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2008年1月29日 (火)

ゾラとセザンヌとナポレオン3世

Rie

 ナポレオン3世という人、案外ナポレオンと同じ程度には絵になる???3枚目のようです。ご存知、ナポレオンの妻、ジョセフィーヌの連れ子と、ナポレオンの弟とのあいだの子です。つまり、本家ナポレオンの甥っこです。彼が皇帝になったのは1852年、ゾラ12才、セザンヌ13才でした。1858年には、皇帝閣下肝いりのパリの大改造が始まっています。シャンゼリゼ通りをぶち抜いて、今のパリ市の都市計画が実行に移されました。その間、プロシャに大いに侮辱され続けていたナポレオン3世は、1870年、遂に宣戦を布告。普仏戦争が勃発しました。用意万端ぬかりなく戦備を整えて待ち構えていたプロシャのビスマルク、方や、怒りにかられて挑発に乗ってフラフラと腰を上げたフランス。7月19日に始まった戦争は9月2日には結果がでました。たった1ヶ月でセダンに追いつめられ、1万余の将兵と、皇帝ナポレオン3世がそっくりプロシャ軍の捕虜になったという実におソマツな次第でした。その時、ゾラ、30才。もう、文壇にデビューを果たし、美術評論を盛んにやっています。
 「サロン落選展」というのが開催され、大変な話題になったのが1863年。ゾラは、旧弊な古典絵画を踏襲した作品を徹底的に弾劾し、審査員を愚弄しました。新しい絵画に光を当てたのです。「落選展」では、印象派に先駆けたマネの「草上の昼食」を絶賛し、マネを一躍有名人にしたてました。マネはお礼にゾラの肖像画を描きました。上、1868年です。結構、青二才やねえ??1874年にはモネが「印象 日の出」を発表し、印象派という名前は市民権を得ました。セザンヌは、おくてで、まだ、パリでもがいています。下はももりのセント・ヴィクトワール山(No656
)
Rie003
 

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コメント

こんばんは!
このところ、面白いフランス絵画の世界を
覗いているようで、楽しい記事に感謝です。
マネの肖像画はすぐにわかりますね。
私は好きなんです。
「印象 日の出」を見たくて、マルモッタン美術館まで行きました。
小さな美術館で、「印象 日の出」が意外に小さかったのが意外でした。
でもあのタッチと色。今でも新鮮に感じました。

投稿: ちゃぐまま | 2008年1月31日 (木) 23時40分

こんばんわ
怪帝ナポレオン3世なんて言われますが、彼の功績をもっとクローズアップしても言いと思っているのですが、大好きなパリも
彼がいなければ・・思っております。
普仏戦争で彼の野望は終わりますが、日本の植民地戦略など
面白いですよね。芸術家の起点になったパリ博覧会・・・ナポレオ3世は、芸術家にとっては、大切な人物だったのではないでしょうか。ユーゴもゾラも。

 

投稿: kju96 | 2008年1月29日 (火) 21時11分

落選展 というのは聞いた事がありますが
よくわからない世界です 89年の絵ですが
パソコンにデータとしてみんな登録されて
検索で出てくるのでしょうか それとも
ももりさんの頭の中に仕舞われているのですか

投稿: あきみず | 2008年1月29日 (火) 21時05分

ゾラの肖像画、背景に浮世絵らしき絵が見えます。やはり日本絵画はこの時期の印象派画家達に大きな影響を与えたのでしょうね。
絵画と画家を中心に語る歴史というのも面白いですね。世界史にはうといのですが、興味深く拝読しました。

投稿: 秋ぎつね | 2008年1月29日 (火) 21時01分

おとなしくて良い子達ですね。
大好きなお父さん、早く帰ってきて頂戴!。ほんとに可愛いです。
浮世絵が見えます。かなり影響を与えたとは聞きましたが。

投稿: kazuyoo60 | 2008年1月29日 (火) 18時38分

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