フェルメール 真珠の耳飾りの少女
フェルメールという画家・・・彼の絵を主人公にした映画「真珠の耳飾の少女」この絵はどのように生れたか・・・一度は見たいと思い続けていた映画で、BSです。
フェルメール・・・現存する作品は35点と言われ、死後、ずーっと忘れられていた絵描きです。彼の絵が非常な価値を持つのは随分後のことで、当然、その生涯もはっきりしません。1632年生まれ、75年に43歳で死に、生涯はオランダ、デルフトです。彼より半世紀ほど早く活躍したのがレンブラント。
当時、オランダは海外雄飛によって、富が市民のうちにまで沁みこんだ珍しい時代。絵の依頼者が、貴族から、一部の裕福な市民へ広がっていました。その中で、ごく、普遍的な家庭内にの一こまを取り上げていて、光の効果を最大限に生かした、緻密な構成が話題になる写実です。
映画は田舎から出てきて、フェルメールの家に雇われた娘。この娘の初々しい魅力、真珠のようにつややかに輝くバラ色の頬。画家ならずとも、思わず触れてみたくなる・・・そんな寡黙な少女がフェルメールの家にやってきます。フェルメールの妻は10人以上の子を生んだそうですし、画家の、その生涯の短さから考えて、いつでも、家には、赤ん坊の鳴き声がひびき渡り、妻は、いつも妊娠、または授乳をしていたでしょう。その中で生まれた、静謐な、禁欲的な画面。風景は少なく、殆どは室内で製作されています。経済的には妻の母親が、小金を持っていたようで、映画の中でも、ヒステリックな義母が、ちょっと頭のイカレタ??ような妻と画家をガッチリ支配しています。絵の具代すらも、義母の指示で買い求める・・・やっぱり、貧しい家庭です。この映画の中で一番興味深かったのは絵の具を作る画面、乳棒で、鉱物を磨り潰し、リンシードで混ぜ、その作業を少女に手伝わせます。
油絵の具がまだ、素人にも使える段階には達していない時代。画家は絵の具を自分で作りました。グリザイユといわれる手法、先ず下地で濃淡を付け、後から、色を掛ける、古典的な技法ですが、「当時の画室って、あんなのだったんやろなあ」って納得。ももり自身は油絵の具が完成して始めて、素人にも、絵が描けるようになり・・・印象派なんかは素人集団・・・と思っています。素人の絵???って???素人だからこそ、新鮮なんですけど・・・
少女は色彩感覚がすぐれ、フェルメールは、手伝わせるようになります・・・しかし、妻は・・・・後は、映画でどうぞ・・・本当に、ケレン味のない、誠実な映画です。オランダの冬の冷たい空気が、鼻の奥までツーンとくるような・・・・そんオランダの光にソクソクと包まれた映画でした。(No575)
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