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2008年11月29日 (土)

日本迷路公団総裁 関三平

Meiro
 我が畏友、関三平氏から新しく出版した本を送ってきました。彼は大学の1年後輩・・・若い頃から、どこかちょっとシャイで斜に構えたとこがあったなあ。それにしても、迷路一筋、家族を養って7冊も本を出した・・・いや、出版者が出してくれたってのは・え・ら・い・・・ももり自身は頭も悪いし、今更、よくしようという気も大して無いから迷路をじっくり考えるってことはあんまり趣味ではありませんけど・・・どなたか・・・ゼヒゼヒ  1200円プラス税ですって。
「対話しながら子どもの能力(確かな学力)を伸ばせます」って裏表紙には書いてありますよ。

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2008年11月28日 (金)

ガンバレ 余良 正男さん

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 毎日新聞11月27日朝刊「発信箱」から 余良正男さん・・・以下要約
最近続発する凶悪事件。自分と全く関係のない人に向けられる殺人者達の狂気。・・・「自分の人生はこんなはずではなかった」「それもこれも社会が悪い」・・・中略・・・「悪い社会」「悪い官僚」と言う口実を、メディアは彼らに与えてしまったのかもしれない・・・
 最近、殆どTVを見ないももりですが、この記者の、ちょっと気の弱そうな顔やコメントはTVでも見かけたことはありました。 最近、TVで我慢ならないこと。それは、番組の司会者や、評論家、コメンテーターが、あまりにもエラそうに、口幅ったい批判ばかりを無責任に叫んでいること。民主党の鳩山だって・・・もう、うんざり・・・「お前なら、どうするのよぉー・・・」ってTVに向かって叫ぶ姿はわれながらオッカナイ!!!人をケナスだけなら猿だって・・・イエ、これはお猿サンに失礼!!!余良記者の、ちょっと引いた誠実さに、久しぶりにクッときました。

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 医療といい、年金といい、学校や警察や病院に向かって、何でもかんでも要求ばかり。一昔前までは、人間、病気や事故でコロコロと死んでた。働く事は生きるうえで至上のこと。職業に貴賎なし。どんな仕事だって、生きるためには必死でがんばらなくっちゃぁ・・・そして・・・もう、生きるのが嫌、働くのが嫌になったって刑務所で、余生、老後を安楽に送りたいなんて・・・・そのために安易に、関係ない人を手にかけるなんて・・・絶対!!!許せない・・・スケッチは愛宕一の鳥居

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2008年11月27日 (木)

嵯峨野事情

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  一昨日は大原、今日は嵯峨野・・・先日は岩倉・・・これは、京都に住むももりならではのぜいたくです。でも、どこへ行っても人がいっぱい。そして、そんな人混みから離れた所に、本当にしっとりとした良いところがあるのです。
 京福嵐山駅からはさっさと離れましょう。渡月橋から左に奥へ奥へ・・・これ以上は侵入禁止の看板沿いに歩くのも良い。大河内山荘の外側を歩いて、嵯峨野へ・・・厭離庵・・・ここは大好き。ズーッといつも拝観謝絶でしたが、最近開いていて、人が増えてきました。又、愛宕念仏寺をずーっとずーっと行きすぎて愛宕寺へ・・・おたぎ寺と読みますよ・・・その先のトンネルを抜けると清滝・・・でも、このトンネル、昔は電車が走ってたんですって。すっごく狭くて真っ暗・・・何度か通りましたけど、車にひかれても誰にもわからない・・・怖いトンネルです。やっぱり、そこはバスにしましょうか。おたぎ寺の前からなら京都バスはガラ空き。ゆっくりと座って市内へ戻れます。 
 ももりは大して悪い事もしていないつもりですが、人混みから離れて歩くのが好き。さ・あ・あ・・・・まだまだ行く所は一杯。又アップします。スケッチは大原来迎院とその内陣の仏様
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 下はおたぎ寺・・・それからタクシーは意味無し!!!歩くより遅くしか進めません。やっぱり歩け!!歩け!!

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2008年11月26日 (水)

大原 再建なった寂光院

 
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昨日、ノーンビリと大原の里を歩き回りました。特に気になっていた寂光院。2000年5月9日、何者かによって放火され焼け落ちたと聞いたときはショックでした。その後、再建されつつあると聞いていましたので行って来ました。3年前に再建は完成したそうです。焼失した6万体のお地蔵様は、あるものは身をよじるように業火にあぶられた傷跡すざまじく、幾つかは元のままに残り、収蔵庫に展示されていました。

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時の最高権力者「平清盛」の娘に生まれ、高倉天皇に妃として入内し、安徳天皇を生んだ徳子。しかし、平家は見る見る没落。壇ノ浦の海に、幼い安徳天皇を胸に抱いて入水。長い黒髪を熊手で引っ掛けて拾い上げられたといいます。幼い子は海の藻屑に。先日、壇ノ浦で、平家一門のお墓を見てきたことも思いだされます。栄耀栄華と没落、何とも劇的な一生ですが、その徳子、建礼門院が、その後の生を養った寓居跡が寂光院です。その本堂が、先年、平成12年、いわれなく無残に焼かれたというのも、また、何かの業なのでしょうか。憐れです。下のスケッチは再建されたお堂

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2008年11月25日 (火)

ももりの文化度

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22日は友人の娘さんが主催するバレーの公演「コッペリア」を見て、23日は姪っこが出る吹奏楽を聞きに行き、ももりの文化度は、とても高く連休は終わりました。それぞれに素晴らしく感動をもらいました。
今日、家族みんなが、それぞれに仕事に出払ってくれると、ももりメは、もう、ゴールデン・アワーです。
 子供達が小さい頃は一人ずつ学校へ出て行くたびに「一丁あがりぃー」「2丁あがりぃー」「3丁あがりぃー」「4兆あがりぃー」って叫んでました。その内1丁は相棒の分ですけど。
 バレーの日、4時開園でしたので、その前に二条城へ寄りましたら鷹狩りの実演をやっていました。徳川慶喜が大政奉還をした場面も再現されていましたけれど、スケッチブックを取り出しただけで係の人がすっ飛んできまして、スケッチも写真撮影も禁止なんですって。

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2008年11月21日 (金)

お・お・お・・・高峰秀子  Ⅱ

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 今、夢中で読んでいるのは「高峰秀子」  まだ当分、彼女の本探しです。そっりゃぁあ楽しい!!!11月11日の続きです。5才の時から子役スターに。真冬の海辺で夏のシーンを撮り、夏の盛りにカッと照りつけるライトを浴びて冬のシーンを撮影。ぎりぎりの肉体労働に耐えて、無遅刻、無欠席・・・しかし、有名になるにつれて、彼女を食い物にぶら下がる人間は養母や肉親以外にも、ファンクラブにすらいて、高額の出演料にかからず、彼女自身の財布は常にスッカラカンです。養母とのぎりぎりと歯を食いしばるような軋轢の中、30才になったら結婚をしようと思い続けて、彼女は婿探しをします。当時の彼女の前にいた2人の青年助監督。「どっちか、私を嫁さんにしてくれないかな・・・」一人はお金持ちののボンボン。もう一人は、父は失職、母親は病身という松山善三でした。
 彼女は松山善三を食事に誘います。豪華なフランス料理を前にして彼は当惑顔。食べようとしません。
「食べないんですか」「どの料理はどのナイフを使うんですか。先に食べてください、ボク真似します」かの女の胸にさわやかな風が吹き込みました。
 
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 松山善三の両親に会ったときの感動を、彼女は語っています。以下、原文から・・・
17年来のリュウマチで歩く事もできず、松山の背中に負われてきた母親が不自由な腰をかがめ、曲がらぬ指先で目頭を押さえて言った。
「あなたは小さいころから働いていたんですってね。うちがもっと裕福なら、大事な嫁にこれ以上働かせなくてすんだのに・・・すみません。腑甲斐ない親でごめんなさいね」・・中略・・・
私は、言葉もなく、ただ頭を下げた。同じ「親」という名を持ちながら、私の母とは何故にこうも、こんなに違うのだろうか・・・私の目に哀しさと嬉しさに入り交じった涙がにじんだ。
「この二人が今日からの私のお母さんとお父さんだ。甘えさせてもらおう、親孝行をしよう」ももりは思わず泣きました。
 養母の方は「そりゃ おめでとうございます」とは言ったものの留袖を要求。お金の無い彼女はある夫人から譲ってもらいます。一度袖を通しただけとはいえ、その皺を見た母親は「お前は母親に人のお古を着せるのかい?よく恥ずかしくなくそんな事ができるね・・・中略・・・仕方が無いから着てやるけど、後はゴミ箱へ、叩き込むからね」ガチャン!と電話が切れた・・・
 表紙の絵は梅原隆三郎・・・やっぱりなあ!!!昨日DVDを借りてきました。「笛吹川」「24の瞳」楢山節考」です。又、その内に・・・

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2008年11月19日 (水)

岩倉具視・・・この稀代の策士

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 岩倉具視隠棲の跡です。1867年、明治維新なるまでの5年間を隠れ住んだ住まいです。岩倉実相院の雑踏からほんの2分ですが、ここは人影まばらでひっそり閑。もったいないなあ。お庭の紅葉も素晴らしいし、こちらをこそ見てほしいです。夜陰にまぎれて、西郷や大久保利通、坂本龍馬も、ほとほとと、しおり戸をたたいて密議を凝らした・・・そんな雰囲気が、今も濃厚に残っています。
 邸内の資料館で、静閑院和宮が岩倉に宛てた手紙を見ました。慶応4年、徳川慶喜が謹慎している様子を伝え、官軍の江戸進軍の停止を東山道先鋒総督、岩倉具視に切願した手紙です。強いかな文字の手紙の、あまりにも率直な内容に、改めて、和の宮と言う人は強い人だったに違いないと確信しました。
 


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以下の抜粋は、ももりが自信はないながら要約をヨーヤクしたものです。
委細承わりり候ところ 実に実におそれ入り候ことどもにそうろう。慶喜こと悔悟に伏し 東叡山に謹慎まかりありそうろう。官軍お進みあいなりそうらえども、不敬の義、これなきよう厳しく申し付けござそうらへども 何分四方の土民 しつそう???の土地にそうらえば 多人数のうちには心得違いのものもそうろう・・・(しつそう・・・の部分はももりの腕では作れなかった文字で、読み方もイマイチ自信はありませんので、あしからず・・・)

 岩倉と大久保利通が錦の御旗をこの屋敷で考えだし、西陣織りにただちに作らせた。その錦の御旗一つで慶喜は戦意を失ってヘナヘナと腰砕けになり、大阪城から、大阪港へ、ほんの4,5人で逃げだしたと言うんだから・・・しかも、会津藩主松平容保をも連れ去ったってんだから・・・これは家来にとっちゃたまったものじゃない。可哀そうに。会津藩士のお墓は、京都東山金界光明寺に多くあります。TVでも、先日、篤姫はキッツク慶喜を責めていました。

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2008年11月18日 (火)

映画「花はどこへいった」見てきました

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 ベトちゃん、ドクちゃんのことは、日本のマスコミにもよく取りあげてましたけど・・・べトナム戦争が終わって、30年。今でも続いている枯葉剤の被害。2000年からやっと、奇形児は出ていません・・・と、映画の中では言っていますが、これは胎児の生前の検査がなされるから・・・ホルマリン漬けのサンプルや、今も、現実に続く奇形児とその家族の映像は数えきれない悲劇を告発します。そして、不幸の中に輝く切なくやさしい家族愛。
 この映画は、坂田雅子監督の初仕事、ドキュメンタリーです。
彼女の夫、アメリカ人、グレッグは中流家庭で育ち、状況を変えようとベトナムへ。最前線では大量の枯葉剤が連日のように、散布されていました。アメリカのやり方に疑問を感じた彼は退役。そして、投げつけられた「赤ん坊殺し」の怒声。反戦運動です。彼はアメリカに絶望し、国を捨てヒッピーとして日本へ。京都大学の哲学科学生であった坂田雅子さんと出会います。1970年。写真家として、「TIME」や「LIFE]と契約した彼とともに、二人は何度もベトナムへ出かけました。ベトナムが好きだったから・・・
 2003年グレッグ、55才で死。・・・肝臓がんでした。
彼が「枯葉剤を吸っているから子供はつくれない」と言っていたこと、生前、余り話さなかったベトナムの戦場のこと。3枚の、枯れ果てた大地のベトナムの写真。どこに彼は兵士として存在していたのか。そこから彼女のベトナムへの旅は始まります。
 「枯葉剤の被害者なんて、どこにいるのか」と思っていましたが、彼のいた村には・・・今も、どこにも、奇形児が・・・いたのです」
 
 アメリカのやったこと、日本にも、原爆を落とし、一般の人々を殺しましたが被害の補償をしているは日本政府。ベトナムでも被害の補償はされていません。訴訟でも、薬品会社も政府も無罪ですって???アメリカは今まで、強かったから誰もよう言わなかったけれど、アメリカの時代はようやく終わり・・・これから、長い歴史の中で裁かれる日がくる事を、ももりは暗闇の中で確信しました。

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2008年11月14日 (金)

藤壺さんの秘密

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 昨夜、月すざまじく冴えて・・・源氏物語や枕草子の時代の月は、本当にすざまじいまでに明るかったでしょう。何しろ周辺は真っ暗なんですから。
 ももりは古文は大っ嫌いで、受験勉強の頃、いやいやながら「帚木」を読んだかな???もう、憶えてはいませんが・・・って状態です。今、京都では「源氏物語2000年紀」でアチコチで、なにやら飾ったりしています。
でも、でも、余りに素朴すぎる疑問。どなたか、教えて・・・教えて下さい。
 一体、源氏物語の原文では、どの巻のどの文に、源氏の君が、父帝の寵愛する後妻藤壺を・・・ケシカラヌ行為に及んだって書いてあるのですか。そんなこと、もっと早くに教えてよ。知ってたら、高校時代の受験勉強だって、もっともっと興味を持って、読めたでしょうに・・・
 京都の紅葉もいよいよです。春から何度か歩いた源氏物語にちなむ10のハイキングコース、未だいくつかは行ってないのです。さ・あ・あ 再開!!!

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2008年11月13日 (木)

売れない絵描きの個展事情

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 個展をすすめてくださる方がいらっしゃいますけどぉ・・・でもねえ・・・売れない絵描きが個展をし続けるってのは・・・大変なんです。まず、売れなければ、額代、会場費、案内状の印刷代、切手・・・会場への往復のトラックの支払い、その他諸々・・・東京とかだと宿代の心配まで・・・持ち出しなんですよねえ。ツライ!!!
 それに売れなければ、押入れは満杯。次の個展では、又、全部、新しい絵にしなくっちゃいけません。こうして、家は粗大ゴミで一杯。我が家はもう既に満杯以上。
 会場に毎日つめるってのも・・・結構・・・これは楽しくはあるけど・・・帰宅したら、笑いすぎてこめかみがダルイ。

 それに、売れる絵って言うのは、やっぱり、「玄関にチョット掛けるわ」っていう感じの絵で、甘い。こういう甘い絵が、ももりには描けない。う・うーん・・・・わかってもらえますか???

 ももりは運の良いことにバブルの面白い時期に、セッセと個展をしていました。ヨーック、売れたものです。引く手あまたでお誘いがあったし、若かったし、元気リンリンだったし・・・旅行ができたし・・・嬉しかったなあ。今、売れているのはよっぽっど話題性のある、良く知られた絵描きさんだけですね。チュン!!!・・デ・デ・デモォ・・・来年の9月には3人展、会場を予約しました。絵は先日の鹿島槍の麓の小径

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2008年11月12日 (水)

厚塗りかスッピンか

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自分でいうのも、イヤラシイけど、こういう絵はどちらかというと達者な絵で、ももりとしては好きじゃありません。こんな風にしか描けないのがくやしい。先日、ある人がコメントしてくださってたんですけど、絵よりも古い白黒写真の方が魅力だって。そうかねえ。どっちも大したことない。
 旅に行く時はペラペラのクロッキー帳を持っていきます。画用紙よりはるかに枚数が多くて軽いから。つまり、メモなんです。10日も旅したら100枚くらいは軽い。絵日記です。メモをセッセとアップしてヒトサマに見てもらってるってのは考えてみれば、横着至極。でも、ゴッテリと厚塗りした絵よりも素顔の方が良いってことの方が多いんだから絵ってのは面白い・・・なあんてね。絵は、先日のスケッチ旅行でゴッテリ塗った青木湖。
 麻生サン、期待してたけど・・・どうやら軽いノリではすまないなあ。12000円。あげてほしくないなあ。厚生省の古いお役人ドモや歴代厚生大臣には・・・

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2008年11月11日 (火)

お・お・お・・高峰秀子

Hideko

 友人が面白いって言ってたから読みはじめたんですけど・・・「こんなに面白い本があったんや」って感じ。何より、読みやすい。ざっと、こんな調子です・・・ 
 
 私たち日本人の姿態容貌は、おしなべて、かなり貧相にして粗末な出来だとおもう。
今から50年も昔のことだけれど、半年余りパリをウロウロしていた頃のある日、シャンゼリゼの大通りを歩いていたら、向こうからひどくチンチクリンで貧相な女がヨタヨタと歩いてきたので、ありゃいったい何者だ?と思ったら大鏡に写った私自身だった・・・中略・・・  

 5歳のガキなのに、どうしたわけか爆発的な人気者になって、プロマイドが飛ぶように売れ・・・原文のまま・・・、映画に出ずっぱりの人気スターの人生。殆ど小学校も行けなかった。実母は4才で肺結核で死、養母・・・実父の妹・・・は、ステージママで、執拗な金の亡者である。養母に疲れ、アブクのような人気女優であることに疲れ、自分が単なる金銭製造機である事に疲れ・・・全てを振り捨ててパリへ。パリへ立つ前、家を養母の名義にして生活費を借金して工面した。生涯にたった1通の、養母からの手紙がパリに届く
「おかねをおくってください  母より」・・・
 アッケラカンとしてズバッと切り込む切り口が異常に爽快。越路吹雪から淡谷のり子、美智子皇后、・・・北野たけしにはとりわけ興味シンシン・・・・そして、穏やかな松山善三との老夫婦の主婦・・・あっという間に読み終わってしまいました。 あ・あ・あ・・・又映画が見たくなるじゃないの・・・下はスケッチ旅行の白馬3山・・でも霧で・・左のほうは唐松岳

Yamaonna2003

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2008年11月 7日 (金)

やっぱり、引きこもったら ダ・メ・・

Yamaonna2002
 このところ、ちっとも絵が描きたくなくて困っていました。なんというか、前に進めないのです。自分の絵がイヤ。でも、このスケッチ旅行の3日間で、急に、フツフツと描く気が戻ってきました。だって、周囲の仲間たちは、みんな、すっごく魅力的な絵を描くんですもの。それに、何て自然って美しい!!!やっぱり出て行かないとダメなんですね。それにしても単純。まだ、刺激されたら意欲が戻るなんて・・・・うれしいなあ。家に閉じこもって本ばっかり読んでるんじゃダメ。たまに行くというと映画。展覧会には、もう、感動がないんです。
 
 でも、さ・あ・・・秋・・・京都の紅葉はまだまだ・・・でも、その内に、その内に・・・

Kiso

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2008年11月 6日 (木)

よみがえるか 青春

Yamaonna2001
 3日間のスケッチ旅行から帰りました。絵のグループの旅行で北アルプス鹿島槍の麓に2泊。お天気は快晴で、秋は正に錦秋。「もおぅ・・・こんなに頑張って描いた事ないっ」って言うほど夢中になって描きました。ももりは元々山女。大学時代はワンゲルで、その内、一人で登るようになりクラブは止め。就職してからは「北山クラブ」という山岳会に所属していましたが、その内に結婚、育児・・・お決まりの転落???コース。山からは遠ざかってしまいました。後は鹿島槍・・・あのテッペンを歩いてたのヨー・・・まだ、21才だったんだー!!!


Yamaonna

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2008年11月 5日 (水)

「四明展」ご案内

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 一昨日、スケッチ旅から帰りました。昨日は朝9時から「四明展」の展示です。
「よぉお・・そんだけ遊べるなあ」って相棒が呆れています。スケッチ旅行は鹿島槍の麓に2泊。木崎湖や白馬の麓へも行って、スッバラシイ!!!旅でした。お天気も最高。正に錦秋の秋。本当に至福!!!それは、後日としまして・・・
 「四明展」は工芸繊維大学のOB有志のグループ展です。ももりは、もう20回くらい出しているでしょうか。長らく紅1点でしたが今年からは女性が3人。ウレシイです。おついでがあればゼヒゼヒ・・・。下は出品しているガラス絵「コモ湖」12号 旧作ですが・・・

Simei004

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