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2007年12月31日 (月)

あけましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。
旧年中は皆様に色々コメントをいただきまして大変有難うございました。ブログのおかげで、楽しみが増えています。本年もよろしくお願いいたします。ねずみはちょっと苦手。本年をネコ年元年といたしましょう。皆様に幸多かれと祈ります。絵はイリオモテヤマネコの・つ・も・り・・・昨年12月西表島へ行きました(No636)

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2007年12月29日 (土)

「越の寒梅」と「雪中梅」のそろいふみ

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 ジャジャジャーン!!!!どうですか!!!日本広しといえども、「越の寒梅」と「雪中梅」両横綱が揃っているような家はそう無いでしょう!!!新潟の、友人なんて申し上げては畏れ多い畏友からの贈り物・・・・拝受、拝受!!!まだ、包み紙の中なんですけど、これだけは、元旦まで脱がすわけには参りません。床の間が古くて草臥れていることには、この際、目をつぶってください。一家の主婦たるももりメが、書や絵や・・・とうつつを抜かしていなかったら、ひょっとして、立派な床の間くらいは作れたかも???なあんて・・・
 でも、大して、磨き上げるのが好きなタイプでもなし、ももりメは、もう、これで充分。十二分。後ろのお花だって、丹波のお山の四季咲き桜と南天と菊、今朝、丹波のお山で摘んできたもの。ついでに、ねずみの色紙も、不肖ももりメが・・・
 幻滴っていうのも、メッタに無い琉球泡盛・・・これは、未だ飲んだことなし・・・又、お正月にご報告します。1983年、35度って書いてありますよ。ウ・・ウグーーッ!!!(No635)

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2007年12月28日 (金)

やっぱり ピカソ

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 今年の手紙を整理していましたら楽しいピカソの絵葉書がありました。これは1961年と書き込んでいますからピカソ、80才。ピカソは1900年に19才ですので、年代の下2桁に19を足したら製作年代がすぐわかります。とても憶えやすいんです。どうですか、やっぱりピカソ・・・2人とも女性???ひょっとして、左はピカソ自身かもしれません。もう、すっかりお役に立たなくなった自身の分身を隠してショボンとしているのでは???右の女性はジャックリーヌ・ロック???いやいや、ジャックリーヌはこんなに伸びやかではなかった???フランソワーズ・ジロー???でも、その間にも、ジュヌビエーブ・なんとかとか、他にもいっぱいいたんやから・・・
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 一方、もう一枚のほうは、良く知られている絵で、マリー・テレーズです。ピカソ51才。マリーは、きっとお腹の赤ちゃんの胎動を感じて幸せにうっとりしています。どうやら、ピカソの絵を見るたびに、ピカソの生活そのものをのぞき見する楽しみを覚えてしまったようです。やっぱり・・・・ピカソ・・・魅力あるなあ(No634)

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2007年12月27日 (木)

熟したか

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 ももりの父は、日展なんかに何度か入選していまして、かなりないい線をいっていたのですが56才で逝きました。書で56才は若すぎます。若かった娘の私に「就職せんと、書道で生きてみたら」と、何度も声をかけてくれたものでした。でも、私は絵を描いていましたから、「そんな、白と黒だけなんて、我慢でけへん」って一蹴していました。父が、後、5年しか余命はあるまいと聞いて、急に書に興味を持ったのが21才。絵は抽象でないと、まるで価値が無いという時代に入る頃で、私は書を抽象絵画として捉えました。そしたら・・・・もおぉお・・面白くて・・・
 すっかり書の魅力にはまり込んで、35年。それなりに一生懸命やってきたんですけど、結局、書道界という世界とは、決別しました。書って、デッカイ作品を作って、展覧会で競うものでは無い。書の勉強とは、むしろ、文化と歴史の理解だと思ったのです。そして、どうしても、妥協できない書の見方の違い・・・
 書道界から身を引いて、一から、始めた独学の書・・・この方が、はるかに豊かで、余裕もあり、66才。最近、ちょっと熟してきたかなあって思うようになりました。先日、ずーっとお世話になり続けてきましたお方に、一幅のお軸を書くお約束をしまして、表具屋さんからお軸が出来あがってきました。人様に差し上げる事を考えて書いたのは、10年ぶりくらいです。
 まああ、ちっとも力まず、お部屋の中で、ゆったりと見ていただきたいと、一切の「見せ方」を廃して描いたつもりです。「処に随って楽しい」・・・何処にあっても、その場所で楽しむ・・・という事でしょうか(No634)

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2007年12月26日 (水)

すずめうり  からすうり

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 右は、お友達からクリスマスの前にいただいたリング。写真まで撮りながら、バタバタしてアップできなかったのですが「すずめうり」っていう植物なんですって。左はたまたま、丹波の教室に行く時の道すがらの竹やぶで、ももりが取ってきたもので、からすうり。自然の造形力ってなんとも魅力!!!
 すずめうりってのがあるってことは、今回初めてしりました。遅ればせながら・・・メリー・クリスマス!!!

たまたま、山桜さんのページもすずめうりをアップしてらっしゃいました。勿論、丁寧に取りあげてらっしゃいますのでゼヒゼヒ・・・

http://yamasakuran.seesaa.net/article/74735854.html#comment

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2007年12月22日 (土)

ピカソの絵 盗難76億円 

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 毎日、ピカソばっかり書いている折も折、ピカソの絵がブラジル、サンパウロ美術館から盗まれました。以下は毎日新聞から・・・2007年12月20日早朝、ピカソが1904年に描いた「シュザンヌ・ブロックの肖像」と「コーヒー農園の作業者」2点が盗まれました。地元紙エスタド・デ・サンパウロによると、表玄関から3人の男が侵入し、3分もかけずに持ち去った。推定価格は5500万ドル(62億円)一説には約76億円、と、書いています。
 1904年といえば、ピカソがパリに出てきた2度目にあたります。19歳でやってきてパリに敗れ、失意の内にバルセロナに戻りましたが、再び、気力を回復してパリへ出てきました。「洗濯舟」と言われる有名な安宿に腰を下ろしたのが、1904年4月12日、23才。同じ年の8月4日、激しい雷雨の中、駆け込んできたフェルナンド・オリヴィエの前に猫を抱いたピカソが立ちはだかります。そして、その猫をフェルナンドに押し付けました。フェルナンドも、若すぎた結婚に傷心の時で洗濯船に住んでおり、2人はその日に結ばれました。その時の絵を残しています。それまで、売春宿に入り浸っていたピカソは美しいフェルナンドを得て、男として充実していきます。この時期、「青の時代」から」「バラ色の時代」へとめまぐるしく変わる時で、周囲が「描きすぎる」と助言するほど、旺盛に作品を残しました。1904年の秋にはフェルナンドの部屋で一緒に暮らしています。そして、ある日、今まで「狂ってる」とピカソの絵を批判していた画商アングロワーズ・ヴォラールが、突然、ピカソの作品30点を2000フランで買うと申し出ました。3年間の生活費をまかなって余裕がある金額でした。美しいフェルナンドを愛したピカソは「極端に嫉妬深く、買い物にすら独りで外出はさせませんでした」と、後日、フェルナンドは言っています。「世捨て人の生活」だったと・・・しかし、旺盛な性欲は満たされ、ピカソは青年期を脱し、男になっていきます。青年から男へ・・・しかし、6年先には、ピカソはフェルナンドを捨て、結核で1915年には死んでしまうエヴァを愛します。結核を隠していたエヴァが死にかかっているときにはもう、別の女が・・・・しかし、ピカソ、この小さな白黒の写真で見る限り凄い描写力です。こ、これが・・・・70億円・・・・ウ・ウーン(No632)

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2007年12月21日 (金)

ピカソの恋人 108億円

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 2006年5月5日、NYのサザビーのオークションでピカソの恋人「ドラ・マールと猫」が108億円で落札されました。今まで個人が持っていたんだそうです。ドラ・マールのことは、昨日書きました。
108億円の絵のモデルとしての、ドラの扱いは、それは、酷いものでした。ピカソはしばしばドラを殴り、意識を失った彼女を置き去りにしたりもしました。「ドラは口笛を吹いたらすぐ飛んでくる、「カズベク・・・犬」と同じだ」と放言してはばかりませんでした。シュール・レアリズムの女神は、貶められ、絵の中に、顔も体も怒りにまかせてむしりとられて再現されたのです。
 ピカソのこの時期はドイツ軍がマジノ線を突破して、パリは陥落し、ピカソの家も占領され、大きなテーブルは庭に持ち出されて、兵隊の食事机になっていました。ピカソのやり場のない怒りも、ドラの上に増幅されていたかもしれません。
 ピカソの絵の多くは、絵日記そのもので、日常生活を絵に残していて、面白い事にその年月日を書き込んでいます。青の時代、バラ色の時代、キュビスム、又、クラシックに戻り・・・・エッチング、彫刻、陶器と限りなく変化していきます。池田満寿夫がその著「私のピカソ」の中にうがった事を書いています。「作風が変わらないと、必ず停滞する。だから、破壊しないと前に進めない」・・・ウ・ウーン・・・
 新聞の写真で見るこの絵のドラは、生き生きと綺麗です。まあ、目が、耳の横にあって、こんな現物が現れたら、卒倒するけど・・・確か市場最高額の絵も・・・ウ・ウーン誰だったか???ビル・ゲイツが持っているんだったか??やっぱり男達にとって、天下を獲った、しかも、絵筆一本で、と言うことが、こんな女性の敵であるところも、又々、一層タマラン魅力なんでしょうか。(No631)

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2007年12月20日 (木)

ピカソと「泣く女」ドラ・マール

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 ピカソ、60才前後、1930年代はピカソが一番苦しんだ時期だったようです。「コーヒーを浴びるように飲んで雨のように小便を垂らしている」正妻オルガとは、怒鳴り合うばかりで会話はなく、離婚裁判もピカソには痛烈です。入れ替わり立ちかわり女はベッドに入りますが、ピカソは誰にも満足できません。1933年ヒットラーが政権奪取。1936年、スペイン内乱。フランコがヒットラーに攻撃を要請してゲルニカが爆撃されます。新聞は漫画とタイトルしか読まないピカソが、共和政府の要請を受けてプラド美術館の名誉館長を引き受けます。「パリ世界博覧会」のスペイン館に展示する「ゲルニカ」が描かれました。
 ピカソ苦悩の私生活ですが、1936年、ドラ・マールが登場します。彼女は写真家で絵も描き、知的な美学論争もでき、鮮やかな印象を持って美術界を闊歩していて、恋人もいたのですが、ピカソにとっつかまりました。彼女には特技があって、手の指を広げて、その間をナイフで突く・・というワザを人に見せて恍惚としていました。段々スピードが速くなり、ドラの真っ赤なバラの刺繍をした手袋は血だらけになっていきます。ピカソは、その手袋を譲り受け、ついでにベッドへも、その体を譲りうけました。ピカソ「泣く女」を知らぬ人はないでしょうが、ドラです。最初は美しく真っ赤な爪を強調して描いていますが、彼女も、やがてひっきりなしにヒステリーをおこして「泣く女」に変身していきました。神経衰弱です。「ゲルニカ」は、ドラの写真によって世間に広く喧伝されましたが、「ゲルニカ」を描いている横では、ドラとマリー・テレーズは取っ組み合いのけんかをしていました。どちらがピッカソの本当の愛人かを争っているのです。ピカソが「お前達で決めろ」と言ったから。そして、ピカソは「あんな面白い見ものはなかった」と公言しています。「ゲルニカ」には、ドラの手も入っていると言われています。
 世間的には、向かうところ敵無しでしたが、若い日の恋人、フェルナンド・オリヴィエが「ピカソ・その周辺」と言う伝記を著し、ピカソは激怒。その偶像の本性が、ようやく裸に脱がされていきました。(No630)

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2007年12月19日 (水)

ピカソ 正妻オルガ・コクロヴァの呪い

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 1918年と言えば、第一次世界大戦が始まったのが1914年。パリの絵描き達は次々と愛国心に突き動かされて戦場に去り、そして、すっかり変わって帰ってきました。画商のドイツ人、カーンワイラーは国外へ去り、アポリネールは戦傷死、最も親しく助けてくれたマックス・ジャコブは修道院へ入ってしまいました。ブラックも頭に負傷してパリに戻ります。スペイン人のピカソは戦場には行きませんでしたが、微妙な立場ではありました。第一次世界大戦後のパリはロシア熱に浮かされていました。1917年、ロシア革命起こり、皇帝退位、臨時政府が政権を握ります。ロシアの貴族たちは大挙してパリへ逃げ込みました。ディアギレフ・バレー団もその中にいました。ストラヴィンスキーの傑作「春の祭典」もパリで演奏されます。そんな中、ディアギレフ・バレー団の踊り子であった、オルガ・コクロヴァと出会います。束縛を嫌って独身を通していた36歳のピカソは、このロシア貴族の娘に遂に取り込まれました。オルガが、今までの女性に比べ、ピカソをすぐには受け入れなかったからだといいます。オルガは、バレーでも取り立てて優秀でもなく、絵と言えば部屋に飾るものとしか思っていませんでしたが、したたかな母親が後ろについていました。オルガの望んだのは、優雅な貴族家庭の再現でした。「コーヒを浴びるように飲んで雨のように小便たれてる」っていう事をピカソが気づくのは、早かった。アトリエで優雅に取り澄ましたオルガの傍らにはメイドが、だらしない服装のピカソの横には小犬が2匹、二人の間には共通の言語すらなかったのです。
 多くのピカソの女性たちに、オルガの嫉妬は病的になっていきます。マリー・テレーズが現れ、やがてドラ・マールが現れ・・・しかし、オルガはガンとして離婚を承認しませんでした。財産は半分取られ、逃げようにも、フランスの法律と強力な弁護士の熱弁には、ピカソも勝てなかったのです。オルガの息子ポールも、実に可愛らしく描かれたポートレートを残しているものの、ピカソの関心は子供にはなく、ポールは早くから麻薬と酒に溺れていきました。オルガが、精神分裂病で孤独に死んだのは、1954年。ピカソ73才でした(No629)

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2007年12月18日 (火)

ピカソの生贄 マリー・テレーズ

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 ピカソの代表作に「乙女を陵辱するミノタウルス」というシリーズがあります。ピカソ、40代のシリーズでこの時のお相手がマリー・テレーズです。ミノタウロス・・有名なギリシャ神話の、上半身が牛、下半身は人間という怪物です。ギリシャ、クレタ島の伝説。ミノス王の妃が美しい雄牛に思いを焦がし、王妃はナントカ思いを遂げたいと牝牛の姿を作らせ、その中に潜んで思いを遂げた。やがて生まれた子が半獣半人の怪物であった。それを恥じたミノス王はクレタ島のラビリンス、地下宮殿にミノタウロスを閉じ込め、毎年、少年少女を生贄に捧げた・・・という有名な伝説です。
 マリー・テレーズを地下鉄の駅で、見初めたピカソは例によって、言葉巧みに誘惑します。マリー・テレーズは17才。未成年で、彼女と関係を結ぶと事が露見すれば犯罪です。1928年6月13日、マリーが18歳で法的に成人となった日に事は公になりました。ピカソ47才です。ピカソには妻、オルガ・コクロヴァがいましたのに。
 彼女は、美術にまるで感心がなくスポーツ好きの健康な娘でした。この、乙女を徹底的に陵辱した有様を描いたのが、あの傑作の数々です。彼女が娘を出産した頃、ピカソは新しい恋人ドラ・マールに夢中でした。健康な娘では飽き足らなかったピカソは、教養高いドラ、写真家で画家だったドラに夢中だったのです。ピカソは妻とも、マリー・テレーズとも、ドラとも、歯の浮くような手紙を書いて上手くやっています。その後、ピカソの関心がすっかり彼女から離れた頃、十分なお金も貰えず生活に窮した彼女は、裁判すら起こしています。彼女は、ピカソの死後、4年で首吊り自殺。しかし、正妻のオルガの孫の自殺未遂の治療費を払ったのは彼女であったことは昨日のブログで触れました。ピカソが生きている間はサインも貰えず、売る事すら許されなかった自分を描いた絵を売ったのです。67才でした。ピカソに殉死したといえるでしょう。正妻オルガの子供や孫が、その命を自ら縮めたのに対し、マリー・テレーズの娘マヤは、祖父から離れ、自分自身の道を歩みました。マリーの人となりが善良だったと信じます(No628)

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2007年12月17日 (月)

ピカソの遺産

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 ピカソが1973年に91歳で死んだ時、4万点近い作品と3つの城、2つの別荘、幾つかの住居、現金が残されました。ピカソの城からは誰も見たことがなかった作品が続々出てきたのです。さて、このこの7400億円とも言われる遺産をどうする???フランス政府はピカソ法とも言われる法律を作り、作品で相続税を収めさせました。つまり、作品をフランス国家に取り込みました。今、パリのピカソ美術館に納まっています。
 さて、ピカソの遺産相続権者は、ピカソの老人介護に献身した正妻ジャックリーヌ。最初の妻オルガの息子ポール、他に婚外子が3人、マリー・テレーズの子、マヤ。フランソワーズの子、クロードとパロマの5人です。最初の妻、オルガはガンとして離婚を受け入れなかった・・・裁判をしても離婚できなかった・・・のですが、オルガは20年ほども前に死んでいます。オルガの息子、ポールも、酒と麻薬に溺れ、ピカソの遺産相続が決着する前に54才で死にました。ポールの息子、つまり孫のパブリートも、ピカソの死ぬ直前、漂白剤を1瓶飲んで胃腸をやられ、3ヶ月後に餓死しました。祖母オルガの分は、だから、ポールの残された2人の娘、マリーナとベルナールが受け取る事に決着しました。正妻、ジャックリーヌが3割、マリー・テレーズの娘、マヤが1割、フランソワーズの子供、クロードとパロマに1割ずつ、祖母オルガの分を、孫のマリーナとベルナールが2割ずつと決着したのです。
 残された妻ジャックリーヌは、衰えた晩年のピカソを取り込んで、他の愛人たちや子供たち、孫や古い友人達、肉親すら近寄せず、ピカソを独占しましたが、その死後も、誰をも近ずけませんでした。かつての愛人たちにすら生活費の支払いを拒否したのです。パブリートの治療費を払ったのも、捨てられてかえりみられることのなかったマリー・テレーズでした。マリー・テレーズは4年後、ガレージで首を吊って自殺。正妻ジャックリーヌは、3年後、深夜のベッドで、こめかみに銃弾1発、自殺しました。ピカソ、死後、これほどの近親者を死に追い込んだのは、彼らにとってピカソは絶対者「神」であったのでしょうか スケッチはももり、死んだら全部粗大ゴミになる・・・う・う・・・(No627)

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2007年12月15日 (土)

ピカソと池田満寿夫 池田満寿夫展 京都国立近代美術館

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 「エーゲ海に捧ぐ」その中に収録されている2編「ミルク色のオレンジ」「テーブルの下の婚礼」を読みました。以前から持っていた「私のピカソ 私のゴッホ」もじっくり再読。  なんとまぁあーー!!!
先日来、ピカソを性懲りも無く書いてきたんですけど、ブログとしての反応はさっぱり。ピカソは、多分、一般人からは嫌われているんでしょう。
 池田満寿夫・・私の感じでは、ピカソより上。「和製ピカソ」と呼ばれ、自らも、ピカソに大きく左右され、あこがれたと書いています。私の感じたままに書きましょう。66才のばあさんのエロ談義は少々見苦しいでしょうけれどお許しください。
 ピカソも池田満寿夫も、セックスは大好きで、それは、常人以上です。しかし、ピカソは性行動そのものを描いているけれど、池田満寿夫はその行為の快感、性器そのものの捉えた快感を絵にしているという感じでした。66才のももりメだって、妙にムズムズしてくるって。ピカソは下品なトイレの落書きっていう作品も多く、未完成で放り出した膨大な作品が彼自身を貶めています。もちろん、若い日々、「青の時代」「バラ色の時代」その後、92歳で死ぬまで、折にふれ、誰にも近づけない厳しさの溢れたすばらしい作品も残していますけれど。スケッチは残念ながらももり(No626)

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2007年12月14日 (金)

マングローブとイリオモテヤマネコ  西表(いりおもて)島から

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 今回、一番撮りたかった写真がイリオモテヤマネコとのツーショット、ずぅーっと狙っていたのですけど、何処にもありません。剥製やレプリカすらないんです。お土産屋さんにトッローイぬいぐるみがあっただけ。あんまり、トロイ目付きでしたし、買いもしないのに取り上げてツーショットとは、さても、強心臓のももりもできませんでした。写真で見る限りではかなり大きくて、体重は4~5??6キロですって。案内人が言ってました。結局何キロなのか???現在80~100頭くらい生存していると推定されているそうです。耳が小さくて、激しい、厳しい目つきの野生の美!!!写真でだけは見ましたけど、会えませんでした。スケッチは水牛。水牛が引く牛車に引かれて汐の引いた干潟を渡り、小さな由布島へ渡ります。
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 スケッチはオヒルギのマングローブ林。根元から根が一杯出て木を押し上げています。貴重な水生生物の宝庫だそうです。(No625)

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2007年12月13日 (木)

さんご礁の海  石垣島から

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 石垣島で、島1周のバスに乗りました。若い人ならレンタカーなんでしょうけれど、年老いた相棒には、ちょっとムリをしてほしくない。3000円・・・これが値打ちがなかったなあ。何にも無い。ところが、カビラ湾のさんご礁を見る舟、800円が素晴らしかった。船底からさんご礁の海を覗いたんです。珊瑚って、こんなに種類も色彩もいろいろなんや!!!ゆらゆら揺れてる熱帯魚。クマノミって図鑑で見てた熱帯魚もいる!!!
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 「さんご礁が作った浅瀬は荒波をもせき止めて、津波被害は案外少ないんです」って言う説明でしたけど、そのさんご礁の浅瀬を埋め立てて、大きな空港を作る計画が進行中なんだそうです。ホント、さんご礁とマングローブ以外何にも無い。そして、その「何にも無さ」がこの島の良いところ。のんびり、「何にも無さ」を楽しみたいものです。反対運動もあるそうですが、自然は一度壊したら、元には戻らないんだから。ももりも反対です(No624)

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2007年12月12日 (水)

遠くへ・・・遠くへ・・・飛べっ!!!

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 マイルが貯まって、その期限が今年中っていうもんだから、このタダの航空券で出来るだけ遠くへ飛ぼうと石垣島へ行ってきました。石垣島から西表島(いりおもて島と読みます。イリオモテヤマネコが有名)へ船で渡りました。朝日を浴びた東支那海と、夕陽に輝く東支那海。
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 刻々と色を変える海。素晴らしい波を蹴立てて船は進みます。寸刻を惜しんで、記憶に残そうと目を凝らす。でも・・・あ・あ・あ・・自然にはかなわない!!!この色彩を捉えたいと・・・絵を描いているのかも???(No623)

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2007年12月 7日 (金)

近視で星が見えるか

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 残り少ない時間と資金をついやして、何処へ旅するか、いつだって、相棒と意見が合いません。相棒は、「星を見にハワイへ」そんなツアーがあるんです。でも、ねえ・・・彼は近視。以前、ニュージーランドでも南十字星を見た時も、何時までたっても
「どれや。どれや。わからへん」って言っています。
「あれやんか。ホラ。あの2つの大きな星の近くに十字になってるやん」
「どれや、どれ???見えへんぞぉ」ですって。
「ほら、あの一番下の小さい星が見えてへんのとちがうのん??」
「ウウーン・・・そうか」ですって。
 「ハワイで星っって、ド近眼でも、星みえるのん???」
「うん、めがねを変えるから」???エ・エ・エ・???
めがねで、星が見えるのん???
誰か、教えてください。スケッチは南十字星。ポインターという大きな2つの星を目当てにさがします(No622)

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2007年12月 5日 (水)

映画「ピカソ」 ジェームス・アイボリー監督

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 先日、シャガール展を見ました。スケッチはシャガールが愛したサン・ポール・デュ・ヴァンス。シャガールと正反対みたいなピカソ。シャガールは心の平穏、ピカソは苛立ち、二人とも、パリに生きた絵描きです。
 映画「ピカソ」 ジェームズ・アイボリー監督 は再開したスペイン語講座で取りあげていて、授業では、30分だけ、「残りは家で見て下さい」ってことでした。ピカソ・・・ひどいヤツ!!!14歳から売春宿に入り浸り、サディスムの塊りみたいな彼を愛してしまって、人格を損なわれてしまった女性は箇条書きにしないとこんがらがるくらいです。
 映画「ピカソ」はその中で、たった独り、ピカソの毒牙から逃げおおせ、幸せな再婚を果たしたフランソワーズ・ジローを描いています。ピカソの行きずりの恋人達の中でも、いくらかはピカソの個人史に残った女性達・・・貧しさの中でこそいられた、ジェルメーヌ、2人の子供を生んだマリー・テレーズ、その前に、ピカソ側からすれば、なんとも悔やまれるオルガ・コクロヴァとの結婚。結局、彼女が死ぬまで彼は他の女性とは彼は結婚できませんでした。オルガが席を抜かなかったし、財産を半分取り上げたからです。インテリジェンスの塊りみたいな、ドラ・マールは精神を病み・・・これらの女性たちの事は以前にブログで書きました。興味があれば10月25日「未だ「ピカソ 偽りの伝説」へどうぞ・・・
 スペイン語を再開して、ピカソを取り上げてもらって、ちょっと興奮状態です。「ピカソ 偽りの伝説」 A・S・ハフィントンを夢中になって読んだ後だったからです。語学って、まさに、興味のドつぼにはまったら、どんな難解なテキストだって読む!!!そんな授業を受けている事が、今、とてもうれしいももりです。語学こそは、先生の資質次第!!!(NO621)

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2007年12月 4日 (火)

赤ちゃんにお乳をやる???

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「徹子の部屋」が大好き。できる限り見ています。でも、先日、ちょっと気になったことがありました。堀ちえみさん???あんまり、芸能界の事は知らないので、間違いだったらお許しください・・・がゲストでした。彼女は5人も子供を生んで、育てて、離婚、結婚、そして、歌手でタレント・・・えらい人ですねえ。その中で、徹子さんの言葉で気になったのが「赤ちゃんのお乳をやりながら・・・」って、何回か・・・赤ちゃんにお乳は、「あげて」ください。
犬にエサをやる。犬にエサをあげる。ちょっとニュアンスが違うと思うのはももりだけでしょうか。赤ちゃんには、是非お乳を、あ・げ・て・・・・
 新聞なんかでも時々見かける言葉ですけど、関東では普通にそう言うのでしょうか。「徹子の部屋」は大好き。黒柳徹子さんも大好き。だぁ・かぁ・らぁ・・・・あえて・・・お願いします。スケッチは奈良戒壇院。ここで、鑑真和上は僧侶たちに戒壇を授けた・・・って、お寺の人が言ってました。戒壇って???知らないけど・・・
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スケッチ 下は奈良東大寺法華堂(No620)

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2007年12月 3日 (月)

行く秋を惜しむ・・・京の秋

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行く秋を惜しむ・・・というには紅葉はまだまだ綺麗。12月というのに・・・きのう、ママチャリで気の向くままにスケッチ。上は下賀茂神社の糺の杜
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 左へ行くと銀閣寺・・・道端でスケッチ・・・昨日はお金を使わないとこばっかり。今日は久しぶりの雨。もう、そろそろ、春の展覧会の絵を描かなくっちゃあぁ(No619)

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2007年12月 1日 (土)

「シャガール 愛と自然の賛歌」 見て来ました

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 又、奈良へ。先日、談山神社へ行ったばかりなのに・・・キラキラと輝く秋の日差しは、私を家に置いておきません。でも、出かけて行った「シャガール」展、うっとりと、たんのうしてきました。
 若い頃、絵を描こうとしていたももりの目には、シャガールはちっとも魅力的にはうつりませんでした。”トッローイ”と思っていたのです。それが、何時??どうして???好きになったのでしょう??? 
 ロシアへの憧れ、ユダヤ人へのいくばくかの知識、そして、あの映画「屋根の上のバイオリンひき」・・・旧約聖書を描いた一連の絵・・・夢・・・まさしく夢・・・いつでも、夢をみられるシャガール・・・それこそが才能!!
 その後、奈良を散策。別に悪い事もしていないのに人気の無い所ばっかり歩きたがり、東大寺戒壇院、二月堂の裏道を不動堂へ、法華堂へ。逆光に輝く紅葉と東大寺。しみじみとシアワセでした。スケッチはロシア(No618)

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