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2007年12月18日 (火)

ピカソの生贄 マリー・テレーズ

Hura005
 ピカソの代表作に「乙女を陵辱するミノタウルス」というシリーズがあります。ピカソ、40代のシリーズでこの時のお相手がマリー・テレーズです。ミノタウロス・・有名なギリシャ神話の、上半身が牛、下半身は人間という怪物です。ギリシャ、クレタ島の伝説。ミノス王の妃が美しい雄牛に思いを焦がし、王妃はナントカ思いを遂げたいと牝牛の姿を作らせ、その中に潜んで思いを遂げた。やがて生まれた子が半獣半人の怪物であった。それを恥じたミノス王はクレタ島のラビリンス、地下宮殿にミノタウロスを閉じ込め、毎年、少年少女を生贄に捧げた・・・という有名な伝説です。
 マリー・テレーズを地下鉄の駅で、見初めたピカソは例によって、言葉巧みに誘惑します。マリー・テレーズは17才。未成年で、彼女と関係を結ぶと事が露見すれば犯罪です。1928年6月13日、マリーが18歳で法的に成人となった日に事は公になりました。ピカソ47才です。ピカソには妻、オルガ・コクロヴァがいましたのに。
 彼女は、美術にまるで感心がなくスポーツ好きの健康な娘でした。この、乙女を徹底的に陵辱した有様を描いたのが、あの傑作の数々です。彼女が娘を出産した頃、ピカソは新しい恋人ドラ・マールに夢中でした。健康な娘では飽き足らなかったピカソは、教養高いドラ、写真家で画家だったドラに夢中だったのです。ピカソは妻とも、マリー・テレーズとも、ドラとも、歯の浮くような手紙を書いて上手くやっています。その後、ピカソの関心がすっかり彼女から離れた頃、十分なお金も貰えず生活に窮した彼女は、裁判すら起こしています。彼女は、ピカソの死後、4年で首吊り自殺。しかし、正妻のオルガの孫の自殺未遂の治療費を払ったのは彼女であったことは昨日のブログで触れました。ピカソが生きている間はサインも貰えず、売る事すら許されなかった自分を描いた絵を売ったのです。67才でした。ピカソに殉死したといえるでしょう。正妻オルガの子供や孫が、その命を自ら縮めたのに対し、マリー・テレーズの娘マヤは、祖父から離れ、自分自身の道を歩みました。マリーの人となりが善良だったと信じます(No628)

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コメント

天才はその功績も偉大ですが、生き方の航跡も普通ではない人が多いですね。
常識からかけ離れた事を平気で出来る神経がないと天才的な仕事は出来ないのでしょうか。
バランスの取れた人格に憧れる(憧れている、だけでなれてはいません...)自分の理解は到底及ばない世界です...。

投稿: 秋ぎつね | 2007年12月18日 (火) 21時26分

私の近くに定年後、絵を描くことを楽しみにしている方がおられるのです。
普通に平凡な生き方もいいですよね・・・

投稿: 酒徒善人 | 2007年12月18日 (火) 19時13分

有名人の影に、天才と言われた人の回りには、えてして、不幸な方がいらっしゃいますね。他にも同じように不幸な人生を送った方が居るはずですが、目立たないんですよね。
洗脳された?としても、彼女は、後日には選ぶことも出来たはず、なんて思うのは、気楽な者の考えなのでしょうが。

投稿: kazuyoo60 | 2007年12月18日 (火) 09時24分

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