去りになんて、信じられない行為です。負けるにも方法がありますよね。
投稿: kazuyoo60 | 2008年11月19日 (水) 11時13分